22.祈り
ピピピピピ……。
まだ日は昇ってはいないものの、すっかり明るくなり、周りの遊具がはっきり見えるようになった公園に電子音が響く。
「……先輩!」
死神の二人と優香は繋いだ『贖罪の森』から力を二市に送っている最中だ。瑞穂の小声の抗議に
「すまん」
和也が上着のポケットからスマホを出すと、目覚ましアラームを止めた。
「いつも六時に掛けているのを忘れてた」
「……ということは、麿様のお告げとおりなら、後、七分で夜明け……」
瑞穂の言葉にジゼルにブライ、キースを再び捕らえ、今度は深く眠らせてきた捕縛隊の二人が息を飲む。啓蟄の日の夜明けと共に虫の性を持つ麿様は目覚め、ディギオンが二市から解放され、モウンが完全に石と化す。
「……まだか……」
焦った声で和也が『道』に目をやる。そのとき、緑の光がすっと消え、死神二人の描いた魔法陣も消えた。
「術が完成しました。向こうに疑似『贖罪の森』が現れました」
法稔の言葉に安堵の息が流れる。しかし、中央に立っていた優香が突然、崩れるようにしゃがみ込んだ。
「優香ちゃん!!」
「大丈夫か!!」
皆が一斉に彼女に駆け寄る。繋ぎの役目で負った精神的疲労だろうか。ジゼルと術士が回復術を使おうとしたとき
「……大丈夫です」
優香は掠れた声で顔を上げた。
「でも、顔色が真っ青だよ!?」
瑞穂の指摘に「胸が突然バクバクと鳴って……」とコートの上から押さえる。
「……もしかして、また班長達に何か……?」
先程もモウンの決死の覚悟を感じ取ったように、今の優香は森の力を通して彼等の危機が感じ取れるらしい。
「……モウンとアッシュが……。何とか二人に力を送れませんか!?」
優香は立ち上がるとお玉と法稔に詰め寄った。
「『道』は消えたとはいえ、まだ強い森の力がここには漂ってます。それを班長達に届けられれば……」
「私が風で届けます」
ジゼルが優香の手を取り、風を呼んだ。
「この風に二人に届くように優香ちゃんの想いを込めて」
「はい」
ジゼルの手をしっかりと握り、目を閉じる。
「では、私がより早く届くように風の力を増幅しましょう」
術士が呪文を唱える。法稔が集めた森の力を風に乗せ、お玉がそれに回復術を唱え、癒しの力を乗せた。
「……お願い! 二人を助けて!」
瑞穂と和也、ブライと隊員も祈る。
朝の風が吹く。風は白んだ空を滑るように飛んでいった。
* * * * *
魔法陣から生まれた森からふわりと風が届く。それが自分の身体を包み過ぎていったとき、ディギオンは魔力がごっそりと削られたのを感じた。
……あの森はマズイ……。
背筋が凍る。間違いなく、あれは今の自分の力を消し去るのに十分な力がある。
とにかく森から距離をとらないと……。
こうしていても森から放たれる力に己の力が消えていくのを感じる。ディギオンは振り返った。東の空、山の端の上空が昇ってくる朝日に金色に輝いている。もう少しで夜が明ける。この忌々しい頸木から放たれる。そうしたら二市を飛び出し、多くのこの世界の者達がいる場所を『破壊』し、混乱に乗じて逃げればいい。
もう魔界には帰れなくても良い。自分なら他の力の無い世界を制し、君臨するのもたやすい。
整った薄い唇を固く結ぶ。悔しさと怒りを押さえ、ディギオンはくるりと身を翻すと薄明の空に逃げ出した。
「逃がすか……!!」
一言叫んでセルジオスは剣を構え、ディギオンを追った。彼の考えは読めている。そして、逃げ切ったところで彼はゴミのように『足』にした息子を捨てるだろう。
……そんな最後を迎えさせてなるものか……!!
