10話

翌朝、陽も登らないうちにイヴリンとアルフレッドは荷物をまとめて宿を出ることにした。ここで1日多く過ごしてしまったのでなるべく時間を詰める必要があったからだ。次の満月まではまだまだ長いがやはり余裕を持つことは大事。当の本人のイヴリンはあくびをして半分眠った状態で自分の身支度をしているが。

「あれでよかったのか?」

「あれって?」

「吸血鬼のローレンスさん。もうあの自身の死についても伝えて手紙も渡したんだろ。っておいうことは間違いなくいなくなったってことじゃないのか。」

「まあ…そう。もう彼女は亡くなっているのだから。」


手紙をもとに調べてみたところエミリア・ローレンスは50年以上前に亡くなっていることが明らかになった。というのも郵便局もその何十年ものあいだ母親にその死後の法的な処理についての手紙を出していたが手紙の受理がされていなかった。それがチコの言った言葉の意味だった。そしてあの部屋を借りていた名義を奥方に尋ねたところ『エミリア・ローレンス』ではなく『エヴァ・ローレンス』、つまるところ彼女の母親だったらしい。


エヴァが病に伏して亡くなった場所はあの一階の一番奥の部屋だった。


「彼女が決めることだもの。」

「とはいえ寂しくないのか。」

「えらくとっかかってくるね。ご心配ありません。」

「あの子は私の胸の中に、ってことか?」

こんこんと部屋のノックが聞こえた。この部屋を朝早くに出ることは管理者の奥方には伝えてあるから代金の請求だろうか。ねぼけまなこのままで扉を開けようと歩み寄ったより早くその扉は開いた。

「おはようございます、勇者様。」

そこにいた人物にげっ、と声をあげて驚いてしまった。


エミリア・ローレンスその人だったからだ。


彼女はアルフレッドの名前を口にして近くに呼び寄せた、どうやら挨拶がしたいようだ。もうすっかり姿を消したのかと思っていたのは一人だけだったらしく二人は少し言葉を交わして世間話をした。

「イヴリン、彼女は真実を知ってなおこの世に留まることに決めたの。今度は吸血鬼としてではなく昼間に歩く幽霊としてね。」

「なんだ…早とちりしてしまったな。」

「お二人にはとてもお世話になりました。朝旅立つのは知っていたからこうして挨拶に伺ったのです。」

彼女の足首に黒いリングのようなものが見えた。それは例の黒い模様なのはすぐにわかったので彼女に問いかけたがふるふると満足そうに首を横に振った。どうやらあれだけ侵食を続けた結果完全には取り除けなかったという。それに悪いマモノではないことがわかった以上このままでも構わないと言うのだ。

「夢の中では母に会えますから。それに私だって急には成長できませんしね。レインさんにもお伺いをたてたところ問題はないだろうとのことでした。」

紙袋を片手にしたアメリアを部屋の中に通す。外は少しだけ明るくなってきた。紙袋をずいっとアルフレッドの手元におしつけた、おそらく遠慮深い彼女の性格を思っての強引な行動なのだろう。受け取って丁寧に中に入っていた箱を床に置いた。


ゆっくり白い上箱をとるとそこに姿を現したのはヒールのついたお洒落なブーツだった。驚いて顔をあげたアルフレッドは首を横にふるふると振った。


「お母様が使ってたみたいでね。ヒールつきで申し訳ないのだけれど。」

「いただけません、こんな立派なもの。」

「よかった。あなたが気に入るなら貰ってちょうだい。裸足じゃあんまりよ。」

「ですが…」

「もう!私はあなたは友達って言ってくれたじゃない!お礼にちょっとくらいプレゼントさせなさいよね!」

わざとらしく怒ったジェスチャーを入れて天真爛漫に笑っている。どうやら照れ隠しのようだ。困ったようにこちらを伺ってくるのでイヴリンも壁にもたれてはぐらかすように目を伏せて口角をあげた。

