第54話 弟分が中二病の美少年なので、放課後は以下略③

 耳に息を吹きかけ、俺はどうにか伊織いおりを現実に引き戻すことに成功した。

 腕のなかで小さな吐息がこぼれる。


「僕、召喚術なんて使えなかったんだね……少しだけ残念かも」

「ごめんな、辛い思いをさせて」

「いいよ。現実をちゃんと受け止められなかった僕も僕だし……あ、でも」


 伊織は頬を赤らめ、自分の左耳をさする。

 照れ隠し半分に、ちょっと批難するような視線が向けられる。


「こんなえっちなことをいきなりするのはどうかと思うよ? 僕が奏太そうた兄ちゃんのこと大好きだから良かったけど、今の時代、男の子同士でもセクハラだからね? 女の子だったらもちろん一発アウトだし、僕がやむにやまれぬ事情で男の子の格好してる男装女子だったらどうするのさ?」


 そう言われ、さすがにヒヤッとした。


「そ、そうか、そういうパターンもあるよな……っ。伊織、お前、男だよな? ちょっとここでパンツ脱いでみろ!」

「脱がないよ!? ここ外だから! あと昔から何度も一緒にお風呂入ってるんだから知ってるでしょ!? 僕は男の子だよ!」


「だよな!? お前、男だよな? ……ふー、良かった。危うく浮気しちゃったかと思ったぜ。まあ、付き合ってはないんだが」

「まったくもう、勘弁してよ。こういうことはお姉ちゃんだけに……って、え?」


 下ろされかけたズボンを直し、ついでに両手の包帯もほどいていた伊織はぴたっと動きを止める。


「付き合ってない……? え、それどういうこと? 奏太兄ちゃんとお姉ちゃんってもうだいぶ前から付き合ってるでしょ? はだ迷惑なぐらいに」

「あー、それなぁ……」


 はた迷惑という文言はとりあえずスルーしつつ、俺は後ろ頭をかく。


「俺たち、付き合ってはいないんだ。話せば長いんだが……」

「いやいやいや……っ」


 わざわざ背伸びまでして、ガシッと肩を掴まれた。


「おかしいから! 付き合ってなかったら実の姉が弟に幼馴染の性癖聞いてきたりしないから! 僕だって付き合ってないんならいくらなんでも奏太兄ちゃんの性癖暴露したりしないよ!?」

「え、あ、お前そういう感じだったのか? ちょっと安心した」


「こっちは安心してないから! 付き合ってなかったら喘ぎ声付きで耳そうじなんてしないでしょ!? あっ、思わず喘ぎ声って言っちゃったよ!? 今までピンクな声ってぼかしてたのに! どうしよう!?」

「ああ、耳そうじに関しては俺も大いに反省しててだな……」


「いや反省してたら耳にふーっとかしないよね!? お姉ちゃんへの『耳ふーっ』って耳そうじの次の日でしょ!? 反省してない、奏太兄ちゃんに反省の色がまったく見えないよ!?」

「えーと、そこは時系列が前後してるんだ。『耳ふーっ』によって耳そうじの真相が解き明かされたのであって、ってか『耳ふーっ』ってなんだ?」


「そこは今どうでもいいから! ああもう、埒が明かない。僕だって怒る時は怒るんだからね? しょうがないな、もう自分で考えるよ。はい、包帯丸めておいて! 家に帰ったら救急箱に戻すから!」

「お、おう、分かった。包帯なんて捨ててもいいだろうに、ちゃんと物を大切にする良い子だな、伊織は」

「無視っ。考え事するから黙ってて」

「む、無視されてしまった……」


 何か言う通りにした方が良さげな流れだ。

 俺は大人しく渡された包帯を丸く巻いていく。

 伊織は口元に手を当てて何やら思案を始めた。


「……2人が両想いなことは今さら疑いようがないよね? となると、付き合わない理由が何かあるはず……ひょっとしてお姉ちゃんがツンデレしてる? いや違うな。お姉ちゃんは昔からダダ甘えだし、主導権を握ってるのは奏太兄ちゃんのはず。ってことは、ああ、引きこもりから脱出するゴールに恋人関係を置いてるってことだね」

