第8話 放課後、今日も今日とて、幼馴染がマッサージ機を入手した。

 ブブブブブブ…………。


 唯花ゆいかの部屋の扉前で俺は佇んでいる。

 響いているのは謎の重低音。放課後、いつものようにやってきて、お袋さんと世間話をし、唯花の弟に秘蔵本の隠し場所を軽く指南し、部屋の前にやってきたらこの音が響いていた。


「また妙なことにならないといいなぁ……」


 希望的観測が儚い希望にならないことを祈りつつ、恒例のノック。


「唯花、入るぞー」

「ふふふ、来たわね、奏太そうた。覚悟するがいい。今日が年貢の納め時なんだからね!」

「なんのことかはサッパリ分からんが、年貢だったら俺、結構納め続けてると思うぞ……」


 毎月1日と15日には課金カードを献上し、こないだのドーナッツみたいな差し入れも時々買ってきている。これで年貢が足りないというなら、そんな悪徳領主は先の副将軍辺りに『この紋所が目に入らぬか』してもらうしかない。


 と思ったのだが、どうやら副将軍も暴れん坊ダンサーも必要なさそうだ。

 唯花の手元に目を留め、俺は謎の重低音の正体に気づいた。


「おお、それは……っ」

「ふふん、この紋所が目に入ったようね!」

「逆、逆。ご老公は民に不当な年貢を強いたりしねえから」

「ふふん、この紋所があたしの目に入ったよ!」

「すげえ痛そうなことになった……。大丈夫か、ご老公……世直しの旅するより頭を治すための養生生活をした方がいいんじゃないか」


 話が先に進まないんでもう言ってしまうと、唯花はマッサージ機を掲げていた。

 スイッチはオンでブブブ……っ、と重低音を響かせている。音の正体はこのマッサージ機だ。


「おい、また通販をしたんじゃなかろうな」

「ぶっぶー、違いまーす。ヒントほしい?」

「いや、いらん。なんとなく分かったぞ。弟の漫画をこっそり読んでた件からすると……」

「その通り、リビングからかっぱらってきたの! 夜中にオヤツを探しにいった時、見つけたから!」

「ナチュラルに自宅で窃盗をするんじゃない」


 いやまあ自宅なんだから窃盗ではないんだが。

 かっぱらったとか言う唯花の表現が悪い。聞いてる方は哀しい気持ちになるぞ、まったく。


「で、そのマッサージ機をどうするんだ?」

「決まってるでしょ?」


 唯花は無駄に溜めを作ってくるっとまわった。

 髪をふわっと舞わせてポーズをつけ、マッサージ機を突きつけてくる。


「これで奏太をマッサージしてあげる♪ こないだのリベンジだよっ」

「お疲れさん。また明日!」

「帰るなら止めないけどいいの? あたし今日、ノーブラだよ?」

「――っ!? ぐううううっ、卑怯だぞ!? そんなこと言われたら帰れないじゃん!? ひょっとしたらチラ見チャンスがあるかもっていう思春期男子の幼気な心を弄んで楽しいか!? この世に正義はないのかね!?」


