5話

いっぱいになったゴミ袋を廊下に出して両手をはらう。不眠症で眠れずに夜中の清掃に精を出す人間はそれなりに存在するが、掃除に夢中になって眠らないという逆のことをする者はずっと珍しいかもしれない。それでもアルフレッドの中のなにかは疼いて仕方なかったのだ。あれだけちょっかいを出したにも関わらず今も床に転がしてねかせたままの男は起きる様子もない。なにかに怯えたままの少女はベッドの上で膝を抱えて座ったままばつが悪そうに身をよじらせた。

テーブルを拭くために持っていた濡れ雑巾で黒く染まっている床を拭いてみるが

やはりこれは埃などの類ではなさそうだ。水に揺蕩う髪の毛のようにゆらゆらと動いてすらいる上に、この模様から魔力を感じる。

「それは拭いてとれるものじゃない…」

見かねたのか少女のほうからそう断言してきた。月明かりとろうそくの火だけで照らされた室内でアルフレッドはくるりと振り返って彼女のほうを見た。察しはついていたと言わんばかりの目つきで。

「そう言い切れるということはこれがなにかわかってらっしゃるのですね。」

身を縮こまらせる。都合が悪いといった風に。

「教えてくださればなにかお力になれるかもしれません。」

「…人間に、わかってほしくなんかないです。」

「人間が、差別をするからですか。」

はっと少女が顔をあげた。その言葉をかけるということは少女の正体がいくらかわかっているということに聞こえたからだ。アルフレッドはふうっと息を吐いて覚悟をきめると、自分の右手の親指をめいいっぱい力を入れて引き抜く。ぐぐぐっと力が入ったところでそれはすぽんと抜けた。抜けた親指の根元からは血は出ず、代わりに丸っこい金属でできた関節だけが見えた。

「もう一本したほうがよろしいでしょうか。」

「もういいわ…!そんなことしないでくださいな…!私が悪かったから…」

「はい…、私も…」

親指をローブのポケットの中に隠してふうとため息をついた。目線の先には壁に顔を向けて寝転がるイヴリンの姿が。

「もうやりたくはありませんね。」

視線を再び少女のほうに向けて今度こそは話してほしいという強い意志を伝えた。根負けしたのか彼女も諦めて脚を床におろして警戒を少しだけ解いた。

「それと…お嬢様とよぶのもおやめください。私はエミリアです。」

「わかりましたエミリアさん。私はアルフレッドです。」

「えっあなた男性だったの?」

「よく勘違いされます。ですが私はBタイプ…女性型ですので女性になります。」

よく理解ができないのか少女は少し唸るようにして下から上まで見回す。言い方がまわりくどいせいで理解が難しいのだろう。もう少しわかりやすく補足しようとして口を開いた。

「性自認はあるので女性で間違いないです。」

「すごい面倒な言い方するんですね。あなただって生き物なのに。」

「人形が生き物に入るかはわかりかねますが…」

エミリアはおかしそうに笑った。そしてなにかに怯えたように手を胸の前できゅっとにぎると意を決したかのように話し始めた。

「私がお嬢様だなんて呼ばないでと言ったのには理由があります。私は…長年を生きる所詮“吸血鬼”であるためです。」

彼女がちらりと何かを促すように視線を送ってきた。そこにあったのは宿の備え付けの姿見で本来なら角度的に二人を捉えることになる。けれどそこに反射して映っていたのはアルフレッドただひとり。


吸血鬼は鏡に映ることはない、そういう話があった。


なるほど彼女が吸血鬼という話は本当らしい。

「夜というのは活動期間なのでは?血を吸わないと生きていけないのでは…」

「幼い頃母に教わりました。私は夜に活動しない、俗に言うデイウォーカーという種族になります。夜に外に出ることが大半の吸血鬼の世間の印象とは真逆で苦しいのです。」

吸血鬼の肌は本来夜に行動するために白いものになるときいたことがある。恐らくそれが一番メジャーであり多くの吸血鬼が属する”ナイトウォーカー”になるらしかった。エミリアの場合は肌の焼け具合はアルフレッドより少し上程度でありその真逆で昼間のみに行動する”デイウォーカー”であり今の時間帯は逆に外に出たくないということらしい。

「でも今は昼間に行動することができない、なぜなら私は眠っても眠っても疲労困憊で起きるはめになるからです。」

「なぜですか?睡眠というものは記憶整理と疲労回復の効果を持っています。」

医学的な見地から意見するがそういうことじゃないと言った感じで首をふるふると横に振った。窓からさしこんだ月明かりが少しずつ動いてベッドの上を照らす。

「わかりません…ただひどく疲れるのです。そしてそのたびに…」

月明かりを避けるようにしてベッドのまわりにうごめいているその黒い模様を指差した。

「増えていくのです。これが。」

苛立ったかのような声でそう呟いた。自分でもわからない、というのが一向にもどかしくてたまらないのだろう。拭いてもとれないこれの起源を探れるまではこの宿の人間にあわせる顔がない、そしてその起源を探る糸口すらないがため煮詰まって心苦しくなっている。それが更に疲労を蓄積させている。

アルフレッドは立ち上がるとゆっくり歩みを進め、両開きの窓を開いた。今夜は風を通せば涼しい心地のいい夜。風に少女の淡い茶色の髪の毛が揺れる。彼女とその後ろにいる男に交互に目配せをする。

