書籍1巻記念SS「アー子さんの特別授業」


 キンコーンカーンコーン……。


 どこかからか、チャイムの音が聞こえる。

 いつの間にか、机に突っ伏していたみたいだ。


 俺はゆっくりと顔を上げる。


「……は? え、どこだ、ここ?」


 目の前には教卓と黒板。

 机が整然と並び、窓の向こうにはグラウンドがあった。


 教室だ。

 気づいたら教室にいた。


「なんでだ? 俺、さっきまで唯花ゆいかの部屋にいたよな? やっと奏太にゃんから人間に戻って、チョコを食べさせられてたはずなのに……」


「これはね、三上みかみちゃんがみている夢だよ」

「え?」


 突然、聞き慣れた声がした。


「アー子さん……?」

「そうだよ、三上ちゃんの頼れる先輩、科学部エースのアー子さんさ」


 つい今の今まで教卓には誰もいなかった。

 けれど声が聞こえて、瞬きをした瞬間、そこには制服に白衣を着た、アー子さんが現れていた。


 微妙に髪があちこち跳ねてるが、顔立ちは美人。

 オシャレに興味のない、すっぴん美人。それがアー子さんである。


「夢って……。ああ、そうか、いつの間にか唯花の部屋で寝ちゃって、俺がこういう夢をみてるってことか」


「そゆこと。今日はそういう設定でお送りするからね」

「設定て」


「第1巻の発売日がついに情報解禁になったからね! 夢っていう設定で記念SSをお送りするのさ!」

「おいおいおい」


 すげえぶっちゃけたな!

 まあ、おかげでコンセプトは分かったけども!


