4話

翌日の昼。


またフェンスの前が騒がしくなった。人形はそこへ近づいていってその原因を知ることになった。人混みの中で俯いているのはイヴリンだった。

フェンスの中で針金がかたどるひし形の空いた部分に指を絡ませる。彼になにかあったのだろうか、昨日は彼の保護者の老婆が倒れたと聞いた。もしやと最悪の事態を思い浮かべて耳を傾ける。


「なあ!村を出るって本当かよ!」


そう言って腕をつかんだのは親友のルーネイティアだった。

身の着のまま出てきたような彼とは対照的にイヴリンの背中には大きな荷物鞄が背負われていた。まるで旅にでも出るような。彼は唇を噛み締めながら小さくて骨ばった手を震わせた。


「バアが病院にいるお金がね、ないんだ。だから僕が働かなきゃ。」


そっと胸を撫でおろした。どうやらまだ存命だったらしい。最悪の言葉をきかなくて済んだことを安心したがそれでも悲しい話には違いない。村の大人達はなにひとつ彼を引きとめようとはしないがルーネイティアだけは必死に訴えかけている。仕方がない、子供のときの突然な離別は理解に苦しみ受け入れがたいものだ。


「大丈夫、ルナ。僕は強くなるよ。もっともっと強くなってルナともまたたくさん遊ぶ。遊べるようになるんだよ。」

「なにいってんだよ!おまえはまだまだ子供で!」

「僕はバアの子なんだ。バアを助けたい。」


頑なに譲ろうとはしなかった。

優しげな男の人がルーネイティアの肩をつかまえた。顔立ちがよく見るとルーネイティアそっくりだ。察するに余る、あれは彼の父親だろう。大人としての面構えでイヴリンのほうへその気迫を向ける。


「本気でそう思っているのかい?」

「はい。」

「…君がこの村へやってきた時のことを思い出すよ。働き先については私も手伝おう。せめて出来ることはそのくらいだ。大事なルーンの友達だから違法な場所なんかで働かれることは防ぎたい。わかるね?」

「ありがとうございます。」


子供らしく舌ったらずに頭をさげてお礼を述べる。そういう礼儀は見よう見まねなのかしっかりできているらしい。ただ中身がないというか、多分子供心に彼にも今の状況がわかったのだろう。村の大人が心底誰一人イヴリンを心配するような目をしていないことを見る限り住民の総意といったところだ。

今はそれも都合がいいといったような表情だった。


「じゃあ行くから。じゃあねルナ。」


大きな鞄を背負い直して、もう一度直して、そのサイズはあの子には大きすぎる。人形は少し手を伸ばした。そういつもならその綻びを直すのは人形の役目だったのだから。だけれど彼は今ひとりで旅立つのだ。


もう私は必要ない。


満足げに一人手をおさめてスカートの布地をつかんだ。

そして同じようにズボンの布地をつかんで震える少年、ルーネイティアはまだ少し満足がいかないような顔で親友の姿を見送った。

その一瞬イヴリンと人形は確かに視線がぶつかりあった。

人形は追いかけなかった、それからイヴリンも振り向くことはなかった。



いつか大人になることをいち人形が手を伸ばすことで遮れはしない。

絵本を捨て、諦めを覚え、妥協を覚え、そして綺麗事を否定して生きて行く。

それは一見して酷く残酷なことに思えるかもしれないがそんなことはなく、ただ『大人になる』ということだ。

目の前の大人達がいい見本になっただろう。

だから強い大人になってほしい。

この先傷つくことなどないように。

私にできるのはそう祈るくらいだ、と人形は背中を向けた。


「いってらっしゃい、さようなら。」


工場の中で主が呼んでいる。

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