21. 疑似『贖罪の森』

「これが今の時点で出来る最良の改呪だな」

 玄庵が頷いて、明玄の術式を書いた紙を懐にしまう。先程、キースに使った浄化術の範囲を広げ、モウンが自らを苗床に森の力を高めたように、魔法陣に火気と水気と土気を込めて、疑似『贖罪の森』を作る。これなら流石の第二形態のディギオンも浄化出来るだろう。

「土気は隊長達にお願いしていいかの?」

 ギン! ギン! 遠くでディギオンとモウン、『足』とセルジオスの剣戟の音が聞こえてくる。流れる夜風には今の状況を気付かせない為、派手にばらまいているアッシュの火気とシオンの水気が含まれていた。

「解った」

 四人は動けない。隊長が承諾する。

「水気は儂が、火気は……」

「この子がやってくれるそうです」

 エルゼが下腹に手をやると小さな火気が弾けた。

「それではいくぞ」

 エルゼと玄庵が土童神社の上空に大きく距離を取って対峙する。隊長がエルゼに隊員が玄庵にそれぞれ護衛についた。

「いきます」

 二市の外では優香を繋ぎに法稔とお玉が『贖罪の森』から力を汲み上げる道を作っている。それを玉を使って魔結石、お玉の糸を通してエルゼに送る。森の力を受け入れ、魔法陣を描く力へと変える為にエルゼは己の気を練り上げていく。

『大丈夫じゃ』

 高めていく集中を邪魔しないよう、ふわりと玄庵の心語が届く。

『儂がしっかりとお前さんを支える』

 その言葉とおり、清らかな水の気がエルゼを包む。更に下腹からぽぽっと火気が放たれ、彼女を囲んだ。我が子の気に唇が緩む。

 ……この街はとても良い街で、私達の周りの人はとても良い人ばかりなの。私は貴方をこの街で育てたいわ。

 魔術師達のメッセージを思い返し、お腹に呼び掛ける。

 二つの気を土台に更に気を練る。今の時期、この時間にしては暖かい湿った春雨を思わせる風がエルゼの周りに吹く。

「良いわ。お玉、力を送って」

 糸を通して頼む。

 ぶわっ!! 風が色づきそうなほど濃い緑の匂いが流れ、強い『贖罪の森』の浄化力が身体に流れ込んでくる。

「……くっ!!」

 覚悟していたとはいえ、大きな力に眉間が歪む。それを察したのか玄庵と子から更に気が送られる。エルゼはその気に受け入れ、身体の芯に取り込むとそれを支えに纏う風に森の浄化力を送り、玄庵との間の空間に吹き流した。

『よし』

 流し込まれた風で玄庵が白み始めた空に魔法陣を描いていく。そのとき風に大きな叫び声が混じった。

『ディギオン様!!』

『ハーモン班は力を浄化する術を使い、ディギオン様の魔力を消し去ろうとしています!!』


 キースの叫びを聞き、緑の匂いを鼻腔に感じたとき、ディギオンの右角を切り飛ばされた怒りがふいに覚めた。

 白々としてきた未明の朝。そこに吹く風に強い冥界の力を感じる。周囲を見ると捕らわれていた土童神社の上空に春を思わせる若草色の魔法陣が開こうとしていた。

 ……あれは……。

 以前、見たハーモン班が土地神を目覚めさせようとしていたものによく似ているが、込められた力はケタ違いだ。

『ディギオン様の魔力を消し去ろうとしています!!』

 キースの言葉に明玄が死神の術によって魔力を浄化され失ったという報告を思い出す。

 ……そんな……まさか……。

 同時に一時間前、その本人がサキュバスの術に自分の与えた『加護』ごと魔力を失ったことも。

『もうお前の『神』の力も絶対ではない』

 モウンの低い声が耳の奥で響き、ディギオンは一気に飛び出した。

 ……あの魔法陣を完成させてはならない!! 

 本能がそう告げている。アレは危険だ。対峙するモウンとセルジオスの間を抜け、地面から瓦礫を呼び、魔法陣に向かい放つ。

「させるかっ!!」

 バサリ、赤い翼が舞い、高熱の風が流れを反らそうとする。

「気付いたか!?」

 モウンが追ってきて、ディギオンに横から身体をぶつける。彼のまとう力に土の力が削がれ、瓦礫はあさっての方角に飛んでいった。

 ディギオンの背に悪寒が走る。今の第二形態の魔力ですら、彼等の使う強い力には打ち消されるのだ。

「うわぁぁぁ!!」

 叫びながら無我夢中で邪気を剣に込め、モウンに打ち掛かる。さすがの彼も受け止めきれず、後方に吹っ飛ぶ。その隙に魔法陣に向かう。させまいと飛びかかってきたアッシュに力まかせに剣を打ち付ける。受け止めた剣が砕けた。

