6 岩田総統が疑う、の巻

「ぐはっ! やられたぁ」


 さらりとかわされた、俺「カピバランZ」の唯一の必殺技『ドリーミー・ダイナマイト・前歯アタック』。そしてすぐさま、宿敵ジャスティス・タイガーの強烈な必殺技『超絶・サンダーボルト・イナズマ・タイガーキック』が、俺のどてっぱらに決まったのだ。



 ――これでアイツに負けたのは何度目だろう。

 ジャスティス・タイガーにコテンパンに打ちのめされ、命からがら組織の秘密基地にたどり着いた俺は、息つく暇もないまま、岩田総統からのいきなりの呼び出しを喰らったのだった。


(もしかして……俺が負けてばかりで弱いから? 戦力外通告なのか?)


 廊下を歩いている間にも、そこらじゅう痣だらけになった体が悲鳴を上げる。そんな体を引き摺り引き摺り、総統の執務室の前へとやって来た。

 ノックをして、声を上げる。


「総統、お呼びでしょうか?」 


 自分でもわかる。

 やや上擦った、調子はずれの声だった。


「おお、カピバラン……。戦闘後のお疲れのところ、呼び立てて申し訳ない」


 まるで田舎の父といった感じの、優しい口調で岩田総統が云った言った。しかし、その瞳の奥には穏やかならざるものがある。

 その時気付いた、総統以外の人間の気配。今までそれに気付かなかったのは、怪人の能力を使った『気配消し』のせいだろう。

 総統のすぐ横に立っている、見覚えのあるいかにも怪人面かいじんづらした顔――。

 それは、いつだったか遠くから俺の戦いをじっと見つめていた怪人『エゾヒグマンE』に違いなかった。俺よりも20センチ以上は背が高いであろうその怪人は、茶色い剛毛の下の、いかにも強そうな腕っぷしをわざと俺に見せつけるようにして立っている。


「今日お前を呼んだのは、他でもない……。今、組織内で噂になっていることを確かめるためだ」


 ドクン!

 いきなり、俺の心臓が高鳴った。

 怪人になってから、一番の高鳴りだったかもしれない。努めて平静に装った俺は、総統に見透かされないよう、その目をじっと見つめながら云った。


「噂……ですか?」

「そうだ、噂だ」


 斜め後ろを振り返り、総統がちらっとエゾヒグマンEの顔を見遣る。


「お前……カピバランZの、人間であったときの記憶が残っているのではないのか――そんな噂が、組織内のあちこちで囁かれているのだよ。もしそうなら、これは組織にとって忌々しき問題だ」


 鼻息をフンフン荒くして、エゾヒグマンが俺を睨みつける。

 負けじと俺は、力一杯の目力を込め、エゾヒグマンを睨み返してやった。


「総統……。仰っている意味が分かりません」

「そうか。では、人間のときの記憶は残っていないということだな?

 確かに前回、戦闘員の曽田にそれを探らせたときは『そんな兆候はカピバランにはありません』という報告を受け、その場を収めたのではあるが――」


(そうか……。曽田のおやっさんが俺の戦闘チームにいたことがあったり、夜に俺のそばに寄って来たりしてたのは、密偵のためだったか)


「その通りです、総統」


 精いっぱいの無表情で俺がそう云うと、エゾヒグマンがその犬歯のような尖った歯をギリリと鳴らして表情を険しくした。

 益々険しい眼をした総統が、言葉を続ける。


「だがな、その後も噂は止まなかったのだ。それで、このエゾヒグマンEにカピバランZの戦闘場面を視察してもらったのだが――」


 ドクン、ドクン!

