第105話 星は願う(葵視点)

 伊織いおりくんはずっとわたしの憧れでした。


 優しくて、穏やかで、女の子みたいに可愛くて……男子も女子も伊織くんのことが大好き。まるでアイドルみたい。


 そんな彼をわたしはいつも遠くから見ていました。

 でもある日、手芸屋さんをしてるウチのお店に伊織くんが来てくれて、その時から2人だけで話すことができるようになったんです。


 伊織くんは色んな話をしてくれました。


 お姉さんが部屋から出てこなくなってしまったこととか。


 奏太そうた兄ちゃんさんがヒーローみたいにそこへ飛び込んでいって、お姉さんと外の繋がりを保ってくれたこととか。


 ……かと思えば、毎日イチャイチャしだして、目のハイライトが消えそうなこととか。


 そのわずかな時間がわたしにとっての宝物でした。本当に本当に大切な宝物でした。


 やがて奏太兄ちゃんさんとお姉さんをくっつけるために、伊織くんと恋人のフリをすることになって……さらには本当にお付き合いできることになって、正直、舞い上がるくらい嬉しかったです。


 自信なんてどこにもなかったけれど。

 報われたような気がしました。

 わたしはずっとずっと伊織くんが好きだったから。


 ファミレスでは奏太兄ちゃんさんが励ましてくれて、心から頑張りたいって思えました。伊織くんの幸せを考えて、考えて、わたしも精一杯頑張っていきたいって。そう思えたんです。


 ――でも。


 今日の夕方。

 縁結びの神社にいく時、伊織くんのクラスの人たちに会ってしまって。

 目の当たりにしました。


 たくさんの人たちに祝福される伊織くんの姿。

 わたしはたとえ彼氏が出来たことを話したとしても、仲のいい数人の友達だけ。

 でも伊織くんは違う。彼をお祝いしたいという人がどんどん集まってくる。


 その時、気づきました。

 初めから分かっていたことだけど、改めて気づいたんです。


 ああ、住む世界が違うんだって。


 考えてみれば、奏太兄ちゃんさんは今も語り継がれる伝説の人。

 お姉さんもまことしやかに伝わっている幻の美少女。

 京都の逃走劇とか文化祭の男子女子分裂戦争とか、2人の逸話は中学校の誰でも知っています。


 そして伊織くんはそんな奏太兄ちゃんさんの弟分で、そんなお姉さんの実の弟。

 考えてみるまでもなく、わたしとは違う世界の人でした。


 彼は特別な人。

 伊織くんをただ遠くから見つめてきただけのわたしとは……本当に違うんです。


 わたしは小学校の頃から聞いていました。

 奏太兄ちゃんさんとお姉さんが伊織くんの憧れなんだって。


 だとすれば。

 伊織くんが2人のような存在になりたいのなら。


 隣にいるべきは……わたしじゃない。

 もっと相応しい人が他にいる。


 伊織くんの本当の幸せはなんなのか。

 そのためにわたしが出来ることはなんなのか。


 考えて、考えて、考え抜きました。


 答えは簡単。

 わたしのような脇役から伊織くんを解放してあげること。


 奏太兄ちゃんさんのようになりたい伊織くんは、いつかお姉さんのような素敵な人と出逢えるはずだから。


 哀しくても、辛くても、たとえ嫌われてしまったとしても、伊織くんの幸せを信じて、お別れする。それが精一杯のわたしの好きの形。


 だからお願い。

 幸せになって。


 わたしのことなんて忘れていいから。

 あなたの思い出から消してしまっていいから。


 お願い、幸せになって。

 いつかもっと素敵な人と出逢って、あなたがその理想に届くように。

 わたしは遠くから祈っているから。ずっと願い続けるから。



 大好き。だからお別れします。



 ――そう、思っていたのに……っ!


「なんで!? なんでなの、伊織くん……っ!」


 わたしは背を向けて逃げながら叫ぶ。


 ここはホテルのロビー。

 大きな観葉植物が要所に置かれていて、奥には二階への大階段、左手にはラウンジがあって、右手にはエレベーターホールへの廊下がある。


 そのロビーの真ん中を突っ切るように、伊織くんが駆けてきていた。

 学校の人たちがそこら中にいるなか、大きな声でわたしに告白すると宣言して。


「なんで、って決まってるよ! あおいちゃんだって分かってるはずだよ!」

「分かんない! なんにも分かんないよ……っ!」


 混乱しながら左手のラウンジに向かって走った。

 とにかく逃げなきゃと思った。でもラウンジに差し掛かろうとしたところで。


「女バスのみなさん! 葵ちゃんを行かせないで下さいっ」

「よしきた! OGの先輩から全力でサポートするように言われてるからね! あと天下の如月君の公開告白なんて超見たい! はい、せーのっ!」


「「「ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス!」」」

「ええっ!? なにこれーっ!?」


 わたしが通り抜けようとした途端、ジャージ姿の女の子たちが扇状に広がって道を塞いできた。


 通れない! 一部の隙も無くてぜんぜん通れない!


