After16 危うくプロポーズしそうになった奏太の巻

「あ、そだそだ、奏太そうた


 今日も今日とて俺の部屋。

 ちゃぶ台代わりの小テーブルで宿題を済ませると、唯花ゆいかが立ち上がって言った。


「ジャージ出して。今すぐなう」

「ん?」


 教科書とノートを通学鞄にしまい、俺は目を瞬く。


「ジャージって……着るのか?」

「えー、着てほしいの?」


 にまにま笑ってからかわれた。


「待て待て、いつも勝手に俺のジャージ出して着てるのはお前じゃろ?」

「んみゅ? そうだっけー?」


「そうだってばよ!」

「たまにあたしが気づきやすいところにわざとジャージ置いたりしてない?」


「してないしてない」

「ほんとー? てっきり着てほしいってメッセージかと思ってたのです」


 なんということだろう。

 俺がさりげなく『着てくれアピール』をしてると思ってたのか、このお嬢さん。


 ここはアメリカ人ばりに大きく首を振って否定しておかねば。


「ノー。圧倒的にノーだ。紳士はそのようなことをしない」


「ほんとにー?」

「イエス。圧倒的にイエス」


 俺が訴訟も辞さないアメリカン・スタイルを貫いていると、唯花は大きく肩をすくめた。


「じゃあ、そういうことにしておいてあげましょー」

「くっ、なんだこの見逃してもらった感……っ」


 本当に違うんだぞ?

 本当だぞ?


 と思っていたら、唯花がこっちに手を差し出した。


「んじゃ、ジャージ出して。お洗濯しちゃうから」

「洗濯?」


 軽く小首をかしげる。


 確かに今日はジャージを持って帰ってきている。

 昼間に体育の授業があったからだ。


「今のうちにお洗濯しておかないと。明日も体育あるし」


 あー、なるほど、そういうことか。

 ようやく合点がいった。


 最近、唯花は料理を始め、俺の夕飯を作ってくれるようになった。

 さらにここ数日は洗濯もしてくれている。


 明日も体育があるから、今のうちにジャージを洗濯してくれるつもりなのだろう。


「けど替えのジャージなかったか?」

「ないよ? そっちは雨の日に泥だらけにしちゃったじゃない」


「あー……そういやそうだったな」


 言われて思い出した。


 先週のこと、唯花と下校してた時、子供が排水溝にオモチャを落としたと言って泣いていた。 

 

 さすがに制服がダメになるとマズいので、ちょうど持ってたジャージに着替えて取ってやったんだった。


 で、泥だらけになって着れなくなり、そのジャージは捨ててしまった。


 新しいのを学校に注文し、今は届くのを待っている状態だ。


 体育用のジャージはだいたい二着ぐらい持ってるもんだが、そんなこんなで俺のジャージは現在一着しかない。


「今のうちに洗えば朝には乾くでしょ。だから出して出して」

「へいへい」


 俺は通学鞄と一緒に持って帰ってきていた、体育着袋からジャージを取り出し、唯花に渡す。


「ポケットには何も入ってない? ティッシュとか入ってると、洗濯機のなかで絡まっちゃうからね」


「あー、たぶん入ってない」

「たぶん?」


「いや……絶対入ってない。花京院の魂を賭けてもいい」

「スタンド使いの魂じゃ、お洗濯の賭けの対象にはならないのです」


「じゃあ、俺は伊織いおりの魂を賭けるぜ!」

「くくく、良かろうなのです。では、オープン!」


 唯花がジャージのポケットをまさぐる。

 すると、なかからタオルが出てきた。


「それ見たことか! あたしが渡したハンドタオルが入れっぱなし!」

「なんだってー!?」


 俺はがっくりとその場にひざまずく。


 そういや体育の前に唯花から『汗かきっぱなしだと風邪ひいちゃうかもだから』と言って、ハンドタオルを渡されたんだった。


「卑怯だぞ、ディーラー! お前、この結果を分かっていたな……!?」


「ふっ、勝負とは非情なものなのです。ついでに『奏太がポッケに入れっぱなし率』の高さもここ数日で把握済み。勝負とは始まる前に決まっているのであるからして!」


「ちくしょう……っ」

「では敗北のペナルティ!」 


 しゃきーんっ、と手のひらを顔の前に掲げて格好つける、唯花もといディーラー。


 そして恐るべきペナルティが課せられた。


「魂を賭けたので、今日から伊織は奏太の弟分じゃなくて、あたしの弟分になーる!」

「なん、だと……!?」


「拒否権はなし! 現時刻を持ってこのペナルティは強制執行!」

「うわああ、伊織いいいいいっ!」


 俺は絶望にむせび泣く。


 すまん。伊織、すまん。

 ほんの軽い気持ちで魂を賭けたらとんでもないことになってしまった。


 俺は伊織になんて詫びればいいんだ……っ。


 と、そんなこんなでわちゃわちゃしていたら、小テーブルの上のスマホがピコンッと鳴った。唯花のスマホだ。


「ふみゅ?」

「ん?」


 二人同時に視線を向けると、話題の伊織からメッセージがきていた。

 

