7 戦闘員たちの心離れ、の巻
「ぐはっ! やられたぁ」
さらりとかわされた、俺「カピバランZ」の唯一の必殺技『ドリーミー・ダイナマイト・前歯アタック』。そしてすぐさま、宿敵ジャスティス・タイガーの強烈な必殺技『超絶・サンダーボルト・イナズマ・タイガーキック』が、俺のどてっぱらに決まったのだ。
――やはり、間違いなかった。
この前の闘いで俺は、アイツ――ジャスティス・タイガーを本気で怒らせてしまったのだ。とにかく今日のヤツの攻撃は、今まで経験したことないほどの凄まじさだった。脇腹の骨は、何本かは折れているようだ。左肩からはかなりの量の血も流れ出て、それが地面を赤く染めている。
(ついに、今日で俺もおしまいか? 生きる気力が、大地にぐんぐん吸い込まれていく……)
仰向けで転がりながらぼんやり考えた俺のはるか上空には、青く澄み渡った空が広がっていた。と、その中を泳ぐ魚のように、ゆっくりと優雅に流れていく白い綿雲。まるで、俺とジャスティス・タイガーとの闘いの結末や日々目まぐるしく動く株価の値動き、その他の地上の喧騒には全く関心などないかのようである。
そんな綿雲を引き千切るかのように忽然と俺の視界に現れたのは、この戦闘に生き残った若いヒラ戦闘員たちの三人だった。大地に倒れた俺を取り囲みながら、ナイロン製の黒い目出し帽からの視線で俺を見下ろしている。
「お? さすがに今回は、しぶといカピバランZも終わりのようだな」
「ま、仕方ないさ。だってこいつ、人間のときの記憶も残ってる出来損ないの改造人間らしいし……」
「おい、滅多なこと云うもんじゃないぜ……。ま、とにかく早くずらかろうぜ」
「カピバランZは、このままでいいのかよ」
「いいんじゃねえの? ――だって、こいつ出来損ないだし」
「ま、そうだよな」
アハハハ、という乾いた笑いが俺の頭上で響く。
本来ならヒラ隊員ごときなど改造人間の圧倒的戦闘力でコテンパンにしてやるところではある。だが今の状態ではどうにも体に力が入らず、なんともできない。
心の中で唇を噛み締めた、その刹那。
聞きなれた、あのドスの効いた低音が辺りを支配したのだ。
「てめえら、いい加減にしろ! どんな人にも……もちろん怪人にだって人生はあるんだ。そんなことしかほざけないお前らこそが出来損ないだ!」
年季の入ったややくたびれかけの黒い目出し帽に、ちょっとずんぐりむっくりした軽い猫背体型。それはまさしく、曽田のおやっさんだった。
うっすらと開いた俺の瞼の隙間からもそれは確認できる。
おやっさんの一喝に恐れをなした若手戦闘員たちが、丸まった背中を見せながらすごすごと走り去っていった。
「ちっ、近頃の戦闘員の中には無粋な奴が増えてきたもんだな……。今度アイツらに『ヤキ』を入れてやらねばならん」
ひとしきり、ぶつぶつぼやいた曽田のおやっさん。
くるっと後ろを向くと、
「ほれ、カピバラン。オレの肩につかまれや」
と云って、俺の真横でしゃがみこんだ。
「す、すんません……」
きちんと開かない垂れ下がった瞼で半分閉ざされた俺の視界が、海に潜っているときのように、みるみる水滴で不鮮明にぼやけていった。
(こんな出来損ないの俺でも、気にかけてくれる人がいる)
俺の内部から、生きる力が湧いた瞬間だった。
だいぶ血が流れていってしまったのだろう、かなり頭がふらついた。ゆっくりと上半身を起こしながら、右手をおやっさんの肩にかける。
「さあ、帰ろうか」
「はい……」
一歩一歩、足を動かすたびに揺れるおやっさんの筋肉質の背中。
少しばかり筋肉が贅肉に変わりかけてはいるものの、この世の酸いも甘いも噛み分けたであろうその背中は、そんじょそこらの若者と比べても決して見劣りするものではない。
俺は、自分の全体重とともに、実の父に対しても抱いたことのなかった憧れにも似た妙な感情をそこに載っけた。
「苦しそうだな……。怪我も酷いようだし、歩いてアジトまで帰るのは無理そうだ。一緒に電車に乗って帰ろうぜ」
俺は、黙って頷くことしかできなかった。
☆
最寄りの駅に何とか辿り着き、切符の自動販売機の前へと進む。
