第一章「一歩分の歩幅を」

1話

「おしまい」


約5回目の朗読が静かに終わった。

濃い灰色の髪の毛をさらりと撫でる。

子猫のような体躯をした少年はその瞳で最後ページの絵を見る。青年が女性の肩を抱いて笑いあっているものだ。とても微笑ましくこころ動かされるもの。


「バア。おはなしのつづきは?」

「つづきはないのよ。イヴちゃん。」

「なんで?」

「その質問も5度目ね。」


空には一面の星空が輝いている。空白をつくることもないようにびっしりと。

ロッキングチェアがゆらゆらと揺れてバアの身体を動かす。もう自力で動くこともつらい彼女にとってはこれも少しの運動になるだろう。

うとうととした瞳を横から眺めて本をひったくる。

絵本の最後を何度もめくってつづきを探してもない。落胆したように本を片手に肩を落とす。毛布をずるずると引きずって短いろうかを戻っていく。そのまま突き当たりを右に曲がった部屋、そこが自室だ。

毛布と絵本を手放して布団の上にぺたりと座りこむ。

部屋の真ん中に薄い敷き布団があってその周りにはぬいぐるみがいくつか。

この場所のそれ以上の特徴がある。

壁を隠すようにずらりと並んだ本棚とドーム状の天井は透き通ったガラス、

そこにも満天の星空が広がっているのだ。文字通りの『満天』。

少年はこてんと転がって身体を休める。か細い腕をぐーっとのばして絵本を再び手すると、愛しげに抱きしめた。

目をふっと閉じるとすぐに寝息をたてはじめた。


華奢な肩につなぎ姿の男性がそっと毛布をかける。

頰に泥をつけた彼は壊れ物をさわるかのようにその頭を撫でる。

彼の後ろには腰の曲がった老婆。


「ごめんなさいねえ、私はもうしゃがむのもしんどくて。」

「ええ構いませんよ。まさか水道工事の追加業務がこんな可愛らしいものなんて。」


柔らかい髪の毛がふわっと揺れる。

まだ子供を持っていないこの業者の男は家庭というものを想像して微笑んだ。こんなかわいらしい子がいるならそれも悪くないのに、と。

腕に抱いた絵本の題名を見てすぐに内容はわかった。


「『あおいゆうしゃ』の話ですか。もうリリィフェスティバルも近いですね。」

「そうなのよ。その絵本を毎年毎年読んでってせがむのよ。

 この子がうちに来てからずっとよ。とっても勇者が好きなのね。」

「うちに来てから?お孫さんなんですよね?」


その純粋な質問に思わず老婆は驚いた。

そして彼が隣町からわざわざ来た業者であることを思い出して、これまで何回かやってきた説明をもう一度することにした。


「孫なのだけれどね…血は繋がっていないけれど、孫なの。」

「…」

「今から5年前のことよ。まだこの子が喋りたてくらいの頃だったかしら。

 私は毎朝の日課の山草積みに出ていたら裏の川で流れてきたの。

 信じられない話でしょう?私だって疑ったもの。

 でも疑うより先に目の前の冷え切った子供を救うのに夢中だったの。」


すぐに医者のところに老婆は荷車をひいていった。

老体のおかげでスピードは出ない上に色々と痛みははしったがそれでも走った。

子供は息もしていない状態だったのだから。

高台にある家から麓の村までついた頃には息も絶え絶えだったが、必死になってドアを叩いて目をこすりながらドアを開けた医者に子供を見せた。

医者はすぐに男の子を診療所の中に運び込み時間がかかると告げるとドアを閉めた。老婆は肩で息を切らしながら家へと帰っていく。

後日医者から意識を取り戻した際の引き取りについて尋ねらたが、こんな老い先短いお婆ちゃんとなんの娯楽もない高台の離れた一軒の天文台に住むより適齢の夫婦にでも引き取られたほうがいいと告げて辞退したのだ。


「そうですか…。でもそれでもあなたのお孫さんには違いない。」

「ええ。なんでも手伝ってとっても助かっているわ。小さいしこんなに女の子みたいに細いもんだから中身は余計に男の子らしくいようと頑張っているのかしらね。それでもずっと絵本が大好きなのだから子供らしくて好きよ。」


口元をおさえて上品に笑う。男はその姿に彼女はきっと若い頃に色んな男性に言い寄られたのだろうなと想いを馳せた。顔にどれだけ皺がよっていようが彼女から溢れる風格は奥ゆかしく、その動きはたおやかそのものなのだから。


「この子毎年この絵本を持ってきて読んでというのよね。」

「リリィフェスティバルがあるからではないですか?」


老婆はふるふると首を横に振った。


もしリリィフェスティバルという祭りを心待ちにして足踏みをするようにせがんで来るのであれば、当然ながら多少遠出はしようとも祭りに出かけるはずだ。だがこのイヴリンという少年は一度も祭りには行ったことがない。毎年毎年同じように老婆の手伝いをして部屋で本を読みふけって1日が終わる。いつもなら少しは外で遊ぶのにその日は決まって部屋で過ごすのだ。

一人で家にいる老婆を気遣っての行動かとも疑ったがそんなことはないようだった。遊んできてもいいんだよ、と行っても家の中で過ごすことを選ぶ。

まるでこの絵本に用事があるかのように毎年持ってくる。


「この本を持ってきて最後にはいつもこう言うのよね。続きは?って。」

「続編でもあるんですかこの絵本?」

「ないわ。だってなにもかもハッピーエンドになって終わるじゃない。」

「ハッピーエンドが嫌いなのかもしれない。」

「まあ!そんな天邪鬼な子に育ったのかしら。」


おかしそうに笑う彼女は部屋にかけてある時計を伺い見た。

随分と遅い時間になってしまった、この男をひきとめておくことは申し訳ない。


「ごめんなさいね。こんな時間まで。私ったらお喋り好きで。」

「いえいえ。楽しいおはなしをありがとうございます。水道管のほうはこれで問題ないと思うのでまた何かあったら言ってください。」

「ご苦労様…ああそうだ!これをお持ちになって。」


老婆は赤いリボンでくくった瓶を取り出した。その中はうす茶色の透明であたたかな液体が満たしている。男はふるふると揺らすと首をかしげた。


「おばば特製魔法のスープなの。帰りの馬車ででも飲んでくださいな。」

「魔法?人工魔法でもかけてあるんですか。」

「あらやだ。そんなもの使わなくてもおばあちゃんは魔法を使えるんですよ。

 それをのめば生姜が入ってるからとてもあたたまるの。」

「ははあ…ありがとうございます!」

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