間章 〈死神〉に関してⅡ

 御堂筋みどうすじとうは、今日もノートにしるした記録を、データに出力する。

 本来なら、二度手間でまでしかない作業だが、こだわりゆえに仕方がない。パソコンで記録をとりながらだと相手の顔が見づらくなるし、相手に不要ふようなストレスを感じさせてしまうからだ。


虚無エンプティ〉においては、その心配もないと他の面談官は言うけれど、東吾はそうは思わない。


 彼らは人間だ。

 異能をあつかい、亢進こうしんに乏しいのは異質いしつには違いない。それを否定するつもりはない。

 だが、異質であることが人間としての根拠こんきょを否定する論理など片腹痛い。そんなものは、にでもわせておけばいい。


 彼らのそれは個性こせいだ。憂鬱を克服こくふくし、わずかでも残った感情や自我をこそとうとぶべきではないか。普通の人間と隔絶かくぜつした対処は、かえって、彼らの閉じた心をかたくなにするだろう。


「……そう信じたいだけなのかもしれないけどね」

「ん、何か言いました?」


 いつの間にかファイルを手にやって来ていた補佐官に、独り言を聞かれた。いつもの愛想笑いで取りつくろうと、やはり返ってくるのは苦笑だ。また気味悪がられてしまったようだ。


 まあ、それはともかく、あの子だ。〈死神グリム・リーパー〉。


 一度の面談で収集しゅうしゅうできる情報は少ない。「新しい任務」とやらが始まってから、およそ一月。ようやく人間関係になやみがあるらしいと判ってきた。それも厄介やっかいな人物が三人もいるという。おどろきだ。


 しかも、相手はいずれも女の子ときた。

 健全けんぜんな男子なら、様々な意味で悩みのたねとなるだろう。

 ちょっとうらやましい。

 もちろん彼の悩みは「任務における障害」という点にきるけれど。


「来ましたよ」

「ありがとう」


 補佐官が去り、ノートを開くと、東吾はドアの向こうの気配けはいに呼びかける。


「どうぞ」

「……」


 やはりノックや挨拶もなくドアは開いた。

「座って」とうながせば座るだけの少年は、今日も浮世うきよばなれした漆黒しっこくの装備で身をかためている。


「やあ、相賀おうがくん。調子はどう?」

「……」


 本日のファーストコミュニケーションは、沈黙から始まった。

 混乱させてしまっただろうか。 

 東吾は主語を意識し、慎重に言葉をつむぎだす。


「例の任務は、まだ継続中かな?」

「はい」

「そうかぁ。悩み事も、なかなか?」

「ええ。合理的な手段しゅだんが通用しない場合も多いです」

「合理的かぁ。そうだろうね。人の心は正か否か、それだけでは判断できない事が多いものねぇ」

「……」


 また沈黙。返る眼差しにも変化はない。


 その様子を観察しながら、なにかアドバイスの一つでもしてやれればとは思うが、東吾はその考えをすぐに打ち消した。人情として悩みを解決してやりたいのは山々だが、安易に答えを諭せば彼の成長を阻害するおそれがあるからだ。


虚無エンプティ〉とはいわば、知識ちしきをもった赤ん坊なのだ。赤ん坊には、言葉の意味をくよりも、まず沢山の事柄をじかに体験させなくてはならない。悩みまようこともまた重要な体験だ。外界がいかいの存在に求められるのは、早々に答えを差しだすことではなく、ヒントを与え、本人に判断させることにある。


 東吾はたっぷりと三秒を数えてから、次の話題へと移った。


「ところで、最近変わったことはあったかい?」


 あえて、返答にきゅうするような質問を選んだ。

虚無エンプティ〉の感じ方は、おおむね平淡へいたんである。どのような体験に関しても、感動の幅はおよそ等しい。「変わったこと」など普通はないのだ。


 しかし彼にはがある。心が育ち始めている。

 まだ答えが返ってくる段階にはないだろうが、経過観察は必要だ。

 ところが、じっくりと待つつもりでいた東吾に、〈死神グリム・リーパー〉は答えを寄越した。


「ファミリーレストランへ行きました」

「へぇ、ファミレスかぁ。なにか美味おいしいものは食べられた?」

「チョコミントケーキを……けてもらう予定でしたが、その前にかえりました」


 東吾は内心の驚きを隠すように笑った。


 ファミレスに、チョコミントケーキ!


 一般人にとっては「ああ、こんな事あったなぁ」程度の、しばらくすれば忘れてしまうような些細ささいな体験だ。

 しかし〈虚無エンプティ〉にとっては、およそあり得ない進歩しんぽと言える。

 こんな相手と面談するのは、これでになるか。


「それは残念だったね。一緒に行った相手とケンカ別れしたとかではないんだろう?」

「はい。その逆というか。相談そうだんを受けた形です」

「相談か。それはすごい。上手うまく答えられたかい?」


 やや長い沈黙。


「……解りません。悪くない結果にはなったと思われます」

「なるほどなぁ。でも、悪くない結果だと思えるのは素晴らしいね」

「……」


死神グリム・リーパー〉は、じっと視線を合わせてくる。

 その揺らめきに、東吾は驚きをきんじ得ない。

 眼前に煌めくのは、やすりでこすったガラス玉のようなひとみではなかった。

 黒曜石のような美しい双玉そうぎょくだ。

 中に、たしかな感情の揺曳ようえいが見てとれた。


 以降の会話は、味気ない淡白たんぱくなものが続いたものの。

 東吾の確信は揺らがなかった。


 この子は、と同じだ。

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