6話

はっと目を覚ました。

「…?」

きょろきょろと周りを見回すと白い柔らかな光が差し込んでくる。

自分の倒れていたベッドは薄いシーツと掛け布団のかかっただけの貧相なもので、まわりのベッドはその2つもない剥き出しの鉄骨状態。なにより部屋に草や苔が生えていて…まるで何年も人が住んでいないような。意識を失う前にぼんやりと視界に入っていた館の病室はもっと綺麗なものだった。なによりすぐ横にはエフやレインが立っていたはずだ。上体を起こして詳しく見渡す。

やっぱり先ほどまでいた病室と同じとは思えない。これは夢か。

イヴリンは右手で頰をつねろうとして自分の服装が先ほどまでとは違っていることにも気づいた。いつもつけているハチマキもなく、携帯していた大剣も消え去っている。かわりに身につけているのはまるで入院着のような薄着の格好。地面に足をつけると裸足であることにも気づく。

「どういうことなんだ…これは。」

呟くとドアの向こうから弾かれたような足音が聞こえた。ぺたぺたぺた、その音の死主もまた裸足であるらしい。誰かいるのなら事情を聞こうと思い立ち上がって廊下につながっていた木の扉を開けた。たてつけの悪いそのドアは本来通り開かずに少し手をつけただけて倒れてしまった。

そこから広がる廊下も様変わりしていた。

ここに来る時の廊下はまるで先のないような暗くて果てしなく長いものだった。だけれど今見えるこの廊下は先の見える時折ある割れた窓から白い眩い光が降り注ぐ場所だった。廃墟であるということはうかがえるが恐怖心は煽ってこない。薄暗くなく一面が光で包まれているせいだろうか。足音が走って行った方へ歩きだす。じわじわとこの場所がどんなところであるか察しはついていた。

端にあるベンチ、ドアの上にとりつけられたなにかの看板。病院の廃墟だ。そういえばエフは廃病院を改築したとか言っていたか。

不思議な空間にのまれながら歩いていると突き当たりに一際大きくて古びていないスライドドアを構えた診察室のようなところが見えた。そこに入らなければ。そんな使命感に駆られ導かれるようにドアを開けた。


中は相変わらず昼間のような白く柔らかな光に包まれ、あたりには草より淡い色付きの花がところどころ咲いていた。相変わらず廃れたその部屋の真ん中には大きなテーブルがある。その向こうに誰かが座っている。逆光で顔は見えない。

「座って。」

少年と思わしき声はこちら側にある椅子を勧めた。

他にどうしようもないイヴリンはそこに座ってその影と対面する。

「ここは?天国か?俺は死んだのか?」

「死後の世界じゃないよ。今君は気を失って眠っているだけ。」

姿勢を崩さずに静かに優しく語りかける。

「でもこれから死ぬかもしれないよ。」

「じゃあここは…日本風に言えば三途の川ってやつか。」

「そんなところかな。私は君に試練をあげるためにここにきたの。」

相手に見えているかわからないけれどイヴリンは優しく笑った。目の前の少年が少し緊張しているように思えたからだ。

「このままやっていけるか、強い想いは嘘じゃないか。確かめるんだ。」

「そうか。でも俺にそんな期待しないでくれ。」

どことなく落ち着く風景に目を細めながら答える。

「だって俺がこうやって旅をしているのは、ただ勇者に憧れただけだから。」

「憧れた?」

「そうだよ。俺の知っている勇者のようになりたいと思ったんだ。」

「勇者になりたいんだね。」

「そうだなあ。」

問答に一番いい正答がわからずにただ思ったことを述べるしかなかった。

「アルフレッドを連れて旅ができてるからいい。今はそれで楽しい。」

「ひどい勇者さんだね。」

「そうだろう?大したことなんかしていないんだ。でもなんでかな。」

困ったように首を少しかしげて少年を見て、テーブルに身を乗り出す。

「それが幸せなんだよ。何もなくてただ旅をして誰かの笑顔を見る。それだけで俺は救われている気がするんだ。」

「今は救われてるんじゃないかな。エゴだとしても。」

「怖い言い方をするんだな。エゴなんかじゃないさ。」

「エゴだよ。」

目の前の少年の影は俯いてしまった。自分の腰くらいの背しかないであろう彼女は肩を震わせてそう呟く。

「エゴだとしても幸せじゃないか。俺は…いつだって誰かに幸せであって欲しい。心からそう思うんだ。」

「それは何かの罰だとしても?」

「罰なんかじゃないさ。」

いつの間にやら少年は泣いているようだった。手を伸ばすことを選ばなかったのはその慰め方がわからなかったから。なぜか彼を恐れたから。

「勇者は嫌いなのか?」

そう言ってイヴリンが目を伏せた。そして顔をあげるとわずかに影が変わっていた。髪の毛が長くなったように思える。

「勇者になんてならなくてよかったのに。」

その声はさっきより高く、少女のものであると気づいた。思わぬ反論にイヴリンはばつがわるそうに語りかける。

「どうしてだ?」

「勇者になったら遠い者になるよ。」

「そんなことはない。誰よりも近くで寄り添うものだ。少なくとも…」

安心させるようにあくまで優しい声音で反論する。

「俺はそんな奴になりたい。」

「なれないでしょう?」

「約束する。きっとなってみせる、約束破ったら今度こそ殺していいよ。」

優しく視界を遮り笑った後、目を開けるとまた少年に戻った。その少年は最初の少年とは違うように見えた。

「何かを救うために遠くへ行くんだろ?誰かを苦しめたまま。」

「そんなことしない。俺は遠くへなんか行けない。隣にいる奴を救うことで精一杯なんだからな。」

アルフレッド、エミリア。いつだって助けてあげられるのは隣にいる誰かだった。それでも救えるのなら何も文句はない。

「この世界はそんな優しい世界であってほしい。」

「君がそれを願うのか。」

「願っちゃ駄目かな。俺はなんともなく願ってしまうんだ。…はは。」

おかしそうに自虐的にも取れる笑いがこぼれる。そう願うことに根拠なんてなかったし自分はそういう性格だから。その性格を王国も買ってくれたのだろうか。

「君はこの世界をどうしたいんだ。この世界の終わりを。」

「そんな壮大なことわからない。そういうことは他の強い力を持った奴に任せるよ。俺は今は旅を続けて隣にいる奴を助けていくだけなんだ。俺なんかにできることはそんな小さいことさ。買いかぶりすぎだよ。」

「…ねえ。やっぱりやめたいよ。」

「え?」

なにかぽつぽつと音がした。どうやら屋外で雨が降り始めたらしい。最初は静かだったそれがだんだんと速度を増してざあざあぶりになった。その勢いにあわせるようにして少年が泣き喚いた。それについていけずにぼうっとしていると今までの三人全ての声が被さった声で叫んだ。

「このまま一緒にいてよ!」

「どうしたんだ?」

思わず立ち上がって彼らを慰めようとついに手をのばした時だった。

その腕を誰かが掴んで止めた。

視界に映るその手は血管の浮かんだ成人のもの。その人の声がした。

「ここに居ちゃ駄目だ。」

顔を上に向ければその顔は見えるはずなのに、見れない。

体が震えて見れないのだ。

「歩くと決めたんだろう?なら、歩いて行ってくれよ。」

手に力が入って何かあたたかいものが体内に流れ込む感覚がする。

震えを耐えようやくイヴリンは顔をあげた。


その顔を見て口からその人の名前がこぼれ出た。



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