第93話 嫁から不意打ちクリティカル

「はぁ、びっくりするくらいに行きづらい……」


 撫子なでしこさんの地獄のティータイムから解放され、俺はとぼとぼと如月きさらぎ家の階段を上っている。


 正直、今も顔がめちゃくちゃ熱い。

 理由は明白。初恋は唯花だの、いつかプロポーズして嫁にするだの、海の見える家で一生幸せにするだの、と撫子さんの前で叫んでしまったからだ。


「ああああ、なんで俺はあんなことをぉぉぉぉ……」


 廊下の壁に額を擦りつけ、悶絶する。

 やばい、恥ずかしい、穴があったら入りたい。なんなら伊織いおりの部屋の床を掘って穴を作ってしまいたい。


「……明日から修学旅行だって言ってたから、帰ってくるまでに穴を埋めとけばいいよな、うん」


 本人が聞いたら『奏太そうた兄ちゃん、勘弁してよ!?』と叫びそうなことをつぶやき、深々とため息。


 現在、俺と唯花は戦争中である。

 葵が義妹いもうとになったことを隠したい俺と、その隠し事を白状させたい唯花。

 両者の目的がぶつかり合い、この数日、血も涙もない抗争を繰り広げているのだ。


 昨日まではくんかくんかやくすぐりの猛攻をどうにか耐えることができた。

 だが今の状態はやばい。


 正直、唯花の顔を見るのが死ぬほど照れくさい。

 真っ直ぐ目を見る自信がない。なんなら体を180度捻って壁に話しかけてしまいそうだった。


 しかも、だ。

 唯花は俺がこんな状態だなんて知らない。


 幼馴染が数分前に自分の母親へ『娘さんを下さい』をしてきただなんて、一体誰が思おうか。


 唯花は今日も無邪気に責め立ててくるだろう。

 これで幼妻おさなづまの格好でもされていたら、俺は一撃で轟沈してしまうぞ。


「クソッ、しっかりしろ、俺! 葵の件を隠しておくのは他の誰でもない、唯花のためなんだぞ」


 小声で自分に渇を入れ、頬を叩いた。

 俺が葵を義妹にしたと知れば、唯花はまた一つ外の変化を知って淋しい思いをするだろう。そうさせないための隠し事だ。


「頑張れ、俺。唯花の――未来の嫁のためだからこそ、しっかりしろ」


 そうつぶやいて。


「…………ぬうううう」


 めっちゃ恥ずかしくなってしまった。

 赤くなった顔を押さえ、無意味に伊織の部屋の扉をがりがりとひっかく。あ、ちょっと傷がついた。すまん、伊織。


「……とにかく落ち着け。無だ、心を無にして今日を乗り切るんだ。そうだ、素数を数えよう」


 2、3、5、7、12……あ、やべ間違えた。12は割り切れるから素数じゃない。

 とか考えながら、唯花の部屋の前に立ち、ノックをした。


「ゆ、唯花ー。来たぞー」

「ひゃい!?」


 ……ひゃい?

 なんか妙に慌ててるような声だな。


「も、もう来たの!? 早い、早いよ、奏太っ!」

「いや早いって、なでし……お前のお袋さんと話し込んできたからいつもよりは遅いくらいだぞ?」

「そ、そうかもだけどっ、でも……!」


 なんか様子が変だな。

 しかしこれは逆にチャンスかもしれん。

 唯花の体勢が整っていないなら、先手を取ることで今日の攻撃を阻止できる。


「とりあえず入るぞ」

「えっ!? ちょっと待って! 冷却期間っ、まだ冷却期間が必要なの!」

「よく分からん。御免!」


 まさか着替え中か? とも思ったが、その時はその時だ。

 武士のようにぐっと唇を引き結び、俺は部屋に突入。


「ぬう!?」

「あう……っ」


 対面した途端、お互いに硬直。

 結論から言えば、唯花は着替え中だった。

 だが際どい部分はすでに着替え終わっている。


 下はちゃんと穿いているし、シャツのボタンもきちんと留まっている。

 唯一、髪がまだ編み終わっていないだけだった。


 だが俺にとっては格好そのものがコークスクリュー・パンチ。

 

 足首まで丈のあるロングスカート、清楚なレディースの白シャツ、肩には桜色のカーディガンを羽織っていて、髪はまだ編みかけの可愛い三つ編み。


 そう、幼妻スタイルだ。

 未来の嫁が今、幼い妻の姿をしている。


 か……っ、可愛いなちくしょう! 可愛すぎてもう死ぬぞ!? ライフがゼロどころか虚数に到達して、アンデットに転生してしまうぞ!?