 再び激しく鼓動した、俺の心臓。


「そしたらどうだ、カピバラン! お前、あのジャスティス・タイガーと何やら親しげに――そう、まるで親子のように――話していた、というではないか……。さすがにこれは看過できんぞ。どういうことか、説明してみよ!」


 万事休す――。

 そう思った時だった。

 ばん、と総統の執務室のドアが開き、そこから曽田のおやっさんが飛び込んできたのだ。


「いい加減にしたらどうだ、総統! 命を張って闘ってくれている自分の組織の怪人を、そんなに信頼できないのか? そんなことでは世界征服なんて夢のまた夢だぞ!」


 白髪混じりの短めの髪から湯気を湧き立たせる勢いで怒りを表した、おやっさん。


「いや、それはだな……」

「あのう……。お言葉ですが、おやっさん――」


 苦しい表情を見せた、総統。

 口を挟もうとするエゾヒグマンを制し、おやっさんが怒鳴りつける。


「エゾヒグマン、テメエは黙ってろ!」


 さすがのエゾヒグマンEも曽田のおやっさんにはかなわない。2m近い巨体を縮ませて、まるで借りてきた猫のようにしゅんとなる。

 コホン、総統が軽い咳ばらいをした。


「では、もう一度訊く。本当に過去の記憶は無く、敵の味方のスパイでもないのだな――恩田君?」

「……」


 ピクリ、動いてしまった俺の指。

 曽田のおやっさんの横顔に、緊張が走ったようにも見える。


(あ、危ない……。危うく総統の罠に引っかかって返事をするところだった!)


「オンダ? 何のことを仰ってるのか、よく分かりません」


 何とか、冷静に言葉を発することができたようだ。

 内心ほっとしている俺の網膜の中に隠された真実を探るかのように、総統が妙に蒼く光るその瞳をじろりとこちらに向けている。


「……ふう。分かった、カピバラン。お前の目に邪心は無いようだ。ワシは、お前を信じることとしよう。ではそういうことでエゾヒグマンと曽田戦闘員、二人とも下がってよろしい。カピバランはまだ話があるので残るように」

「いや、しかし総統、コイツは……」

「こらッ、エゾヒグマン。部屋を出るぞ!」


 まだ不満そうな表情のエゾヒグマンを引っ張るようにして、おやっさんが部屋を出ていった。ドアが閉まり沈黙が部屋を支配すると、厳しい眼を急に緩めた総統が、俺を眺めだした。


「さあ、エゾヒグマンもいなくなった。そろそろ、本当の話をしてもらえないだろうか。瞳の奥を覗かせてもらって、すぐにわかったよ――カピバラン、お前、古い記憶が残ってるな?」


 ドクン、ドクン、ドクン!

 今や、俺の命運は尽きたと云ってよかった。

 いくら動物の運動能力を持った改造人間の俺とはいえ、超人ともいえるような飛び抜けた身体能力を持つという噂の総統には、恐らくは全く歯が立たないだろうからである。しかしそれにしても、俺の頭の中を即座に見抜いてしまうとは総統の『能力』は奥が深い――。


「……」


 何も云えない俺に向かって、総統が柔和な笑顔を覗かせる。


「大丈夫。すぐにお前を始末するとか、そんなことはしない。

 まあ確かにそんなこと、お前の口からは云えないな……。わかった! それならワシの秘密をお前に話そう。さすればワシを信用してくれるかな?」

「は、はい……」


 俺の素直な受け答えに、満足そうに頷いた総統。

 深く椅子に座り直して腕を組み、斜め上に視線を向けて天井を見つめながらぽつりぽつり、その『秘密』を語りだした。


「ワシがこの悪の組織に入ったのは、九州から上京し、入学した大学を卒業して二年目の頃だった。入社した営業会社でいつも成績不振だったワシは、ただ当てもなく夜の街をうろつくことが多かったのだ。そんなワシを先代の総統が街角で見つけ、声をかけてきた。

 昔から恐いものなしで、ケンカだけは強かったからな。何故か先代と意気投合し、入ったバーで先代が語る『熱き世界征服の夢』を聞いて、ワシは武者震いをしたよ……。是非、腕試しをしてみたいと思った。

 それから数年間、ワシはウルトラ・ショッカーのヒラ戦闘員として力を尽くした。まだ怪人の改造手術の技術も今から比べれば幼稚な時代だ。ワシと仲の良かった幾人もの怪人が、あの憎きジャスティス・タイガー、――先代のジャスティス・タイガーだが――に倒される姿を何度この目で見たことか……」


