5. 護り続ける者

 今年の春も青い空から降り注ぐ日差しが、王都を眩しく軽やかに照らしている。歓声を上げながら駆けて来た子供達を、道を歩いていたモウンはひょいと避けた。

「ごめんなさい!」

「馬車に気をつけろよ」

「はい!」

 返事を返した子供の後からは、小さい子達がわらわらとついてきている。振り返り、 最後の背中が石壁の角を曲がるのを笑顔で見送って、モウンは赤い瞳を細めた。青い空をバックに浮かぶ魔王城と、その下の魔王軍本部の建物が見える。

 あの破壊部隊を除隊させられて十五年、すっかりなれた王都の下町の道を歩き出す。

 その間の他班のサポートでハーモン班も破防班としての活動に慣れた。副長アッシュも 班長と玄庵のしごきで以前より戦闘能力を更に伸ばし、エルゼも腕利きの術士に成長している。だが、まだ他世界への派遣は決まってない。最後の五人目のメンバーが未だ決まっていないのだ。

『どうして五人目が決まらないのですか?』

 班結成の裏事情を知らないエルゼは、その話が出るといつも訝しげに尋ねる。確かに、このメンバーの実力なら五人目が誰になろうが十分やっていける。

「……しかし、こればかりはあの方次第だからな……」

 今までモウンが何人も心当たりの者を五人目に推薦したが全て断られている。小さくぼやくと、すっかり馴染みになったブライの喫茶店のドアを押し開けた。

 カララン……控えめなベルの音の後に元気な若い男の声が続く。

「いらっしゃいませ! ……何だ、班長でしたか」

「何だとはご挨拶だな」

 ギロリとモウンに睨まれて、青いエプロン姿でお菓子コーナーに立っていたアッシュが首を竦める。

「店の手伝いか?」

「ええ、エルゼとジゼル義姉さんが、マール義姉さんの買い物に付き合ってくれているので」

 アッシュがお客の子供の小銭を受け取る。それを数えて選んだお菓子を額の分量、量ると袋に入れて渡す。お菓子の入った袋を持つと子供は嬉しそうな顔で足早にドアを開けた。

「ありがとうございました!」

 子供の背中にアッシュが声を掛ける。その様子に奥のカウンターでいつものようにカップを磨いているブライと目を合わせ、モウンは小さく微笑んだ。

 エルゼに一目惚れをしたアッシュが身分差に尻込みする彼女とまずは同僚としてから付き合い出し 、三年前の春の終わりに二人はとうとう一緒に暮らすようになった。初めはいくらアッシュが除名されているとはいえ、余りの身分差にモウンも玄庵もブライ夫婦も心配したが、アッシュの実家、ブランデル公爵家はずっと三男の恋を応援していたらしい。

『公爵家目当てのどこかの貴族のアバズレ娘より遥かに良い。エルゼはハーモン殿の知り合いで、部下で玄庵殿の弟子。なによりもアッシュが薬をやめる切っ掛けになった程、惚れ込んだ娘だ。これ以上の相手はいないだろう』

 そう喜び二人を祝福して、二人が暮らし始めた集合住宅の小さな部屋を両親は訪れ、エルゼに一家の者の証として炎に包まれた竜を描いたブランデル公爵家の紋章を手渡した。

「あれには本当に驚いたな」

 モウンの声に頷くブライに「エルゼは我が家の三男の正式な嫁なのだから当然だ」涼しい声が返る。

 店のカウンターの奥には軽装のエドワード・ブランデル公爵がコーヒーを前に本を読んでいた。破防班に入隊した末弟に連れて来られてから、彼はすっかりこの店が気に入り常連客となっている。

「お待たせしましたか?」

「いや、こちらこそ、呼び立てて申し訳ない」

 モウンが隣に座るとエドワードが本を閉じる。モウンの好みのブレンドのコーヒーを淹れ始めたブライに、自分もそれでお代わりを頼むとエドワードは目で末弟を呼んだ。

「五人目が決まった」

「決まりましたか」

「四年前に魔王軍の全部隊演習で、緊張から己の過ぎた力を覚醒させてしまったレッドグローブ族の少年兵を覚えているか?」

 四年前の魔王と司令部の大将も観覧する全部隊演習のとき、過度の緊張から新兵の術演習で、本来レッドグローブ族では持っていない強い力を発動させた少年兵がいた。暴走した力が大量の水を呼び、演習場中に流れ出た逆巻く濁流をエドワードとアッシュが止め、モウンが彼を気絶させたのだ。その後、怒り狂った総指揮官の手で魔術で重罪を犯した者が入れられる牢に放り込まれた少年兵を救い出すとき、その条件として彼の力を封印したのが玄庵だった。

