4話

長い廊下をずっと歩いたり、長い階段をずっと登ったり、途中で何回も気遣って言葉をかけてくれたが体力には恵まれているためにちっとも疲れてはいなかった。おおよそ家の中とは思えない旅路の末に着いたのは天のよく見えるテラス席だった。椅子2脚が小物の置かれたテーブルを挟むようにして置いてある。ただ目につくのはその見た目だ。


このお屋敷は比較的新しく作られたのかどこをとっても年季の入っていないぴかぴかの内装をしている。それはもちろん家具も同じ。だけれどこのテラスの椅子とテーブルだけは違った。手入れはされているものの古く使いこまれたもの独特のとれない汚れや傷がいくつも残っている。このセットだけは使用された年数が違うようだ。

「どうぞ座ってくれ。」

椅子を引いて座るように促す。心地よい気温なので外にいても体には障らないだろう。あの毒霧もこれだけ高い場所になれば届いていない。いや届いていたとしても微量だろうしアルフレッド自身にはなんの悪影響も元よりない。言葉に甘えて腰掛ける。目の前の席にエフも座った。

「困るよな、このセットだけは捨てられないんだよ。」

テーブルの上にはオブジェが置いてあった。物珍しいそのデザインを凝視していると察した主はそれを指でつついた。

「珍しいですね、天秤ですか?」

「そうだよ。昔に私が持っていた館は今と違ってたくさんの来客が訪れる場所だったから。このテラスで仲間とお茶をしていると不躾に割り込んでくる珍客がいたもんでね。もう来れないとはわかっているんだけど残していたくなるんだ。」

口調は馬鹿にした鼻で笑うようなものだった、だけどテラスの手すりをなでるその様子はまるでこの上なく愛おしいものを扱っているものだった。彼の目にはお茶会をしたかつての仲間やその迷惑な珍客が映り込んでいるようにも見える。

「その方々がエフさんはお好きだったのですね。」

「ああ。とてもね。でももう戻れないことはわかっているから。」

アルフレッドはきょろきょろと周りを見回した。てっきり一緒にきているものだと思っていたのだがそうじゃなかったらしい。

「イヴリンさんならクエストがどうとかで出かけた。少ししたら戻るだろう。」

「また…クエスト。」

前の街でも彼は疲れを癒さないままクエストに出かけて行った。今日だって少し休めばよかったのに。さきほどの茶髪のメイドがコーヒーの入ったピッチャーとカップをトレーに乗せてやってきた。テーブルの上に並べるとテラスから足早に去って行った。人の違ったような華麗で無駄のない働きだ。熱いままに一口いただくとにやにやとエフは一本のワインボトルを取り出した。

「こちらでもよかったかな。」

「自動人形のアルコールの摂取は想定内です。だから呑めないことはないのですが…私はあまり好きじゃありません。」

「おっと気分を損ねたかな。」

いつぞやの酔っ払ったイヴリンを思い出す。先にも彼の飲酒した姿なんて見たことがなかった。どちらかというと彼は飲酒より食い気のほうが勝っているのでお酒を呑むという姿を想像をしたことはなかった。いやそれ以上に、彼の記憶が飲酒などしえない少年で止まったままだった。だからある種の衝撃的なものではあった。まるで子が知らぬ間に手を離れたような。

「いいえ。個人的な見解ですので。お酌いたしましょうか。」

「いや流石に客人の女性を置いて呑まん。それに私はあなたを預けられた身だからな。そんなことをしては無礼千万。」

ワインボトルを床に置いて脚を組む。冗談がことのほかすべってしまった、それどころか余計気をつかわせてしまったことに気づいて話題を変えようとする。真面目な彼女には真面目な話がいいかもしれない。

「あなたがたは西の邪神を目指して行くのだったな。」

「はい。まだ旅路は長く残っておりますがなるべく早く到達したいですね。」

「では余計かの悪いものに気をつけるべきだ。」

アルフレッドの目つきが興味のあるそれに変わった。やっぱりこういう話のほうが食いつきがいい。

「噂に聞く所、邪神復活の影響で魔の物が集まっているらしい。国外からも大量に流れてきて異常な状態らしいぞ。」

「なぜ…そんなことに。」

「邪神の手下、っていう説が有力説らしい。大陸の魔力のバランスが崩れ始めているから外の国の悪い魔の物が入りやすい状況になってその手引きをしているのが邪神とかなんとか。」