「でもなんでアー子さんなんだ?」

「しょーがないじゃん。ほら、幼馴染ちゃんは引きこもりで外界とは繋がりがないから」


「あー、なるほど。ここ最近はともかく、1巻目はガチで俺以外と繋がりないもんな」

「そゆこと。あとはほら、私ってもう本編ではなかなか出てこられないじゃん?」


「え、なぜに?」

「だって三上ちゃんは幼馴染ちゃんともうラブラブ一直線だし? 朝ちゃん先生はともかく、私なんてもう出れば出るほど可哀そうなことになっちゃうでしょ?」


「待って頂きたい。なんか色々複雑な理由でコメントができない」

「だよねー。だって本編だと私が三上ちゃんに告白済みかどうかは未確定だし、メタ的に何も言えないよねー」


 教卓をぺしぺししながら超笑顔。

 プレッシャーがすごい、アー子さんのプレッシャーが超すごい。


「ま、そんなわけで、不憫に思った作者が私を今回の発売記念SSの案内役にしたわけさ」

「作者のことまで言及するとか自由過ぎないか……?」


「スレ〇ヤーズのあとがきとか大好きだったからね!」

「あー、L様と部下S的な? って、ちょっと待った! いつにも増してネタがストレート過ぎるぞ!? いつもはさすがに伏字レベルのネタはやらないよな!?」

「それには理由があるんだよ、三上ちゃん」


 切ない笑みで首を振るアー子さん。


「よく考えてみて? これは作者が思いつきで書いたただの発売記念SS……つまりたとえ書籍化がこの話数まできたとしても、この話が収録されることは決してないのさ」

「な、なるほど……」


「今ここにいる私含め、すべては泡と消えるような儚い存在なんだよ!」

「コ、コメントできない……っ。そういえば本編でのアー子さんって声だけの登場だったもんな。せっかく本人が登場したのに、これも泡と消えるのか……」


「だからやりたい放題やっていい!」

「ってことにはならないけどな!?」


 さすがにいかんと思い、俺は軌道修正を試みる。


「さっきから肝心の書籍情報がなんにもないぞ。アー子さん、ちゃんと案内役をやってくれ」

「あー、そうだったそうだった」


 こほん、と咳払い。


「とりあえず発売日の方は近況ノートか小説情報を見てね。ここでは1巻の内容に言及するよ」

「おー、どんな感じなんだ?」

「えっとねー」


 教卓からメモ書きのようなものを取り出す、アー子さん。


「作者の汚い字で『構成にめっちゃ悩んだ……』って書いてある」

「どういうことだってばよ……」


「ほらこの小説って、毎回、短編形式で話を締めるじゃん?」

「あー、最近は①とか②って形で続き物にしてることが多いけど、序盤は確かに完全な短編方式だったもんな。一冊の本にするとそれぞれが短過ぎるかもってことか」


「みたいだね。あ、でもなんやかんや頑張って、書き下ろしも色々入れたって」

「ほー、どんな?」


「えーとね、まずは三上ちゃんと幼馴染ちゃんの幼稚園時代」

「懐かしいな。唯花がスモッグ着て、黄色い帽子被って、ポシェット付けて、『ほへー』とか言ってた頃か」


「あと三上ちゃんと幼馴染ちゃんの小学校時代」

「あー、唯花がちょっとマセてきて、事あるごとにお姉ちゃん面してた頃な。ランドセルは赤だったぞ」


「そんで三上ちゃんと幼馴染ちゃんの中1時代」

「胸が大変育ってきた頃だな。そういやこないだ本編でも中学の制服着てたわ」


「それで三上ちゃんと幼馴染ちゃんの中2時代」

「唯花のツンデレ時代が終わりを告げる頃だな。本編で度々言われてる、京都中を巻き込んだ修学旅行が起きたのもこの頃だぞ」


「最後に三上ちゃんと幼馴染ちゃんの中3時代」

「現在の唯花のダダ甘えっぷりが垣間見えてきた頃だな。書き下ろすとすれば、たぶん受験前後の話辺りか」


 うんうん、と頷き、俺ははたと首を傾げる。


「……ずいぶん書いたな。ほぼ俺たちの半生を網羅してるぞ」

「悩んだ末の判断ってとこじゃないかな? まあ、個々の文量は短編サイズだろうけど」


 と、アー子さんが言ったところで、チャイムが聞こえてきた。


 キンコーンカーンコーン……。

 同時に窓の外が見る間に夕暮れに変わっていく。


「ああ、もう時間だね。私の特別授業はここまでだ」


 夕焼けを見つめるその横顔は、どこか淋しそうだった。


「……あのさ、アー子さん」

「安心していいよ」


 遮るように言われた。


「次の話に進んだ時には、三上ちゃんはこの夢のことはすべて忘れてる。何もかもなかったことになるんだ」

「そりゃまあ、そうなるしかないんだろうけど……なんか申し訳ない気分だ」


 せっかくこうして出てきてくれたのに。


「いいんだよ。どっちにしろ、如月家が舞台の4章じゃ、私の出番なんてない。こうしてまた三上ちゃんに会えただけでも御の字さ。……ただ、うん、そうだね」


 教卓からこっちへ、アー子さんが歩いてくる。


「これは泡沫の夢だ。すべて消えていく、一瞬の幻だ。だから……これくらいのイタズラはしちゃおうかな」


 そうしてポケットから何かが取り出された。


「三上ちゃん、今日が何の日か知ってる? ――ヴァレンタインデーだよ」


 差し出されたのは、きれいに包装されたチョコレート。

 一目で分かった。

 これは――義理じゃない。


 はっとした。

 直後に俺は席を立ち、彼女を正面から見つめた。


「アー子さん。俺は――」

「知ってる。三上ちゃんが受け取らないのも、君に好きな子がいることも」


 儚げに笑い、チョコレートが放り投げられた。

 同時に世界がふわりと形を失くしていく。


 夢が覚めるのだ。


「安心して。君を困らせたりしない。本当に渡したりはしないよ。ただ……私もチョコをあげようとしてみる、って女の子っぽいことをしたかっただけさ」


 そうして。

 彼女はすべてなかったことになる世界で。

 残滓のような夕焼けに照らされて。

 とても透明に笑いながら。


「――ばいばい、三上ちゃん。また、いつかどこかで」


 泣いて、笑った。


「アー子さんっ!」


 床が消え、俺は真っ黒な穴へと落ちていく。

 その先は現実だ。なんの恐怖もない。


 ただ、彼女にちゃんと返事ができないことが悔しかった。

 ……いやこれは俺のエゴなのだろう。俺は唯花が好きだ。唯花以外の女子から本命のチョコを受け取ることはない。


 それを分かった上でアー子さんはチョコを見せ、そして放り投げた。

 だったら俺がすべきことは何も言わずに暗闇に落ち、現実に戻って、すべてを忘れることだけだ。


 けれど。

 どうしても気になることがあった。


「なんか感動的な別れっぽく言ってるけど、発売日直前とかになったら、またこの特別授業やるんじゃないのかぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「――あ」


 しまった、という顔だった。

 なんせこんな別れ方をした後だ。次に顔を合わせた時、絶対気まずい。


 こうして。

 壮絶に嫌な予感を抱えながら、俺は現実に帰還していく――。



                         次回更新:2/17(月)予定

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る