7話
晩になる頃に人形は夜明けの空を眺めていた。
この狭いフェンスに囲まれる日はもう少しでおしまいだ、今日の朝一番でここからはいなくなるのだ。粉々の部品だけになって。
廃棄予定だということはかなり早めに聞かされていた。別段恐怖などは抱いていなかった。元々ここには不良品として投棄されていたのだからいつか来る日が来たというだけ。せめて自分のパーツを出汁にして後に生きる人形が社会に貢献する結果を残してくれることが最後に祈るべきことなのか。
投棄される人形は晩のうちに工場の中で待機していろということだったか。ここでじっとしているのも時間の無駄だなと芝生の地面を立った。
ふと、フェンスの揺れるガシャンという音がした。
誰か入ってきたのだろうかとそちらを振り返るよりも速く人形の肩が強く押された。思わず態勢を崩して地面にへたりこむとその犯人の顔がよく見えた。
彼の後ろに見える薄い三日月と同じものを瞳に宿した青年、よく風に揺れていた灰色の髪の毛。すっかり身長が平均より高くなりがっしりした男だったが彼をよく知っていた。
彼は一発パチンと人形の頬を叩いた。
もちろん人形の痛覚はあれど人間のそれよりずっと鈍い。
男の息がひどく乱れているのがわかった。
「馬鹿か、お前は。」
またもう一発、さきほどより脱力したようなビンタがとんでくる。というよりここに来るまでで力を使ってしまいもう出す力が少ないといったところだろう。当たり前だ。隣町からここまでは道にたまたまやってくる行商の馬車を使わねば歩いて2時間はかかるような距離。この時期はリリィフェスティバルで隣町からの馬車の通行が規制しているのだからそんなものは拾えないとわかっている。
「お前の死は諦めのそれだ。お前自身に意思がないんだ馬鹿。」
「馬鹿じゃないよ。」
「馬鹿だよお前は!」
一際大きい声に思わず人形は諭すように反論する。さっきから語彙も乏しく馬鹿としか言わない彼が子供のようにしか思えないからだ。
「私は元々死ぬためにここにきたんだ。誰も気にしない。」
「隣町から1時間かけて走ってきた奴がいるだろ。」
「…あのね。」
表情を変えずに首を横に振る。
「諦めて、大人になるの。私は不良品でこれは大人が取り決めたこと。そしてあなたが傷つくことでもない。傷つかない大人になって。」
その言葉により一層激昂したのか雄叫びをあげて今までで一番強く顔をパンチした。これには流石に人形もこたえて殴られた右頬を手でおさえた。
歯をくいしばってその隙間からシィともハァともとれないような息を漏らしながらその男が怒りの表情を見せてくる。
「あの時もお前はそうやって思ってたんだろう!俺を見送る時!」
ずかずかと近寄って胸ぐらを掴みあげる。
そして聞こえないとは言わせないと言わんばかりにまっすぐに目を合わせて大きな声でしゃべりだした。
「諦めることと傷つかないような人間になれとか思ってたんじゃないのか!今言ったみたいに!」
その言葉に人形はなにもかえすことができなかった。
堪をきったかのように男は喧嘩腰でしゃべり続ける。
「残念だったな!お前の期待通りになんていかない!俺は傷ついてやる!これから何度でも傷ついていってやる!傷つく人間になってやるよ!涙を流して悲しんだり、誰かの辛い心と同調したり!傷つかない人間になんかなってやらない!」
ぐいっとより一層手をよせて距離を近くする。
「世の中にはそういう人間もいてほしいからだ!」
「そんな…そんな人は大人気ないよ。」
「そして諦めてなんかやんない!…お前に拒否権なんてないぞ、お前だって諦めてはいないんだからな!」
すっと手が離される、またちくちくとした芝生の感覚が戻って来る。それ以上になにかの感覚のほうが強かった。右頬だ。いやそれはおかしい。この数年で何度もこの工場の主に殴られ折檻を受けたが一度だってこれほどまでに痛みを感じたことなどなかった。それは人形本来の感覚で当然であって、それなのに今なぜこんなにも。そして身を包む闇のような感覚もある。これはなんだろうか。
「待っててくれたんじゃないのか。俺がいつか帰ってくる、会いにくるって信じて諦めないで待ってたんじゃないのか。なにより諦めないで、傷ついて待っててくれたんじゃないのか。」
その瞬間にこの感覚がわかってしまった。
結局待ち続けていたんだ、諦めなければと自分で一番いっていたくせに結局諦めがつかなかったのは自分のほうだった。彼とルーネイティアを失ってから実はどこか傷ついていたのは自分だった。
右頬が余計に熱を増したようにじくじくと痛み出した。
「俺達はすれ違ってなんかいなかったんだ、ただもうすこし歩み寄れなかっただけなんだ。ただ一歩の違いだ。そこを正すのに時間がかかってしまった。待たせた。」
彼が手を伸ばす。
そして人形もその白い手をすこしためらってから、伸ばした。
死ぬことに傷ついている。
生きることに諦めたくない。
それを全て認めたということだった。
力強い手はその勇気ある手を頼もしくひきあげた。
人形は立ち上がると初めて困ったようにだが微笑んだ。
「女の子を殴るなんて、痛いよ。イヴリン。」
ちょっと照れくさそうにしたイヴリンはそのまま彼女の手首をひいてフェンスの方に走っていく。ちょうど廃棄の時間がきたのだろう、工場の主が小屋から出てきて脱走を企てる二人を見つけてかんかんになって追いかけてくる。
げっ、と言わんばかりの顔をしたイヴリンは急いで人形を先にフェンスにのぼらせる。いくらか手間取りながらも彼女を外側へおろすと続くように外へ飛び立つ。そのまま二人は村の外へと続く道を走っていく。子供のようにすこし跳ねながらまるで悪戯でもしたかのように。
「これからどうするの?」
「『邪神』がいる方向に行こうと思う!お前…えっと…ああもう面倒だな!」
もどかしげな声をあげたので人形は隣を並走するその灰髪を目に留めて、すこしして彼が口元に手をあててなにかを考えているということに気づいた。
「お前は今日から『アルフレッド』だ!とりあえず村を出るぞアルフレッド!」
その言葉を聞いて胸がすこしだけ高鳴ったのがわかった。
口元を緩ませそうになるのをこらえて、
アルフレッドは一度元気よく頷いた。
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