雛祭り

 二月らしい薄暗い曇り空。時々、小雨が降る中、モウンとシオンは山根市の自分達が暮らしていた家、皐月家の庭に降り立った。

 地面を通して、隣市の土童神社から、また縛られた『神』となったディギオンの怒りが伝わってくる。気配を消して、二人は荒れ狂う奴の心情を表すかのような庭を進んだ。

「ひどい……」

 庭仕事担当だったシオンが、地面になぎ倒された木々を見て、赤紫色の瞳を潤ませる。今が盛りのロウバイも、紅白に鮮やかに彩る梅の木も、無惨に横倒しになっており、土のこびりついた根が露わになっている。

 家も似たような有様だ。モウンがよく事件中、考え事をしながら座っていた縁側も、経済的理由で一つしかないエアコンのある居間も、屋根に潰され、瓦が散らばっていた。

「残ってますかね……?」

 奥へと進む。奥座敷の玄庵の部屋だった場所の更に奥、物置にしていた納戸があった場所に二人は着いた。

「ここは太い梁が通っていたからな」

 もしかしたら、それが支えになって、中に無事なものがあるかもしれない。モウンはディギオンに気取られないよう、術は使わずに持ち上げようと、落ちた屋根に手を掛けた。

「あ、ちょっと待って下さい。班長」

 シオンがマリンブルーの軍服の懐から青い玉を出す。

「ポン太が感知術を込めた玉をくれたんです」

 そういうものは向けられた人の気を吸いやすい。きっと気が籠もっているだろうから、これを持って行け、と法稔が行き際に術を込めた玉を渡してくれたという。

「……法稔は、まだ術は使うなと、長達に止められているのではなかったか?」

 先の事件で睡眠休息不足のまま、立て続けに四つも大きな術を使った法稔は借家に着いた途端、意識を失った。その後、数日、寝込んだ後、気力体力が回復した今も、死神の長とお玉から術を使うことを禁止され、毎日、薬湯を飲んでいる。

「ボクもそう言ったんですけど、ディギオンの支配域で探すなら、なるべく早く見つけたほうが良いって」

 シオンが困ったように長い第二触角を揺らす。

「なんだかんだ言っても、お前達は似た者同士だな」

「そうですか?」

 きょとんとするシオンにモウンは思わず吹き出した。

 シオンも今は軍服に隠れているが、胸に傷が残っている。怒りを納めた玄庵が治癒術を使っているが、皆を助ける為に封印の玉を取り出した傷が思ったより深く、まだ完全には癒えてない。

 軽い言動が目立つシオンと、生真面目な法稔。一見、全くの正反対に思えるが、本質的には、二人はとても良く似かよっているのだ。

「類は友を呼ぶだな。その縁は一生物だ。大切にしろよ」

 モウンはシオンの手から玉を受け取ると、納戸の辺りにかざした。左右に探るようにゆっくりと腕を振ると、右の方でぽうと玉に淡い明かりが灯る。

「こっちか……」

 瓦礫をまたいで進む。更に玉の光が強くなる。

「ここだな」

 玉をシオンに返し、瓦を払いどけ、落ちた屋根を持ち上げた。

「班長!」

「無事だったか!」

 二人の声が弾む。奥には、大小の木切れと埃まみれになったものの、梁が壁を支えたおかげで、無傷のままの大きな木の箱が鎮座していた。


 * * * * *


 オンラインストレージからダウンロードした宿題が終え、学校へのメールに添付して送った後、優香はパソコンをスリープして、台所へと向かった。凝った肩をほぐし、暖かいお茶でも飲もうと廊下を行くと、奥のアッシュとエルゼの部屋から声が聞こえてくる。

「……義姉さんとアンから、このショールをエルゼにって。母胎保護と温度調整の術が掛けられているから、冬は暖かく、夏は涼しく過ごせるらしいよ」

「ありがとうございます。こちらの夏は暑さが厳しいから助かります」

「それと、アッシュ。この先、お腹の子が育って、エルゼの身体に火の力が負担になってくることがあるかもしれない。そのときは、お前が子供の成長に併せて、必要とあれば力を封印するんだ。これは父親の大事な役目だからな」