「いいんじゃないか。友達同士ならプレゼント交換もするだろ。」

その一言を聞いてアルフレッドは許されたように意気揚々と床に座りそのブーツを足にはめた。サイズはおどろくほどにぴったりだった。エミリアも柏手をうつようにして嬉しそうにしていた。ヒールで疲れないかということも人間と違って疲労のたまる筋肉は持たず、更にはバランス感覚も桁外れて優れている彼女には問題外ですぐに身に馴染んだ。

「似合うわ!とっても!アル!」

「はい、ありがとうございます。エミリア様。」

「えっと、なんだか私だけこんな口調じゃ馬鹿みたいで恥ずかしいじゃない…。アルも敬語はやめましょ!私達お友達になったのだから!勇者様だけじゃずるいわ!」

その言葉をきいて数秒考えて、咳払いをした。

「素敵なブーツをありがとうエミリア、大事にする。」

エミリアは満足そうに、だけどまた照れたように笑って頷いた。そして今度はイヴリンのほうへと歩いてきた。流石に年頃の少女を極めた彼女の身長はいくらも下で少しだけ膝を折って彼女の言葉を待った。

「あなたのおかげで私は大事な存在と大事な想いを取り戻すことができた。本当にありがとうございました。」

「俺は何もしてないぞ、アルフレッドだろう?」

「いいえ。彼女に諦めるなと教えたのはあなたでしょう?」

あの時のアルフレッドはまるでその言葉で人形から覚醒し起き上がったようなものだった。誰よりも彼女を人形ではなく『親愛なる友人アルフレッド』にしたのはこの男だ。そのことにどうしても感謝をしたかった。ここでこうして出会わせてくれたことに対して。大したことはしていないといった風にとぼけるこの男がなんとも憎らしく誇らしい。

「本当にありがとう。勇者様。」

「あ、あのさ。そのさっきから勇者様っていうのやめようぜ…俺は別に…」

「いいじゃない。だってあなた『勇者』でしょ。」

「ええそう。イヴリンさんは勇者様よ。間違いなく。」

エミリアはおかしそうにくすくす笑った。

「ごめんなさい、最初あなたの瞳が不気味で怖かったの。だから寝たふりしててくれたんでしょう?」

「寝たふりだってわかってたのか?」

「お母様は見ていましたからねあなたを。」

全員にばれているとわかると少しだけ気まずいものがある、もう少し演技をうまくしたほうがいいかな。女性の部屋でバレバレの狸寝入りなんてルーネイティアに言えばからかわれてしまいそうだが。

「だけれど今は違う。今お外に広がるお空のように綺麗ですもの。朝でもなく夜でもないお空。あなたはマモノも人間も際限なく接して救ってくれた。そんなあなたは勇者以外の何物でもありませんよ。」

イヴリンが頰をぽりぽりとかく。なんだかその様子がおかしくてエミリアもアルフレッドも静かに笑い出してしまった。それがもどかしかったのだろう話題を変えてこれから幽霊となりどうするつもりか聞いた。

「まだ考えていません。始まったばかりですから。ただひとつだけやりたいことはありますね。」

少しだけ恥ずかしそうに頰を両手でおさえて、てへへと笑う。

「このお宿にいるのにまだ奥方様の朝食を食べておりませんから。部屋から出て朝食を食べて…街で買い物をして、そしてゆっくり考えようと思います。」

「そうか!ここの料理は美味かったぞ!肉も野菜も魚も!」

「あなた酔っ払って帰ってきてもお夕食だけはしっかり食べてたものね。」

呆れたようにアルフレッドが隣から指摘する。仕方ないだろ、とか言い訳を始めた見苦しい勇者を尻目にそろそろ出発の時刻が迫っていることを伝える。エミリアはくすくす笑ってからあの時アルフレッドがやったように優雅にドレスの裾をひろげてお辞儀をすると凛とした声で祝辞を述べた。


「旅のご無事を祈っております。我らが勇者、イヴリン様。親愛なる友人、アルフレッド様。」


不屈の笑顔で、彼女は見送る。





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