After9 唯花にゃん、義妹の前でも容赦なし!

 にくきゅー。

 確かにそう聞こえた。


 今、俺は窓の方を向き、背中側では唯花ゆいかあおいの相談に乗っている。


「いい、葵ちゃん? つまるところ男の子の本音を引きずり出す一番の方法は、主導権をがっちりゲットしちゃうことなんだよ」


 聞こえてくるのは自信満々な唯花の声。

 完全に調子に乗りまくっちゃってる時の声である。


「そこで登場するのがこちらの品々! いわば男子たちの牙城を崩す伝説の装備!」


「え、伝説の装備……ですか? えーと、これを一体どのように……?」


 葵の声は動揺しまくっている。

 目の前にあるものが信じられないという声だ。


 俺は冷や汗がだらだらと流れるのを感じていた。


 そんなまさか……正気か、唯花?

 いやありえない。


 いくらウチの彼女がストライク・フリーダムな自由人だからと言って、よもや義妹いもうとの前にあれを出すなんてことは……。


「くくく、百聞は一見にしかず! その目でご覧じませい。――はい、装着完了!」


 装着完了しちゃった!?

 馬鹿な!?

 嘘だろ!?


 我が耳を疑い、俺は勢いよく振り返る。


「唯花! お前、葵の前で一体何やってん――はぁ!?」


 まず目に飛び込んできたのは、ぴこぴこしているネコミミ。

 くるんっと優雅に弧を描くネコしっぽ。

 首にはチョーカーでつけられた大きな鈴。


 そして、馬鹿でかい手袋の肉球。


 黒髪が風に踊るように舞い、執務机を飛び越えて、奴が迫ってきていた。


 そう、奴だ。

 予想通りだ。


 それでも俺は叫んでしまった。

 両目を見開き、椅子から転げ落ちそうになりながら。


「ゆ、唯花にゃんだとぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」

「にゃーはっはっはっ!」


 ネコグッズを装着した唯花が高笑いを上げてフライ・ハイしてくる。


 どう見ても着地なんてまったく考えてない。

 完全にこっち任せである。


 俺は椅子から転げ落ちそうな状態からとっさに踏ん張り、唯花をキャッチ。


 待ってました、と首根っこにしがみついてくる唯花を抱き締め、回転運動でフライ・ハイの勢いを相殺する。


「いやマジ何を考えてるのかね、お前は!?」

「くくく、葵ちゃんに奥義を伝授するのです!」

「葵!? はっ、しまった、葵……!?」


 義妹いもうとのリアクションが気になって、来客用ソファーの方を見る。


 すると葵は両手で自分の顔を覆っていた。

 見ちゃいけないものが繰り広げられている時のリアクションだった。


 しかし見ている。

 指の間からばっちり見ている。


 むしろ目を皿のように開き、心なしか紅潮した表情でこっちを見ていた。


「ど、どうぞ、わたしのことはお構いなく……!」

「ぎゃーっ! 義妹いもうとに好奇の目を向けられているーっ!」


 義兄の威信、崩壊の危機!

 俺は堪らず逃げ出した。


「あ、逃げるにゃー!」

「いや逃げるわ! 脱兎のごとく全力で逃げるわ!」


 唯花にゃんはノリノリで追いかけてくる。

 そして、あっさり追いつかれた。


「にゃー!」

「おわーっ!?」


 またもや無慈悲なフライ・ハイ。

 これを繰り出されたら受け止めないわけにはいかない。


 鈴をチリンチリンいわせて飛び込んでくる唯花にゃん。

 俺は葵が座っているのとは別の、大きい来客用ソファーに押し倒されてしまった。


「くくく、覚悟するのです」


 完全な悪役顔である。

 でも可愛い。

 反則なぐらい可愛い。


 さらさらの黒髪の上でネコミミがぴこぴこ動いている。


 首を振る度に鈴はチリンチリン鳴るし、スカートの方に見えるしっぽもフルフル揺れててプリティーだ。


 俺とて、いつもなら思わずデレてしまうところである。


 しかし今日は違う。

 義妹いもうとがいる。

 指の間からめちゃくちゃガン見されている。


「こ、これが高校生のお付き合い……っ」


 いやいやいや!

 それは違うぞ、葵!?


 一般的な高校生はたぶん生徒会室でネコミミにはならんから!


 ってか、死ぬほど恥ずかしいな、この状態!


 俺はソファーで完全にマウントを取られ、唯花が腰の上に陣取っている。

 そして巨大な肉球がこれ見よがしに掲げられた。


 にやり、と笑う唯花にゃん。

 恐怖におののく俺。


「な、なんだ? 一体、何をする気なんだ!?」

「ふふふ、知れたこと。これは主導権を巡る戦い。無慈悲な一撃を食らうのです!」


 無慈悲な可愛さが俺の顔面へ勢いよく、ぽみゅっと炸裂。


「肉球ぱーんちっ!」

「ぎゃーっ!」


 ぽみゅっ!