 総統にとって、それはよっぽど悔しい思い出なのだろう。

 岩田総統の目尻に、ふと陰が射した。


「そして、ワシが組織に入って三年目だった。

 組織に高校を卒業したばかりの女性が一人、会計事務として入ってきたのだ。名を『本山百合子もとやまゆりこ』といった。あ、そうそう、今からは考えられないかもしれないが、その頃は組織にも庶務課や総務課があって、女性の隊員もいたのだよ……。あの頃は組織にも今より活気があったな」


(マジかよ)


 俺は、今よりも華やかな、まるで一般的会社のオフィスみたいなアジトの有様を想像して、少し羨ましく思った。


「コホン……話を、元に戻そう。

 その女性がな、なんとまさにワシ好み。小柄でショートカット、そしてなんともいえず良かったのが、涼しげで切れ長の瞳――あ、いやいや、すまん。それはどうでもいいことだな。まあ簡単に云えば、ワシの一目惚れだった。

 ワシは戦闘の合間合間で彼女に猛アタック、ようやくワシらは付き合えることになった。もちろん、『組織内恋愛』はここでも御法度だったので、そのことは二人だけの秘密だった訳ではあるが……。

 組織に隠れ、ワシたちは一般社会のいわゆる『アパート』という場所に愛の巣を設けた。毎日帰れるわけでもないし、日々世界征服に忙しかったから所謂普通の結婚生活ではなかったが、あれがワシにとっての普通のニンゲンらしい生活を送れた最初で最後の時期だったような気がするのだよ」


 総統の目が、一気に緩んだ。

 目尻の下がり切ったその表情は、人生で最愛のものを想い出している――そんな感じだった。


「そして、ついにその日が来た。いや、来てしまったというべきか。内縁の妻とでもいうべき百合子が妊娠し、おなかも大きくなって組織での仕事が続けられなくなったのだ。俺と百合子は組織に掛け合った。組織の仕事もしっかりやるので『二人の仲』と『産休取得』を認めて欲しい、と――。

 しかし組織は結局、最後までそれを認めてはくれなかった。

 組織の監視が厳しくなり、ワシは彼女と会えない日が続いた……。そしてある日のことだった。百合子は『元気な男の子が生まれました』という一通の置き手紙を残し、ワシの目前から消えてしまったのだ。もちろん、彼女にはそれから一度も会っていない」


 深く沈み込む、総統の表情――。

 それは、彼にとってその思い出が痛恨の極みだったということをよく表していた。


「だが、こんなワシにも意地はある。組織を黙って抜け、百合子と我が息子を探す旅に出たのだ。一年ほどの間、子連れの百合子が働けそうな温泉地や観光地など、探し回った。しかし――」

「見つからなかったのですね? そしてその頃、あの曽田のおやっさんと出会った。それで、彼の実直の姿に漢気を感じた総統は、二人を探す旅をやめ、組織に戻って『世界征服』の夢に邁進することにした――そんな感じですか?」


 それを聞いた総統が、目を丸くして驚く。


「なんと、あの曽田の奴、そんなことまでしゃべっていたのか! まったく……。

 まあ、いい。その通りだ。組織に復帰したワシはその後の働きが認められ、このウルトラショッカーの三代目総統となることができた。そして、今に至っている」

「なるほど……。総統の秘密、よくわかりました。そこまで話していただけたのですから、私も総統のことを信じることといたします」

「うむ。わかってくれて、嬉しい。――ところが、だ。」


 一瞬、和やかに微笑んだ総統だったが、すぐに厳しい目付きに変化する。


「最近、この組織内で変な噂がある。それは、ワシの生き別れの息子――名前すらわからない息子――が、この組織内にいるという噂なのだ。生きておれば、二十歳のはずなのだが……」

「え? それは、本当なのですか?」


 俺の脳裏に、知っている限りの隊員や怪人たちの顔が幾つも過ぎって行った。しかしその面々からは、総統似な男の顔が思い浮かぶことはなかった。

 身を乗り出した総統が俺の目の前に一本の人差し指を突きつけ、こう云った。


「そこでだ。カピバランZ――いや、恩田正男君。ワシとひとつ、取引をしないか?」


 五十歳目前と思われる岩田総統の瞳が、淡いブルーの色を携えて怪しく光った。



<つづく>

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