5話

急いで玄関ホールのドアの前までやってきたエフは二回ノックをしてドアの向こうにいるであろう存在に声をかけた。

「待たせたな、レインさん。知り合いなんだって?」

「そういう説明してる場合じゃ…ないと思うけど…」

息を切らしながら喋る声が聞こえる。エフの後ろで何人かのメイドが構えるがそれをエフが制した。手でサインを送ると彼女達は顔を見合わせ躊躇するような素振りを見せたが強調するようにもう一度同じサインを送ると姿を消していった。ふうっと息を吐いたエフが大扉を開ける。


そこには血に濡れた銀髪の男と、

背に担がれた気を息を荒くした同じく血塗れのイヴリンがいた。


右手に剣を持っていたエフは銀髪の男に刃を向けた。

「どういうことだ、何をしたんだ。」

「やったのは俺じゃないよ。信じるかは後にしてもらっていいんだけどこの子どうにかしてもらえないかな。」

その薄水色の透き通った瞳を見つめる。こういってはなんだが目を見ればある程度の敵意を察知することはできる。この男からは幸い本当にこの青年を気遣う心しか感じられない。剣をおろすと顎で館の奥を指した。

「ついてきてくれ。」





どこをどう歩いているのかわからない中薄暗い廊下を行く。この建物の仕組みはあまりにも不思議でレインもただこの主人についていくしかなかった。途中ずり落ちたイヴリンを背負い直すと小さなうめき声をあげた。同じくらいの背の大人ひとりをおんぶというのは厳しかったので足だけは地面にひきずっている。

「すまん…レインさん……」

「これひとつ借りにしておく。」

言葉短い会話を交わす元気はまだ残っているようだ。

やがて廊下が真っ暗になった頃、奥にひとつの部屋が見えた。豪壮な館に似つかわしくないおんぼろな木造のドアを開けて中に入る。

そこにあったのは何台か並んだベッド。ここが病院廃墟であることからして入院患者の病室であったことがうかがえる。そこのひとつにイヴリンを横たえる。

「そこの棚から医療キットをとってきてくれ」

「はいはい」

この状況下ではレインもおとなしく従うしかなく、白い物置棚に向かって手をのばす。定期的にメンテナンスはしているようでたてつけはよく容易に開いた。中にあった救急キットとかかれた箱を取り出して渡すとぐるっと中を見回す。ここまでくるのには埃のたまったところはあったがこの部屋こそはひどく綺麗だ。窓も綺麗に磨かれて電気も通っている。

「ここはこのタウンで誰かが怪我したときに運び込むところだからな。常に衛生上問題のないようにしているんだ。」

「そうなのか。じゃあもうすこし病室を玄関に近くしては?」

「…そうすれば外から来た奴に襲われるかもしれないだろう。」

悔しそうに主人がそう言うものなので思わずレインも聞き直した。

「外の奴?」

「ここにはマモノも人間も平等に運び込まれる。多くは人間が匙をなげるマモノが多いし、意図的に人間が殺しかけたパターンもある。立場が逆っていうのもあるし同族同士で喧嘩なんてのもザラ。」

「だから遠いのか?それから隠すために。」

「遠いというわけじゃない。場合によっちゃ近い。この館は毎回俺の力で構造が変わってしまうんだ。だから地図もない。」

その言葉に呆れてぽかんと口を開けたレインを放ってエフはギリギリで意識を保つ目の前の勇者の姿を眺め声をかける。

「おい喋れるか。」

なにか喋ろうとして口を開くが突如として咳き込み始めた。その口からは血が溢れている。この量の異常さから怪我の様子を注意深く伺うと腹に大きな傷があるようだった。服の上からだとよく見えずに苦心していると後ろのベッドに座り込んだ発見者が助言した。

「街道で血だらけでぶっ倒れてたから焦ったよ。その子、腹に見たこともないような大きい黒い棘みたいなのが刺さっていた。貫通していたよ。」

「黒い棘…?」

エフが恐れたような表情でレインを振り返った。

「あれは見たこともなかったが少なくとも人間のものじゃなかったな。それで急いで駆け寄ったらすごい剣幕でその棘を抜けと言うものだから。」

「抜いたのか?」

「俺も抜くのはやめたほうがいいと言ったんだ。血が吹き出て死ぬだろうから。それでも抜けというから抜いた。そんでなんか赤い封筒を取り出してそれを破いてくれって言われたからそうしたんだ。」

