After17 ワンちゃんになりたい唯花ちゃん

奏太そうた、あたしワンちゃんになりたい!」

「お前は何を言っているんだ?」


 今日も今日とて俺の部屋。

 宿題を済ませると、唯花ゆいかが突然立ち上がって宣言。


 俺は思わず真顔になった。

 そもそもお前は生まれた時からにゃんこキャラじゃろうが。


 ナチュラル・ボーン・唯花にゃん。


 それがウチの彼女である。

 

「それでもなりたい、なりたい、なりたいのー」

「うーむ……」


 そこまで言うなら致し方なし……か。


「お手」

「わんっ!」


 俺が手のひらを差し出すと、すかさずお手をしてきた。


「おかわり」

「わんっ!」


 逆の手を出すと、すかさずおかわりしてくる。


 ……あれ? 意外に悪くないぞ?


 なんだか楽しくなってきてしまった。

 俺は唯花わんの髪をわしゃわしゃと撫でてやる。


「よーしよしよし」

「わふ~♪」


 ちゃぶ台代わりの小テーブルに乗っかり、唯花わんは俺に撫でられて気持ち良さそうに鳴いている。


 ぴょこんとした犬耳とか、ぶんぶん振られている尻尾が見えてきそうだ。


 と思ったが……いやいやいや、なんだこれ?

 俺は一体なにをしてるんだ!?


 恐ろしい。

 心のなかに新たな扉が開いてしまいそうだぞ……っ。


 くっ、オヤツはないか?

 俺は今、無性にこのわんこにオヤツをあげたい!


「そうだ、生徒会の差し入れでもらったクッキーがあったな!」


 光の速さで通学鞄からクッキーを取り出した。

 同じく光の速さで袋を破り、唯花に見せる。


「待て。唯花わん、待てだぞ?」

「く~ん……」


 う……っ。

 ちょっと哀しそうな鳴き声が胸に突き刺さる。


 何やらこっちが悪いことをしてる気分になってきた。

 ダメだ、これ以上は待たせられん。


「唯花わん、よし!」

「わうー!」


 ぱくっと嬉しそうに俺の手からクッキーを食べる。


「ちゃんと待てが出来たな。偉いっ、偉いぞ」


 俺は再びわしゃわしゃと髪を撫でてやる。


「わふ~♡ ……って、ちがーう!」


 ハッとした顔でいきなり唯花が人間に戻った。


「おわ、なんだなんだ?」

「なんだなんだ、じゃないでしょー!」


 大変なお怒り顔で唯花は立ち上がる。

 

「何をナチュラルに常識を逸脱したやり取りを始めてるのかね、チミは!?」

「あ、常識から逸脱したやり取りって自覚はあったんだな」


 良かった。

 本当に良かった。


「言うてワンちゃんになりたいとか言い始めたのは唯花の方じゃろ」

「そうだけどっ、そうじゃないのーっ」


 何やら頬っぺたを膨らませて拗ねて見せる。


「あたしの言うワンちゃんはもっと尊くて、優しくて、包み込んであげちゃう感じなの」

「なるほど分からん」


 幼馴染のツーカーぶりを持ってしてもサッパリである。


 しかし、それならそれで探りようはある。


 俺が分からないということは、唯花のワンちゃんになりたい欲は今までの人生経験からくるものではない。


 つまり何かに影響された結果だと推測できる。


「しばし待たれよ」

「良かろうなり」


 腰を据えて座り直した俺が言うと、唯花も厳かに頷いた。


 とりあえずスマホを取り出す。

 通話アプリを開いて、伊織いおりに掛ける。


「『もー……今日はなんなの? 奏太兄ちゃん』」

「いやなんでそんな憂鬱そうなんだってばよ」


「『最近、この時間に掛かってくる二人からの電話で良い目に遭った試しがないんだよ、僕は』」


「こないだアイスを買ってってやったろ? ま、それはともかくだ」


 残ったクッキーを俺の鞄から出して食べている唯花を横目で見つつ、尋ねる。


「昨日、唯花はどんなテレビを観てた?」

「『お姉ちゃんが観てたテレビ?』」


 一瞬、不思議そうにする伊織だったが、すぐに「『あー』」と状況を察した様子の声が返ってきた。


「『テレビじゃないけど、ソファーに寝っ転がってスマホで動画観てたよ』」


 それだ!

