第104話 星に届くヒーロー(伊織視点)

 縁結びの神社の鳥居をくぐると、急勾配きゅうこうばいの階段がある。

 段数は100段。


 この階段は恋人たちの試練を表している、って旅行のしおりに書いてあった。

 だからまさに今の僕が乗り越えるべきものだ。


「駆け抜けろ、伊織いおり! こっからはお前のターンだ!」

「うん! ここからはもう――止まらないよ!」


 奏太そうた兄ちゃんの声援を受け、僕は心臓破りの階段を全力で駆け上がる。


 石の階段を踏みしめ、真っ直ぐ空を見据えて、ひた走った。

 木立ちの緑の匂い、苔むした階段の感触、透き通るような夜の空気、すべてを置き去りにして、とにかく前へ。

 

 そして息を切らせながら上り切った。

 最後の一歩と同時に、体の熱を吐き出すように名前を呼ぶ。


「葵ちゃんっ!」


 声が境内に木霊した。


「……っ、伊織くん!? ほ、本当に……っ」


 境内の真ん中、お社の前に彼女はいた。

 小柄な体、ふわふわの髪、カーディガンを羽織ったワンピースの私服姿。


 星川ほしかわあおいちゃん。

 僕の大好きな女の子。


 葵ちゃんはスマホを握りしめ、目を見開いている。

 満天の星空の下、僕たちは向かい合った。


「伊織くん、どうして……」

「ここに葵ちゃんがいるって知って、だから僕も来たんだ。もう一度、ちゃんと話がしたくて……ううん、違う」


 僕は言い直す。


「約束だったから。今日――葵ちゃんの誕生日にこうして一緒に来ることが僕らの約束だったから」


 お社の横の社務所には時計がある。

 時間は12時の15分前。まだ今日は終わってない。


「ここは縁結びの神社。だから僕はここで葵ちゃんともう一度……っ」

「い、言わないで!」


 僕が前へ進むと、葵ちゃんは後退った。


「何も言わないで……っ。伊織くん、勘違いしてるよ。わたしが今ここにいるのは……なんとなくなの。眠れなかったからちょっとさんぽをして、たまたまここに来ちゃっただけなの。だから伊織くんが思ってるような意味は何もないから……っ」


 僕は苦笑する。


「たまたまで100段もある階段を上るのは結構大変だよ? 今走ってきたから分かるもん」

「た、たまたま100段上りたい時もあるよ!」


 必死に言い返し、葵ちゃんはまた後退さる。


「どうして来たの……っ。もうお別れしたじゃない。終わりにしようって言ったじゃない。なのに……っ」

「だって、泣いてるから」

「え?」


 葵ちゃんが顔を上げる。

 その瞳にははっきりと涙の雫が浮かんでいた。


「葵ちゃんが泣いてる時は駆けつけるよ! だって僕は――彼氏だもん!」

「……っ」


 大粒の涙をこぼし、葵ちゃんは背中を向ける。

 そして弾かれるように走り出した。


「知らないっ! 伊織くんなんて――キライ!」

「嫌われたっていいよ! 葵ちゃんが泣くよりずっといい!」


 後を追って、僕もすぐに駆け出した。


「ばかっ! 伊織くんのせいで泣いてるのっ。どうして分からないの!」

「分かってるよ! だからその涙を止めにきたんだ!」

「違う! ぜんぜん違うの! もう……っ!」


 境内には参拝が終わってから下りるための裏道があり、葵ちゃんはその階段を駆け下りていく。


 僕らのホテルは神社のすぐそばにある。木々の間からはホテルの建物がちらちらと見え隠れしていた。


 灯篭型のライトが照らすなか、ワンピースのスカートが蝶のようにひらひらと逃げていく。


「わたしは伊織くんや奏太兄ちゃんさんとは違うの! 考えてもみて、奏太兄ちゃんさんは学校でずっと語り継がれる伝説の人。お姉さんも写真部に殿堂入りした写真があるくらいの幻の美少女。伊織くんはみんなのアイドル。でもわたしは違う! ただの一般人だよ。みんなの真ん中にいて活躍する、主人公みたいな人たちとは違うの。わたしはただの脇役。こんなわたし、伊織くんに相応しくない……!」


 その言葉を聞いて、はっと思い出したのは――今日の夕方、葵ちゃんと神社にくる途中でクラスのみんなに鉢合わせした時のこと。


 あの時、みんなは僕らを祝福してくれようとしていた。

 からかいつつも、良かったねと笑ってくれていた。


 でも……そうだ、葵ちゃんはそのなかで居たたまれない顔をしていた。

 辛そうに作り笑いをし、でもその笑顔すら曇って、やがて輪のなかから飛び出していってしまったんだ。


 葵ちゃんは走りながら涙をこぼす。


「今日、心から分かったの……っ。あんなふうにみんなに囲まれて祝福される伊織くんとは、わたしは不釣り合いだって! 伊織くんにはもっと相応しい人が絶対いる……っ。きれいでキラキラしてて素敵な人がいるはずなんだよ……っ」