 帰ろうとしていた足がもはや石化したかのように動かなかった。

 ノーブラはずるい。ノーブラだけは絶対ずるい。

 唯花はマッサージ機を頬に寄せ、可愛い上目遣いをしてくる。


「じゃあ、ブラ着けた方がいい?」

「着けなくていいよ! むしろ着けないでいて下さい!」

「はいはい、どうせ奏太はあたしに敵わないんだから、諦めてベッドへゴー。とっとと寝た寝た♪」

「ちくしょう、手のひらで転がされてる自分が哀しい……」


 前回のマッサージでは唯花に腰骨をみっちり踏まれてひどい目に遭った。今回も絶対似たようなことになるに決まってる。なのに逆らえない。げに男子とは儚き生き物である。

 嘆いている間に通学鞄を奪われ、制服のブレザーを脱がされた。

 ワイシャツ姿で俺はうつ伏せになる。


「せめて優しくして頂きたい……」

「大丈夫、任せるのじゃ!」

「うわぁ、その語尾が思い出させる不安ときたら……」


 元の作品は素晴らしいものなんだろうが、ウチの幼馴染が真似するとロクなことにならない。長年の経験がそう言っている。今回も絶対ひどいことに……と思ったのだが。


「じゃあ、始めるよー? まずは背骨の右側。気持ち良かったら素直に気持ち良いって言ってね?」


 ブブブ……ッと揺れるマッサージヘッドが背骨の右横に当てられた。


「お……?」


 なんだか気持ち良い。

 ヘッドの振動がちょうどいい塩梅で筋肉をほぐしてくれる。


「背中の真ん中辺りをぐーりぐーりー」

「お、お、おー……」


 肩甲骨と背骨の間。

 自分だとなかなか届かない深いところが小気味いい振動でほぐされる。


「唯花、これ……いいかも」

「でしょー!」


 ドヤ顔の気配がこれでもかと伝わってくる。

 しかし実際効いているのでツッコめない。


「唯花、その……反対側も頼む。左肩の方も、こう……溝を滑らすように」

「おねだりを始めおったなぁ? 良いぞ良いぞ、甘やかしてあげるのじゃ」


 マッサージヘッドが左側にきた。肩甲骨と背骨の間を行き来し、筋肉をじんわりほぐしてくれる。


「おー……効く。これは……たまらん」

「気持ち良ーい?」

「……正直、気持ち良い」

「『唯花ちゃん、ありがとう』は?」

「唯花ちゃん、ありがとう……」


 やばい。思考力が落ちてきた。

 唯花の発言に条件反射で応えてしまっている。今何かねだられたら二つ返事で了承してしまいそうだ。

 マッサージ機がここまで強力な兵器だとは思わなかったぜ。カルタゴぐらいなら滅ぼせそうだ。

 ただ、そうだな、ヘッドがもう少しこう奥まで入ってきてくれたら……。


「ゆ、唯花。ちょっとそれ貸してくれ」

「ほへ?」


 唯花からマッサージ機を受け取り、体を起こした。ベッドに座り、ヘッドを背中に当てる。


「もうちょっとでツボっぽいところに当たりそうなんだよ。たぶん角度的にこう押し当てて……ふおっ」


 良いところに当たった。肩甲骨を下から少しだけ持ち上げるような角度。ここに大きなコリがあった。ドンピシャなところにヘッドがきて、腕全体に気持ち良い電流が走った。


「お、おおおおお……。ここだここだ、すっげえ良い……っ。背中から腕までとろけそう」

「え、ちょっと……返してよっ。あたしがやってあげるからっ」

「待て待て。これ、自分じゃないと分からない微妙なポイントなんだよ。振動がコリを見事に捕まえてる感じでさ。おおお、ほぐれる~……」

「やーだ、返してっ。あたしのマッサージ機っ」


「かっぱらってきた盗品だろ? ふぉぉぉ、新しいポイント見つけたぁ……。次は唯花の背中にもやってやるかさ。もうちょっとだけ」

「あたしはいらないのっ。別にどこも凝ってないもん! そうじゃなくて、あたしが奏太にしてあげたいのっ」

「もうちょい、あと五分だけ。な? な? ふぉぉぉ……」

「むううううう」


 隣りに座る幼馴染の頬っぺたが見る間に膨らんでいく。

 まずい、危険信号だ。……と分かっているのにマッサージ機を手離せない。肩甲骨まわりをほぐし終わり、今度はこの振動を肩に当てたいという欲求に逆らえない。悔しい、マッサージ機には勝てないよ!

 なんて馬鹿なことを考えていたら、我慢の限界に達した唯花が勢いよく飛び掛かってきた。


「天註ーっ!」

「おわっ!?」


 俺の膝の間にすっぽり収まり、ばたばたと手足を暴れさせる唯花さん。

 

「そんな無機物に興味を奪われないで! ただ振動するしかない棒なんて何が楽しいのよーっ!?」

「ええっ!? 持ってきたの、お前じゃん!」

「うるさーい! 奏太はあたしに会いにきてるんだから、ちゃんとあたしを構って! 心を込めてあたしだけを見てっ!」

「なんという圧倒的横暴……っ」

「反論は許しません! 構って、構って、構って、かーまーえーよーっ!」

「へいへい、分かりましたよ、お姫様」


 すまん、相棒。と思いながら、マッサージ機を手離す。

 その後はクシを手渡され、唯花姫が「ぬふふー♪」と満足するまで、たっぷり一時間ほど髪を梳かす役を仰せつかった。

 あれだな、やっぱり唯花は水戸の副将軍よりワガママ可愛いお姫様の方が合ってるな。


 とりあえず。

 帰りにドンキィでマッサージ機を買っていこう。そうしよう。

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