「彼は魔王軍を除隊させられた後、身元引受人となったアルが自分の従者として使っていたのだが、それにあの方が目を付けられた」

「アルベルト様の依頼で玄庵が調べたところ、あの少年兵は水の力ならクラーケン族に匹敵するとか」

「ああ、突然変異の異能力者という奴だろう。だが、その後の調べで制御力も持っていることが判明している」

 今はまだ力の方が上まっているが、成長すれば制御出来るようになるらしい。

「ハーモン班で、そうなるよう鍛えて欲しいのだがな」

 エドワードが微笑んでコーヒーカップを傾けた。

「それはまた玄さんが喜びそうな子だね」

 入班してからみっちり、玄庵に力の使い方を指導されてきたアッシュが首を竦める。

「アルに救われたおかげで、その少年はアルに忠誠を誓っている。演習の後悔からも間違いなく力に溺れるようなことはないという話だ」

「それはまたあの方好みですな」

 モウンが口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。あの方が選ぶのは自分や玄庵のように、どんな状況に置かれても魔族の誇りを忘れない者やアッシュやエルゼのように過去や幼い頃の傷から他人を傷つける痛みを十分に知っている者達ばかりだ。

「それも仕方が無いのだ。あの方自身がそうなのだから……」

 エドワードがモウンの皮肉に苦い笑みで答える。

「あの方の師、デュオス様は魔王軍の筆頭軍師となった後、家族や親戚縁者の反対を押し切って、少年時代から自分を支えてくれていた侍女を正式な妻とした」

 そのことは同階位のブライの方がよく知っているだろう。エドワードに話を向けられブライが向き直る。

「デュオス様の一族……サイクロプス族は、私のオーガ族と同じ土の一族の中階層。当時はデュオス様の婚姻を自分達の出世の足がかりにしようと一族の者がこぞって、様々な高位の貴族の娘を妻に愛人にとデュオス様に押し付けたと聞いています」

 魔族は力と血縁を絶対とする。身不相応な出世するには、どうしても高い身分の者との繋がりや後ろ盾が必要だ。

「しかし、デュオス様は奥様以外の女性を持たれませんでした。御子も奥様との間に生まれた御子息一人だけでした」

 エドワードは小さく息を吐いた。父に聞かされた当時の筆頭軍師デュオスの暮らしを思い描く。王都の中心街にあったという小さい屋敷には親子三人、そして二人の彼の弟子が同居し、平凡だが穏やな家庭が築かれていたという。特にその当時まだ少年だった弟弟子は、水の一族の下位の水妖である自分の才能を見出してくれたデュオスを父、妻を母のように慕っており、デュオスの息子を『坊っちゃん、坊ちゃん』と弟のように可愛がっていた。

「……その家庭が、サイクロプス族の不満を買い、過激派の付け入る隙を作ってしまった。過激派に力を借りたデュオス様を恨む一派は、魔王軍にデュオス様が魔王陛下に謀反を企てたという偽りの密告をし、デュオス様の捕縛と調査の為に御屋敷に押し入ったそうだ」

 魔王は直ぐに密告のもみ消しをはかった。だが、過激派の手により命は魔王軍の細部まで行き渡り、各部隊に捕縛の指令が出ている。それを知った魔王は信頼する当時のブランデル大将……兄弟達の父にデュオスと彼の家族の身柄を確保させ、自分は直接冥界と連絡を取り、『三界不干渉の掟』破りの名目で 彼等を亡命させてくれるよう冥王に掛け合ったのだ。

「だが、間に合わなかった。父から連絡を受け、あの方と兄弟子の御二人が見たのは、愛する妻と子の遺体の前で呆然と座っているデュオス様だった」

 家族が暮らした部屋は滅多刺しにされた 妻と子の血で染まり、その脇には抵抗の末、大将の兵によって切り伏せられたデュオスの実の兄の遺体が転がっていた。

「父の兵によると、兵が駆けつけたとき、兄は『お前達のせいで!!』と繰り返しながら、もう動かない二人を執拗に剣で刺していたという」

 デュオスの兄は自分と同じ身分の低い愛妾の子である実弟を可愛がり、筆頭軍師になるまで何かと支援していた。弟が本当に愛する娘と結婚することに一番最初に賛成したのも兄だった。

「何が彼を義理の妹と甥をそこまで憎むように変えてしまったのかは解らないが……」

 欲望と怒りが人の心と絆を『破壊』する。それを敬愛する師で体験してしまったからこそ、あの方は今度はそんな悲劇が無いように慎重になっているのだろう。エドワードはゆっくりと首を振ると嫌なものでも飲み込むようにカップに残っていたコーヒーを飲み干した。ブライが新しいコーヒーをカップに注ぎ、黙って座っているモウンとアッシュの前にも湯気の立つカップを置く。