 いつしか階段は終わり、道路を横切って、僕らはホテルの正面玄関に辿り着いていた。


 100段を駆け上がった直後の僕は、とうとう追いつくことができず、数メートル先で葵ちゃんが立ち止まる。


 そこはホテルの自動ドアの前。

 懇願するように告げられたのは、拒絶の言葉。


「……だからお願い、もうわたしに関わらないで」


 振り向かず、葵ちゃんは自動ドアをくぐっていく。


「葵ちゃん……っ」


 呼びかけても返事はなかった。ワンピースの後ろ姿は去っていく。

 僕らの間を隔てるように、ドアがゆっくりと閉まっていった。


「そんな……」


 僕の足はとぼとぼと遅くなっていく。


 自動ドアのガラスの向こう、ロビーにはホテルのスタッフさんたちがいて、部屋から抜け出してきたウチの学校の人たちの姿もあった。


 多くの視線が行き交うロビーに入ると、葵ちゃんは何事もない様子を装って歩き始めた。


 走っていたせいで乱れている呼吸を必死に押さえ、平静さを張り付けるようにしてロビーを横切っていく。まるで注目されることを恐れるようなその背中を見て……僕はふいに気づいた。


 ……ああ、そうか。

 葵ちゃんは……昔のお姉ちゃんに似ているんだ。


 お姉ちゃんは外の世界を怖がっていた。

 同じように葵ちゃんも注目されて周囲から浮いてしまうことに怯えている。

 それは不用意に触れたら砕けてしまいそうなほどに。


 だとすれば……。


「僕がそばにいると……もっと葵ちゃんを苦しめちゃうのかな」


 ホテルの正面玄関。

 その自動ドアの前で、僕の足はついに止まりかけた。

 でもその直前。



 ――今度こそ葵ちゃんの心を射止めて、お姉ちゃんにもっかいお祝いの言葉を言わせてね。



 心のなかに声が聞こえた。

 お姉ちゃんの声だ。


「……っ! 止まるな、僕!」


 嵐のように気づき、止まりかけていた足を力いっぱい踏み出した。

 強い推進力を得て、体が大きく前へ進む。


 危ないところだった。

 そうだ、間違えるな。

 独りぼっちで震えてる人を放っておくのは勇気じゃない。


 本物の勇気がなんなのか、僕はもう知ってる。

 だってお姉ちゃんが見せてくれたから。全身全霊で僕に伝えてくれたから!


 大きく息を吸い込み、前を見据えて駆け出した。


「――どんなに怖くても大切な人のために扉を開く! それが本当の勇気だ!」


 自動ドアが開き、僕は勢いよく走り抜けた。

 見渡すのはホテルのロビー。


 扉が開いた先には、まったく別の世界が広がっていた。

 ガラス越しでは詳しいことが分からなかったけど、今は違う。新しいものが見えていた。


 ラウンジにいるのは女子バスケット部の人たち。葵ちゃんがホテルにいないことを教えてくれた人たちだ。


 二階に続く大階段には僕のクラスの男の子たちがいる。きっと心配して部屋から出てきてくれてたんだろう。


 エレベーターホールからは担任の先生も歩いてきていた。


 みんな、知ってる人たちだ。

 つまりは僕の仲間になってくれる人たちだ。

 

 さあ、やるぞ。

 独りぼっちで震えてる女の子に何をしてあげられるか、僕はもう知ってる。


 だって奏太兄ちゃんが見せてくれたから。とんでもない全力全開を今夜経験させてくれたから!


「みんなっ! 聞いてーっ!」


 僕はロビーに響き渡るほどの声を張り上げた。


 事情を知っている女バスの人たちは『あっ』という顔をした。

 クラスの男の子たちも「如月君っ」とほっとした表情になる。

 担任の先生は「げっ、おい、まさかまた如月家の騒動か……っ」とよく分からないことを言った。


 そして葵ちゃんはロビーの真ん中からビクッと振り返る。

 僕が何しようとしているのか、分からないという顔だった。


 そんな葵ちゃんに笑いかけ、僕は高らかに叫んだ。


「みんな、力を貸して! 葵ちゃんが逃げないように引き留めて! 僕が――今から葵ちゃんに告白するからーっ!」


 一瞬の静寂。

 直後、怒涛の歓声がロビーに響き渡った。女バスの人たちは「きゃあああ!」と黄色い悲鳴を上げ、クラスの男の子たちも「うおおおお!」と騒ぐ。先生は頭を抱えていた。


 でも一番叫んだのは葵ちゃんだった。


「な、何言ってるの、伊織くんはぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「言葉通りだよ! 僕はこれから葵ちゃんに告白するからね!」


 宣言して駆け出した。

 葵ちゃんはおろおろしながら逃げようとする。


「こ、告白って! こんな公衆の面前で……っ。やることが極端! 奏太兄ちゃんさんみたいに極端!」

「違うよ。僕は奏太兄ちゃんにはなれないし、ならない。代わりに……超えるんだ!」


 ロビーの至るところから応援してくれる声が響いていた。

 その声援のすべてが力になって、強く、強く踏み出せる。


「いつか三上奏太を超える男、それが僕――如月伊織だ!」


 真っ直ぐに走る。

 葵ちゃんの涙を止めるため、世界は怖くないって伝えるため、もう一度恋人になってもらうため。


 僕が願うことはただ一つ。

 大好きな女の子のヒーローになること!

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