第53話 弟分が中二病の美少年なので、放課後は以下略②

「驚かないで聞いてくれ、伊織いおり……」


 俺の両目は袖口から覗く包帯を見つめている。

 さあ、伝えるんだ。

 俺は意を決して声を張り上げた。


「お前は今、中二病を発症している。如月伊織、お前には……異能の召喚能力なんてないんだ――っ!」


 だー、だー、だー……。

 苦悶の言葉が夕焼けのなかに木霊した。

 すると――美少年の瞳からつ……っと涙の雫がこぼれた。


奏太そうた兄ちゃん、どうしてそんなこと言うの……?」


 信じらない、と言うように伊織は激しく首を振る。

 涙が弾け、星屑のようにきらめいた。


「僕はてっきり奏太兄ちゃんも『選バレシ召喚軌士クエスレッター』だと思ってたのに! 覚醒した僕を導くために今日、『忘却不許可の記録迹レイジング・S』を開示してくれるんだと思ってたのに!」

「伊織……っ」


 くっ、やっぱりか……っ。

 俺は兄貴分だ。もしも伊織が中二病になったとするなら、必ず設定に引き込むだろうと思っていた。


 選択肢は二つある。

 一つは設定に乗っかって緩やかに軟着陸させること。

 もう一つはあくまで現実側から真摯に説得すること。

 やり易いのは前者だ。だが……俺はあえて後者を選ぶ。


「聞いてくれ、伊織。俺は心の拠り所になるものは肯定していきたいと思ってる。唯花の引きこもりだって、お前の女装だって、自分で見つけた拠り所ならそれは必要なものなんだ。でも今回のお前の中二病は……事故だ」


 自分が緊張しているのが分かった。

 拳のなかで爪を立て、痛みによって自分を叱咤する。


「真相を知った上で、お前がなおその道を選ぶのならいい。俺も心から応援して見守っていく。だが俺にはお前を事故らせた責任がある。ちゃんと真相を話し、お前が『選バレシ召喚軌士クエスレッター』だという誤解は解かせてもらうぞ!」


「何を言ってるのさ、奏太兄ちゃん! 誤解なんかじゃない、僕たちは8次元連奏界を救う『選バレシ召喚軌士クエスレッター』だよ! だってあの時、部屋で夜想ノ猫薔薇ノ十字聖峰キャッツ・レイズ・ガブリエラの声を聞いたもん!」


 ぐあああ、言いたいくない!

 でもこれを言わないと誤解を解けない!

 俺は緊張を押さえつけ、さらに爪を立てて自分を鼓舞する。そして言った。


「あれは……唯花ゆいかの声だ」

「はい?」


 伊織が瞬きをし、次の瞬間、俺は息をのんだ。

 夕焼けに照らされるなか、一瞬にして伊織の目からハイライトが消えていた。

 美少年は死んだ目でぎこちなく首を傾げる。


「何言ってるのさ……もう奏太兄ちゃんってば冗談ばっかり。お姉ちゃんがあんなピンクを超えた真っピンクな声出すはずないじゃん。あれは夜想ノ猫薔薇ノ十字聖峰キャッツ・レイズ・ガブリエラの声だよ。僕に宿った召喚獣の声なんだよ? あははは」

「その反応! 伊織、お前……っ」


 ……気づいていたのか!

 いや……本当は俺もそうじゃないかと思っていた。伊織は元来、聡明な少年だ。不可思議な声を聞いたからといって、それをノータイムでファンタジー設定に結びつけるなんてあまりにらしくない。


 伊織はあの声が唯花のものだと実際は気づいていた。だが無意識化で認めるのを拒絶し、脳内で中二病設定に置き換えてしまったのだ。


 ……良識ある大人ならば、この場はそっとしておくのが正解だというかもしれない。たとえば、今対峙している相手が唯花だったならば、俺も時間を掛けたケアを選んでいただろう。


 だが俺は伊織の兄貴分だ。俺のせいで伊織が道に迷ってしまったのなら、正面からぶつかっていくしかない。それが男と男の誠意だ。


 俺は伊織を現実に引き戻す。

 たとえ――どんな手段を使ってでも!


「伊織ぃ! 拳を突き出せぇ!」

「――っ!? そ、奏太兄ちゃん!? は、はい!」


 それは子供の頃からよくやっていた遊び。

 俺が拳を突き出すと、伊織もはっとして反射的に拳を合わせてきた。

 夕焼けの河川敷で男たちの拳が重なり合う。

 木霊するのは、熱い血潮の滾り。


「流派、糖方不敗はぁッ!」

「お、王者の風よぉッ!」

「全新ッ!」

「系裂ッ!」

「「天破ぁ侠乱ッ!」」

「「見よッ! 糖方は赤く燃えているッ!!!」」


 心のなかでバックの河川敷が燃え上がった。

 俺たちは拳を振り上げ、それぞれの技を繰り出す。


「じゃーんけんッ!」

「ぽんッ!」


 俺はグー。伊織はチョキ。

 勝ったのは俺だ。


「あっち向いてホイッ!」

「ホイッ!」


 俺の指の向きはどこだっていい。

 重要なのは伊織が右を向いたこと。つまりは左耳がガラ空きになった!


「もらったーッ!」

「え、なになに!? ――ぁ」


 俺は伊織の肩を掴み、一瞬で距離を詰めた。

 無防備な左耳へ、満を持してふーっと息を吹きかける。

 その瞬間。

 弾かれるように甘い声が迸った。



「――――きゃうぅぅぅぅぅっ、ひゃうンっ!」



 声変わり前なので、ほとんど女の子のような声だ。

 ビクビクビクッと痙攣し、伊織は激しく仰け反った。


 経験上、腰が抜けてしまうことはわかっていたので、倒れる前にすかさず抱き留めてやる。

 腰に手をまわして支えると、伊織は真っ赤な顔で唖然としていた。


「い、今のって……僕の声?」


 まだ信じられないのだろう。自分の口元を押さえ、ぷるぷるしている。

 唯花のように正気を失ってはいない。前回の反省を生かして、息を吹きかける角度を緩めにしたのが良かったのだろう。

 動揺している美少年へ、俺は重々しく頷いた。


「そうだ、お前の声だ。あの時の声も……召喚獣のものじゃない。理解できたか?」


 伊織はしばらく茫然としていた。

 だがやがて俺の腕のなかで恥ずかしそうに……コクッと頷いた。

 頬を赤らめ、消え入りそうな声で囁く。


「…………はい、目が覚めました」


 はぁ、良かった。

 これで万事解決だ。

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