俺の全体重を預けられたおやっさんの額には、玉のような汗が浮かんでいた。相当、負担を掛けてしまっていることは頭では理解できるのだが、なにせ体が言う事を聞かず、おやっさんに頼るしかないのだ。
「曽田のおやっさん、すみません……。切符、俺の分も買ってもらえませんか? 手がうまく動かないんです。手の肉球が血でべたついて……」
「ああ、もちろんだとも……。本当はオレがお前の分もお金を出してやりたいところなんだが、
俺の腰のベルトの裏側にある財布を引っ張り出したおやっさんは、大人一人分の電車賃分の金額をきっちりと数えてそこから小銭を取り出した。
二人分の切符を持ったおやっさんに寄り掛かるようにして、何とか自動改札を抜ける。
気付けば、更におやっさんの疲労度が上がったようだ。ぽふぽふ音をたてながら、おやっさんの息が荒くなっている。
――そりゃ、そうだろう。
改造人間となって体重もだいぶ増した俺の体なのだ。いくら日々鍛えているとはいえ、中年のおっさんがたった一人で俺の体を背負い、移動させようってんだから……。
「おやっさん……すみません。迷惑をおかけして……」
「お前、さっきから何云ってんだ! オレたち、同じ釜の飯を食う悪の秘密組織の仲間だろう? このぐらい、当たり前のことだって」
「……」
それから、ベンチに座って待つこと数分。
駅のテーマソングらしき音とともに、電車がホームにやって来た。
一般市民は怪しいコスプレチームがいるとでも思うのだろう、我々二人の傍に誰も近づかない。
電車のドアが開いたのと同時、二人三脚のようにして俺たちが車両の中へと進んで行くと、俺たちを避けるように周りから人々が散っていった。すると俺たちの眼の前には十戒のモーゼ宜しく一本の道ができあがって、その先にはぽっかりと三、四人分の座席が空いたのである。
「おう、カピバラン。席が空いててラッキーだったな」
市民の冷たい視線と態度など気にも留めないおやっさんは、まるで役得とばかりにそこへどっしりと腰を落ち着けた。それに倣って俺もその横にゆっくりとした動きで座り、安堵の溜息を吐く。
「だいぶ血が止まってきたな……もう大丈夫だ」
「そう……ですね」
座席に並んで座った途端、おやっさんが腕や足、そして腹の傷口を診てくれた。一応、こんな怪人でも命は惜しいものだ。少し、ほっとした気持ちになる。
「ところで、この前の件だがな」
もうすぐ次の駅に着く――。
そんなときに、ぽそりと曽田のおやっさんが口を開いた。向こう側の窓には、まるで壊れた走馬灯のように激しく動く都会の景色が溢れていた。
「この前の……件って?」
「この前、お前が云ってた、総統の息子の手がかり捜しの件だよ」
「ああ……」
そうだった、そうだった。
全身の痛みで危うく忘れるところだったが、先週、アジト近くの川辺でおやっさんとまた二人っきりになったときを見計らって、組織内での聞き込み調査をお願いをしていたんだった……。
「もしも本当にこの組織に息子がいるというのなら、オレはなぁ……ドラゴニアAが怪しいと思ってるんだ」
「え? なんですってぇ?」
それは、全身の痛みも吹っ飛ぶ爆弾発言だった。
今まで半開きだった俺の目が、全開になったのが分かった。
「いや、証拠はほとんどないんだ。実際、組織内で聞き込みしても根も葉もない噂ばかりで、皆目見当がつかなかった。だがな、お前から聞いた息子の年齢、親から受け継いだのであろう、あのずば抜けた戦闘能力……オレは、どうもそんな気がしてならない」
――確かにドラゴニアAに関しては、同じ組織内の人間にとっても謎な部分が多いのだ。
我が組織のエース怪人であるドラゴニアAは、二年ほど前、どうやって組織のことを嗅ぎ付けたのか分からぬが、突然ふらりと現れて「どうせ身寄りもない、この身だ。改造人間にしてくれないか」と云ったという、ちょっとした伝説が組織に残っている。
名前や育ちなど彼の素性はどうしても明かさなかったが、当時十八歳という年齢と、孤児院にいたということだけはそのとき明かしたらしい。
確かにそのとき十八歳であったならば、今は二十歳。
総統の息子の年齢と、ぴったり一致する!