 唯花のスマホの待ち受け画像は、以前に撮った俺、唯花、伊織、あおいの四人の写真だ。


 その画像の上に伊織からの『お姉ちゃん、お母さんが帰りに牛乳買ってきてだって』というメッセージが表示されていた。


 途端、唯花がニヤリと笑う。

 何を考えてるのか瞬時に察し、俺は戦慄した。


「ま、待て、唯花! それはあまりに酷だろう……!?」


 二人でふざけ合ってる分にはいいが、そのノリを伊織に聞かれるとか恥ずかし過ぎるぞ。


「慈悲はない。お電話したまへ。伊織に自分が置かれた状況を教えてあげるべし」


 問答無用で唯花のスマホを渡された。

 俺は泣く泣くコールボタンを押す。


「『もしもし、お姉ちゃん?』」

「伊織、俺だ」


「『あ、奏太兄ちゃん。なに? わざわざ電話でどうしたの?』」

「牛乳の件は了解だ。唯花を送ってく時にスーパーで買ってく。あとな……」


 奥歯を噛み締め、断腸の思いで告げた。


「すまん! 唯花との勝負でお前の魂を賭けてしまった……っ」

「『はい?』」


 唯花が背中に抱き着いてきて、伊織に言う。


「なのでなので、伊織は今日から奏太の弟分じゃなくて、お姉ちゃんの弟分だからね!」

「『えーと、それ今と何が違うの?』」

 

 ごもっともである。

 そもそも伊織は唯花の弟だし、唯花の弟分ということは俺の弟分と言って差し支えない。


「『まあいいや。とりあえず奏太兄ちゃんは僕の魂を勝手に賭けた罰として、エジプトいって吸血鬼を倒してきて。もしくは牛乳と一緒に僕のアイスを買ってきて』」


「なん、だと……!?」


「『慈悲はないから。僕を二人のイチャイチャに巻き込んだ罰だよ?』」


 冗談めかした口調だが、何やら有無を言わせぬプレッシャーを感じる。

 ここは逆らわん方がいい、と本能が告げていた。


「く……っ、是非もない。ゴリゴリ君でいいか?」

「『ホーゲンダッツがいいなぁ』」

「あー、あたしもホーゲンダッツー!」


 唯花まで乗ってきて、結局、お高めのアイスを三人分買っていくことになった。


 ノリでマジのペナルティを食らうことになってしまったぞ。

 まあ、バイト代入ったばっかだからいいけどな。


 そんなわけで伊織との通話を切ると、


「お洗濯~お洗濯~♪ るるる~、奏太のジャージをお洗濯~♪」


 唯花はジャージを持って部屋を出ていった。


 俺の部屋は二階で、洗濯機は一階にある。

 もう宿題も終わっているので、なんとなく俺もついていった。


 廊下を歩く唯花は鼻歌でご機嫌である。


「るるる~、ホーゲンダッツ~♪ あたしはストロベリーで、伊織はクッキーバニラ~♪ 奏太は~」


「俺は抹茶がいいな」


「奏太はハニーレモン~♪ あたしと半分シェアしたいので~♪」


 おおう。

 選択権がなかった。

 さすがペナルティだ。


「えへへー、アイスがつくなら、またいつでもポッケにタオル入れっぱなしにしていいよ?」


 階段を下りると、楽しそうにこっちを振り向いてきた。

 俺はキリッと返事をする。


「いやもう同じ轍は踏まんぞ。こんなミスは二度とないと知るがいい」

「えー、そうかなあ」


 俺のジャージを抱え、唯花は含み笑い。


「奏太ってば、人のことはきっちりやり切るけど、自分のことはたまに抜けてるから、またやりそうな気がするよ?」


「そうか?」

「そうそう。たとえば……はい、これ」


 ちょうど洗面所に着いたところで、歯みがき粉を渡された。

 いつの間にかジャージと一緒に部屋から持ってきていたようだ。


「歯みがき粉、切れてるから新しいの買っといたよ」

「まじか」


 見たら、本当に洗面台の歯みがき粉のチューブが残りわずかだった。

 