 脳内で思わず絶叫し、そのままぽろっと本音がこぼれる。


「……やばい、すげえ可愛い」

「――!」


 カーディガンの肩をピクッと揺らし、唯花の顔が赤くなった。

 口元をもにょもにょさせ、蚊の鳴くような声でつぶやく。


「あ、ありがと……ございます」

「……っ!」


 な、なんで敬語なんだよ!?

 より一層可愛いだろうが!


 ぎこちなく身じろぎし、俺はついぶっきら棒な口調になる。


「べ、別に……本当のこと言っただけだし」

「だったら……ますます嬉しい、ですけれども」

「……むう」

「……あう」


 2人揃って押し黙る。


 なんだ?

 なんなんだ、この空気?

 いつもと違い過ぎる。新手の何かの攻撃でも受けてるのか? そうじゃないと説明できない空気だぞ。


 ワケが分からくて、チラッと唯花の顔を伺う。

 すると同じタイミングで唯花もこっちを伺っていた。


 目が合う。

 ばっちりと。


「……あ」

「あ……」


 ますます赤くなって、2人同時に目を逸らした。

 だからなんなんだ、この空気!?


 俺が唯花の幼妻姿にやられるのは当然だ。宇宙誕生以来の真理である。

 でもなんで唯花の方までこんな感じなんだ……?


 ふと見たら、テーブルに巫女服が脱ぎ捨ててあった。

 慌てて脱いだらしく、白衣装も赤袴も畳んでない。本当にベッドに放ってあるだけだ。


 まるで急遽きゅうきょ、幼妻スタイルに変更したような雰囲気だった。


 巫女服も俺に対しては絶大な攻撃力を誇っている。もちろん今日に限っては幼妻こそが最強だが……唯花はなんでいきなり作戦変更したんだ?


 視線を戻し、けれどやっぱり唯花の目を見つめるのは気恥ずかしくて、ややそっぽを向いて俺は尋ねる。


「なんで……今日はその格好なんだ?」

「ふえっ!? そ、それは……」


 声が跳ね上がった。

 唯花はあたふたと身じろぎし、肩から落ちそうになったカーディガンを押さえる。


「……それはもちろん、本日はお日柄もよろしいですし、心のなかには教会のベルが鳴り響いてますし、フラワーシャワーもめいっぱい舞ってますし……あ、でも奏太が白無垢の方がいいって言うならそっちでもいいけど、……ああもうっ、真正面から訊かれたらすごい照れくさいじゃない!」


 早口でよく分からないことを言い、加速度的にあたふた感が増していき、唐突に唯花は叫んだ。 


「か、勘違いしないでよね! 奏太のために慌ててこの格好に着替えたんじゃないんだからねっ」

「なんでいきなりツンデレ!?」


 なんか中学の頃みたいで懐かしい!


 不意打ち過ぎてハートを撃ち抜かれた。

 やばい、可愛過ぎてまともな思考が吹っ飛ぶ。


 ええと、なんだっけ?

 俺は今何をしてたんだっけ?

