四章 イレギュラー
「ごめん、ちょっと電話」
〈
「お、彼女かな?」
「そんなんじゃないよ」
「じゃあ、ママか?」
と
くだらない冗談に付き合っている時間はなかった。〈
「ヒューッ、まざこーん!」
からかいの声を背後に、トイレの個室へ駆けこんだ。すぐさま〈
「こちら〈
『こちら〈
「五七八……」
〈
ここからはそう遠くない位置だった。しかもターゲットの進行方面には、ここ
〈
『加えてターゲットの動きが変則的だ。〈
「たしかに妙だな」
〈
「ただちに戦闘準備に入る」
『ああ、〈
〈
襟首からも粒子が溢れだした。学生服を黒く濡らすように、足許までが
〈
その時、少年の総身を覆っているのは、学生服でなくロングコートだ。インナーもカーボンファイバースーツに置き換えられ、黒手袋がフルフェイスメットを支えている。大腿にはそれぞれ特殊警棒を収めたホルスターの膨らみがある。
〈
学生から狩人へと変身した少年は、個室をとびだし窓を開け放った。
三階だ。それなりの高さがある。
だが、それよりもグラウンドに通じているという点が気がかりだった。早くも昼食を終え、サッカーまがいの遊びに
しかし〈
〈
地面が降ってきた。
接触の瞬間は三と数える間もなかった。
が、それに臆して判断を誤る〈
彼は着地の瞬間、完璧なタイミングで前転。そのままクラウチングスタートの
「わっ! なんだあいつ!」
案の定、上階から降って湧いた黒い人影をまえに、生徒たちが騒然とする。
『ターゲット、ポイント五二二を通過』
一方、〈
「……」
五二二か。
もうかなり近くまで来ている。
緑のネットを張り巡らせたグラウンドの外。
〈
スマホのシャッター音やざわめきを背後に、〈
あたりに人目がないのを見てとり、袖口からワイヤーフックを射出。巻き取り機構で住宅の屋根へ飛び
そして見た。
紫煙の霧たちこめる
〈
〈
闇夜を裂く三日月とは対照的な、
コードネームの由来となった大鎌を肩に〈
黒い
「グゥルアァァ!」
異形もまた人型の化け物へと迫る。
瓦屋根が
引かれ合う黒と黒!
「……」
接触の瞬間。
〈
息つく間もなく二撃目の
鎌の位置はそのままに、〈
大鎌から異形の重みが伝わり、体勢が後ろへ傾ぐ。
致命的な隙が生じた。
だが、これでいい。
頭上の〈
太陽を負い、肉薄する漆黒の偉丈夫が。
「ヌアッ!」
両拳を覆った
〈
「ゲギャ……ッ!」
〈
ところが屋根を転がった〈
「……あの調子だァ」
傍らに着地した〈
〈
「乗せてくれ。足場になる」
「了解したァ」
短いやり取りの後、〈
合図もなく〈
ゴウッ――!
たちまちにして、
一瞬にして地上は遥か目下だ。
瞬く間もなく、十メートル以上跳んでいた。
異能の力だ。
ものを踏むことで足許に
超常的な加速で
ゆえに彼は、〈
「ぬァ……!」
異能の力が、一度はひき離された
「グルァ!」
しかし落下軌道にはいり減速すれば、即座にひき離される――!
「次でいけるか?」
「……いけるゥ」
にもかかわらず、二人の交わす言葉に諦めはなかった。
屋根との接触の瞬間、〈
〈
形作られる人型。
間もなく〈
霧散――。
したかに見えたそれはしかし、〈
「……!」
次の瞬間、背中の〈
器を割られた液体のように。
そして一度は霧散した人型が、突如、ロングコートをはためかせる!
粒子の肌が
その両拳が〈
「……」
そこにいるのが本物の〈
己自身を粒子に内包し、
拳と足裏が接触する。
ものを踏んだ〈
黒き
燃えたつ〈
「ギャアアァァッグ!」
異形の横腹がくの字に折れ、瓦を砕き転がった。
擦過した
『まだだ。反応あり』
すぐさま〈
前転で落下衝撃を殺した〈
その間にも〈
むき出しの屋根を
「ガア……ッ!」
〈
やはり〈
もはやグラウンドのネットは目前だった。
学校を戦場とするのは避けられない。
『……統制部隊の手配は済ませた。
〈
屋根の
両者は蛇のごとく絡み合った。拳と爪牙の
〈
警棒を鎌へ。屋根を蹴ってとぶ。勢いそのままに
「ガアアァァッグ……ッ!」
直前で〈
グラウンドのネットに、異形の牙が穴を穿った。
「……」
突如、現れた怪物を前に、生徒たちが水を打ったように沈黙した。
不審者さわぎに駆けつけた教師が、
サッカーボールが、ひとりでに転がる。
それを異形の爪が踏み潰した。
瞬間、
「うわああああああぁぁぁああぁあぁッ!」
生徒たちが、教師が、蜘蛛の子を散らしたように方々へ駆けだす!
