八章 狂わせる人
なぜ、その出来事が起こったのか。なぜ必然ではなかったのかと。
そして偶然が重なれば、ささやかな疑問は
だからこそ〈
だが時に、偶然性は演出として利用することも
〈
つまり、この夜果たされた少年少女の
にもかかわらず、茜音の
それが何を意味するのか。
もはや感情の名と感覚が
「永田くん……? どうして」
買い物を終え宿舎に戻る
〈
「九条さんこそ。俺は買い物の帰りだよ。お腹
「……」
茜音からの返答はなかった。
桜色の
濡れた瞳がいっそう
〈
なんと言えば、この偶然を偶然のまま乗り切ることができるか。合理的に思考をめぐらせる。
しかし次の
ふわりと
甘い香りが
何が起きたのか、すぐには解らなかった。
〈
身動き一つできなかった。
「……九条、さん?」
やがて彼は、茜音の肩に手をのせた。
胸のなかでしゃくりあげる彼女が震え、
ガラス玉のようだ。
風に吹かれただけで
「……」
それを見つめ返すうちに、〈
ただ眼前の少女と見つめ合う時間だけを知った。
「……ご、ごめん」
おもむろに身を離し、赤く
〈
「ううん」
答えながら、辺りを
アスファルトのうえに舞う砂埃のような、まばらな
「ちょっと、場所変えよっか」
「え?」
「どこか別のところで、ゆっくり話そう」
茜音は友人の言わんとするところを
すると〈
行くあてはなかった。相応しい場所も知らなかった。ただ、ゆっくりと腰を落ち着けられる場所ならどこでもよかった。
やがて歩調をあわせ、横並びに歩く。
折々、触れる肩の感触からは目を逸らしながら。
大通りを抜け、
結局、
久しぶりに開いた口の中は、ひどく
まるで自分のものではないように感じられた。
「座ろ」
〈
そこは二人のためだけに用意された特等席のようだ。空を
「……懐かしいなぁ。ブランコなんて
茜音が言った。
乾いた土をけり、ブランコをギコギコと鳴らしながら。
「そうだね」
と〈
初めてだとは言えなかった。
「……」
どちらも、あとに続く言葉はない。夜をつつむ
あとには土を
それさえも
「……あたし、家出してきちゃった」
茜音はそう言って笑った。痛々しいほど快活な笑みだった。
〈
少女の顔から笑みが消える。
「あたし嘘吐きなんだぁ。昨日、永田くんに言ったのも
「やっぱり辛かったんだ?」
「うん……。あたしがお母さんに幸せになって
また潤み始めた双眸が、夜の
それを一瞥すると〈
茜音は訝しげに首を傾げた。
「え、なに、くれるの?」
「うん。少しでも食べたほうがいいよ。そのほうが自分に優しくなれるから」
「自分に? でも、あたし……」
「九条さんが自分を責めるのは、お母さんを本当に大事に思ってるからだよ」
茜音は
「ホントに食べていいの?」
「いいって。まだいっぱいあるし。ほら」
袋のなかを見せると、茜音は驚きに目を
「ええっ、多すぎ! 一、二、三……十個くらいあるじゃん!」
「夜になると腹減っちゃうんだよね」
茜音から
「それでも
「一応、運動してるから」
「うわ、あたしだって運動してるもん! 体育はマジメに受けてるよ!」
「体育は、って……」
〈
「ん、ツナマヨっ!」
「おいしいよね」
「それもそうだけど……カロリー高い!」
「なんかごめん」
「ははっ、べつに
クスクス笑って茜音はもう一口かじる。そこに痛々しい虚勢はない。ありのままの九条茜音がいるだけだった。
〈
それが何に
感情だ。
種々にわき立つ泡に、どんな名が相応しいのかは知れないが。
彼女が
彼女といる間、あるいは彼女に結びついた
彼女が今もここにいるのが、その何よりの
それをどう受け止めるべきかは解らない。
自立的に目的意識を設定できない〈
今回の
「……あたしがさ」
だから茜音が口をひらけば、彼は
「お母さんを幸せにできなくても、お母さんはあたしを好きでいてくれるかな?」
「九条さんは、これからもお母さんを幸せにするよ。ずっと支えあってきたんだから。結婚しても変わらない。きっと、お母さんの受けとる幸せの数が増えるだけなんだと思う」
茜音が
「幸せの数……?」
「そう」
「そっか。あたし勘違いしてたんだ……」
それからすぐに
「人の受けとれる幸せって、一つじゃないんだよね」
〈
と同時に、この
任務において適当な
それとも感情をもった自分だろうか。
あるいは、自分はもうすでに、そのどちらとも
茜音は、そんなクラスメイトの
ふいに立ちあがって「やっぱ帰る!」と夜へ
「びっくりしたぁ。もう大丈夫なの?」
尋ねると茜音は、舌をだして弱々しく笑った。
「わかんない。また
「じゃあ、その時は俺も
「ええっ?」
闇をはらう
「それでさ、またこうやって話せばいいよ。九条さんが元気になるまで」
茜音は思案するように眉根をよせ、クラスメイトを見つめた。
そして、おもむろにスマホをとり出した。
「……じゃあさ、連絡先教えてよ。また家出できるように」
「オッケー」
茜音はその反応を意外に思ったのか、わずかに
「送ってくよ」
茜音は素直にうなずいた。〈
「……」
公園をでると、二人はまた沈黙に
袋のたてる音だけが、その熱を
ヘッドライトが闇を
やがて
「ここ、あたしの家」
「うん」
茜音は視線をさまよわせた。ところどころ瓦の剥がれた、小さくみすぼらしいその家を
〈
「ひとりで大丈夫?」
「はぁ? 当たり前じゃん」
茜音はいつもの調子でおどけてみせた。
しかしすぐに
「……でも、
「九条さんが中に入るまで、ここで待つよ」
茜音がふき出した。
「えーっ。一緒に来てくれるんじゃなくて?」
「お母さん、びっくりするでしょ」
「あー、そういえば永田くん男の子だもんね」
「うわ、どういう意味?」
「さあねー」
少女がにたりと笑って
「今日は、いや今日も、か。ありがとね」
「どういたしまして。話せてよかったよ。おやすみ」
「うん。おやすみ」
〈
「……」
茜音が引き戸の
〈
そこに突如、
否、霧ではない。
肺をちりちりと
煙草の
『こちら〈
急行。
その
実際、それは通常の〈
〈
『〈
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