 腰が抜けそうなほど驚きながら、どうにか方向転換。

 ロビーの観葉植物を伊織くんへの壁代わりにして大回り。


 今度は二階への大階段に向かった。だけど、そこでまた伊織くんが声を張り上げる。


「クラスメートのみんな! 階段への侵入を封じて!」

「分かった! 星川ほしかわさん、ごめん! 俺たち、如月君と星川さんの幸せを願ってるんだ! みんな、やるぞ!」


「「「うおおおおおおおおおおおおっ!」」」

「きゃあ!? 怖い、なんかひたすらに怖い!」


 伊織くんのクラスメートらしい、寝間着姿の男の子たちが号泣しながら吼えた。

 何かしてくるわけじゃないけど、圧がすごい! ひたすらにすごい!


 アニメだったらシュウシュウシュウってオーラが出てそうな感じ! なんか怖くて近寄れない!


 わたしは再び方向転換。


「い、伊織くんの幸せだったらわたしも願ってるのに……っ」


 そうつぶやきながら、今度はエレベーターホールへ向かう。

 確かエレベーターの横に非常階段があったはずだから、そこから逃げれば……っ。


 と思った矢先、後ろから追ってくる伊織くんがまた叫んだ。


「先生! 一生のお願いです。葵ちゃんを引き留めて!」

「あー……」


 すごく微妙そうな顔で立っているのは、伊織くんの担任の朝倉あさくら先生。

 ポニーテールがトレードマークの20代女性の現国教師。今は引率のためのラフなウェアとジーンズ姿。


 まさか先生が伊織くんの言うことを聞くはずない。

 もう夜中だし、部屋を抜け出したわたしたちを叱るはず。そうなればこの追いかけっこは終わる。……と思ったのに。


「……くっ、背に腹は代えられないか。星川、ここを通りたいなら私を倒していけ!」

「えええっ!? なんで!? どうしてそんなことになるんですかーっ!?」


「すまん、本当すまん、星川。私には分かるんだ、どうやら如月が覚醒したっぽいことが……っ」


 朝倉先生は苦渋の決断っぽい顔で言う。


「如月家の人間が一度覚醒してしまったら、我々に出来るのはもはや早期に事態を収拾することだけなんだ。その判断を見誤れば、京都が大変なことになる! ……如月姉の時もそうだった。学生時代の撫子なでしこ先輩もそうだった。だからここですべて終わらせなければならない! 私は詳しいんだ!」


「あのっ、すごく壮大な雰囲気で言ってくれてますけど意味が分かりません!」

「だろうな。だがここは通さない。京都の人々の平和のために! 私の命に代えても! 生徒よ、先生は本気だぞ!?」

「謎の本気が重た過ぎます!」


 わたしは三度目の方向転換。

 でも焦り過ぎてしまって、まわりを見ていなかった。


 わたしが向きを変えた先にあったのは、エレベーターホール前に設置された、据え置きタイプの柱時計。そこに全速力でぶつかってしまった。


「あ……っ!?」


 壁に衝突したかのような衝撃。

 直後に目を開くと、柱時計がゆっくりと向こう側へ傾いていた。

 血の気が引く。


 ホテルの時計を壊しちゃう……!


 反射的に時計の淵を掴み、こっち側へ引っ張った。

 すると、倒れかけだった時計は拍子抜けするくらいに方向を変え、今度はわたしの方に傾いてくる。


「え……」


 自分のつぶやきが他人のものように聞こえた。

 たぶん柱時計の重さはそれほどじゃない。全速力とはいえ、わたしがぶつかった程度で傾くくらいだから。


 でもその全長はわたしの身長よりも高くて、表面が――ガラスで覆われている。


 あ、これ駄目だ、と思った。

 スローモーションのような視界のなか、見えたのは時計の文字盤。

 12時の3分前。


 ああ、ひどい誕生日になっちゃったな……。


 今日が終わると同時に、たぶんわたしも終わる。

 きっとバチが当たったんだ。

 恋人になれたことを喜んで、一時でも伊織くんの本当の幸せを邪魔してしまったから。


 だったらせめて償いをしないと。

 もう何もできないけど……せめて心の底から願うくらいはしないと。


 神様、どうかお願いします……っ。

 わたしのことはもういいから、全部諦めるから、だから代わりに……っ。



 いつか伊織くんが素敵な人と出逢えますように。


 

 そう願いながら瞼を閉じた。

 縦長の大きな影がわたしを塗りつぶしていく。

 でも。


「葵ちゃん――っ!」


 強い覚悟を秘めたような声が響き、誰かがわたしの上に覆いかぶさってきた。

 直後、エレベーターホールに大きな音が木霊した――。


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