「くっ!!」

 刃が白い軍服を切り裂く。赤い血が散る。と同時に体内に入り込んだ邪気によろける姿に再度、切り掛かると

「危ない!!」

 モウンが翼をつかんで後ろに引いた。空振りした剣に舌打ちをする。そのとき、はっきりと緑の匂いが鼻についた。

「魔法陣が……!!」

 虚空に浮かぶ魔法陣が完成している。そこへ隊長と隊員が手を振るい、己の土気を込める。

「させん!!」

 あの魔法陣自体では自分をどうかするほどの力はない。それはハーモン班の術士も解っているのだろう。更に何かを始めようとしている。二人の術士を狙い、土の力を込める。そのとき

「いけ!! シオン!!」

「やれ!! ウォルトン!!」

 モウンとセルジオスの声が響く。強い水気に思わず、そちらに向いたとき「ごめん! ポン太!」シオンが腕の数珠を千切り捨てた。

「うおぉぉぉっ!!」

 ザリガニの身体から強力な水の力があふれ、具現化する。

「はぁっ!!」

 ただ前方に飛び出すのみの大量の水をセルジオスが炎をまとった剣を使って向きを変え、浴びせる。大量の水がすざまじい勢いで当たってくる。ディギオンが弾き飛ばされた。


「……上手くいったか……?」

 モウンが切られたアッシュの傷の邪気を浄化する。

「大丈夫か?」

「はい。オレにも森が力を貸してくれてますので」

 傷自体は浅かったらしい。マントを千切って、血止めする。

 魔法陣に玄庵が水気を込める。次いで……。

 ディギオンが飛ばされた虚空に巨大な茶色の固まりが現れた。ぶよぶよと蠢くそれは邪気と水、土と大量の瓦礫で出来ている。彼がシオンの放った水を支配し、更に己の力を加えて作り上げたものだ。

「なんと……」

 クラーケン族並みの力を持つとはいえ、コントロール力が未熟なシオンの水の力では、第二形態の彼の支配力にはかなわなかったらしい。

「ウォルオン!!」

「はい!!」

 あの泥水の塊の向かう先は間違いなく魔法陣と術士。それを阻止すべくシオンがまた水の力を呼び、セルジオスが調整して塊に当てる。

「えっ!!」

 膨大な水を浴びせながらシオンが赤紫の目を見開く。どんどん、泥水の塊が大きくなっていく。当たる先からディギオンがその水を取り入れているのだ。

「は、班長!」

「構わん! 後少し、術が完成するまで時間を稼ぐだけで良い!」

 そのままシオンに力を使い続けるように命じて、モウンはアッシュと塊の向こうに回り込み、ディギオンと対峙した。ディギオンが片手で泥水を制御しつつ、片手で剣をふるう。

 アッシュが指を鳴らし高熱の光の玉を作って放つ。モウンが剣に森の力を込め打ち掛かる。『足』もディギオンの焦りに煽られているのか、闇雲に剣を振り回してくる。

 四つ巴の戦いが繰り広げられる。隙を見てアッシュが飛ばす光の玉は泥水の塊から生まれた泥の玉に阻まれ、モウンの剣は『足』に弾かれる。魔法陣に赤子の火気が込められる。暖かな湿った風が薄明の空に舞い、緑の匂いが更に濃くなった。

「くそっ!!」

 焦るディギオンの隙を見て、光の玉を放つ。泥水の玉で弾き損ねた玉が頬をかすめる。肌を焼く高熱に思わず彼が大きく身をよじったとき

「こちらももらった!」

 モウンの剣が左の角も切り飛ばす。

 左右二つの角を失った屈辱と怒りにディギオンの頭が真っ白になる。

「くらえぇぇ!!」

 彼から放たれた巨大な泥水の塊がモウンとアッシュ、二人を襲った。


「班長!! アッシュさん!!」

 シオンの声が響く。泥水の塊が消えた空に二人の姿はない。おそらくは地面に叩き落とされたのだろう。

「よくも! よくも! よくもぉぉっ!!」

 ディギオンが頭を振って怒号をあげる。

 血走った目で魔法陣を睨む。緑の風が魔法陣の中をくるくると回っている。ディギオンが右手を挙げた。地面から大量の土砂と瓦礫が周囲に浮かぶ。

 シオンが飛んで、まだ呪文を唱えているエルゼを庇う。セルジオスも玄庵の前に。隊長達も二人の術士を囲む。

 ディギオンの唇が歪んだとき、二人の術士が大きく手を開いた。魔法陣の風がごうと音を立てて巻き、強い浄化力が全体から放たれる。明るくなる空にごうごうと緑の風が吹く。風が止むとそこにはこんもりした森が広がっていた。

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