第66話 如月伊織は反抗したい?(伊織視点)
「少し……頭冷やそうか?」
僕はハイライトの消えた目で
「確認します。僕の目的は
「もちろん分かってます」
ぜんぜん分かってない顔で頷く、葵ちゃん。
ふわふわの髪がふわっと揺れて、ふわっとした理解しかしてくれてないのが伝わってくる。
「
「それは……もちろん大好きだけど」
「お姉さんのことも大好き」
「うん、大好きだけど」
「奏太兄ちゃんさんとお姉さんは大好き同士」
「えっと……ここまでは間違ってない」
「奏太兄ちゃんさんがお姉さんをお嫁さんにしちゃえばいい」
「あれ? 本当に間違ってないね……」
「奏太兄ちゃんさんがこのお家にお婿さんに来ちゃえばいい」
「それはお母さんたちの希望だけども」
「一つ屋根の下で一緒に暮らす、伊織くんと奏太兄ちゃんさん」
「はい、雲行きが怪しきなってきたー」
「お風呂上りの伊織くんにドキッとしちゃう奏太兄ちゃんさん。無防備な寝顔にイタズラしたくなっちゃう奏太兄ちゃんさん。いつしか伊織くんに義弟以上の感情を持ち始めてしまう奏太兄ちゃんさん!」
「オーケー、ストップ。止まろうか?」
でも止まらない。
ぜんぜん止まらず、葵ちゃんは興奮気味に詰め寄ってくる。
「わたしね、奏太兄ちゃんさんとお姉さんが結婚しちゃうのは賛成なの。むしろいおりんルートはそこからが本番だよ! トゥルーエンド後の裏ルートっ、ほらこれでユーザーさんもみんな幸せ! 葵先生渾身のハッピースパイラルが完成だよーっ!」
「完成しないから!? いおりんってなに!? 裏ルートってなに!? ハッピーじゃなくてドロドロした昼メロみたいなのがスパイラルするから! そんなの絶対ダメだからね!?」
「なるほどなるほど、いおりんは断固として正妻ルートを希望、と。ごめん、ちょっとメモするね」
「しなくていいよ!? わ、本当にメモしてる!? ダメダメやめてーっ!」
葵ちゃんが胸ポケットから手帳を出して本当にメモを始めたので、僕は慌てふためく。
すると、淹れたての紅茶をお盆に乗せたお母さんが階段下から上がってきた。
もう考えられる限り、最悪のタイミングだった。
奏太兄ちゃん曰く、『唯花に人妻の色気が備わってしまった感じ、つまりは恐るべき究極体』な見た目のお母さんはとんでもないことを平然と言った。
「お母さんとしてはね、奏ちゃんがお婿に来てくれるなら、お嫁さんになるのはお姉ちゃんといおりん、どっちでもいいわよ? 奏ちゃんなら絶対幸せにしてくれるだろうから。ただし、ケンカにならないように三人でちゃんと話し合ってね?」
「ちょ……っ、なんでお母さん、さらっと話題に入ってくるの!? 『お菓子はちゃんと分けるのよ』みたいな言い方してるけど、そんな愉快な話じゃないからね!? しかもいおりんが移ってるし! あと僕、男の子だからお嫁さんじゃないし! いや待って、そもそもツッコミどころはそこじゃなくて奏太兄ちゃんはお姉ちゃんと……っ」
「お母様もそう思いますかっ。わたしもいおりんにはまだまだ勝ち目があると思うんです!」
「葵ちゃんも乗っていかないで!」
「うーん、悩みどころよねえ。葵ちゃんの意見はもっともなんだけど、お姉ちゃんには奏ちゃんしかいないともお母さん思うし……」
「お母さんも普通に話し始めないでよ!?」
「確かに難しい問題ですね……。三人全員が幸せになるってところは外せないですし」
「なに専門家みたいな顔で言ってるのかな!?」
「そうなのよ、親としては切ないわ。いっそのこと、奏ちゃんが『二人とも俺がもらう!』って言ってくれれば万々歳なんだけど」
「親の発言としてどうなの、それ!?」
「奏太兄ちゃんさんの度量が問われますね」
「問われるわね」
「なんで意気投合してるのーっ!? 奏太兄ちゃんのいないところで変なフラグ立てないであげてよぉ!? あとこのままだと僕がツッコミで過労死しちゃうから!」
ぜーぜーと肩で息をし、もう無理だと思って、お母さんの背中をぐいぐい押す。
「もうお母さん、あっちいって。ややこしなくるから紅茶だけ置いていって」
「あらあら、反抗期ねー。お母さん、ワクワクしちゃう」
「もーっ、お母さんがそんなふうにのんきだからお姉ちゃんも部屋から出てこないんだよっ」
「その話なら
「お姉ちゃんの誕生秘話はしないでって言ってるでしょーっ!? それ子供が親から一番聞きたくないやつだからっ」
さらにぐいぐいと押し、お母さんは葵ちゃんに紅茶のお盆を渡して、「怒られちゃった。退散、退散♪」とお気楽な調子で階段を下りていく。
「まったく、もう……」
疲れた、本当に疲れた……。
これから作戦本番だっていうのに僕はもう満身創痍だ。
ぐったりしつつ、さっき落としたお盆とお菓子を拾い集める。この床の状態に何も言わなかったってことは、お母さん、葵ちゃんの最初の『お付き合いすべきだと思うの』発言のところから全部聞いてたな……我が親ながら油断も隙も無いよ。
ああ……奏太兄ちゃんは分かってるかな?