「解った」

 アッシュの二番目の兄、ケヴィンの声だ。

 エルゼ懐妊の知らせに、ブランデル公爵家の人々は喜びに沸き立ったらしい。しかし、初めての子、しかも、どうやら公爵家の火の力を受け継いだ魔力の高い子をはぐくむとなると、風の最下位であるエルゼの身体が心配だ。そこで長兄と次兄の妻、マールとアンが自分達の経験も踏まえ、知恵を出し合って用意した物を託され、ケヴィンがやってきた。受け取る嬉しそうなエルゼの返事と、緊張したアッシュの返事に笑んだ後、ふうと優香は息をついた。

 ……お父さんとお母さんも私が産まれるときは、ああだったのかな……?

 今は完全に自分の存在を無視している父母もせめて、産まれる前くらいは喜んでくれたのだろうか……。

 それ思うと、これ以上聞いていられなくて、足早に廊下を進む。茶の間の横を通ると、今度は男四人の賑やかな声と、がさがさと紙を鳴らして何かを取り出す音が流れてきた。

「……男雛はこっちだったか?」

「えっと、右ってこのサイトには書いてありますよ」

「……それは京都雛のサイトだろ。ということは、こっちでは左か」

「三人官女は座っておるのが、真ん中で良かったかのぉ」

 茶の間を覗く。モウンとシオン、玄庵と法稔が、大きな木の箱から紙の箱を次々と取り出している。座卓が除けられた部屋には、飾り棚に緋毛氈が引かれ、雛人形が乗せられていた。


「これって……」

 少し、色褪せた緋毛氈に、金がくすんだ小さな屏風。古風な丸顔の愛らしい人形達は、優香が祖母遥香から受け継いだ雛人形だ。

「家と一緒に壊れたと思ってたのに……」

 驚く優香に

「班長がもしかしたら残っているかもしれないって、ボクと探してきたんだ」

 シオンが得意そうに第一触角を震わす。

「まあ、なんだ。こんなときこそ、こういう祭り事はきちんとやっておいた方が良いと思ってな」

 モウンが少し照れたように笑った後、首を捻った。

「……しかし、どうも飾り方が解らなくてなぁ」

「一年に一回だと覚えておらんもんじゃの」

「このサイトの写真では、小さくて詳細がわからなくて」

 ひげをひくつかせながら、茶色の指で、スマホの画像を拡大している法稔に、優香は道具を納めた一番大きな箱から、赤ちゃけた封筒を引っ張り出した。

「いつも、私とエルゼ姉さんと、アッシュで飾ってたから」

 中には毎年、飾るときに参考にする写真が入っている。

「……なるほど」

 モウンが写真を眺めながら、男雛に持たせる小道具を箱から出す。優香は屏風の前に親王台を置いて、女雛を取り出した。ぷんと防虫剤の匂いが立ち、艶やかな朱色の十二単に白い裳を着けた人形が出てくる。

 そういえば……。

 正月に家に帰ったとき、妹が見せてくれたアルバムには、首が据わったばかりの彼女を抱いた、幼い優香の写真があった。その背景に、これほど立派ではないが、親王二人だけのケースに入った雛人形が写っていた。

 あれは多分、両親が優香の為に買った雛人形だ。

 ……全く愛されてない、なんてことはなかったんだ……。

 女雛の手に緋扇を乗せる。

「ありがとう。モウン」

 一つ、自分が望まれて産まれた確かな証拠がみつかった。

 女雛を台に乗せて、優香は振り返り、笑顔で彼に礼を言った。


 親王に三人官女、五人囃子。造花の桃と橘、プラスチックの紅白餅と菱餅を飾り、ぼんぼりに明かりを灯すと古ぼけた茶の間がぱっと華やかになる。

「綺麗ですね~」

 話を終えて、見にきたケヴィンが目を細めた。

 開けた箱に包み紙を戻し、大きな木の箱にしまい直す。それを部屋の隅に置いて、座卓を元の位置に戻す。

「折角だから、今日の晩ご飯はちらし寿司にするかな?」

 台所にアッシュが材料を見に行った後、入れ替わりにエルゼが紅茶と小さなカップケーキを持ってやってきた。皆で飾ったばかりの雛人形を前にお茶にする。

「……良いのかな、こんなことしていて」

「良いんだよ。こんなときだからこそ」

 小さく呟いた優香に隣に座ったゲヴィンが返す。

「ディギオンがゲオルゲの自我を『破壊』して『足』にしたことが広まって、もう関わりたくないと、奴の私兵が次々と逃げ出している。私兵達は証言と引き替えに、うちの兄さんやアルベルト様が保護しているんだ」