「……んん? 話せば長いと思ってたのに、3秒で理解した!?」


「これを踏まえてみると、性癖お手紙の件は……奏太兄ちゃんが何気に将来のことまでちゃんと考えてるってことをぽろっと言っちゃって、動揺したお姉ちゃんが明後日の方向に頑張っちゃったってところかな?」

「か、限りなく正解っぽい!? なんで見てきたように分かるんだ!?」


「となると、耳そうじの件は奏太兄ちゃんの暴走って線が妥当だね。お姉ちゃんは感覚的にはえっちされてるぐらいのところまでいっちゃってるのに、奏太兄ちゃんはただの耳そうじだと思ってやり続けて、2人の気持ちにズレが生じた、と」

「なんだこれ!? 弟分が謎の洞察力を発揮してる! 怖い!」


「ここまで来ればあとは簡単。『耳ふーっ』はお姉ちゃんが我慢しきれなくなっちゃった結果だね。火照った体を持て余して奏太兄ちゃんに助けを求めたっていうのが真相かな。それでようやく事の次第に気づいた奏太兄ちゃんが疑惑を確かめるために息を吹きかけた、と。うん、理解できたらすっきりした。付き合ってないのにイチャイチャしてたのはこういう経緯だったんだね。過去の事例もぜんぶこのやり方で説明がつくと思う」

「と思う、ってそんな当たり前みたいに!? いやいやいや……っ」


 俺は動揺して、丸めた包帯を思わず手のなかでコロコロしてしまう。

 リスがドングリをまわすような仕草をしながら呆気に取られた。


「伊織、お前……異能力者か何かなのか?」

「異能力? 何言ってるのさ、奏太兄ちゃん。こんなの推理と推論の積み重ねだから誰にだってできるよ。異能力だなんてもう、中二病じゃないんだから」

「えー……」


 さらっと言い切られてしまった。いやだいぶ誰にも出来ないことをやってのけてると思うが……。

 あと中二病も克服して、ちょっと大人になってしまったようだ。なんだろう、微妙に淋しい。


 伊織は「さて……」とつぶやき、また口元に手をやった。

 今度は俺にも聞こえないくらいの小声でつぶやく。


「2人の現状は分かったけど、『耳ふーっ』までいってまだ付き合わないなんて、お姉ちゃん、相当我慢することになるよね……。正直、僕もさっきは『もうどうなってもいい』ってくらい気持ち良かったし、あれは人生観変わるよ……。でも奏太兄ちゃんのことだから付き合わないって言っている以上、絶対に手は出さないんだろうなぁ……お姉ちゃん可哀そう」


 ちらり、と視線を向けられた。

 なんか責めるような眼差しだったので、「おおう……」とちょっと動揺してしまう。

 何やらさっきから伊織の様子がいつもと違う。まるで人生観でも変わったような雰囲気だ。伊織は小声でさらにつぶやく。


「……たぶん、奏太兄ちゃんは恋人になったらお姉ちゃんが外に出ようとする気持ちを失くしちゃうと思ってるんだろうなぁ。それは僕も同じ意見だけど……でも奏太兄ちゃんは自分を過小評価してるよ。お姉ちゃんが1、2回、怠惰に闇落ちしたってその程度、奏太兄ちゃんなら普通に救い上げられる。だから早く恋人になっちゃえばいいのに。――よし決めた。僕はお姉ちゃんの味方をしよう」

「へ?」


 何やら聞こえるか聞こえないかの小声で、決意表明のようなものが聞こえた。

 そして伊織は唐突に挙手をする。


「奏太兄ちゃん、聞いて下さいっ」


 手を下ろして、ビシッと宣言。

 それは俺にとって耐えがたいほどの晴天の霹靂だった。

 伊織は告げた。可愛らしくウィンクしながら高らかに。



「如月伊織14歳っ、ただいまより――奏太兄ちゃんへの反抗期に入りますっ!」



 愕然とした。

 ワケが分からなかった。


「な……、なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


 悲鳴染みた俺の声は、今日一番の声量で河川敷に響き渡った。

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