 と俺の直感が告げていた。


「伊織、詳しく!」

「『犬と飼い主の人の動画だったよ』」


「犬と……飼い主?」

「『そう。飼い主の人がお昼寝してたら、犬が寄り添うみたいに隣にきて、一緒に寝るの』」


「それは尊くて、優しくて、包み込んであげちゃう感じか?」

「『あー、なんかお姉ちゃんそんなこと叫んでたかも』」


 謎はすべて解けた。

 Q.E.D――証明終了だ。


「世話になったな、伊織。報酬として帰りにホーゲンダッツを買っていこう」


「『いやもうあんな大量にはいらないから。こないだ二人が買ってきたアイス、まだ冷蔵庫に残ってるからね?』」


 礼を言って通話を切った。

 唯花はクッキーを食べ終わり、こっちを見てウズウズと期待に満ちた目を向けている。


 俺は大きく伸びをした。


「あー、なんか眠くなってきたなぁ。ちょっと昼寝でもするかー」


 我ながら棒読みだが、そんなことを言ってベッドへ向かう。


 すると、ぴこんっ、と犬耳を立てて唯花わんが反応した。

 いや実際には犬耳なんてないんだが。


「ZZZ……」


 寝そべって、わざとらしく寝息を立ててみると、すぐに唯花もベッドにやってきた。


 ふわりと隣に寝る気配。

 すぐそばに吐息を感じる。


「寝ちゃったの? ご主人様……」


 いやご主人様ってなんだ!?

 危うく目を開けそうになってしまった。


「も~、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ? 人間さんはあたしみたいにモフモフじゃないんだから」


 ああ、なるほど……どうやら唯花のイメージする犬は『わん』とか『く~ん』じゃなくて、言葉をしゃべるタイプらしい。


 動画にそういうテロップが流れていたんだろう。

 

「しょうがないから、あたしが隣で温めてあげるね?」


 ぴったりと隣に寄り添ってきた。

 温かな体温を感じる。

 ほのかなシャンプーの匂いも感じた。


 これは……癒される。


 自分が寝てる時に誰かがやってきて、そっと気遣ってくれるとしたら、確かにそれは尊くて優しくて包み込まれるようなイメージかもしれない。


「よしよし、良い子でお寝んねしなさい、ご主人様」


 唯花の声が子守歌のように聞こえる。

 このまま本当に寝てしまいそうだ。


 そうして、うとうとしていると……。


「んー……ぺろりっ」

「おうわっ!?」


 いきなり頬を舐められた。

 さすがに飛び起きてしまう。


「な、なんだってばよ!?」

「ほえ? なんでびっくりしてるの?」


「いやびっくりするだろ!?」

「だって、ワンちゃんだからぺろりしてもいいかなって」


「いきなりぺろりはいかんだろ!? ご主人様、飛び起きるぞ!?」


 っていうか、飛び起きたぞ。


「えー、だって奏太、本当に寝ちゃいそうだったんだもん」

「そもそも飼い主が寝てる設定じゃなかったのか……で、唯花わんが寄り添うんだろ?」


「それは正解。よく出来ました!」

「正解したのに、なんだこの敗北感……」


「もー、ワガママな奴なのです」


 ベッドの上で女の子座りをし、唯花は言う。


「じゃあ、次は奏太がワンちゃんやっていいよ?」

「は?」


「で、あたしが奏太のご主人様ーっ」

「待て待て待て!」


 大変なことになりそうな予感しかしない。


 唯花がご主人様で俺が飼い犬なんて、この部屋に世紀末が爆誕するぞ。


 これは是が非でも阻止せねばならん。


「分かった! じゃあこうしよう!」

「ふみゅ?」


「なら俺が犬で、お前も犬だ!」

「何を言っているのかね、君は?」


 冒頭の俺みたいな真顔をされてしまった。

 しかしここで引くわけにはいかない。


「ば、ばう!」


 恥を忍んで大型犬のように鳴いてみた。


 すると唯花が『お?』という顔をする。

 面白そうアンテナが反応したのだ。


「わうー?」

「ばう!」


 唯花が小首をかしげて鳴いたので、すぐさま鳴き声で応じた。


「わうわう」

「ばうー」


「わんわん!」

「ばう! ばう!」


「わおーん!」

「ばうー!」


 意気投合した。

 唯花わんと奏太わんが今、意気投合したのだ。


 何を言っているか分からねえと思うが、俺にも何をやっているか分からねえ。


「きゅーんっ!」

「ばう!?」


 唯花わんがテンション上がって飛びついてきた。

 もちろんイメージの犬耳と尻尾つきだ。


 反射的に受け止めるが、ベッドの不安定さのせいで押し倒される。

 そのまま唯花わんはキャッキャしながらじゃれてくる。


「くぅ~ん、くぅ~ん」

「ばうばう」


「きゅんきゅん!」

「ばうー」


「きゅーんっ!」

「ばう!」


 お互い言葉の意味は分からんが、思ってることはなんとなくは伝わってくる。

 これはこれで楽しい気がしてきてしまった。


 すると体の上の唯花が顔を上げる。


「ねえねえ、奏太っ」


 キラキラした無邪気な笑顔。


「楽しいねっ」


 大変かわゆい。

 パーフェクトにゆいかわだ。


「ワンちゃんな奏太とワンちゃんなあたしで話すの、新鮮なのです」

「普通、ありえん状況だしなあ」


 そりゃ新鮮だろう。


「奏太も楽しいでしょ?」

「かもしれぬ」


「えへへー。くぅ~ん、くぅ~ん」

「ばうー」


 たまにはわんこな唯花もいいかもしれない。

 やっぱり新しい扉が開いてしまいそうな俺でした。

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