10. 王の来訪

 『土の老王』の隠居所には逆らった者を密かに処分する為、老王の私有空間に建てた地下牢がある。捕らえた者を封じる力が込められた土壁の牢は独特の湿っぽい黴臭い臭いが漂っていた。

 ギイ……。鉄格子の扉が開き、取り調べを受けていたモウンが入ってくる。牢番に背を押され、よろける彼に「班長!」壁際に座っていたアッシュが慌てて駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

 ぐったりと消耗した様子に肩を貸し、座らせる。

「ああ……遠慮の欠片も無く掛かっている呪について調べられたからな……流石に参った」

 負担の掛かる探索術をいくつも掛けられ、念入りに調べられたらしい。モウンはアッシュに手伝ってもらいながら、どかりと床に腰を下ろした。

 モウンの石化はもう首のところまで進んでいる。その進む石化を疑問に思ったセルジオスが老王に仕える術士に調査させたのだ。

「どこまで解りましたかね?」

「多分、封呪本体までは読み取れなかっただろうが、これがディギオンの身代わりであることと、後三日で成立することは解っただろうな……」

 ということは、三日後、優香の世界の三月五日に、ディギオンが何もしなくても解放されることも知られただろう。アッシュが顔をしかめる。もし、ハーモン班が何か手を打つなら、今日から三日以内ということがバレたことにもなる。

「……早く帰らないと……」

 このことを知らされた捕縛隊の捜索も厳しさを増すだろう。残った班員達が危ない。

「ケヴィン兄さん……」

 自分達を追って、魔界にやってきたケヴィンは今、数々の証拠をユルグに提出し、ハーモン班に対する捕縛命令の撤回を求めている。

「……エルゼ……」

 離れている妻の無事を祈る。

「今は待つしかないな」

 その横でモウンが静かに息を吐き出して目を閉じた。


 * * * * *


「お前の言うとおり、ハーモンを調べさせたところ、ディギオンはこのままでも就任パーティまでに封印から解放されることが解った」

 謁見の間。膝を着いたセルジオスの前で、王座に座った老王が上機嫌で告げる。

「残りの班員は、いつでもハーモン達を餌に捕まえられる。その後、捕縛隊と明玄、キースでディギオンを連れて帰ってくれば良い。これでこの件はもう終わりだ。セルジオス、よく働いてくれた。お前の任を解く」

 老王が彼を今回の任務から解放する。いつもなら「解りました」と退出するところだが、セルジオスは

「それは出来ません」

 顔を上げた。

「何故?」

「あのハーモン班がディギオン様の解放を指をくわえて見ているでしょうか?」

 モウンが呪の対象になっている以上、封呪自体に手を加えることは出来なくても、他に何かディギオンを止める為の手段を目論んでいるはずだ。

「その企みは、今日から三日間の間に行われるでしょう。それを阻止する為に、私はかの世界に戻ります」

 立ち上がったセルジオスを何故か老王は慌てて止めた。

「ならば他の者にさせる。お前はもうこの件に関して十分過ぎるくらい働いた。引け」

「いえ、私が最後まで務めさせて頂きます」

 珍しく頑として引かない『処刑人』に小さな嘆息が謁見の間に流れる。

「何故、儂の命に反して、そこまで関わり合いになろうとする」

「陛下こそ、何故、私を引かせようとなさるのですか?」

 真っ直ぐ見つめるセルジオスに老王は目を反らした。

「……解った。気の済むようにするが良い」

「ありがとうございます」

 セルジオスが頭を下げる。そのとき、扉が大きな音を立てて開き、血相を変えた従者が駆け込んできた。

「陛下!」

「何事だ」

 老王の前にも関わらず大声を上げる。

「ボリス様が『火の王』エドワード・ブランデル閣下と『水の王』アルベルト・グランフォード閣下と共に来訪されました! 『『土の老王』の懲罰委員会への関与疑惑により、筆頭軍師ユルグ様がハーモン班の捕縛命令を一時保留とした。更にハーモン伍長とブランデル兵長が隠居所に監禁されている疑いがある為、屋敷内の捜索をさせて頂く』と!」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 『水の王』暗殺未遂事件。その事件は現在、魔界史上で、こう呼ばれている。

