6話

翌日、イヴリンは外に出た。

本当はアルフレッドもついて調査にまわりたかったのだが朝からこの旅館の奥さんがてんてこまいしているところを見て放ってはおけなかったのだ。迷う素振りをみせていると外の調査は道のわかるイヴリン一人で十分だと切り出したことで事態は収拾した。

「昨日に続けてごめんなさいね、アルフレッドさん。」

「お気になさらず。」

力仕事が見た目とは裏腹に得意なアルフレッドに感嘆しながらこの宿の奥方はいろいろと手伝いをさせてくれた。荷物整理に洗濯物、掃除も裁縫もなんだってできるお客にいつか男の子を産んだら嫁いでほしいと言うくらいに彼女は気に入ってしまった。


仕事がひと段落したところで休憩に紅茶を入れた。お茶っ葉の割合も黄金比率を極めたその味にほっと一息をつく。

「あなたお茶いれるのうまいのね。」

「ありがとうございます。必要技能ですので…」

「あららそんな味ではなさげですけど。誰かのために淹れた優しいお味。」

思いも寄らずかけられたその感想にきょとんとする。まるで小動物でもながめるかのように穏やかな眼差しでお茶を眺める奥方は若い頃はたいそう美人だったのではないかと思わせる風貌だった。

「私の将来の子供よりあなたには想い人がいましたね。」

「はて…?」

「あらやだおせっかいでしたね、ふふ。」

食器棚の上に花柄の枠のついた写真立てが置いてあった。背の届く範囲ではなかったもののそれは鮮明にみえた。どこか漁船のような小さな船の上で若かりし頃の奥方が笑っていて、その背には広い広い海原が広がっている。奥方の隣には手に辞書のようなものをもって強張ったようにそれを読んでいる青年がいる。これは旦那さんだろうか。釘付けになっていることに気づいた彼女は照れくさそうに話し出した。

「あの人ったらおかしいんですのよ。私と出会って1年くらいはずっとそんな感じ。お話するのに言葉を辞書で引いて、そしてやっと言葉を話すんです。それも大げさなものじゃなくて名前とか住んでた土地とか。」

愛おしそうに写真を眺めている。

「そして近所にたくさんお花が咲いてたとかピンクのお花が好きだったとか言うと目を輝かせて聞くんです。そんな些細なことでさえあの人の世界はぐんぐんと広がったのでしょうね。無限大に、楽しげに。」

手でさらっと写真たてを撫でるとアルフレッドも心のなかに不思議なあたたかなものを感じながら同じ想いにふけった。

あの人の世界は無限大に楽しげに広がる。

「わかります。本当にそこにあるような目をするんですよね。」

奥方もおかしそうに笑った。

テーブルの上に広げられた新聞をみてハヤブサを思い出した。そういえば手紙は届けられたのだろうか。奥方に頼んで郵便屋が来たらエミリアの手紙は廊下に置いておいてくれと言っていたと伝えてもらったのだが。同じように彼女も気づいたのか手の平を客室のほうへ向けた。

「あの男の子なら手紙を朝にも置いていきましたよ。」

「…」

「…気になるのでしょう?もうあとは私一人でも軽いくらいの仕事です。」

彼女が半ば強いるように言ってくれたおかげでエミリアの部屋を訪ねる心構えができた。寝ているときにあの黒い模様が広がっているとイヴリンは言っていたが今行けば正否がわかる。お言葉に甘えさせてもらい一言礼を言うと一階の一番奥の客室へと歩いていく。


嫌な予感がして早足で駆けてきたがそれは的中してしまった。

客室のドアの鍵が開いていたのだ。いそいでノックをして何回か声をかけたが返事はなく、無礼を承知でゆっくりとドアを開けた。

昨日は寝室でおさまっていた黒い模様が一気に流れ込むように入り口まで広がってきていた。もはや模様というより黒い沼でもひろがっているかのようだった。アルフレッドの素足にもその黒いどろどろしたものが届く。昨日は模様としか認識できなかったのに今日は液体のように足をとるのだ。

必死になって前に進んでいき彼女の寝室にまで行き着く。

「エミリアさん!これは…」


彼女のベッドサイドに、なにかがいた。

それは視線が合うと三秒ほどで消えてしまったが黒い人のような犬のようななにか動物の形であることは確かなのだがなにとも形容できないものが。


これがこの黒いものの正体か。


ひとまず少女の無事を確かめるためにできるだけいそいでベッドの近くに行く。走っているつもりだが足をとられるせいでひどく滑稽な動きをしていることだろう。やっとのことたどり着いた彼女はひどくうなされた様子で眠りに落ちている。起こしたほうがいいのだろうかと迷っているとベッド近くの小さなテーブルの上に上質な紙で作られた未開封の封筒が二枚置いてあるのが見て取れた。そしてそこにあった一枚、最初の一文にアルフレッドはどうしようもなく悩まされた。


『ご家族様のご逝去について』


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