第7話 放課後、今日も今日とて、幼馴染をドーナッツで餌付けする。

「みゃー!」

「お、おおう……」


 部屋に入ると同時に俺は目を瞬いた。

 ベッドの布団饅頭のなかから、小動物が目を光らせて威嚇してきたからだ。

 もちろん小動物というのは例えだ。

 その正体は万年引きこもっている幼馴染、如月きさらぎ唯花ゆいかである。


「どうどう、落ち着け。大丈夫、ミンナ、トモダチ。コワクナイヨ?」

「みゃー! みゃー!」


 優しい先住民っぽく声を掛けてみたが駄目だった。

 唯花は布団饅頭から顔だけ出して威嚇を繰り返している。髪が子猫のように逆立っている。すげえ、どうやって逆立ててるんだろ。俺の幼馴染は不思議がいっぱいだ。


「なんで今日はそんなに警戒してるんだよ? ウォールバリアの壁でも破られたのか? 巨人が大挙して押し寄せてきちゃうのか?」

「むしろなんで奏太そうたはそんないつも通りの顔して入ってこられるの? もっとガス切れで巨人に食べられる寸前っ、みたいな神妙な顔で来るべきでしょ?」

「よし、次のシーズンが楽しみなアニメの例えは一旦脇に置いとこう。どんどんワケ分かんなくなっていく気配がする」

「待って! あたしは原作追ってる派だから! そこは勘違いしてもらったら困るから! 今月の展開もすごかったんだから!」


「待て! お前が待て! なんで引きこもりの唯花が月刊誌なんて読めるんだよ? まさかまた散財したんじゃなかろうな!?」

「はい、ここで明かされる衝撃の事実! みんなの引きこもり美少女・唯花ちゃんにはちゃんと学校に通ってる弟がいるのでした! この一年半、会話してないけどね!」

「あー」


 幼馴染の俺はもちろん知っている。唯花には弟がいる。姉と違って品行方正な弟だ。そして姉同様、俺に懐いてくれている。


「……弟が学校いってる間に勝手に部屋の漫画漁ってるってことか。やめてやれよ。姉ちゃんに見られたくないものの一つや二つあるだろ、きっと」

「とりあえず『To ROVEる』と『ダークネス』と『エグゼルス』はあった」

「やめてやれよ!?」

「全巻読破しといた。あと妙な折り目がついてるページも記憶しといた」

「本当にやめたげて!?」


 今度会ったら全力で隠すようにそれとなく言っておこう。唯花には無限の捜索時間があるからいずれ見つけられてしまう気もするが、だからといって見過ごすこともできない。男同士の紳士同盟は何より重んじられるべきなのだ。


「……って、やっぱり話がワケ分からん方向にズレてるぞ。結局、なんでそんなに警戒体勢なんだよ?」

「だからなんで奏太はそんなに平然としてるのよ」


 饅頭のなかへさらにずずずっと潜りつつ、伏し目がちに言う。微妙に顔を赤くして。


「……昨日、あたしのこと押し倒そうとしたくせに」

「あー……」


 なるほど、その件か。

 ……うん、すまん。なるほど、とかそれらしく言ってみたが、本当は最初からわりと気づいてた。

 唯花のウォールバリアは閉ざされている。つまり巨人とは俺のことだったのだー!

 だー……。

 だー……。

 だー……。

 ……はい、エコー終了。現実逃避も終了。


「ええとだな……」


 通学鞄を持ったまま、ベッドのそばへいく。

 スプリングを軋ませて俺が座ると、布団饅頭はずずずっと少し距離を置く。といってもほんの数センチだ。俺は布団をぽんぽんと優しく叩く。


「確かに俺は昨日そういう感じのことをした。でもな、誤解しないでくれ、唯花。俺はさ……」


 諭すように言う。


「ただ、唯花を押し倒したかっただけなんだ」

「ええっ!? 何一つ弁解する気がない発言!? 逆にすごい!」

「もちろんあわよくばその先も、と思っていたさ」

「さらに踏み込むような発言!? ちょっとは取り繕ってよ!? こっちも落としどころが見つけられないじゃない!」

「問題ない。落としどころならちゃんと用意してきた」


 鞄をごそごそと探り、俺はある物を取り出す。

 唯花が「む……」と口を閉じた。

 俺が見せたのは引きこもりの幼馴染ご所望の課金カードだ。

 十倍とはいかなかったが、印字されている金額はいつもの倍である。


「いかがでしょうか、姫様」

「…………苦しゅうない」


 饅頭から手が伸びてきたので、カードを渡した。

 なんだかんだ言って、このカードのやり取りがいつも俺たちのちょうどいい落としところになる。


「あたしの寛大さに感謝してよね。奏太だから特別に許してあげるんだから」

「肝に銘じておきます」

「次また押し倒そうとしたら本当に十倍なんだから」

「だったら次の次は?」

「百倍」

「うへー」


 バイト代の何日分になるのか、指折り数えてげんなりする。


「逆に唯花が俺を押し倒そうとした場合はどうなるんだ?」

「それは……」


 カードのスクラッチ部分を指で削りながらふくれっ面をする。


「そんなことにはならないよ。あたしはいつもちゃんと我慢してるもん」

「マジか」

「マジだ」


 だって、と唯花は続ける。


「あたしが押し倒したら、奏太、喜んで応えちゃうじゃん」

「いやいや俺にだって理性はあるぞ?」

「ノートパソコン貸してあげる。『説得力』って言葉を百回ググっていいよ?」

「すみません、今のボクは説得力をロストしてる最中でした」

「分かればよろしい」


 じゃあノートパソコン取ってきて、と言われた。

 本当にググらされるのかと思ったら、ブラウザゲーに課金コードを打ち込みたいらしい。

 ベッドの枕元からノパソを持ってきて、饅頭の前にお供えした。

 ポチポチとコードを打つ音がする。


「まあ、あたしを押し倒しちゃう奏太の気持ちも分かるんだけどね」

「分かってくれるか、饅頭の神よ」

「誰が和菓子の化身よ。こんな美少女が手から出てきたら、桜の枯れない島の主人公がびっくりしちゃうじゃない」


 その例えはよく分からなかった。

 しばらくすると、ブラウザから艦隊ゲームの音が響いてきた。

 何気なく画面を見つめながら、唯花はぼんやりした口調で言う。


「えっちしたいよねぇ」

「したいよなぁ」


 同じように画面を見つめ、俺もぼんやりした口調で頷いた。


 でも、しない。

 俺たちはただの幼馴染だから。


 お互いに同じことを考え、二人同時にため息をつく。


「……とりあえず、ドーナッツ食うか?」

「えっ、あるの? 珍しいじゃん」

「駅前で買ってきた。課金カードだけでご機嫌が直らなかった時の予備の弾だ」

「そういうのは早く出してよ~。あたし、演習で手離せないから食べさせて! はい、あーん」

「へいへい、あーん」


 通学鞄からドーナッツの箱を出し、ゲームを始めた和菓子の化身に餌付けする。

 ……ふむ、考えてみたら課金カードよりドーナッツの十倍の方が安くすむかもな。よし、次に押し倒しちゃった時はドーナツの十倍で交渉してみよう。


 と、懲りずに次回の算段を立てる俺なのだった。

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