第94話 2日目 三上奏太のライフゼロな一日

 三上みかみ奏太そうた、17歳。

 昨日、幼馴染に……嫌われました。


 父さん、母さん、目の前が真っ暗です。

 夢も希望もございませぬ。


 現在、俺は学校の教室にいる。

 授業中なんだが、さっぱり頭に入ってこない。

 黒板で板書されてる内容も、周囲のクラスメートたちの息遣いも、何もかも現実の外側の出来事に思える。


「じゃあ、この問題を……三上、前に出て解いてみなさい」

「……あのさ、先生」

「ん? どうした?」


「俺、この先どうやって生きていけばいいのかな……」

「いやどうした、三上!?」


 ざわっと教室がざわめき、みんなからの何事かという視線を受けながら、俺はさめざめと泣き明かした。


 授業後、先生から「何があったかは知らないが、先生たちでよければ話を聞くし、言いづらかったら友達に相談してみるのも手だぞ」とアドバイスをもらい、俺は昼休みの学校をさ迷い始める。


 以下、ふらふらと現実逃避している俺のダイジェスト。

 まずは生徒会室。


「……会長、聞いてくれよ。俺、唯花に嫌われたかもしれない……」

「お前が例の幼馴染さんに? ははは、そんなわけがないだろう。三上、寝ぼけてるのか? 馬鹿なことを言ってないで、中庭で顔でも洗ってこい」

「ええー、寝ぼけてないのに……」


 生徒会室から出て、中庭へ。


「……あ、番長だ。聞いてくれよ。俺、唯花に嫌われたかもしれない……」

「あん? お前が例の幼馴染に? あほか。さては寝ぼけとるな。中庭は今、あたしらが集会やっとるんだ。科学部で目覚まし時計でも作ってもらってこい」

「ええー、寝ぼけてないのに……」


 中庭から科学部の部室へ。


「……アー子さん、聞いてくれよ。俺、唯花に嫌われたかもしれない……」

「えっ、三上ちゃんが例の幼馴染ちゃんに!? うそ、マジで? やったぁ!」

「ええー、寝ぼけてないのに……」

「ちょ、三上ちゃん!? あたし寝ぼけてるとか言ってないよ!? あ、どこいくの!? 放課後、一緒に駅前の実験カフェいかない? ねえってばーっ!」


 科学部の部室から教室に帰ってきた。


「……学級委員長、聞いてくれよ。俺、唯花に嫌われたかもしれない……」

「ああ、それで授業中、変な感じだったのか。だったら俺が女を世話してやろう。ちょうど今夜、ハリウッド女優たちを呼んで船上パーティーをするんだ。三上も来るか? なんならヘリで迎えにいってやるぞ?」

「ええー、寝ぼけてないのに……」

「会話が成り立たん。重症だな、これは」



 何もかも夢のなかのような気持ちでぼんやりと過ごし、気づいたら放課後になっていた。

 俺は通学鞄を持って席から立ち上がる。


 なんか今日は学校が静かだった気がするな……。

 まあ、たまにはこんな日もあるだろう。


 学校を出ようとすると、なぜか生徒会の役員たちが血走った目で「なんで今日はこんなに忙しいんだ!?」と駆けずり回っていた。


 あと番長グループがぜえぜえ言いながら「ウチのシマはこんなに治安悪かったか!?」とケンカに明け暮れていた。俺はあまり気にせず、ぼんやりと正門を出る。


「……なんだろうな、景色が灰色に見える」


 いつもの通学路がひどく色褪せて感じた。

 俺の毎日はこんなに味気なかっただろうか。


 いっそ旅にでも出てみようか。ウチの両親みたいに日本を出て世界中をまわってみたら、新しい景色があるのかもしれない。


「……あー、旅といえば、伊織いおりたちは今ごろ京都か」


 ふと思いついて、スマホを取り出した。

 伊織は今日から修学旅行にいっている。

 ひょっとしたら旅先の瑞々しい空気を分けてもらえるかもと思い、電話をしてみた。


 ほんの数コールで通話状態になった。

 俺は控えめに口を開く。


「伊織、聞いてくれよ。俺、唯花に嫌われたかもしれない……」

「『お姉ちゃんに? 奏太兄ちゃん、寝ぼけてるの? 悪いけど、今こっちは大変なんだ! ノロケに構ってる暇ないから切るよ! じゃあね!』」

「え、おーい、伊織ぃ……」


 呼びかけてみるが、すでに通話は切れてた。

 瑞々しい空気どころか、よりもの哀しくなった。


 ……うぅ、辛い。

 唯花に続いて、伊織にまでぞんざいに扱われた。

 なんかもう立ち直れない気がしてくる。


 よし、こうなったら義妹いもうとだ。

 伊織が忙しいのなら、そのカノジョに掛けてみよう。


 早速、アドレス帳からあおいをタップし、電話を掛けてみた。

 でも繋がらない。十数コール掛けても応答がなかった。


 ただ、今の俺はだいぶ気が長い。

 通学路をとぼとぼ歩きながら1分ほどコールを続けると、ふいに繋がった。


「『奏太兄ちゃんさん……?』」

「おー、葵。京都はどうだー?」


「『あたし、あの……っ』」

「んー?」

「『本当にごめんなさい……っ』」


 通話が切れた。

 俺は目をぱちくりする。画面を見ても、表示されるのは『通話終了』の文字だけ。


 ごめんなさい、ってことは……あー、葵も忙しいのか。

 そりゃ修学旅行だもんな。


 なんか淋しい。

 誰にも構ってもらえず、俺はまたとぼとぼと歩きだす。

 