 『土の老王』が乗り込んできて、連れさらわれたり、逃げ出したりしないように。彼等は穏健派貴族である、火の一族と水の一族の領土内に留置されている。

 そして……。茶の間に置かれた、何冊もの冥界の浄化術が書かれた本。死神の長から『贖罪の森』の湖の水の入った小瓶を渡されて以来、玄庵はこれを参考に、法稔と時々はエルゼも加わって、新しくディギオンの魔力を浄化する術を作成している。

「ディギオン捕縛に対する準備は着々と進んでいる。……ただ、気になるのは……」

 『島の別荘』で、そこに残っていたディギオンの配下から、今の奴の置かれている状況を詳しく聞いたはずの『土の老王』に、全く動きが見えないこと。

「黙って、愛する孫が捕縛されるのを見ている人じゃない。絶対、何か仕掛けてくるはずだ」

 それが解っていても、今は自分達の出来ることをする以外ない。その不安を彼等はこうして、この世界の『日常』を過ごすことで、紛らわせているのだ。

「悪いけど、優香ちゃんも付き合ってあげてくれるかな?」

 魔族の諍いに関わり合いの無い、優香という存在が今の彼等の支えになっている。だから無理に気張って明るく振る舞ったりしなくて良いから、ただ、ここにいて欲しい。

「はい」

『やっぱり、ここにも私の居場所は無かったんだ……』

 そう思い込んで、兄と出たときから、どこかすかすかしていた胸の隙間がふわりと満たされる。

「それが私の出来ることなら」

 優香はしっかりと頷いた。


 お茶が終わり

「あ、姐さん、ボクが片づけるよ」

 エルゼを座らせて、シオンがカップを盆に乗せて、台所に向かう。

 座卓に玄庵が本を並べ、紙に書き出した術式を法稔とエルゼの二人が見直していく。

「班長、ブライさんとジゼルさんのことなんですが、二人を事件が終わるまで、この家に置いてくれませんか? エルゼもその方が心強いでしょうし」

 ケヴィンが、ディギオンに対して重要な証言をしてくれたエルゼの姉夫婦を、彼女の世話と保護も兼ねて、事が終わるまで魔界から避難させたいとモウンに頼む。

 どこか不安の翳りが覆う彼等の『日常』が戻ってくる。優香は残ったカップケーキを雛段に供えた。

 三月三日、それは麿様が目覚め、モウンが石と化す二日前。

 彼の臑まで石化が進んだ足が目に留まる。

 厄除けの意味がある雛人形。どこか祖母に似た人形達に

 どうかモウンを守って……。

 優香は小さく願いを掛けた。


 * * * * *


 『土の老王』の隠居所の床に、男は投げ出された。

「……っ!!」

 まだ治りきってない腹の傷の痛みに呻く。ディギオンの私設魔術師隊の元隊長、明玄を老王は冷たい目で見下ろした。

「お前にやって貰いたいことがある」

 バサリと数枚の書面を震えて這いつくばったままの明玄に投げる。

「証言をしろ」

「……証言……」

「ああ」

 老王はにやりと唇を歪めた。

「モウン・ハーモン並びにハーモン班の班員をゲオルゲ殺害とディギオンの拉致監禁の疑いで、魔王軍の懲罰委員会に訴える」

 留置者の死亡等、ハーモン班との関わりで数々の失態を指摘されている委員会だ。きっと、これを機に喜んで重い懲罰を決定してくれるだろう。

「これで疑惑を蹴散らしディギオンを解放し、『土の王』に就任させる」

 やってくれるな? 老王の有無を言わせぬ声に明玄は深く頷いた。

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