一章 闇夜の狩人

 夕焼けなどとっくにれ、月も雲のうらしずんだ深い夜。

 その街には、霧が立ち込めていた。風にかれながらも、とお霧散むさんすることなく、まるで意思をもつかのごとく、街灯に与えられた濃淡のうたんを揺らしている。その薄らとした帯のなかに、黒々とした粒子をまたたかせながら。


『こちら〈紫煙スモーカー〉。ターゲット捕捉。宇曽蕗うそぶき市街、ポイント三〇三へ向け北上中』


 静寂を破ったしわがれた声は、凹凸おうとつのないつるりとしたフルフェイスメットの中で響いた。その総身は黒に覆われ、肌の露出ひとつない。闇が気まぐれに人型の濃淡を描いてみせたかのような姿だ。


「こちら〈死神グリム・リーパー〉」


 黒ずくめの人物は、くぐもって抑揚ない声で〈死神グリム・リーパー〉を自称すると、ロングコートをひるがえし、住宅の塀から跳びおりた。


 夜と街灯が織りなすしま模様もよう

 その光の下に、人型のシミは降りたった。


死神グリム・リーパー〉は霧にかすんだ闇の奥を見据え、大腿だいたいホルスターから金属製警棒を抜きはなつ。持ち手に備わったボタンをプッシュし、倍の長さに伸長しんちょうさせた。


「ターゲットのクラスは?」

『〈ノートゥ〉被害は三件でているが、成長率は軽度だ。追加肢オプションは確認できない。クラス〈仔犬パピー〉と断定する』

了解オーケー

『進路変更なし。接敵までおよそ十秒』

「……」


 メットの中、〈死神グリム・リーパー〉は唇を一文字に結んだ。沈黙はすなわち首肯しゅこうだ。街をおおった不自然な霧は、その意をんだように粒子を瞬かせた。


 その時、〈死神グリム・リーパー〉の袖口から黒蛇のごとき粒子の塊がでた。それは、たちまち警棒にからみつき、先端で膨張ぼうちょうした。夜空の色彩を裏返したかのような三日月型の刃――両刃の大鎌へと姿を変えたのだ。


「……ターゲット確認」


死神グリム・リーパー〉が呟くのと、街灯の下を巨大な闇色がせたのは、ほぼ同時だった。

 街灯が次々とわれ、光はぜて消えた。

死神グリム・リーパー〉は鎌を担ぎ、横へ跳んだ。


「ガルゥアァァッ!」


 次の瞬間、〈死神グリム・リーパー〉のいた地点を、漆黒しっこく爪牙そうがが駆けぬけた。


死神グリム・リーパー〉は塀を蹴って身をひねり背後へ向きなおる。

 彼の視界はクリアでこそないものの、紫や橙のまだら模様もように彩られている。メットディスプレイに備わった熱線暗視装置が、はっきりと敵の姿を映しだしていた。


 それに色彩しきさいはない。

 闇という闇をかき集めたかのような漆黒しっこくだ。

 体毛は絶えず蒸発し、爪も牙も四肢ししでさえ、すべてが影――黒い粒子ダークマタによって形作られていた。


黒犬ブラック・ドッグ〉だ。


 人の憂鬱に宿り、宿主しゅくしゅの心をらって発現する異形いぎょうである。こうなれば、もはや宿主に自我はなく、肉体も黒い粒子ダークマタの毛皮の奥で眠りにいたまま、まず目覚めることはない。


「……」


 憐れな人のなれの果てを前に、しかし〈死神グリム・リーパー〉は感傷をいだかなかった。

黒犬ブラック・ドッグ〉をほふり続けてきた狩人の馴致じゅんちや心得が、そうさせるのではない。

 より単純なことだ。

死神グリム・リーパー〉は何事に対しても感動というものを覚えない。


「……っ!」


 向き直る異形をまえに、〈死神グリム・リーパー〉は先んじて地をる。彼我ひがへだてた闇がまり、うろのような双眸そうぼうから睥睨へいげいが返った。


「ボオガァ!」


 咆哮ほうこうは闇に波打つ。

 粒子に形成された漆黒の爪が、闇さえりつぶすように一閃いっせんした。

死神グリム・リーパー〉は、鎌を負ったまま身を沈める。胸がアスファルトへ触れるほど深く。

 爪は頭上を通過する。メット頭頂とわずかに触れあい火花を散らしながら。


 直後、〈死神グリム・リーパー〉は全身のばねを使い跳ねあがった。

 空中で鎌を振り下ろし、〈黒犬ブラック・ドッグ〉の片肢かたあしを刈り取った。


「グルアァッグ!」


 しかしその時、〈黒犬ブラック・ドッグ〉はさお立ち姿勢だ。

 もう一方の前肢が、すでに相手の脇腹を狙っている!

 空中に逃げ場はない。〈死神グリム・リーパー〉は黙したまま、


「……」


黒犬ブラック・ドッグ〉の鋭い爪に、身体を上下に断たれた。

 ところが、傷口から迸ったのは、血ではなく黒い粒子ダークマタだった。たちまち〈死神グリム・リーパー〉の輪郭はくずれ蒸発した。


 と同時。


黒犬ブラック・ドッグ〉の背中に、黒い粒子ダークマタの雨がふった。

 その雲は人の形をしていた。手には魂を刈り取る大鎌があった。


 そこに、死神しにがみがいた。


死神グリム・リーパー〉は宙で縦回転し、鎌を振り下ろした。

 それは闇の満月をえがくように、周囲をめぐった。をえがく刃から粒子が散り、満月をいっそう深い闇で縁取った。


「グガアアァアアアァアァァアアアア!」


 蒸発する体躯たいくを、刃がえぐった。

 月の輪郭を赤黒い飛沫しぶきがいろどった。


死神グリム・リーパー〉が着地すると、〈黒犬ブラック・ドッグ〉の頭部は正中線から二つに割れた。異形の犬をかたどった粒子が、闇とけるように霧散した。


 べちゃ。


 その中から、うずくまった人影がこぼれ落ちた。

 やがて獣じみた断末魔だんまつまに混じったのは、


「あああああぁァァぁあアぁあぁぁぁッ!」


 人の絶叫だった。


死神グリム・リーパー〉は、その様を無感情に見下ろした。

 彼は〈黒犬ブラック・ドッグ〉を無事撃破できたことも、宿主しゅくしゅを殺してしまったことにも、なんら心を動かされなかった。


「こちら〈死神グリム・リーパー〉。ターゲットを撃破」

『こちら〈紫煙スモーカー〉。宿主の精神活性および生体反応の消失を確認』


 相棒バディの実質的な任務完了宣言をうけ、〈死神グリム・リーパー〉は警棒に付随ふずいした刃を霧散させた。千の黒き虫が、あるべきところへと帰っていくように、無数の粒子は闇とけ合って消えた。

 間もなくして霧も晴れだした。中に見てとれた黒いまたたきまでもが、風にさらわれるように消えていった。


 それらが二人の力だった。


死神グリム・リーパー〉。

紫煙スモーカー〉。


 人ならざるコードによって名を交わし。

 人ならざる力によって、異形を狩る。

 彼らもまた、その胸のうちにを飼う者たちだ。

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