 しばらくして如月きさらぎ家に着いた。

 いつも通り、呼び鈴を鳴らしてインターホンで軽く挨拶し、なかに入る。

 リビングに顔を出すと、これまたいつも通り、撫子なでしこさんがいた。


「ちわっす」

「いらっしゃい、奏ちゃん」


 撫子さんはソファーに座って、女性誌を眺めていた。

 今日の格好はノースリーブのブラウス。

 露出している肩と二の腕の白さが眩しい。


 しかもブラウスの生地が絶妙に薄かった。け感のあるヒラヒラした白で、ひょっとしたら下着が見えてしまうんじゃないかという危うさがある。


 そこに撫子さんの爆乳である。ノースリーブを柔らかく押し上げて、案の定、凄まじい存在感を放っていた。しかもそのセクシーさと相反するように、ブラウスにワンピントのリボンがついていて、絶妙な可愛らしさも演出している。


 相変わらず究極体だった。

 しかし今の俺には過剰に反応する元気はない。


「んじゃあ、唯花のとこいってくるから」

「ちょっと待って。どうしたの、奏ちゃん? なんか捨てられてずぶ濡れの子犬みたいな雰囲気よ?」


 俺の顔色を見ると、撫子さんは女性誌を閉じて、ソファーから立ち上がってきた。


「ウチのお姉ちゃんと何かあった?」

「いや……」


 そういえば、昨日はキッチンで料理中の背中に挨拶だけして、そそくさと帰ったんだった。


「別に何も……」


 学校の仲間や伊織には言えても、唯花そっくりの顔の撫子さんには言いづらくて、俺は目を逸らした。すると、


「奏ちゃん。めっ」


 おでこをツンっとされた。

 目の前に浮かぶのは、優しい笑顔。


「苦しい時はちゃんと大人に頼りなさい。奏ちゃんが本気で甘えられる相手なんてなかなかいないんだから、撫子さんがお話聞いてあげる」

「撫子さん……」


 ずるい、これはずるい。

 唯花そっくりの顔でこんなこと言われたら、はらはら……と泣き崩れてしまいそうになる。

 すんっ、としゃくり上げ、俺は白状する。


「唯花に嫌われたかもしれない……」

「お姉ちゃんに?」


 撫子さんは珍しく驚いた顔をした。

 いつものからかいではなく、本当に驚いた雰囲気だ。


「お姉ちゃんが奏ちゃんに嫌いって言ったの?」

「言った……。面と向かってむきーっ、って感じで言われた」

「むきーっ、って感じね……なるほど」


 何か思案するように口元に指を当て、撫子さんは苦笑する。


「それは辛かったわね」


 と、言うと同時にノースリーブの腕が伸びてきて、頭をよしよしと撫でられた。


「ちょ、撫子さんっ」

「はいはい、いちいち動揺しないの。よしよし、奏ちゃんは良い子ね」

「こ、子供扱いかよ」


「あら、奏ちゃんはまだまだお子様でしょう? 童貞さんだし」

「童貞さん関係ねえ!」

「あら、大人の男はこういう時、動揺せずに素直に甘えるものよ?」

「え、そうなの?」


「そうよー? 弱った時、素直に羽を休めるのも男の度量のうちなのです」

「そ、そういうものなのか……」


 なにか納得させられてしまい、素直に頭を垂れた。

 柔らかい手のひらに身を委ね、なでなでされる。


「泣かないで、奏ちゃん。お姉ちゃんも本気で言ったわけじゃないわよ」

「でもさ……」

「大丈夫。そっくり母娘だから分かるの。お姉ちゃんはね、ちょっと奏ちゃんを困らせたかっただけよ。だからすぐに仲直りできるわ」

「うぅ、撫子さん……っ」


 にっこりと微笑みかけられ、本当に泣きそうになってきた。

 包容力がとてつもない。

 唯花がたまに発揮するお姉ちゃん力は、撫子さん譲りのものらしい。


 俺を優しく撫でながら、人妻お姉さんは小声でつぶやく。


「……でも、そっかぁ。昨日のあれを聞いた上で分かりやすくラブラブにならないなんて……唯花ったら奏ちゃんの気持ちをちゃんと自分で受け止めようとしてるのね。……嬉しい誤算だわ。わたしが思っている以上に、唯花はちゃんと前に進んでるみたい」