 

 ……あ、ああ、そうだ、戦争だ。俺と唯花は今、葵の義妹問題を巡って戦ってるんだった。


 ってことは……そうか、この幼妻スタイルは俺を尋問するためのスーパーモードなんだな。いかん、効果は抜群だ。


「なるほど……さすがはユイカ・オブ・ハート。ライフが虚数になってデビルソウタム化した俺を明鏡止水で倒す気か……」

「へ? いや奏太、何を言って……」


「だが! 俺は負けはしない! いつか地球を緑の星に戻すまで、決して負けるわけにはいかないのだよ。よって先手必勝!」


 俺は決死の覚悟で床を蹴った。

 一瞬で距離を詰め、腕を伸ばす。


「その三つ編み、俺がアミアミしてくれる! 編んでる間は俺のターンだから、唯花の攻撃は無しだぞ!?」

「いやそれどういう暴走なのーっ!?」


 唯花の三つ編みはまだ途中だ。

 房は二本あり、右側の三つ編みは完成しているが、左側はまだ編まれずにストレートのままになっている。


 それを俺がアミアミするのだ。

 唯花に触りたいからではない。地球に豊かな緑を取り戻すために、とても必要なことなのです。


 手のひらが髪に近づく。

 だがあと少しというところで、突然、目の前にノートパソコンがかざされた。


「よく分からないけど、緊急につき、盾の宝具を展開!」

「げっ!? そこはシャイニングなフィンガーとかを使ってほしいんだが――ほげぇ!?」


 無残に激突し、鼻をぶつけた。

 ただ昨日に続いて二回目なのでどうにか急停止。致命傷だけは免れる。

 

「ぶ、武器の使用は反則じゃろ……」

「武器じゃなくて防具だもん! そ、それよりもいきなり女の子の髪触ろうとするとか、なんなのですか、もう!」


「え、そこ? 俺、いつもお前の髪触ってるじゃん。よく頭撫でてるし……」

「そうだけどーっ! でも今日はいつもと違うでしょっ。今、奏太の大きな手で髪をアミアミなんてされたら、ドキドキしちゃ……わないんだからね! 勘違いしないでよねっ」

「いやどういうこと!?」


 ワケが分からない。

 一体、何がいつもと違うと申されるのか。そりゃ俺の方の気持ちは天元突破しているけれども。


 唯花は真っ赤な顔でノートパソコンをぐいぐい押しつけてくる。


「と、とにかく! 今は三つ編みをアミアミなんてさせないんだからっ。そんなことされたら心臓が粉塵爆発しちゃいます!」

「粉塵爆発!? お前の心臓って小麦粉で出来てたの!?」


「そうだよ! 乙女のハートはスィートな小麦粉クッキーで出来てるの!」

「いや粉塵爆発するなら生焼けだぞ!? ちゃんと火通した方がよくない!?」


「火を通すっ!? あたしのハートに何する気!? やめて! 素敵なことする気でしょう!? 少女漫画みたいに! 少女漫画みたいに!」

「落ち着け、今のお前はいつもよりどうかしている!」

「これが落ち着いていられるかーっ!」


 むきーっ、と唯花さんは両手を上げる。

 ノートパソコンが宙を舞ったので、俺が「おおいっ!?」と慌ててキャッチ。


 その間も唯花は小気味いいダンスのように両手を上げ下げしている。

 えーと、これはなんの動きはなんだ? ……あ、いつもぽかぽかしてくる動きか。


 自分から俺に触るのもアウトらしい。

 エアぽかぽかをしながら唯花は声を張り上げる。


「本当っ、奏太はいっつもいっつも絶妙にズルいのーっ! 形だけでもあたしのこと一回フッたくせに、いきなり大声であんな、あんな、あんにゃー…………」


 シュウウウウッと頭から湯気が出始めた。


 ええっ、なにこれ!? なんかボイラーみたいに顔真っ赤になってる!

 たまに目からビカァッとか不思議エフェクトを出すウチの幼馴染だけど、こんなパターンは初めてだぞ!?


「唯花!? おい、どうした!? ハートのクッキーが勝手に粉塵爆発しちゃったのか!?」

「分かんにゃい、なんかもうぜんぜん分かんにゃい……」

「爆発どころか思考がメルトダウンしてる!? お前のなかで一体何が起きてるんだ!?」

「ほえ? 何がって、そんなの決まってるじゃない。奏太が……」


 唯花は呆けた顔でふわふわしている。

 なんか放っておいたらこのまま溶けてしまいそうだ。

 

 まさかまた風邪でも引いたのか?