マモノと魔の物。しっかりとイントネーションまで変えて差別化しているように聞こえた。だからといって彼は批判的な差別をしているわけでもない。むしろすべてに中立であるとも言える。魔の物、種族的なものではなく悪しき物として表している。この国での表向きマモノ差別を言葉狩りして彼らの種族をその字を使って書いてはいけないことになっているのだ。アルフレッドも友人であるアメリアを魔の物だなんて言われたら穏やかではない。

「全てが邪神に収束しているんですね。」

「ああ…だからこそ殺しに行くんだろう?」

「そうですね。この国の諸悪の根源だから勇者は挑むんでしょう。」

「そういえば」

わざとらしくきょろきょろと見回す。

「冒険の仲間はあなただけか?」

「ええ。どうかしましたか。」

「いやいくらか前に会った『勇者』はお供を多く引き連れていたからな。」

「会ったことがあるんですか、前任の『勇者』を。」

エフがゆっくりと一度だけ頷いた。前任の勇者というのは厳密に言うと7人存在する。ここ10年ちょっとで隔年ペースで一人ずつ任命されて今の自分達と同じく邪神を退治すべく最西の地を目指した。その末に辿った結末を知らない。というのもどの勇者も消息不明となり知りようがない。その姿を見た人間も少ない。

「ある。といっても直接話したわけじゃなくて隣町にきていたのを見ただけだ。何人か連れがいて西の地へ向かう道を真っ直ぐ行っていた。話しかけるのも不自然かと思ってそのままにはしていたが。」

「あなたはどうしてそれが『勇者』だとわかったんですか。」

「その時も襲ったからな。」

そう言うと男はシニカルに笑う。

「嘘だよ。武器に王国政府の特徴的な魔法刻印が入ってた。多分彼らを見出した聖なる神々の象徴のな。騎士団だとしたらこの街なんか通るわけがないし丁度勇者出奔のニュースの後だったからな。」

「そしてその後…行方不明のニュースも聞いたと。」

「ああ。郵便局公式新聞をとってたからいち早く入ったよ。本当残念だな。今年こそはと思って見ていたんだが…結局は抗えないのかと。」

その目は悲しそうでもあり諦観でもあった。その目つきが少し気に食わなかったので何も言葉を返せずにいると彼は少し身を乗り出して心配そうに覗き込む。

「あなたのマスター登録はイヴリンさんで確定しているのか?」

「マスター登録……そう、なのでしょうか。ただ大事な仲間ではあります。」

マスター登録というのは言わずもがな自動従事人形における絶対的な主である人間を確定させるときに行う処理。この状況ではもちろんイヴリンが対象であると言えるがどういうわけかそういうようには感じられない。まず不良品廃棄以降その処理をした覚えがないし、本当にそうだったのなら必ず彼に対し激しく慇懃でへりくだった言動を行うはずだ。

「彼と仲がいいならそれでいい。彼の両親は『勇者』に出すことに対して言及しなかったのか。猶予があるなら尚のこと、『勇者』はこれまでの実績の通り危険な役割じゃないか。」

『勇者』という役割を背負ったことをそれは単なる心配でありふれた質問のように表上とれたが、エフの目つきは疑問を呈しその真意を本気で聞いているように思えた。この質問に対する答えはひどく明瞭で残酷だった。

「イヴリンの育ての親御さんであるお婆様は先日亡くなりました。…実の親は、わかりません。」

「わからない?」

「私がルーネイティ…彼の親友に聞くところによるとイヴリンは捨て子だったそうです。それも幼児ひとり川に流れていたところを拾われたそうで。彼の苗字もまたそれに由来したものです。」

それはたった一度だけかの親友が口にした彼のフルネーム。その後一度も言うことはなかったし、本人もその名前を口にしたがらなかった。

「イヴリン・オフィーリア。それがフルネームです。」

「オフィーリア…そうか絵画の…」

この男は世界をまわったことがあるのだろうか、その絵画はアルフレッドのメモリーの中に文字だけ残るもの。実物はこの大陸には持ち込まれたことはない。だからぱっとわかる人間のほうがこの国には少ない。