 亡くなった先代、『水の女王』にはアルベルトとクラウドという、まだ少年の二人の息子がいた。多産なクラーケン族は世継ぎの無駄な争いを防ぐ為、王の存命中から次の継承順を厳格に決めている。このとき『水の王』の継承権は一番が兄のアルベルト、二番が弟のクラウド、そして三番目が女王の弟、兄弟には叔父に当たる人物だった。

 アルベルトは子供の頃から病弱で、クラウドはまだ子供と言ってもよい年齢。そこに『土の王』……今の老王……が目をつけ、兄弟の叔父をそそのかしたのだ。

『幼い弟をどうにかすれば、病弱で魔王軍には務められないアルベルトの代わりに水の大将になれる。そして、ゆくゆくは……』

 その謀計に乗った叔父はアルベルトの『水の王』就任式後のパーティで、クラウドにひそかに毒杯を渡した。そして、何も知らないクラウドが杯を飲もうとしたとき、王になったばかりのアルベルトが玉座から彼を止めたのだ。

『まずは私が頂こう』

 アルベルトは青ざめる叔父とパーティの客達の前で毒杯を飲み干した。そして彼が倒れたことにより、この事件は全て明るみになり、クラウドと水の一族は老王の策謀から守られたのである。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「突然の訪問でしたのに、快く招き入れて頂き恐縮です」

 急遽、暖炉に火を入れ、暖かくした貴賓室で、車椅子に座ったアルベルトが笑みながら礼を言う。

「エディ、飲んでご覧。とても美味しいお茶だよ」

「ああ。さすがに良い茶葉を使われておられる」

 ゆったりとくつろぐ、エドワードとアルベルトに老王は内心、苦虫を噛み潰していた。

 あの『水の王』暗殺未遂事件の後、アルベルトは一命を取り留めたものの身体を更に悪くし、自分の住む城の周辺の海域以外、出ることが出来なくなった。その彼が新年前の冬の寒空の下、隠居所の前で老王に面会を求めたのだ。事件の後、全てを暴かれた老王は、彼と水の一族に正式な謝罪をしている。そんな相手を外に放置しておくわけにもいかず、老王は一緒に着いてきたエドワードとボリス、ボリス配下の兵士や術士ごと、屋敷に入れる羽目になった。

「……しかし、そのノエンとかいう兵士の記録くらいで我を疑い、命を保留にするとは……」

 てきぱきと兵や術士に屋敷内の捜索を指揮するボリスに文句を言う。

「いえ、ノエンとケヴィン殿が持ってきた『録音』だけでなく、共に、かの世界から戻ってきた捕縛隊の隊員や懲罰委員会の者も、ユルグ様の尋問に老王おじいさまの関与を認めました」