 こりゃ寝かした方がいいな……よし、一旦停戦だ。


「唯花、触るぞ。異論は認めない」

「え? ちょ……ひゃーっ!?」


 カーディガンの背中を抱き、ロングスカートの膝裏に手を回して、一息で抱き上げた。

 なぜか唯花は手足をバタバタさせる。


「い、いいいいきなりなななな何するのよぉ!? 爆発っ、爆発が粉塵でメルトダウンが危ない! ドキドキなんてしてないんだからねーっ!?」

「してないならいいだろーが。おいこら、暴れるなって。本当、どうした? いつもは『わーい、お姫様だっこだー』とか言って喜ぶくせに」


「い、今はそんなのんきな状況じゃないでしょ!? え、なんで? なんで奏太はそんなに平常運転なのっ?」


 いやまったく平常運転ではないぞ。

 さっきから俺の幼妻が可愛くて可愛くてハートブレイクショットされ続けている。


 平然としているように見えるのは、唯花の調子が悪そうだからだ。

 心のクッキーを生焼けにして、コークスクリュー・パンチのショックを吸収しているのである。


「唯花が熱ありそうだから気持ちを看病モードにしたんだよ。ほれ、移動するからちゃんと掴まれ」

「いや熱なんてないし! むしろ熱っぽくさせてるのは奏太だし! ……え、ウソ、まさか」


 唯花は何かに気づいた顔で両目を見開く。


「この男、自分のしでかしたことに気づいていない!?」

「……え、俺、何かした?」

「ぎゃーっ! 本当に気づいてなーい!」


 まるで全米最恐のホラー映画でも見たかのような絶叫だった。

 顔を手のひらで覆い、オーマイガッのポーズ。


「そうか、奏太は我々如月四天王ほどこの家の構造を熟知していない……っ。あたしですら最近ようやく分かってきたところだから、反響の角度や方向性も理解していないんだ。ということは、これは……如月四天王・序列二位の差し金!」


「え、四天王? 二位って誰だ?」

「うるさーい! のんきに手のひらで転がされおって! おかげでこれ、あたしが解決しなきゃいけない問題になっちゃったじゃなーい! こんな気持ち、ひとりで抱えてどう処理しろって言うのーっ!?」

「な、なに? なに怒ってんのお前っ!?」


 暴れて危ないので、とりあえずベッドに下ろす。

 が、姫様のお怒りは収まらない。縦横無尽に手足をバッタバタである。


「もーっ! 普段はそこそこ鋭いのに、たまに鈍感主人公になるとメチャクチャ性質たち悪いんだからっ。そういうところっ、本当そういうところだぞ、奏太ーっ!」

「ええー、どういうところ……?」

「そういうところ!」


 がばっとベッドから起き上がってきた。

 そして大きく息を吸い込んで言う。

 俺のハートのクッキーを粉みじんに吹き飛ばすような勢いで。



「もうっ、奏太なんてきらーい! あたしの気持ちが落ち着くまで3時間ぐらい接触禁止ですっ!」



 とっさに何を言われたのか、分からなかった。

 だが這い寄る混沌のように、ゆっくりと理解が追いついていく。


 え、接触禁止? 3時間も? いやそれよりも何よりも……っ。


 普段ならもう少し冷静に解釈できたかもしれない。

 しかし今の唯花は幼妻スタイル。その姿から放たれる一撃は強力過ぎた。


 お、俺、唯花に嫌われたーっ!?

 

 こんなことは三歳のお風呂上がり以来だった。

 体の震えが止まらない。


「……って、あれ? 奏太が小刻みにカタカタ震えだした。どったの?」

「お、おお、おおお、オーマイガッ……!」


 バッドな意味でハートをブレイクされ、俺は膝から崩れ落ちる。

 その姿はマットに沈むチャンピオンのごとしだった。

 カンカンカーン、と敗北のゴングが心のなかに鳴り響く。

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