After15 唯花をダメにするクッション
俺は今、自分の部屋の勉強机に向かっている。
目の前に生徒会の書類を広げ、仕事中……のフリをしていた。
ちなみに
「くくく、曜日モンスターなぞ恐るるに足らず。我がモーちゃんのための種火を吐き出すのです……」
実に楽しげに周回している。
しかしちゃぶ台でのゴロゴロ具合は加速していた。
スマホを操作しながら右に左に揺れている。
ひとりでの周回作業に飽き始めている証拠だった。
……計算通り!
機は熟したと言っていいだろう。
俺は厳かに書類を片付け始める。
途端、黒髪の間からぴょこっとネコミミでも出そうな勢いで、唯花が反応した。
「終わった?
俺はイエスともノーともつかない仕草で片手を上げる。
「んー? それは終わったってこと? 終わってないってこと?」
「ふふ、焦るな若人よ。まだ慌てるような時間じゃない」
俺は極めて冷静な顔で首を振って見せる。
もう少しだ。
そう、もう少し唯花を焦らす必要がある。
というのも、話はほんの5分ほど前にさかのぼる。
今日も今日とて放課後になり、ウチに帰ってきて、俺たちは宿題を終えた。
いつもならそこから二人でまったり過ごすところなのだが、今日は俺が『あー、しまったー。そういや生徒会の仕事が残ってるんだったー』と名演技をし、勉強机に移動。
ウチのフリーダムお姫様も仕事があると言えば、ワガママは言わない。
良い子で周回作業を始めてくれた。
そして5分が経過。
ちゃぶ台でのゴロゴロが加速し、唯花から『種火は集まるけど、ソウタニウムが足りない~』という空気がし始めた。
ここに機は熟した。
実のところ、俺は今日、壮大な計画を練っている。
それは俺自身が――『唯花をダメにするクッション』になることである!
先日は唯花が俺をダメにするクッションと化し、さんざんに甘やかされてしまった。
このままでは彼氏の名がすたる。
よって今日は俺がクッションとなり、これでもかと甘やかして唯花をダメにするのだ。
「さて、そろそろ始めようか」
俺は颯爽と立ち上がった。
目をパチクリし、「ふみゅ?」と首をかしげる唯花の前を通過。
ベッドの上に腰掛けて、膝をぽんぽんと叩く。
「仕事は終わったぞ。さあ、こっちにおいでなさい」
すでに計画は最終段階。
5分の焦らしによって、唯花の甘えたい欲はピークに達している。
理性がどれほど抵抗しようと、ダメにならざるを得ないはずだ。
さあ、唯花。お前はこの誘惑に耐えられ――。
「よしきたにゃー!」
「なん、だと!?」
唯花が軽やかに飛び込んできて、俺の膝に頭をパイルダーオン。
「5分もの長きに渡って唯花ちゃんをお待たせしたので、ここからはボーナスタイムということなのね!? そうなのね!? ならば是非もなーし!」
「是非もないのか!?」
「じゃあ、一緒に周回作業しよ? スマホはあたしが持ってるから、奏太はボタンを押して! ここはアーツ・アーツ・バスターで!」
「お、おおう」
「次は次はー、ポテチ食べさせてー! はい、あーんっ」
「あ、あーん」
膝枕中の唯花の代わりに周回作業のボタンを押し、ちゃぶ台のそばに置いてあったポテチを取って食べさせる。
「えへへ、極楽極楽~。余は満足なのじゃ~」
なんか普通にくつろいでおられる。
ま、まさかこやつ……。
「は~、もう一生このままでいい~」
……瞬時にダメになってるーっ!?
恐るべきは唯花の甘えんぼうパワー。
一切ためらうことなく、瞬時にダメな子になっていた。
なんてこった。
俺が狙ってたのはこういうのじゃない。
もっとこうダメになっちゃいけないと抗いつつも、堪え切れなくてダメになるような、俺がこないだ食らった感じにしてやろうと思ってたんだ。
だが……考えてみれば、予想できることだった。
唯花の甘えんぼうパワーの強大さは俺が誰よりも知っている。
ちくしょう、どうやら目先の勝利に目がくらんで、冷静さを失っていたようだ。
「ねえねえ、ポテチ。ポテチもっとー」
「はぁ……へいへい」
俺はため息をついてポテチを献上。
一方、唯花は唇についたコンソメ味の粉をぺろりと舐め、ニヤリと笑う。
「ふっふっふ、何やら悪だくみを考えていたようだけど、甘いのです。いつの日も正義は勝つと推して知るべし」
「なっ、バレていたというのか……っ」
「とーぜんっ。チミのたくらみは最初から看破されていたのだよ。あたしがいるのに奏太がお仕事残してるなんてありえないしー」
なんと。
どうやら計画の初期段階から見抜かれていたらしい。
「次はねー、頭なでなでしてー?」
「へいへい」
こりゃ今日はリベンジは無理そうだ。
俺はすべて諦め、自分の指に着いたポテチをティッシュで拭き取り、唯花の頭を撫でてやる。
「にゃはー……」
まったく、幸せそうな顔をしおって。
まあいいさ。
俺も唯花のきれいな黒髪を撫でるのは好きだからな。
「んー、どったの奏太? 何やら静かに悟った顔になって」
「いや、お前の髪きれいだなぁ、と思ってさ」
「…………ほ、ほう?」
ん?
