2話
翌日のこと。
一人の女性を真ん中にして二人の少年が座っていた。
草の生い茂ったこの場所は時折足を動かすとちくちくとささる。
彼女が持っているのは一冊の絵本。
そしてその本の最後の一文をよみあげてめでたしめでたしといったところにイヴリンはいつもの一言を投じる。
「ねえ続きは?」
「つづき?」
「続きなんてないっての!すっげーいい終わり方じゃんか!」
彼の反対側にいた少年がむっとしたように言い返した。
それにひるむことなく首をかしげていたままだったから寧ろそう言い返したほうが怯んでしまった。一方女性は本を閉じてイヴリンの瞳を見た。
「この終わり方が嫌い?」
「へんなやつ!」
「そういうわけじゃ…」
ふと三人向かって痛罵する声がきこえた。その声は子供であることが多いのだが今回はそれよりいくらか低いトーンで耳に入ってきた。子供心にそれが難しい言葉でもどういう意味かわかってしまう。女性の右脇にいた少年、ルーネイティアが立ち上がって高いフェンスを越えるように石を投げた。
「うっせー!あっちいけよばか野郎!」
大人たちは彼の姿を視認するとばつが悪そうに立ち去っていく。
そう、罵倒のターゲットは二人だけ。女性とイヴリンの二人だけに対してなのだから。それがこの幼い義勇溢れる少年には余計理解できないようだった。
「大人なのにおれより馬鹿じゃん!」
この村の大人がひそひそとイヴリンに対してこんな処遇を敷く理由は明らかだった。その瞳の色だった。夕空を映した瞳をしていたのだ。それは現実的にはありえないような模様。夕暮れと夜を映し出した色の上に三日月がぽっかりと浮かんだもの。比喩などではなくまるで写真のようにそこにあるのだから。きっと大人にはこれは不気味に見えるのだろう。
「ルナ。石を投げちゃいけませんよ。」
「むかつくんだもん!」
「だめだめ。あなたがそんな暴力的なことをする必要はないから。
手に傷がついてしまっている」
たった一枚の白いワンピースだけに包まれた胴からのびた白い手が小さな傷が入った手をにぎる。そのまま目をつむって力をこめると少年の傷はまたたく間に治ってしまった。
「はい。これで大丈夫。」
「すっげー!やっぱすっげーよ姉ちゃん!いまのって『じんこうまほう』って言うんだろ!俺のとうちゃんもできるけど姉ちゃんのすげー!」
「ルナのおとうさん、狩人だっけ。」
「うん。いのししとか倒すときにこうばぁん!ってやるんだぜ!
『こうせいまほう』っていうんだっけ…ねえちゃんもやってよ!」
「私は防壁魔法しかつかえなくて。攻性魔法がつかえたらこんなとこいないんだけどね。」
そっとルーネイティアの手から離した彼女の手の少し上、手首の部分。そこには切れ込みがぐるっとはいっていた。そしてそれは露わになった肘や膝、足首にいたるまで関節の部分すべてに入っている。触れた肌は二人の少年と変わらない人間の肌の柔らかさをもっている。瞳だって人間のそれだし髪の毛だって。ただ関節だけは今の技術ではどうしようもなかったのだ。
「…ごめんなさい。」
少年が泣きそうな顔で謝る。
「私に気を使わないで。」
「…でも僕。こうでよかったんじゃないかと思うよ。だってもしあなたがなにもかもできていたら出会えなかったんだもん。」
不謹慎という言葉がまだわからない少年のイヴリンは正直者でありながらも大人であれば憚られる言葉もすっと言えてしまう。それでもそれが本心で伝えるべきことだと思ったから。
「あなたたちがそう思ってくれたならいいの。私が『欠陥品』でも。」
この少女は今政府が後援を行っている事業『自動従事人形』の産物である。
だが名前はない。いやもしかしたら『レーベル』という名で言えばなにかあったのかもしれないが、彼女はそこに名前を連ねることなくここにいるのだから。なにより二人に対して名乗ったこともないのだから無いと言ったほうが正しい。
手入れもされていないぼさぼさ頭に煤のついた顔、みずぼらしい布だけの姿を見て村の人間はイヴリンと並んで陰口をたたく。そのたびに自分のことながら無関心で諦めを抱いている二人は何も返さない、その代わりに彼ら二人の一番の親友でありもしかしたら諦観などという言葉を一生否定しかねないルーネイティアが石を投げ返すのだ。
「それにルナが怪我しまくるんだから丁度いいよ。」
「あっ!今バカにしたなー!」
「馬鹿にはしてないよ。」
「イヴリンのいう通りだよ。平均的な小児男児に比べて怪我数が20%も多い。」
「むずかしいこといわないでくれよお!」
地団駄を踏んでもどかしい気持ちをなんとか表す。
それを見て思わずイヴリンはおかしそうに笑った。
女性はただぽかんとそのやりとりを見ているだけで表情を崩しはしない。
ただその冷静な態度のおかげで二人の遠く後ろに近づいてくる影について気がついていた。顔を真っ赤にして肩を強張らせて歩いてくる人間。
この時間を終わらせることを告げる中年の時報。
「さあ今日はもうお帰り。」
「げ!やべーおっちゃん来ちゃったぜ!」
ルーネイティアが勢いよく立ち上がって走り始めた。身長の何倍も高いフェンスを越えるために助走を必死につけてその運動神経を活かすかのように速く、速く。だけれどその後ろをついていくのろのろと鈍臭い華奢な男の子は足がもつれて転んでしまった。
「わっ!」
草原とはいえその根元にはごろごろと小さな石が隠れている。その切っ先は容赦なくそのやわらかな肌を傷つけた。滲んだ血が膝小僧を染めた。思わず女性は右手をのばしたが左腕を気持ちの悪い汗ばんだものがつかんだ。前に、進めない。
「お前こそこそと何をしてやがる!」
そのその男が人形の左頬をぶった。
これも慣れきってしまったためなのかわからないが、少し痛みを感じてはいても何も思いはしない。多分人形としてそうデザインされてしまっているのだろう。給仕として必要な能力だったのだろう。
一方のイヴリンは少しだけ表情を渋らせてその痛みに感じ入っているようだった。親友の少年は憎み口もなにも言わずにその体を背負ってフェンスまで運んでいく。少し高くかかげてできるだけ楽に越せるように手助けをする。
後ろにそのまま引っ張られて女性は暗い暗い工場の中へと吸い込まれていく。青い空がどんどん遠くなってやがて重苦しい音と一緒に閉じられた。
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