「村人の話では川上から流れるヒロインを描いたそれに酷似していたためにそう名付けられたそうです。」

幼少期のイヴリンは細く小柄で可憐な顔つきだったために少女に見間違えられてもおかしくはない。

「私の前でその名を名乗ることはなかったね。」

「失礼に思われたなら私が代わりに謝罪します、申し訳ありません。しかしながら彼の口から直接その苗字を聞いたことは私もないのです。そしてこれまでも誰かに名乗る時もきまってあなたの時と同じでした。」

「彼は意図的にその名前を名乗ろうとしないというわけか。嫌いなのかな。」

「イヴリンという名前も、オフィーリアという性も彼の育ての親のお祖母様が考えたものです。そしてイヴリンはお祖母様を本当の親として尊敬し心を寄せていたんです、そんなお方からいただいたお名前ですから…」

いつだってイヴリンはイヴリンという名前を嫌ったりはしなかった。同じ宿に泊まり名前を告げた時アルフレッドが男性に間違われるのと同じくらいイヴリンもまた女性に間違われる名前であった。それでも厭うことなく毎回訂正してその名前を大事そうに口にする。

「オフィーリアという苗字だけを嫌うだなんて…」

「…まあ、イヴリンとオフィーリアとくれば完全に少女を連想する名前だからあえて口にしないだけかもしれない。ややこしいし。」

「失礼します御館様。」

黒髪の階級が上そうな気品のあるメイドが一人テラスに現れた。

「お客様がいらっしゃっていますがいかがなされますか。」

ここは邪魔しては悪いと思い引き下がろうと思ったのだが、どうやらエフの顔は訝しげだ。この状況がおかしいと言わんばかりに顎に手を添えた。そして同意するようにメイドも深く一度頷いた。

「この館は案内なしでつくことはできないんだ。よほど近くまでせまらないとそもそも見えないのだからな。」

屋根の上を指差す。そこにあったのは一本の風見鶏だった。ただの風見鶏ではないのはなんとなく察知できた。ぴんとくるのは…

「魔法障壁ですか?」

「そうだ。この障壁によってここを変幻自在に拡張し、更にはこの館の姿を街より隠している。だから最初から場所を知っているか同伴がないとここにはたどり着かないんだ。客人は名乗ってるか?」

「レイン、と。」

「あっ。」

アルフレッドが思わず口をおさえて小さな声をあげたので二人が驚いたようにこちらを向いた。

「知り合いか?」

「はい。商人の方です。よくお世話になっています。」

「なんだ…セールストークなら帰ってくれと…」

言いかけてエフははっと息を吸うとメイドに目線と手の動きで何か指示をした。それを承ったメイドは早足でその場を去る。そして厨房で話していた茶髪のメイドが代わりに現れて部屋まで案内すると伝えた。

「エフさん?」 

「部屋に籠ってじっとしていてくれ、私がいいと言うまで出てきてはいけないよ。ノインは彼女を3階の客間に頼む。」

「かしこまりました旦那様。」

状況をのみこめないままアルフレッドは起立を余儀なくされてノインと呼ばれたメイドの後ろについていかざるを得なくなった。なにかただ事ではないことが起こったのは確かだった。

その戦力になりたい気持ちでいっぱいだったが自分はなにひとつ戦うことなんてできない。そのことに気づいてがっくりと肩を落としそうになった。メイド人形として正常に稼動していても戦闘機能なんてものはついていない。できるのは掃除洗濯炊事…ただそれだけだ。それでもいいと思っていた。それが当たり前だと思っていた。だけどイヴリンと旅をして疑問を呈するようになっていたのだ。

『ここでじっとしていて』『俺の後ろに隠れて』そんなことばかりイヴリンは力になろうと考えると優しく言ってくれる。


結局頭の中で色々思考を巡らせているエフに視線をまっすぐ向けて言葉をかけることしかできなかった。

「どうか…よろしくお願いします。イヴリンが帰ってきたら彼のことを。」

「…ああ。善処するよ。」

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