閑話休題・小さな土地神様と花の巫女

春うらら

 春……水緩む季節から芽生えの季節を抜け、街が桜色に染まる頃、一人の少女がバッグを肩から下げ、竹箒とチリトリ、金鋏の入ったゴミ袋を手に、暖かな日差しを浴びるアスファルトの道路を歩いて行く。軽い足取りでブロック塀を曲がり、小さな赤い鳥居の下を潜ると少女はピンと背筋を伸ばした。

 作られては壊され、壊されては作られてと時の流れに押し流されるかのように変貌していく、この街で、まるで流れから取り残されたようにポツリとたたずむ小さな神社。その背の高い広葉樹に囲まれた社に向かう。彼女は丁寧に二礼二拍一礼をして竹箒で境内を掃き始めた。

 奥から前へと掃いていくと、近くにあるファストフード店のロゴの入った包み紙やドリンクのカップが玉砂利の上にだらしなく転がっている。少女は顔を顰め、持って来たゴミ袋を開け、金鋏でゴミを摘み上げて袋に入れた。

瑞穂みずほ、役目、ご苦労でおじゃる」

 他にもゴミが無いか境内を見回す少女に、可愛らしい男の子の声が掛かる。瑞穂と呼ばれた少女はゴミ袋と金鋏を置き、社殿のえんに現れた影にペコリと頭を下げた。

麿まろ様、こんにちは」

 縁には子犬ほどの大きさのモノがちょこんと佇んでいる。茶色の艶やかな身体に六本の足、うち前二本は鋭い爪のついた鎌型をしており、背には小さ過ぎる羽がペタリとついている。黒い瞳に長い針のような口。夏休みの子供達が一度は夢中で集める、木の幹や葉の裏に付いている抜け殻によく似たそれは、瑞穂の返事に目の脇に生えた短い触角をピクリと震わせた。

「麿の巫女としての役目、今日も存分に務めよ」

「はい」

「ああ、桜の下は掃くでない。もうしばらく愛でたい故、そのままにしておくでおじゃる」

 振り返ると境内に植えられた老木の桜の下には花びらが玉砂利を淡いピンクに染めている。

「承知しました」

 麿様が六本の足を動かしてよく桜の見える縁へと移動する。小さな体が暖かそうな日溜りの中に納まったのを見届けて、瑞穂はまた境内の掃除を再開した。



 瑞穂がこの神社の蝉の幼虫そっくりの小さな神様『麿様』に出会い、巫女になったのは小学二年生の夏休みのことだった。

 瑞穂は所謂『生き返り』を体験した少女だ。その年の春、祖父の運転していた自動車に乗っていた彼女は事故に会い、一ヶ月間病院で意識不明の状態におちいっていた。

 その間のことはなんとなく覚えている。優しそうなお姉さんに連れられ、綺麗な花がたくさん咲く花園に同じような年頃の子供達と連れて行かれ、毎日楽しく遊んで暮らしていた。その後、連れて来てくれたお姉さんが顔色を変えて瑞穂の前に現れ

『ごめんなさい。こちらの手違いで間違って貴女を冥界に連れてきてしまったの。今、帰還手続きを取ったから、一緒にお家の人のところに帰りましょう』

 と言ってきたのだ。

 周りの友達に羨ましそうな顔を向けられ、お姉さんを待つ間、嬉しいような後ろめたいような気持ちでポツリと皆の輪から外れて一人でいたとき、一番仲の良かった子が『帰っても私達を忘れないで』と白い綺麗な花を瑞穂に渡してくれた。

 それをポケットに入れ、お姉さんと手を繋いで帰り、目を覚ますと瑞穂は病院のベッドにいた。たくさんの管に繋がれて、枕元に憔悴した両親と軽症で済んだ祖父母が彼女を囲んで泣きながら喜んでいた。

 ……そして、その時は無くしてしまったと思っていた、お友達の証の白い花がその後の瑞穂を大きく変えることになってしまったのだ。



 桜の下だけを残して境内を綺麗に掃き清め、瑞穂はゴミ袋の口を縛ると鳥居の外に掃除道具と一緒に置いた。バッグだけを持って戻ってきた彼女を麿様が前足を上げて縁に呼ぶ。

「瑞穂、ちとこちへ来い」

「はい、麿様。何か御用ですか?」

 瑞穂が縁に座ると麿様が丸い身体を揺すりながら、彼女の膝の上に乗ってくる。小さな刺のついた足先がズボン越しにチクチクと刺さるくすぐったさをこらえると麿様は彼女の太ももの上にちんまりと座った。

「瑞穂、お前の力を麿に与えるでおじゃる」

「はい」

 そっと丸い頭に手を乗せ、自分の体の奥底のようなところから、いつもこんこんと湧き出している清水のような力を麿様に注ぎ込む。麿様が気持ちよさげに目を細めた。

 『生き返り』を体験して、しばらくして瑞穂は得体の知れない気味の悪い者達に襲われるようになった。そんな彼女を助けてくれたのが隣市の異形の魔界の兵士達。彼等によると瑞穂は冥界の浄化の力を持っているのだという。