「でも本当は……ちょっとだけ、証拠らしきものがあるんだよ」
そう云って、悪戯好きの子どものような表情を見せたおやっさん。
その言葉に思わず食い付いた、俺。
「証拠らしきものですって!? 一体、なんですか?」
「まあまあ、そう興奮するな。傷に障るぞ……。それはな、アイツ――ドラゴニアAが普段は決して誰にも見せようとしない、ひた隠しに隠している物があって――」
「隠しているモノ?」
「だから、そう急かすなって……。隠している物ってのはな、『免許証』と『ロケットペンダント』の二つなんだ。もちろんお前も知ってのとおり、組織では人間時代の所持品は没収される決まりだ。だが、お前の家族写真同様、ドラゴニアもその二つの代物は没収から免れたらしい」
「なるほど。それで?」
「で、ドラゴニアAの直属の配下である主任戦闘員が、彼の控室に行ったときにそれらを手にしたドラゴニアがじっと佇んで座っているのを見た、と云っているんだ。でも所持品を見られたことに気付いたドラゴニアから『今、お前が見たことを誰かに話したら、絶対ぶっ殺す』と脅されているので僕がそれを教えたことは絶対に内緒にしてくれ、とも云われてるけどな――」
「免許証とロケットペンダントですって? 免許証はわかりますが、ロケットペンダントって……あ、もしかしてそれ、あの蓋をパカッと開けると写真が入っている、あの装飾品ですか?」
「そう、それだよ――。その主任戦闘員は、何度か名前を呼んだのにいつまでも感慨深げにそれらを見つめ続けるドラゴニアAの背後に回って、それが何なのかを覗き込んだらしいんだ」
「ほほう……」
「で、そいつが云うのにはだな――」
すると、俺たちの話題など周りの誰も興味ないであろうに、俺の耳元へ口を寄せたおやっさんが、俺にしか聞き取れないほどの小声で囁いた。
「免許証の写真は間違いなく改造される前の彼のもので、『
(本山だって?)
ここで、俺のインプット機能がフリーズした。
まだ話し続けているおやっさんの言葉が、耳に入って来ないのだ。
記憶をたどってみる――。
確か、総統の内縁の妻だったという噂の女の名は『
おやっさんの言葉を途中で遮った俺は、結論を口走った。
「えっ!? ならば、彼の本名は総統の昔の彼女の苗字と同じ『本山』なんですね? そして、若き日の総統らしき人物の映った写真も持っている……。これはもう、彼が総統の息子で決まりなんじゃないですか?」
だが、おやっさんは悲し気に首を左右に振った。
「だから証拠らしきものだ、と云っているだろう? 残念だがこれはたった一回の目撃情報で、他にそれを見た人間はいない……。それに、その主任戦闘員だが、いい加減な性格で有名な奴なんだよ」
「そ、そうなんですか」
(でも、かなり真相を掴めてきたような気がする――)
「まあ、そういうことなんで、もう少し内部で当ってみるから」
「よろしくお願いします」
それきり、電車に揺られながら黙り込んでしまったおやっさん。斜め上に視線を向け、じっと天井を見つめて考え込んでいる。
と、そんなときだ。疲れ切った体に反比例するように鋭敏になった嗅覚を突くように、ある懐かしい香りが俺の鼻孔に飛び込んできた。車内のどこかで、誰かがお菓子を食べているらしい……子どもだろうか。
それは我が一人息子、翔太が大好きだったポテトチップスの油の匂いだった。
久しぶりに嗅ぐその匂いが、俺の改造人間としての敏感な嗅覚を残酷に攻めたてる。
(翔太、元気にやってるかな……)
窓に映る都会の夕暮れ。
それは、小さな小さな猫の額ほどの
(翔太のためにも、早く総統との約束――いや取引か――を果たさなくちゃ)
この極秘調査を、内密に、かつ着実に進めていく決意を新たにした俺なのだった。
<つづく>
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