「撫子さん? 唯花がなんだって……?」

「ううん、こっちの話。それより奏ちゃん、今日の撫子さんは母性全開よ。もうめいっぱい慰めてあげる」


 そう言うと、撫子さんは頭から手を離し、両手を開いた。

 柔肌を着陸のための滑走路のように伸ばして言う。

 大きな胸を前後左右に揺らし、ブラウスのリボンをひらひらさせて。



「さあ、おいで? 子供の頃みたいに撫子さんのおっぱいでぎゅ~ってしてあげる」



「……マジで?」

「マジで。弱ってる男の子は全身全霊で甘やかしてあげるのが撫子さん流」


「それ、ダメ男にならない……?」

「良い男はそこから立ち上がるものなのです。たとえばウチのお父さんとか、奏ちゃんとか……んー、いおりんはまだまだかなぁ」

「見定めが的確……」


 なるほど、撫子さん……たぶんこの人、男を育てるタイプの女性だ。

 一瞬ちょっと本気で甘えたくなってしまった……が、だからこそ目が覚めた。


 俺はノースリーブの手首を柔らかく掴み、ゆっくりと下ろさせてもらう。

 撫子さんはぜんぶ分かっている顔で、わざとらしく「あら」と驚いた表情をしてみせた。


「滑走路が下りちゃった。おっぱいにぎゅ~って着陸しなくていいの?」

「……うん、やめとくよ。唯花以外の女性ひとに甘えたら浮気になりそうだから」

「残念。お義母さんとして甘えるならセーフだと思うけど?」

「いや、それはそれで問題だろ……」

 

 苦笑し、俺は腕や首をまわしてみた。うん、体が軽くなった気がする。撫子さんのおかげだな。


「んじゃ、唯花のところいってくるよ」

「ええ、お姉ちゃんによろしくね」


 小さめに可愛く手を振ってくれる撫子さんに見送られ、俺は階段を上り始めた。


 ……しかし今日一日、ライフゼロでガタガタだった俺をこうも一瞬で立ち直らせるなんて……撫子さんの包容力、本当半端じゃない。

 うーむ、まだまだ底が知れない人だな……。



              ◇ ◆ ◆ ◇



 そして、数時間後。

 ここは三上家の俺の部屋。


 唯花のところから帰ってきて、俺は自分のベッドで頭を悩ませていた。


「いや本当、どうしたもんか……」


 撫子さんに見送られた後、いつも通り唯花の部屋にいったのだが、今日の様子は本当にワケ分からんの一言だった。


 一応、昨日『きらーい!』と言われたものの、別段避けられたりはしなかった。


 ただし、ずっと布団を被り通しだった。

 完全防御姿勢でじぃーっとこっちを見つめ、時折、ポッと赤くなったかと思うと、ぶんぶんと首を振り、またじぃーっと見つめてくる。


 俺が『ど、どうした?』と尋ねても、『シャラップ・ユー!』と意外に流暢な英語で沈黙を強いられる。


 かと思えば、そろそろ遅いので帰ろうとすると、布団ごとツツツ……と寄ってきてブレザーの裾を摘まみ、『……帰っちゃダメ』と可愛く甘えてくる。


 おかげで今日はいつもより長めに滞在してしまった。

 まあ、なんやかんや唯花のお許しが出て最終的には帰ってきたのだが、あの挙動不審さの理由がさっぱり分からない。


「俺、唯花になんかしたかなぁ……」


 制服のワイシャツのまま、ベッドでごろごろしながら考える。

 と、その時だ。

 ふいにスマホが着信を告げた。


 表示されたのは見慣れない番号。

 イタズラ電話か? と思って出ずにいると、留守電に切り替わった。

 スピーカーから響いてきたのは、中学生ぐらいの男子の声。


「『あ、あのすみません! これ、三上先輩のお電話でしょうか!? 俺たち、如月伊織君のクラスメートです……っ』」


 伊織のクラスメート?

 何事かと思って、留守電モードを解除した。


「三上奏太だ。どうした? 何か困り事か?」

「『ああっ、伝説の三上先輩! 本物だぁ……っ』」


 伝説て。

 電話の向こうには、明らかにほっとしたような雰囲気があった。

 一緒に何人かいるらしく、ざわざわした声が響いている。


「『いきなり電話してすみません! 俺たちじゃ、もうどうしていいか分からなくて、誰か三上先輩の連絡先知ってる人がいないか、みんなで聞きまわってやっと分かって……っ』」


 伊織の中学は俺の出身中学でもある。

 たまに顔を出すこともあるし、俺の番号を知ってる後輩は探せば何人かいるだろう。


「でも伊織がいるだろ? そんな手間掛けなくても、伊織なら俺の番号知ってるぞ」 

「『それが……っ』」


 焦った様子の後輩の話を聞き、直後に俺はベッドから跳ね起きた。

 驚きで声を張り上げる。



「はあ!? 伊織が修学旅行先からいなくなったぁ!?」



 一難去らずにまた一難。

 新たな騒動が巻き起ころうとしていた。

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