レインはその封筒がテレポートの術をかけられていることはわかっていた。その行き先はわからなかったが迷っている暇などはなく従うしかなかった。まさかやってくるのがこんな奇怪な館だとは思わなかったが。

「じゃあ喋れるほうがおかしい怪我ってことか。」

血がついた口の端を持ち上げて皮肉のように笑う。ベッドの下から一冊の本を取り出すと魔法詠唱を始めた。バイタルチェックの魔法。使用こそは見習いの魔法使いでもできるものだがこの男の唱えるそれは上級魔法使いしか使えない高等なものだった。レインはこの館と主人についてますます興味が湧いたがそれどころではないだろう。

一通り診たらしいエフは顔をあげて驚いた。

「どうしたんだいご主人?」

「いや…何を回復すればいいのかを診ていたのだが…おかしい…」

首をかしげてもう一度診断する。

「やっぱり…。彼はクエストを消化しに行くと言ってこの館を出たのだから当然後定魔法を補助的に使って戦ったのかと思っていた。だから魔力消費量をみていたんだが…やっぱりおかしいな。」

「なにが?」

「魔力消費が一切されてないんだよ。剣を振るえなくなったら攻撃魔法で対処しそうなもんだが。」

そのまま魔力を推し量っていたエフは思わず目を開いて驚いた。

「原罪魔力しかもっていない…!?」

それを聞いたレインも驚いて声を漏らしてしまった。一般的に人間というのは魔力というものを後天的で人工的に身につける。それが後定魔法という形で使用され、人によってその許容量は違って使える魔法のレベルも違ってくる。ごく稀に原罪魔法の魔力を持つ人間も生まれるがその威力は元の持ち主であるマモノに比べればごくごく僅かなものだ。

「イヴリンは人間じゃないのか?」

更に興味深そうに身を乗り出すこの男が少し不気味だった。その質問に対する答えは明確にNOだった。この国では普通マモノと人間は明らかに違う容姿で過ごさざるを得ないのだ。イヴリンにそんな特徴はない。

「人間だ。間違いなくな。」

「じゃあなんで…」

「わからん…そしてこれだけ強い力を持ちながら一切使わなかった理由も。」

「そんなにか。」

「並の人間やマモノなら確実に押し負ける程度だな。私でさえもこれとマトモにかち合ったら一筋縄じゃいかない。」

エフは本のページを進めながらかなり苦しそうな顔をした。見れば既にイヴリンは気を失っており一刻を争う状況だ。出血量から言っても助かる手段は1つあれば奇跡。そして実はその奇跡の1つの術を持っているといったところだ。

「彼自身の魔力を、この身体の回復に割り当てる。体に補填させる。それで助かるかもしれない。」

「何に迷っているんだ?」

「…」

助けられる術があるというのになぜか躊躇う男にレインはいらついた。

「つまり自分で測らずも切り離して理由はどうあれ使わなかった魔力を身体の中に流すということだ。自分の魔力と…向き合うということ。魔力というものはそもそものその者の心と深く結びついている。思い出や感覚が魔法の特質そのものに出るように。これだけ大きな魔力なら大きな回復ができるかわりにイヴリンさんは戦わねばならない。大きな魔力と己自身と。その結果、もしかしたらのみこまれて永遠に帰ってこれないかもしれない。」

気絶してなお苦しそうに呼吸する青年をみてもそんな残酷なことが決心できずにいた。大きな魔力は大きな試練を彼の精神に与える。勇者としてこの旅を続けるにあたっての試練。もしそれに負けてしまったら…考えたくもない事態になる。

「それなら大丈夫だ。」

軽く言い放ったイヴリンの旅を一部見てきたその商人は自信がありげだった。

アルフレッドの言葉を思い出す。

もう後ろはないというのならもしもを考えるより行動しよう。

「帰ってこいよ。」

苦い顔で詠唱を始めたエフにあわせるようにぴくりとイヴリンの身体が跳ねた。

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