校舎の窓に野次馬が押しよせ、
「きゃぁああああああぁぁぁぁああああッ!」
悲鳴が恐怖の坩堝と轟きわたる!
「くそっ」
加速を試みる〈
一方、〈
〈
悲鳴はいっそう険しさを増す。
〈
窓が爆ぜた。
異形の
その時〈
しかし尾にふり払われ、落下する。
迎撃失敗と見るや〈
得物を振りかぶり、
「ゲギャッ……!」
三日月の刃が背中に突き刺さり、
それでもなお〈
前肢一本で自重をひきあげ、ついに校舎へと侵入を果たす。
生徒たちはすでに逃走をはじめていた。
しかし
〈
しかし獣の馳走は、有象無象ではなかった。
「……ぁ」
狙いは、とある教室の
身を寄せ合う、三人の女生徒だ。
〈
「ファァッグ……」
酩酊するほど甘美な香りだ。
ふらつく足で歩みよった異形は、
「……」
首筋に黒々とした人影が降りたったのは、その時だった。
背中に刺さった警棒がひき抜かれ。
血濡れの刃がぞわりと震えた。
死の鎌は、たちまち
「……カッ」
ずるり、と異形の首がすべり落ちた。
その断面には、骨のごとく赤いものが
血がしぶいた。
異形の体躯を構成する粒子が一斉に霧散した。
肩を抱き合った三人の少女の顔に、赤い
「……被害ゼロ。〈
『ターゲットの消失を確認』
すでに教室の中にまで紫煙がたなびいていた。
黒い
ところが、その時、
「……!」
〈
反射的に鎌をふり抜き、
「ひぃっ……!」
少女たちの首を刈りとる寸前で動きを止めた。
『〈
〈
見た。たしかに見たのだ。
視界の端に黒いものが
しかし少女らへ向きなおってみると、そこには〈
〈
だがそれ以降、〈
〈
――
その夜。
〈
ゆえに、これは報告書というよりも始末書に近い。
今夜も徹夜を覚悟すべきだろう。
感情が希薄な〈
とはいえ、
〈
あれは〈
いや、より正確に言うならば。
監視対象の三人――
問題は奴が、三人のうち誰を狙ったのか。
あるいは三人を同時に狙ったのか。
そして、〈
すると、机上に投げだされた通信端末が、バイブレーションの下手くそなダンスを踊った。
ディスプレイに表示されたのは意外な名前だった。
「……こちら〈
『うむ、
多忙ゆえ、滅多に通信など
何故か〈
「何の用だ?」
『確認したいことがあって連絡した。問題ないかナ?』
「……」
『……ふむ。では、
合流の際、情報は共有してある。
「間違いない」
『なら問題ない。その件について、事務局の連中に色々と調べさせてみた。すると、興味深いことが一つ解ってナ』
「……」
〈
中でも〈
『わたしの力は知っているナ?』
「ああ、相手の記憶を改竄できる」
『うむ。その通りだ。相手の記憶を直接覗けんのが玉に
「要件を話せ」
『おっと、また悪い癖が出たナ。んん、では本題に戻るが、わたしは記憶に
「ああ」
『それを
「……」
沈黙は催促だ。
〈
『九条茜音だ』
〈
『むろん、監視任務の
「同じような経歴の持ち主は、他にいないのか?」
『他の二人にも不審な点はあるナ。西園寺家と関わりのあった人物で、ひとり行方の知れないものがいる。月城嶺亜の両親も蒸発しているな。今は母方の祖父母の家で厄介になっているらしい』
「〈
『さあナ。だが九条茜音だけは、間違いなく犬との接触がある。しかも一件ではない。今回を
「〈
未だ逃走をつづけている〈
四年前の〈
〈
「……あの時にもいたのか。つまり、〈
『断言はできんが、その可能性が高いナ。彼女がイレギュラーな存在であるならば、いっそう
たしかに偶然の一致と
〈
九条茜音。
あるいは正常な自我をもちながら〈
その上、〈
消えた〈
それを発端に始まった今回の事件に
報告書の止まった文字を
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