 学校帰りにスーパーで何か買ってると思ってたが、どうやら替えの歯みがき粉を買っておいてくれたらしい。


「シャンプーももうちょっとで切れそうだから、あとでアイス買う時に一緒に買っとこうね」

「ああ……わ、わかった」


 思わず、コクコクとうなづいた。

 正直、ちょっと驚いていた。


 まさか唯花がこんなに家のことを把握してくれてるとは思わなかった。


 ウチは両親が海外なので、実質、俺の一人暮らしだ。


 だから家のことは一通りやれてるつもりだったんだが……すでに唯花の方が色々と我が家のことを理解しているのかもしれない。


「奏太の抜けてるところは、あたしがぜーんぶやったげるから。任せときなさいっ」


 なんとも頼もしい言葉だった。

 俺は思わず呆けてしまう。


「ん? どったの?」


 ジャージを胸に抱え、唯花が不思議そうな顔で見上げてきた。


「ああ、いや……」


 驚きで頭がいっぱいのままだった。

 そのせいでちゃんと思考せずに応えてしまった。




「唯花の花嫁力の高さに感動してる。俺も頑張らないとなあ……」




 一瞬、唯花は「はなよめりょく……?」ときょとんとしていた。

 だがその頬が見る見る赤くなっていく。


「花嫁力!? 奏太も頑張るって、え、え、あのっ、えっと……っ」


 俺のジャージを抱き締めて、しどろもどろになっていく。


 さっきまで『ペナルティ!』とか言ってたのが嘘みたいな乙女顔だった。


 しかし、こっちも平常心ではいられない。

 唯花のリアクションを見て、遅ればせながら気づいたのだ。


 背中に滝のような汗が流れ始める。

 心臓もバクバクいって止まらない。


 あれ!?

 俺、今、とんでもないこと言ったか……!?


「…………っ」

「…………っ」


 お互い、口を開けない。

 

 めちゃくちゃ気恥ずかしい。

 とにかく顔が熱い。


 唯花も熱があるんじゃないかってくらい赤くなっている。


「や、唯花、今のはちが……っ」


 違う、と言いかけた。

 だが俺は反射的に自分の口を塞いだ。


 誤魔化すようなことを言いたくなかった。

 違うと言うのは、それこそ違う。


 なぜなら――何も違わないからだ。


 今、確かに俺はスレスレのことを言った。

 だがそれは本心だ。

 俺が普段から考えている、嘘偽りない真実だ。


 最近の唯花の花嫁力に感動している。

 俺も頑張らなきゃなと思っている。


 何一つ否定するところはない。


 だから違うなんて言えないし、言わない。

 その場限りの取り繕いで、否定するつもりはなかった。


 そんな俺の顔を見て、唯花が「あ、あう……っ」とまた動揺する。『そこは違うって誤魔化しておけばいいじゃないっ』と唯花の表情が言っていた。


 以心伝心、幼馴染な上に恋人同士なので、お互いの考えていることはわかってしまう。


 正直、俺の顔は真っ赤だ。

 それでも否定の言葉は頑として言わず、明後日の方を向いて頭をかく。


 唯花の表情が『は、早く誤魔化してよっ』と言っている。

 俺は無言のまま、『ノー』と空気で伝える。

 唯花の目が『も、もう~っ』と言っていた。


「…………」

「…………」


 なんとも言えない無言が続く。

 お互い、気恥ずかしくて死にそうだ。


 チラッと唯花の方を見た。

 唯花もチラッとこっちを見ていた。


 バチッと目が合って、慌てて同時に目を逸らした。

 もう頭から湯気が出そうだ。


 ああ、くそう……っ。


 さすがにずっとこのままというわけにはいかない。


 とりあえず話題を変えよう。

 俺は勇気を出して口を開く。


「あ、あのな、唯花」

「――っ」


 途端、ドキッとしたように唯花の肩が跳ね上がった。

 潤んだ瞳がこっちを見ている。


 あ、ダメだ。

 これ本当にダメだ。


 かわゆい。

 唯花がとんでもなくかわゆい。


 これ以上口を開いたら、俺はきっと将来についての決定的なことを言ってしまう。


 そんな俺の心情を表情から読み取り、唯花はますます赤くなって「~~っ」とうつむいた。



 ………………。

 …………。

 ……。



 結局。

 その硬直状態は二階でスマホが鳴って、伊織から「『アイスまだー?』」とメッセージがくるまで続いた。


 正直、助かった。

 や、本当危なかったぞ……。


 この日、如月家に向かう途中のスーパーで、俺と唯花は伊織に山盛りのホーゲンダッツを買って帰ったのでした。

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