敵にまわして一番怖いのは反抗期の僕じゃなくて、ラスボス的なウチのお母さんだからね? 僕なんて如月四天王のなかでも最弱だからね?
そうしてお菓子を集めていると、葵ちゃんがお盆を持ったまま屈んできた。
ボロボロな様子の僕を見て、ちょっと申し訳なさそうな顔だった。
「……ごめんね、伊織くん。わたし、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったかも」
「うん、ちょっとじゃなくてだいぶね? 我が軍の消耗はかなり深刻だよ?」
さっきの調子でツッコむ。
すると葵ちゃんは、ふふ、と小さく笑った。奏太兄ちゃんの話をしてる時の困ったテンションじゃなくて、いつもの優しい葵ちゃんの時の雰囲気だった。だから少し気になった。
「先に伊織くんのお部屋に入ってもいい? お盆と鞄を置いて、わたしもお菓子拾うの手伝うよ」
「あ、うん……」
僕が返事をすると、葵ちゃんは立ち上がって部屋へ向かった。
その背中越しに小さな独り言が聞こえてくる。
「……良かった。わたしが奏太兄ちゃんさんとのカップリング押しだって騒いでれば、伊織くんも気を遣わずに恋人のフリができるよね」
……え?
それは……どういう意味? もしかして、今騒いでたのは……。
でも葵ちゃんが奏太兄ちゃん絡みでおかしくなるのはいつものことだ。これまでもずっとそうだった。
お菓子はまだ拾い終わってない。
だけどどうしても気になって、僕は立ち上がった。今の独り言を確かめようと、葵ちゃんの背中を追いかける。
廊下の突き当りがお姉ちゃんの部屋。僕の部屋は廊下の右側。
扉を開けるために、葵ちゃんが右側を向く。僕がすぐ後ろにいると気づかないまま、また呟きながら。
「……ふふ、わたしは幸せ者だな。ずっと見てることしかできなかったのに、フリだけでも……伊織くんと恋人になれるなんて」
呼吸が止まりそうになった。
ひょっとして僕は……とんでもない間違いを冒してしまったのかもしれない。
「葵ちゃん、今の独り言って……」
「――っ!? 伊織くんっ!?」
弾かれるように葵ちゃんは振り向いた。
お盆が手から滑り落ち、大きな音を立てて紅茶がこぼれる。
でも僕も葵ちゃんもそんなこと気にしてる余裕はなかった。
目の前の瞳は大きく見開かれていて、激しい動揺が伝わってくる。
「ち、ち、違うの! 今のは違くて……えとえと、ただの新刊のネタで、たまたまぽろっと口から出ちゃってただけで……っ」
表情だけで分かってしまった。今のはネタとかじゃない。
葵ちゃんは……絶対に聞かれちゃいけないことを聞かれてしまった人の顔をしていた。
「葵ちゃん、僕は……」
「……っ、い、今から!」
こっちの声をかき消すように、葵ちゃんは声を張り上げた。
隣の奏太兄ちゃんたちにはっきり聞こえるぐらいの声量で宣言する。
「告白のお返事をします!」
「待ってっ! それよりも今は……っ」
「ま、待たないよっ。お返事をするったら、します!」
隣の部屋から物音がした。たぶん奏太兄ちゃんとお姉ちゃんが壁に張り付いた音だ。もう後には引けない。僕が引こうと思っても、パートナーの葵ちゃんに引く気がない。
僕の作戦は、こうしてまったく想定外の状況で始まってしまった――。
◇ ◆ ◆ ◇
一方、隣の部屋では兄貴分と姉とがヤモリのように壁に張り付いていた。
大慌ての顔をし、小声の大声で叫び合う。
「(そ、そそそ奏太! ついに伊織と葵ちゃんが来たと思ったら、早々にお盆が落ちるような音がしたんだけど!? これってまさかのまさか……伊織がいきなりルパンダイブしちゃったわけじゃないよね!?)」
「(ば、ばばばばかっ、唯花、ばかっ。俺じゃないんだから伊織に限っていきなりそんなことするわけないだろ!? それに葵ちゃんは告白の返事をしようとしてるじゃないか!)」
「(逆に考えて! もしも葵ちゃんが……押し倒された状態で返事をしようとしているのだとしたら!?)」
「(――っ!? は、始まってしまうのか!? ウソだろ、そんな超特急な交際があるか!? 乱れ過ぎだろ、若者の貞操観念!)」
「(何をおっしゃるのっ、あなたは秒で卒業するとのたまった奏太
「(三日掛けます! 男、
「(無理だよ! 貞操観念の乱れた伊織にはもう祈りなんて届かない!)」
唯花が浮かべたのは決死の表情。
次の瞬間、ぴったりと密着するように抱き着いてきた。
「(奏太っ、作戦開始! あたしに触って! 何してもいいから……っ)」
「(なっ、おま……っ!?)」
「(弟の暴走はお姉ちゃんが体を張って止めてあげるの……っ)」
こっちの部屋はこっちの部屋で、のっぴきならない状況が始まってしまった。
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