 瑞穂が友達の証に渡され、こっそり持ち帰ったのは冥界の浄化地の一つ『思慕の花園』と呼ばれるところの浄化を司る白い花園の花だった。それが帰ってくる道中で彼女の魂と結びつき、彼女は湧き水の泉のように常に冥界の花園から浄化の力が湧き出す存在になってしまったのだ。

 彼女のような普通の人間が後天的に何の抵抗する力もないまま、力を持ってしまうと、それを狙う魔の者や邪霊といった悪しきモノに常に狙われる存在になりかねない。そんな彼女を守る為に魔界の兵士の班長が知り合いである、この辺りの地を納める土地神『麿様』に彼女を紹介し、彼女を麿様の巫女としたのである。



「もう、よい。ご苦労であった」

「はい、麿様」

 麿様が瑞穂の太ももの上で満足げに身体を揺する。蝉の幼虫である麿様は地の神様、瑞穂の浄化の力は花の力。二つはとても相性が良いらしく麿様は快く彼女を巫女にしてくれた。『神のお使い』となり、麿様を癒す存在となった彼女に悪しきモノも手を出せなくなり、以来、瑞穂とこのことを承知している祖父母は交代でお礼として神社の掃除や麿様のお世話をしている。

 瑞穂は祖母に持たされた水筒の蓋を開いた。紙コップを二つ出し、そこに湯気の立つ透明な液体を注ぐ。微かに桜の香が春風に乗り辺りに散った。

「それはなにかの?」

「飴湯です。おばあちゃんが塩出しした桜の塩漬けを浸して作りました」

「ほお……」

 膝から降りた麿様に暖かな飴湯を差し出すと麿様が針のような口を入れる。

「甘露」

 嬉しそうに目を細めた麿様に瑞穂も自分のカップの飴湯を口に運んだ。ほんのり香る桜の香。甘い飴湯に抜けきってない桜の塩漬けのものか、微かに塩気が加わり、それがまた美味しい。麿様は紙コップを前足で抱え込み、ちらほらと散る桜を見上げた。

「ほんに良き日でおじゃる」

 澄んだ青い空に桜色が見事に映えている。

「ええ。麿様のお陰で今年も綺麗に桜が咲きました」

 『麿様』という和魂にきたまの神がおわすこの辺りは、そのお陰で他の土地よりの土が豊かで、植物がよく育つと以前、魔界の美貌の術士が言っていた。

「……だが、それも今はどれだけ役に立っておじゃるか……」

 麿様の目が神社の鳥居の外に向く。黒いアスファルトの地面、並び立つ家とビル、豊な田畑は時の流れの中、大地の恵を必要としないモノへと姿を変えていっている。

「……昔はの、この神社の桜が咲くとその年の実りの吉凶を占いに人々が麿の元を詣でたものでおじゃる」

 麿様の目がその賑わいを思い出すように桜の向こうの空を見る。桜は本来は豊作を祈り、秋の収穫を占う花。その役目を忘れ去られた花びらがふわりと風に舞い、地に落ちた。

「桜はそれでも愛でる者がおる……しかし、麿は……」

 麿様は紙コップの影に隠れるように顔を伏せた。

 住宅街の片隅に忘れさられたように立つ小さな神社。宮司は無く、町内会が管理しているがそれも代を重ねるごとに段々とおざなりになっている。この神社に通うようになって、瑞穂は夏は麿様の眷属の蝉が多く集まる境内がうるさいと、秋は木々から落ちる落ち葉が汚いと市に苦情を訴える者がいるのも知った。

「…………」

 縮こまってしまった麿様を瑞穂はそっと抱き上げた。伏せた黒い瞳ににっこりと笑ってみせる。

「麿様、これから私とお出掛けしませんか?」

「……どこへ?」

 小首を傾げる麿様にイタズラっぽい笑みを浮かべる。

「麿様の咲かせる桜を見に」

「麿の桜を見に……」

「はい。この街の桜は麿様のお力でどこよりも美しく咲きます。そしてそれを大勢の人が眺めに来るのです。行きましょう、麿様の桜を誉め称える人々を見に」

 麿様の黒い瞳がふるふると揺れると輝いた。

「よし」

 いつものように瑞穂が小さな身体を頭に乗せると麿様が足を髪に掛ける。

「行こうぞ。麿の桜とそれを愛でる人々を見るでおじゃる」

 桜は麿の力でこれほど艶やか咲くのじゃ! 頭上の桜を見上げ、ふんぞり返る、いつもの偉そうな麿様に瑞穂が楽しげな笑い声をあげる。

「そうです! 皆が桜を楽しめるのは麿様のお陰です!」

「そうじゃ! 瑞穂よ、麿の巫女として足を務めよ」

「はい!」

 軽やかな足音が鳥居を潜る。それは昼下がりの道を駆け上がり、桜咲く川岸に公園へと 駆けて行った。

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