「お疲れなのでしょう?エミリアさん。長くお邪魔して失礼いたしました。」

「…いいえ。お部屋のお掃除までありがとうございました。色々とお世話をかけて本当にごめんなさい。」

「私達が協力できることがありましたら遠慮はいりません。またお声がけください。そこの御人は今のように寝落ちているかもしれませんが私は本来は睡眠の不要な人形、お時間も気にする必要はありませんから。」

ベッドを少し整えてから、転がっていた男の腕を肩にかける。そのままぐいっと背中に引っ張って結果的に彼をおぶることになった。エミリアはベッドにはいりながらその光景を眺めていたが少し笑ってしまった。だけれど二人が協力しあい信じ合っているように見えて少し羨ましくもなった。

「おやすみなさい、アルフレッドさん。」

「おやすみなさい、エミリアさん。」

ふたりは静かに言葉を交わして部屋を後にした。




そして背中に抱えたまま階段の手前に差し掛かった頃、とんとんと肩をたたかれた。イヴリンがのそっと目を開けて背中から降りた。

「背負いすぎだって。」

ぶっきらぼうにだが恥ずかしげもなく彼はそう言うと、巻き込んでいたマントの裾をのばしていた。あとでアイロンにでもかけようかといらぬ心配もするがそれ以上に彼に言いたいことがあった。


さっき部屋にいる間、途中までは確かに寝ていたのに途中から明らかに目を覚ましていたからだ。音を捉えることに関しては得意なアルフレッドは彼の寝息が途中から演技じみたものに変化していることに気づいていた。そしてイヴリンも同様に気づいていることを察したかのように窓を開ける時に目をあわせてきたのだ。その時に顎で外に出るように促したからアルフレッドは部屋を出ることにした。

「体重、増えた。」

「お前が言ってるのは10歳もしない頃の俺と比較してだろ。」

「そうだけど…成長したのだなと。」

何倍もの体重と身長になっているこの男に今更言うことでもない。けれどいつの日かまだ身体能力が追いつかず走って転んで歩けなくなっておぶった子供しか背中には抱えたことはなかったのだから、これくらいは言わせて欲しいと思った。

二人の客室は螺旋階段の先、二階にある。そこをのぼりながら本題を切り出した。

「どうして外に出ろと?」

「ローレンスと長く喋っては彼女が疲れる。」

「そう、だね。疲れが顔にでてた。」

一段一段のぼりながらふたりは言葉を交わす。時刻はもうとっくに日付をこえた真夜中。早いとこ寝ないと明日にさしつかえるとイヴリンがのびをしながら欠伸をする。唐突に階段の途中でアルフレッドは立ち止まった。その意味もとうにこの男はわかっていたのだった。

「あの黒い模様の正体が気になるか。」

「わかるの?」

「あれがなんなのかってのはわかんないけど出元は察しがついた。」

一面ガラスの外では昔からかわることのない星々が輝いている。ただあの三人で過ごした土地よりかはいくらも灯りでかき消されてしまって流星は拝めそうにない。アルフレッドはふわりと髪の毛を揺らし前を行くイヴリンを見上げた。

「ローレンス本人だ、厳密に言うと睡眠時に放出している。」

「エミリアさんは心当たりがないと言っていたけれど。」

「彼女が眠るベッドから生えるようにでてたことやあの部屋が密室であることを考えるとそうとしか言えない。それにあの魔法を出せるのはこの宿で止まってる中であいつしかいないわけだからな。」

“あの魔法“。

その一言ですぐに気づいた、『原罪魔法』のことだ。明らかに回復魔法ではないあれを知らずのうちにアルフレッドが出しているわけもなくこの宿にいる奥さんもまた人間でありあの魔法は扱えない。もしかしたらこの宿の主人かもしれないがもしそうだとしたら動機がうかばない。

「心当たりもないのも仕方ない。本来この大陸のデイウォーカーはナイトウォーカーに比べ魔力は弱いし、吸血鬼にあんな能力はない。なぜだ?」

日中人間に紛れて生活するデイウォーカーは紛れるために魔力をおさえめにして生活をする、それが順応されてきた結果どんどん弱まっているのだ。魔法に大きく適正のある程度の少女であるといっても過言ではないほどに。

そんな彼女があんなものを生み出す力がどこから出ているかがわからないし動機も本人さえもわからない。イヴリンはこめかみに人差し指をあてた。アルフレッドが外の月を見上げて珍しく気まずそうに切り出した。

「邪神の元につくのに、期限がありましたよね。」

先の村からここへ来るまでの馬車の中でこの男が説明した内容にそれはあった。


邪神討伐のために我々に与えられた旅の時間は次の満月の夜まで。

満月の夜には邪神のもとへ辿り着かなければならない。


その一言を聞いてイヴリンは迷うことなく答えた。

「アルフレッドはどうしたい。」

質問に質問で返された。だがアルフレッドは一度ゆっくりと瞬きをして考えをめぐらせた。この旅が期限つきである以上、計画が狂わないように先もって進むのが正解だ。西の地まではまだまだ距離はある上に道も二人とも迷わないとも限らない。だから一歩でも多く歩み続けるのが正解のはずだ。

「あと1日、この地で過ごさせていただけないでしょうか。」

必死なその一言を聞いた。

そして表情の変化は乏しいながらも長い付き合いで感じられるその僅かな決意にこの旅の先導者も口角をあげた。

「いいよ。」

今日は新月、星が綺麗な日だ。

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