第4話 放課後、今日も今日とて、幼馴染にマッサージされる。

「あたしが奏太そうたにマッサージしてあげる!」


 ベッドでノートパソコンを広げていた幼馴染が突如として立ち上がった。

 テーブルで学校の課題をやっていた手を止め、俺は顔を上げる。


「また藪から棒に……どういう風の吹き回しだよ?」

「勉強でお疲れの奏太をあたしが癒して上げるのじゃ!」

「のじゃってなんだ、のじゃって」


 またアニメか何かに影響されたな。

 こういう時の唯花ゆいかは五分五分だ。あんまり面倒なことにならないか、すげえ面倒なことになるかの二択である。


「奏太、今失礼なこと考えてるでしょ?」

「考えてないと言えば嘘になるが、すべて経験則からくる絶対的事実なのでまったく失礼ではないと断言できる」

「やっぱり! こないだのメイド服をクリーニングしないで家宝にしようと考えてるのね。あたしが袖を通したものだから変なことに使いたいって気持ちは多少理解してあげるけど、駄目だよ。それは女の子に対してとても失礼な行為です!」

「待てぃ! それが俺の経験則からくる絶対的事実だと思ってるなら、ちょっと真剣に話し合いの場を持つことになるぞ!?」

「でもクンカクンカしたでしょ?」

「してねえよ!?」

「え、してくれてないの!?」

「したいとは思ったよ!」

「なによぉ、奏太の意気地なし」


 拗ねたように唇を尖らせる。

 こいつは……っ。本当に俺が匂いをかいだりしたら絶対、烈火の如く怒るくせに。

 幼馴染の距離感は事ほど左様に難しいのだ。


「とにかく! 今日は奏太にマッサージをしてあげる日なの! だからこっちきて。ほらほら急いで、ハリーハリーッ」

「俺、まだ課題やってんだけど……」

「マッサージしてリフレッシュした方が勉強も捗るでしょ?」

「そりゃそうかもしれんけど……」


 やれやれ、とため息をついて教科書を閉じる。

 確かに学生の身ながら俺は結構な肩コリ持ちだ。教室で冗談半分の肩揉みをされた時なんかは固すぎて『お前、どんな苦労背負ってんだよ……』といつも驚かれる。

 苦労の原因は推して知るべしというか、言わずもがなだ。


「枕を抱くように寝て。そ、うつ伏せでね」

「へいへい」


 言われるまま、唯花の枕をあごの下に置き、寝っ転がる。

 ……うわ、シャンプーのすげえ良い匂いがする。


「…………ちょっと。今、クンカクンカしたでしょ?」

「……すんません。しました。本当すんません」

「いいけどさ。奏太じゃなかったら通報だからね? 打ち首獄門の上、一族郎党皆殺しだからね?」


 ほら不機嫌になりやがった! どうしろっての!? あと親類縁者はどうか許してやってくれよ!?

 幼馴染の理不尽に胸を痛めていると、腰の辺りのマットレスが軽く沈んだ。

 唯花がベッドに乗ってきたのだ。


「じゃあ、気を取り直して。マッサージを始めるのじゃ!」

「へいへい、始めてくれなのじゃ」

「よいしょ……っと」

「ほげえっ!?」


 世にも奇妙な悲鳴が迸った。

 振り向けば、全体重を乗せる勢いで唯花が腰に乗っていた。


「何してんの、お前!?」

「何って……マッサージだけど?」

「不思議そうに首を傾げるな! なんで当たり前の顔して踏みつけてんの!? 俺をピコピコサンダルか何かと間違ってない!?」

「奏太、どうして興奮してるの? あ、もしかしてあたしが裸足だから? そういう性癖なの?」

「そういう性癖を向けてたらお前とっくの昔に怒ってるはずだよね!? お怒りじゃないってことは俺が幼馴染に踏まれて興奮するタイプじゃないって理解してるってことだよね!? やっちまったのが自分だって分かってるなら今すぐ謝って腰からどいて下さいお願いしますこのままでは背骨が折れてしまいます!」