 ボリスが淡々と言い返す。

老王おじいさま、ディギオンは老王おじいさまとは違い、味方である懲罰委員会の家族まで、何人も毒牙に掛けていたのです」

 その言葉に老王は思わず額を押さえた。

 ……『ニキアス・アンドレウ隊の悲劇』以来、魔王軍の者には手を出すなと、あれほど釘を刺しておいたのに……。

『これをお前に譲る。お前もこの先助けて貰うが良い』

 屋敷で開催したパーティで、自分に味方する懲罰委員会の者と引き合わせたときの、ディギオンの優雅な笑みを思い返し、首を振る。

 ……お前は、あの笑顔の裏側でそんなことを……。

 ……しかし……。

『おじいさま、素晴らしいお庭ですね!』

 王都の屋敷の庭の花々に囲まれ、天使のように笑む、幼い頃の彼の顔が過ぎり、老王は気を取り直した。

 ボリスが連れ去りを防ぐ為、隠居所と周辺に結界を張らせたが、その前に牢のある私有空間は閉じてある。長年、密かに使用してきた牢だ。探索術対策は万全だ。

 白い触手を振りながら、穏やかにエドワードと談笑するアルベルトを見る。

 ……元気そうに見えるが、あの身体だ。ここに来るまでに相当疲労しているに違いない。ちらとでも具合の悪そうな素振りを見せたら、それを口実に全員追い出せば良い……。

 まだ、打つべき手はある。セルジオスも結界が張られる前にここから出た。老王は紅玉の瞳を細めると上空にいる彼に心語を送った。


 * * * * *


 パァン!! 空間が鳴る音がする。

「えっ!?」

 驚くアッシュに

「この牢の空間が閉じられた音です」

 隣の牢にいるノエンが告げる。同時に敷地内に結界が張られたのをモウンは感じた。

「脱出ではなく侵入を防ぐ為の結界だな。どうやら隠居所内で何か動きがあったらしい」

「もしかしたらケヴィン兄さんの訴えが通ったとか……?」

「かもしれん」

 牢内をぐるりと見回す。

「後は俺達がここにいることを見つけてくれれば……」

「エディ兄さん……」

 隠居所に来ている長兄の火気をアッシュが感じ取る。

「待つしかないか」

 モウンが再び座り、目を閉じる。ぴちょん……遠くで水音が鳴った。


 * * * * *


 二人の王の来訪とボリスの捜索の一部始終をセルジオスは上空から見ていた。

「流石、筆頭軍師と『火の王の懐刀』……」

 ユルグと、ケヴィンの二つ名を唸りと共に口にする。どうやらノエンの役目は単なる連絡役だけでは無かったようだ。

「捕縛隊はもう当てにはならんか……」

 既にユルグにより、一時保留の命が捕縛隊にも伝えられているだろう。これで彼等は動けなくなる。

『もしものときは全ての罪を儂が被る。セルジオス、すまん。ディギオンを頼む』

 老王の心語が届く。


『お別れしても私は、お役目にどこまでも忠義を通す父上をずっと尊敬しております』


「御意」

 セルジオスは隠居所に向かい、頭を下げると、かの世界に飛び立った。


 * * * * *


 三月二日の火曜日。今日も街は臭い雨に覆われていた。

 朝一番にハーモン班のグループトークにシオンから無事の連絡が入る。それに

『良かったわ。今日も気を付けてね』

 エルゼがメッセージを返し、昨日、浄化術と改術が完成したことを書き込んだ。

『お玉にも手伝ってもらって、効力の確認もしたわ。完璧よ』

 ピロン、バンザイするザリガニのスタンプが返る。それを横で見て、思わす吹き出した優香の耳にピロロロ……、小鳥のさえずりのような音が聞こえた。

「魔界からの連絡だわ」

 もしかしたら、ケヴィン義兄様かも! エルゼが慌てて連絡用の水晶玉を取りに棚に向かう。

「ちょっとエルゼ! 走るのはお止め!」

 お玉が注意を飛ばし、代わりに取ってきて、炬燵の上に置く。手をかざすと期待どおり執事服姿のケヴィンが浮かぶ。

『ユルグ様により捕縛命令が保留になり、エディ兄さんとアルベルト様、ボリス様の率いる兵が老王の隠居所に入ったよ』

 今、屋敷内に囚われているモウンとアッシュを探しているらしい。待っていた知らせに周りに集まった皆の顔が明るくなる。優香はほっと息をついた。

『近く二人を連れて帰られると思う。このまま捕縛の準備を進めてくれ』

「はい」

 通話が終わる。エルゼが「じゃあ、早速……」と天板の上に六つ、小さな瓶を並べ、シオンが呼び出した『真水』に『贖罪の森』の水を少し入れたものを分け始めた。

「この法稔くんの数珠の玉をまた魔結石にリンクして玉に分けた水を掛けるの」

 そうすることで魔結石に森の浄化力が移る。

「『贖罪の森』の浄化力だ。これで明玄は魔結石を使えなくなる」

 法稔も良い手を考えたものだ。お玉が少し得意げに後輩を褒める。

 テレビからは今日も降る奇妙な雨の特集が流れている。優香はリモート授業の準備をしながら考えた。この雨の中を妊婦のエルゼを出していいものだろうか? 

「エルゼ姉さん、そのリンクの魔法って難しいの?」

「いいえ。法稔くんが術の苦手なシオンに合わせて作ったものだから、魔力の消費も低いし簡単よ」

 それなら……。

「それ、私達、魔術師がやる。捕縛隊はもう捕まえに来ないんだし、私達なら、この雨の中、見つからないし。エルゼ姉さんは赤ちゃんがいるんだから出来るだけ家にいて」

 スマホのメッセージアプリをタップし、魔術師のグループトーク画面を開く。書き込むと次々と魔術師から賛同と自分がやるという申し出が返ってきた。

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