なんか唯花の表情が変わったぞ?
チラチラとこっちを見上げてくる。
「あ、あたしの髪、そんなに……良い?」
「そりゃ良いだろ。サラサラだし、手触り最高だし、上質な絹糸みたいだ」
「…………ふ、ふーん?」
おや?
なんかモジモジしだしたぞ?
唯花はスマホをベッドに置き、期待を込めた目で見上げてくる。
「他には?」
「他に?」
「……うん、奏太的に唯花ちゃんの良きところ」
そんなの、いくらでも言えるぞ?
俺は唯花の瞳を覗き込む。
「ぱっちりした、大きな瞳。宝石みたいでキラキラだ」
「あう」
小さく声をこぼし、唯花が両手で顔を隠す。
「……な、なんか至近距離、照れるー」
「照れるってなんだよ」
俺は苦笑し、唯花の手をどけてみた。
その頬を指先でふにふにと押してやる。
「頬っぺたもいい感じだぞ? 肌に透明感があって、すべすべで触り心地がすげえいい」
「く、くすぐったいよー」
イヤイヤをするように首を振る、唯花。
もちろん、まったく嫌がっていない。
なんか楽しくなってきた。
今度はネコにするみたいに喉元をくすぐってやる。
「声も可愛いんだよなぁ。ほれほれ、子猫みたいに鳴いてみ?」
「えー、鳴いてみってなあに? か、からかってるでしょー?」
「からかってない、からかってない。ちょっと子猫扱いしてるだけだ」
「唯花ちゃん、子猫じゃないもーん」
「いやー、この甘えんぼぶりは子猫だろ。ほれ、みゃあって言ってみ?」
「うぅ……」
唯花はくすぐったそうに身動ぎする。
しかし俺がなかなか喉元から手を離さないので、観念したようにつぶやいた。
恥ずかしそうにぽそっと。
「…………みゃあ」
「やっぱ子猫だ。可愛いやつめ」
「も、もう~っ」
真っ赤な顔でぺちぺち叩かれた。
指がちょっと丸まり、猫ぱんちになっているのが大変かわゆい。
うむ、余は非常に満足じゃ。
次はどう可愛がってくれようか。
……と思っていると、ふいに俺のスマホが鳴った。
勉強机の方に手を伸ばして見てみると、
「『あ、奏太兄ちゃん?』」
「おう。どうした、伊織?」
「『いま大丈夫? ちょっと奏太兄ちゃんに相談したいことがあって、部活動の予算配分のことを聞きたいんだけど、いい? あ、別に急ぎじゃないんだけど』」
あーなるほどな、と俺は頷いた。
伊織は今、中学で生徒会長をしている。
各部活への予算を決めるのも会長の裁量だから、俺が高校でどうやってるかを聞きたいんだろう。
最終決定は予算会議でするだろうから、伊織の言う通り、急ぎの案件じゃない。
ただせっかく掛けてきてることだし、電話でなら手早く教えてやれる。
「そうだな、俺が予算配分で普段やってるのは――ん? 唯花?」
答えようとすると、俺の膝で寝ている唯花が手を伸ばしてきた。
指先がスマホのボタンに近づいていく。
「『え、なに? お姉ちゃんがどう――』」
――したの、という声の余韻を残して、伊織の声が途切れた。
唯花が通話終了のボタンを押し、電話が切れたのだ。
俺はワケがわからず、目を瞬く。
「伊織と話してるとこだったのに、なんぞ?」
「だって、急ぎじゃないって言うし……」
ちょっと拗ねた表情だった。
唯花はそっと俺の手首を掴み、自分の顔の方へ持っていく。
「急ぎじゃないなら……」
こんなことお願いするのは恥ずかしい、という雰囲気の赤い顔。
その顔を俺の手で隠し、唯花は囁いた。
子猫のように庇護欲をそそる表情で。
「今は唯花ちゃんを構って……?」
拗ねるように。
甘えるように。
指先をはむっと甘噛みされた。
クラッときた。
すまん、伊織。
予算のことは今度教えるからな。
この後、めちゃくちゃ子猫を構ってやった。
◇ ◆ ◆ ◇
そして、夜。
唯花を送って、
死んだ目で椅子に座っている伊織に対し、俺と唯花は全力で言い訳をする。
「えっとね、伊織、電話が切れちゃったのは、お姉ちゃんがちょっとつまづいて、奏太のスマホをオーバーシュートでVゴールしちゃったからなの!」
「……はあ。まあ、いいんだけどね」
「そのなんだ、伊織、すぐ掛け直さなかったのは、ちょっと俺に生徒会の仕事が残っててな!」
「……はあ。まあ、いいんだけどね」
伊織は疲れた顔で勉強机に頬杖をついた。
「お姉ちゃんが奏太兄ちゃんの部屋にいるって分かってるのに電話しちゃった僕のミスだよ」
しゃべりながら、どんどん目のハイライトが消えていく。
「でもね、通話が切れた後に、『あーこれ、イチャイチャしてるなー……』って気づいちゃった時の僕の気持ち? わかる? 二人ともわかる?」
「や、だから違うのー!」
「そう、違うんだってばよー!」
「……はあ。まあ、いいんだけどね」
頑張って言い訳してみたがまったく通じない。
今日も伊織の深い深いため息が響くのだった。
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