 

 不思議な擬音と共に、なんともいえない柔らかさに癒された。


 もちろんまったく痛くない。

 むしろ楽しそうに肉球ぱんちでじゃれてくる、ネコミミ唯花が可愛くて仕方ない。


 だが!

 すぐそこに葵がいる!


 もはや脳の処理限界を迎えたらしく、葵は真っ赤な顔で「はわわわ!」と俺たちを凝視している。


「わ、わたしは今なにを見せられてるんですか……!? はわわわわ!」


 マジで死ぬほど恥ずかしい。

 だが癒しと可愛さの肉球ぱんちは止まらない。


「肉球ぱんち! 肉球ぱんち! 肉球ぱーんち!」


 ぽみゅっ!

 可愛い!

 恥ずかしい!


 ぽみゅっ!

 可愛い!

 恥ずかしい!


 ぽみゅっ!

 可愛い!

 恥ずかしい!


 いやどういう状況だってばよ!?

 頭がおかしくなってしまいそうだ。


「えいえい! どうだどうだ! 降参? もう降参?」

「降参っ、降参だ! ってか、最初から抵抗してない!」


「じゃあ帰りに駅前のカフェに連れてけー! 放課後デートしろー!」

「わかった! 連れてく! デートする! 好きなだけ奢ってやるってばよ……っ」


「ならばよーし!」


 何やら満足したのか、唯花にゃんは腰に手を当ててふんぞり返る。

 一方、俺はぐったりと虫の息だ。


 器用に肉球でVサインが作られ、葵へと向けられた。


「びくとりー!」

「まったく意味が分かりませんが、なんかすごいものを見た気がします……!」


 葵は興奮気味に何度も頷く。


 いや多感な時期の中学生が見ていいものじゃないぞ、マジで……。


 しかし、なんということだろう。

 義妹いもうとの前でネコミミに敗北するという醜態を晒してしまった。


 情けない。

 このままでいいのか、三上みかみ奏太そうた

 いいや、いいはずがない。


 立ち上がれ。

 立ち上がるんだ。


 唯花がその気ならもうこっちも容赦しない。

 義妹いもうとの前で可愛く『みゃあみゃあ』鳴かせてくれるぞ――!


 俺はカッと両目を見開く。


「俺、復活ッ! さあお遊びはここまでだ、唯花にゃ――」


「あ、今日はそのターンいいから」

「――んぷぎゅるっ!?」


 腹筋の要領で起き上がったところに肉球。


 狙ったように唯花が突き出していた肉球に突っ込んでしまい、カウンターを取られた俺はあえなく撃沈した。


 馬鹿な、読まれていたというのか……。


 いつもならここから俺の逆転劇が始まるのに、あえなくキャンセルされてしまった。


 俺のターン終了。

 ずっと唯花のターン。


 ソファー&俺から下りて、唯花は優雅に葵の方へ。


「葵ちゃん、どう? 見ていてくれた?」


 良い女感を醸し出した、凄まじいドヤ顔である。

 ネコミミついてるのに堂々と良い女感を出せるのが実に唯花だった。


「こうやって主導権を取れば、奏太さえも恐るるに足らず。こっちの要求を通し放題だよ」


「えっと、それはつまり……カフェへいくことを承諾させたように、なんでも要求できるってことですか……?」


「うん、そういうこと」


 唯花は厳かに頷く。

 いや、普通にねだられても連れてくけどな?

 むしろしょっちゅうカフェデートしてるけどな?


「同じことは伊織にも通用するはずだよ。もし葵ちゃんがこうやって主導権を取れば……」


 葵ははっと目を見開いた。


「伊織くんの本音を簡単に聞き出せる……!?」

「うん、そういうこと!」


 唯花は満面の笑みでさらに大きく頷いた。

 そのままいそいそと肉球、ネコミミ、鈴チョーカー、ネコしっぽを取り外す。


 そして。

 差し出した。

 目の前の葵へと。


「じゃあ……はい、どうぞ!」

「へ?」


 葵の目が点になった。

 眼前には差し出された、ネコグッズ。


 問答無用で手渡され、背中を押すようなサムズアップまで追加。


「これを葵ちゃんが装着して伊織をやっつければ、本音なんて水道をひねるようにじゃばじゃばと聞き放題だよっ」


「え? え? え?」


 動揺する葵。


 ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!


 葵の手のひらの上、ネコグッズから重い効果音が響く。

 少女の頬は見る見る引きつった。

 

「こ、これをわたしが……!?」


 かくして。

 俺たちの義妹いもうと、星川葵は人生の岐路に立たされた。


 次回、唯花にゃんを受け継ぎし者――葵にゃんの爆誕である!




              ◇ ◆ ◆ ◇




 同時刻。

 彩峰中学の正門。


 伊織は息を切らせて走っていた。


「嫌な予感がっ、嫌な予感が止まらない……! これはぜったい奏太兄ちゃんとお姉ちゃんの不思議時空が炸裂してる……!」


 焦りをにじませ、伊織は叫ぶ。


「無事でいて、葵ちゃん! 今僕が助けにいくからーっ!」

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