「『壊すのは容易い、だが護り続けるのは容易ではない』あの方は慎重に選んでいるのだ。 盾になり続けることの出来る者を」


 春の暖かい風が古い兵舎を撫でる。それを見上げて、色鮮やかなマリンブルーの軍服を着たレッドグローブ族の少年は緊張した顔で衿を正した。

「このアル様の軍服に相応しい兵士にならなくちゃ……」

 少年兵が特別部隊の兵舎の門を潜る。その二年後、五人目の兵士シオン・ウォルトンの研修と訓練を終えたハーモン班は他世界への派遣命令を受けることとなった。



「さてと……」

 梅雨明けの夕刻、築五十年の古い日本家屋、皐月さつき家の縁側に面した自分の部屋に入ったモウンは手にした新聞を広げた。何か奇妙な事件は無いか、丹念に紙面を目で追っていく。

 シオンが庭木に水を撒き始め、涼やかな冷気を帯びた風が開け放たれた障子から入ってくる。

「シオン! そうではない!! もっと細かい氷の粒を作れといっておるじゃろう!!」

 水撒きのついでにとシオンの訓練を始めた玄庵の厳しい声が響き「そんなこと言ったって~!!」喚く情けない声が続く。 思わず苦笑するモウンの耳に襖を軽く叩く音が聞こえた。

「エルゼか?」

「はい」

 柔らかな風の気と共に襖が開いてエルゼが綺麗に畳まれた洗濯物を手に入ってくる。

「後で片付けるからそこに置いてくれ」

 エルゼが洗濯物をタンスの前に置く。「夕御飯がもう少しで出来ますから」と出て行く背中にモウンは訊いた。

優香ゆうかはまだか?」

「まだですね。でももう直ぐ帰ってくると思います」

 エルゼが微笑んで襖を閉める。

 あれから三十年か……。

 モウンは机の上に置いた幼い優香と自分達が写った写真の入った写真立てに目を向けた。

 ハーモン班が、この世界に派遣されて三十年。その間に魔界の事情もまた変わった。デュオスの悲劇を繰り返さない為、魔王が筆頭軍師ユルグに自分が一番可愛がっている姪を嫁がせたのだ。これによりユルグは魔王王家の縁者となり、そう簡単に過激派の手の出せない存在となった。

『この前、御子が産まれ、陛下直々に名付け親となられた。これで当分は出番は無いと思うから、じっくりとエルゼとシオンを鍛えてくれ』

 末弟が世話になっているお礼に、年に一回 愛妻と二人の子を連れて皐月家に来ては優香を遊びに連れていってくれるエドワードがそう言って笑っていた。

 まあ……こちらもそのほうが都合が良いがな……。

 写真立てに手を伸ばし手元に引き寄せる。 裏返し、止め具を外して蓋を開けるとそこには美しい女性の写った古い写真があった。

「……遥香はるか……」

 今でも胸の内で想う女性の名を呼ぶ。

「……お前の最後の頼みは必ず果たす……」

 写真の笑顔にそっと誓う。

 その時、庭をこっそりと抜けていく幼い魔女の気配が過ぎった。シオンの「おかえり~」という声が聞こえ何故か、それが途中で途切れる。写真立てを元に戻すと、モウンは立ち上がった。

 必死に隠す少女の気配は台所へと入っていく。あの少女は自分に怒られそうなことがあると、まず優しい副長を頼ってなんとか誤魔化して貰おうとする。小さく舌打ちをして廊下を渡り、居間に入ると台所へと続く暖簾の前で足を止めた。

「……優香、それはマズイわよ。どうせ班長にバレるんだから、正直に見せてしまいなさい」

 夕飯の手伝いに台所にいたエルゼの忠告が聞こえる。

「……だって~、また怒られる~」

 優香の情けない声が答える。

「う~ん、期末試験は良かったんだけどね、中間の点数が点数だから……」

 アッシュの困った声が流れた。

「なんの話だ」

 モウンが台所に入る。 逃げそうになる優香をエルゼがしっかり捕まえる。瞳を潤ませた彼女に「後でちゃんと止めるから……」 囁くとアッシュは優香から渡されたらしい学校のプリントを差し出した。

「優香ちゃんが、これに班長のサインと判が欲しいそうです」

 仕事の書類からは逃げの一手のくせに、優香がらみの書類となるとモウンは進んで自分で目を通す。受け取り、目を落とした彼の黒い額に筋が盛り上がった。

「……これはなんだ……」

 怒りを込めた声に、優香がへらっとした誤魔化しの笑みを浮かべる。

「夏休みの補習授業の同意書。先生が七月いっぱい出なさいって……」

「……なるほど、あの中間テストのせいで補習授業か……」

 赤点のパレードのテストを思い出し、モウンがプリントをテーブルに置く。その赤い瞳が少しずつ後去る少女を睨んだ。

「優香~~~!!」

「ごめんなさぁ~い!!」

 今日も鬼の班長の怒鳴り声が日本家屋に響き、庭のシオンと玄庵が首を竦める。

 いつもの光景の中、ゆっくりと長い昼が終わり、柔らかな夕闇がやってくる。どこかまだのんびりした蝉の声をバックに、賑やかな声が大きな家を満たしていった。


回顧 ~破防班ハーモン班結成話~ END

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