ディギオンの前に回り込む。送り込まれ続ける第二形態の力と邪気にもう原型すら留めていない姿に怒りの剣を振るう。ディギオンがそれを打ち返す。
ギィ……ン……!! 炎を宿し、シオンの水の力を調整した剣が更なる負荷に耐えきれず折れ飛んだ。
「私をなめるな!!」
ディギオンの剣先が下から上へとあがる。セルジオスの脇腹から肩までを刃が斜めに切り裂いた。
「セルジオス殿っ!!」
アッシュと違い、森の力に守られていないセルジオスが傷と共に受けた濃い邪気に意識を失い落ちていく。その彼を隊員が追う。
「このままでは!!」
また逃げ始めたディギオンにシオンが向かう。しかし
「無理だ。ウォルトン」
その前に隊長が立ち塞がった。
「でもっ……!!」
「ハーモンとブランデルがやられ、セルジオス殿ですら足止めにもならない。もう私やお前ではどうにもならない。無駄死には止めろ」
「しかしっ……!!」
空に浮かぶ森を見る。やっとここまでこぎつけたのに……。
そんなシオンの思いを断ち切るように隊長は続けた。
「例え、今、ディギオンが逃げたとしても、奴は魔界からも冥界からも追われる犯罪者だ。ユルグの正規の捕縛隊が必ず捕らえる。すでにディギオンの命運は終わっているのだ」
「それでは、この世界が……!!」
明るくなる山の端の、その山裾から広がる街をシオンが指す。あの下にはシオンのこの世界の友人達がまだ眠っている。
「……『悪魔』と幾多の世界の破滅をくい止めた尊い犠牲と思うしか……」
「そんなっ!!」
絶句する。しかし、確かに今の自分ではディギオンを止めることすら出来ない。無力さに強く拳を握ったとき、二市の向こうから柔らかな風が吹いた。森の力と癒しの力を乗せた風がモウンとアッシュが落ちた地面へと吹き降りる。
「……優ちゃん……!!」
* * * * *
闇の中、小さな女の子の泣く声が聞こえる。
『お家に帰る~』
ああ、また玄関で優香が泣いているのだな……。
五歳の女の子には『もう、家には帰れない』ということがなかなか飲み込めないのだろう。それでも、以前のように勝手に一人で家から出て、自分をここに置いていった『お父さん』を探すことはなくなった。
……子供ながらに諦めつつあるのだな……。
それが不憫でいつも泣いている優香に真っ先に駆けつけるのはモウンだった。泣きじゃくる声に立ち上が……ろうとして、身体が全く動かないのに気が付く。目の前も真っ暗なまま、何も見えない。
何故だ……。優香が泣いているのに……。
這ってでも動こうと手足を伸ばそうとするが、その感覚すらない。泣き声が段々大きく、しゃくり上げるように響く。
……優香……!!
ジャリ……! ようやく動いた指が地面を掻く音がしたとき、優香の声が耳に響いた。
「モウン! アッシュ! どうか無事でいて!!」
どっと緑の匂いがなだれ込む。強い森の力と癒しの力、二つがモウンを包んだ。
目蓋が開く。目の前に広がるのは白く明けつつある空だった。
「……っ……」
自分の中に入ってきた力になんとか立ち上がる。パラパラ……。黒い軍服の袖や裾から石になった身体の欠けらが地面に落ちた。
「苗床にしたときにヒビが入ったところに、更にダメージを受けたからな……」
術士への攻撃を反らす為にもう一方の角を切り落とした、その見返りとして受けた泥水の攻撃が思った以上に大きかったらしい。
「腕や足を失ってないだけでも幸運だな……」
ピシピシと音を立てる身体が取りあえず、まだ動くことを確かめると
「大丈夫か? アッシュ」
隣で自分同様なんとか立ち上がったアッシュに訊いた。
「……さすがにキツかったですね……」
火と土は土の方が有利だ。しかも火の一族の苦手とする大量の水の力も浴びた。アッシュの白い軍服は泥に染まり、両の翼が折れ、あらぬ方向に向いている。
「優香ちゃん達が助けてくれなかったら危なかったです」
届いた力に息をつくが、どうやらアッシュも動くのでやっとらしい。それでも空を見上げる。
「疑似『贖罪の森』が完成してます」
「ああ、どうやらディギオンもアレが自分にとって危険なものなのは気付いている。封印が解ける夜明けまで逃げ切るつもりのようだ。……まだいけるか?」
「勿論です」
アッシュがにっと笑った。
「ここで諦めるわけにはいきませんから」
呼吸を整え火気を呼ぶ。もう何度目か、周りにいくつもの光の玉を浮かぶ。それに優香達の届けた森の力を加え、細い針に変えていく。
「ああ……この世界を『心』無い者に『破壊』させるわけにはいかないからな」
もし、遠い未来、この世界が『破壊』認定を受けて『破壊』されるとしても、その時はそれを愛惜しむことの出来る魔族に託したい。モウンは悔しげに浮かぶマリンブルーの軍服を見上げた。
『シオン! お前の力でディギオンの行く手を遮れ!』
「班長!」
はっきりと地面から土気と火気が立ち上るをシオンが感じ取る。
「シオン! これを!」
エルゼがつむじ風を起こし、懐から使わなかった湖の水の入った小瓶を乗せて渡した。と、同時にちぎり落としたはずの法稔の数珠の玉がふわりと軍服の胸の前に浮かび、身体の中へと入る。
「解放した水の力を再び封印し直した」
片手で印を組んで玄庵が告げる。
「ディギオンに支配力を奪われぬよう、己が今使える力で精一杯やってみろ。法稔の玉を使った封印術じゃ。今までより制御が効くはず」
「はい!」
小瓶の蓋を開ける。森の主が手づから組んだ湖の水を浮かばせ、シオンは両手をかざした。
『逃げられなくするんだ! 動きはオレが止める!』
副長が指示が届く。
『解りました!』
止まっていた石化が首から頬に向かって広がり始める。いよいよ日の出が近いらしい。空いた両の手に周囲を見る。握っていた剣は瓦礫のどこかにあるのだろうが探している時間はない。
「行くぞ」
モウンは拳を握り飛び立った。
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