「あれー? おっかしぃなー。アニメだとこうやってマッサージしてたのに」


 腰から下りて、唯花は首を傾げる。

 ちくしょう、今回は二択のすげえ面倒な方のようだ。

 小鹿のように震えながら、俺は痛んだ腰をさする。


「アニメと現実をごっちゃにするんじゃない。いい歳して一般常識皆無のヒキニートかお前は」

「17歳にしてゲームアニメ漫画漬けの美少女ヒキニートがあたしだぜ!」

「そうだったね! お前に匙加減とか求めた俺が馬鹿だったね!」

「よろしくな! 如月唯花は全国の怠惰お兄ちゃんお姉ちゃんたちを全肯定しちゃうゾ☆」

「周囲の苦労も少しは鑑みて頂きたい……っ」


 幼馴染に良い笑顔でサムズアップされ、俺は天を振り仰ぐ。ますます肩コリが悪化しそうだった。あと今後は腰もどうにかなりそうだ。


「はぁ、まったく……唯花、ちょっと寝ろ」

「ほえ? どうして?」

「俺が正しいマッサージというものを教えてやる」


 制服のワイシャツを腕まくりする。

 唯花は一応、言われた通りにうつ伏せになるが、あまり気乗りしていない顔だ。


「いいけど……ヤラしいこととかしたら嫌だよ?」

「唯花さんや」


 俺はギンッと真面目な顔になった。

 胸に灯るは熱い情熱と静かな憤りである。「え? な、なに?」と若干引いている唯花へ、俺は切々と語る。


「よく聞け、我が幼馴染よ。体がコリやすい人間というものは皆、例外なくマッサージに強い関心を寄せるの常だ。かく言う俺も寝る前に動画サイトで眠くなるほど気持ちよさそうなマッサージ動画を閲覧するのを日課としている。そのなかでも我々、真面目マッサージ民が嘆くものが何か分かるかね!?」

「わ、分かんない……あと奏太のそのテンションもよく分かんない」

「エロマッサージ動画の存在だよ! 俺たちは寝る前の囁かな癒しを欲しているんだ! 濃厚なエロスなど欲していない! 真面目マッサージじゃないならタグを変えろ! タイトルにその旨を表記しろ! 住み分けをちゃんとしろーっ!」

「なんの話!? あたし、何を熱く語られてるの!?」

「あと真面目マッサージ動画にクラシック系BGMは必要ない! 無音で大丈夫です! 俺たちは肩の叩打音やちょっとした擦過音が聞きたいので、施術者の皆さんは安心してノーBGMで動画編集して頂けたら幸いです!」

「ごめん、あたしが悪かった! 誠心誠意謝るから帰ってきて、奏太ーっ!」


 ひしっと腰にしがみつかれ、俺ははっと我に返った。

 いつの間にかベッドに仁王立ちで演説していたらしい。

 ふーっ、と息を吐き、髪をかき上げる。


「すまない。俺としたことが取り乱してしまっていたようだ」

「うん、相当ね……」

「とにかく俺はマッサージにエロは求めない。それを伝えたかったんだ」

「まったく意味は分からなかったけど、謎の情熱だけは伝わってきたよ……。で、寝ればいいの?」

「うむ、寝なさい」

「その前に……シャワーだけ浴びさせて?」

「エロは求めないと言ったはずだが?」

「うわぁ、軽めの冗談すら通じない目だぁ……」


 唯花は諦めた様子でごろんと横たわる。

 細い腰をまたぐ形で俺は膝立ちになる。普段なら邪念の一つも湧くところだが、マッサージにエロを求めないという俺の信念は伊達ではない。

 様々な動画によって培った、俺のマッサージテクで唯花のコリをほぐし尽くしてくれよう。


「くくくっ、感謝するがいい。その身に快楽の限りを味わわせてやるぞ」

「わー、ツッコミたいけど、面倒くさそうだからもうスルーでいいやー」


 俺は手始めに唯花の肩を軽くさすって準備をし、親指を立て、背骨の際へと当てる。

 さあ、どれほどのコリか見せてもらおうか!


 ふにっ。


 ……あれ?


 ふにっ、ふにっ。


 ……んん?


「あ、あははっ、くすぐったい! 奏太、真面目にやってよっ」

「いや、やってるって。でも……」


 ふにっ、ふにっ。


 ふににっ。


 ふにっ、ふにっ、ふにょん。


「お前、びっくりするほど肩コリ皆無じゃねえか!」


 すごい。世の中にこんなに柔らかい肩があったのか。

 親指を立てようとしても柔らかく沈んでいく。マッサージされる方ではなく、しているこっちの指が気持ちいいほどだ。


「怖え。引きこもりの健康優良児っぷりすごい怖え」

「えー、失礼な。奏太が下手なだけじゃない?」

「なんですと?」

「だってマッサージって気持ちいいものでしょ? それが出来ないんなら下手ってことじゃん」

「俺の腰骨砕こうとした者のこの物言い! よし、分かった。もっとちゃんと寝ろ。肩をちゃんとベッドにつけて。やるぞ……ほらどうだ?」

「あははっ、やだやだ、くすぐったいって! やっぱり奏太って下手っぴ!」

「んなわけないって! ほら、こうやって……こうで、こうは!?」

「きゃー、それもくすぐったい! あははっ、降参っ、もう降参させてーっ」

「マッサージに降参なんてないっての! お前が気持ち良くなるまでやめないからな!」

「もうっ、奏太のケダモノ~っ!」


 きゃーきゃー言ってる唯花をなだめすかし、その後、一時間ほど頑張ったものの、結局満足のいく結果は得られなかった。

 くそう、地味に悔しい。世のマッサージ師の皆さんは偉大である。

 あともしもこれがマッサージ動画だったとしたら、なんやかんや最終的に低評価を連打したくなるような雰囲気だった気がする。


 ……全国のマッサージ愛好家の同志たちにはジャンピング焼き土下座で謝罪したい。

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