壮大な勘違い

 やがて彼女は窓のへりに座り込んで足を組む。そして、僕と空を交互に一瞥すると、大きなため息を漏らしながらつぶやいた。



「クッサいですね~」



 突如現れたサナを見て、空は釣り上げられた魚のように口をぱくぱくと開け閉めしている。目の前で起きていることが現実とは思えず、パニックに陥っているのだろう。うん……分かる分かる。誰だってふつーそういう反応するって。

 僕はひとり頷きながら、冷静にサナの頭をむんずと掴んで、強引にポケットの中にねじ込んだ。


「蓮ちゃん見た!? 今、そこに可愛い人形が現れてなんか言って……」


「何も見てない」


「い、いや、だってさっきまでそこに……」


「何も見てない。いいな? 僕たちは何も見ていない!

 ……ふぅ、とりあえず場所を変えよう。空、行くぞ」


 すると、ポケットの中から強引にサナがジャンプして抜け出し、テーブルの上に降り立って言った。


「もう~! ひどいじゃないですかマスター!」


「…………」


 空は唖然とした顔で目の前に立つサナを見つめている。

 僕は大きく嘆息して、両手に頭を埋めた。


 ……最悪だ。もうこれ以上誤魔化しようがない。


 サナは僕の近くに駆け寄ると、俯いた僕の頭にそっと小さな手を置いてつぶやく。


「マスター、くよくよしないで前向きに行きましょう。レッツ・ポジティブシンキング!」



「うるせぇー! お前が言うな、このバカ~っ!」



 店内に響き渡る僕の怒声。店内にいた客は皆僕の方を不審に思って見つめている。僕は彼らに軽く笑いながら会釈して、サナを腕で覆い隠した。客達はすぐに僕への関心が消えたらしく、また各々の作業に戻った。


「む、むがっ……マスター、苦しいですよぉ」


「このバカが! 出てくるなって言っただろ! おかげで僕がかなり怪しい人に思われちゃったじゃないか!」


「でもそれはマスターが大声を出すからで……」


「うるさい! もう、お前黙ってろ!」


 ……はっ。その時、僕を見つめる空の冷たい視線に気づく。


「そ、空!? これにはちょっとしたわけがあって……」


 僕を見つめる空の目が怖い。彼女の瞳は輝きを失った虚ろな色をしていて、例えるならばそう、床に落ちた牛乳を見るような目をしていた。空は何も言わなかったが、彼女の虚ろな目が、彼女が言わんとすることを物語っていた。


「こ、このフィギュア、ある人に預かってって頼まれてさ。ち、違っ! 僕が好んで買ったわけじゃないから! 僕は美少女フィギュアを愛でる趣味なんか持ち合わせていないからな! か、勘違いすんなよなっ!」


 すると、横にいたサナが何故か頬をぽっと赤く染めてつぶやいた。


「もう、マスターったら照れ屋さんなんだから。私達、昨日一緒の布団で眠った仲じゃないですか~」


 空は何も言わずに目を細め、ゴキブリを見るような視線を向ける。


「ち、違……わないけど! それは誤解だよ! 言っとくけど、僕の布団にこいつが勝手に潜り込んできたんだ! だから、その、汚いものを見るような目で僕を見るのはどうかやめてくれないか」


 しかし、サナがまたもやいらぬ発言をする。


「私は分かってますから。マスターのき・も・ち❤」


「だぁ、もう! お前は黙ってろって! お前が喋ると事態がややこしくなるだけなんだよ! それにもういい加減つっこむのも疲れてきたけどな、そのハートマーク、意味不明だから! サナ……僕、前々から思ってたんだ。お前、頭おかしいから。客観的に見て、お前はイカれてる」


 僕のありったけの暴言を聞いたにもかかわらず、サナはにこりと笑って言った。


「ふふ。マスターってば。分かりました、今度、私が耳掃除してあげますよ。もちろん膝枕でね❤」


「んなこと言ってねーよ、この脳内お花畑フィギュアめ!」


 すると、不意に空が笑った。一体どこに笑う要素があったのだろう? 笑い声はだんだん大きくなり、彼女はいよいよ腹を抱えて笑い始めてしまった。


「あっはははは!」


「そ、空!?」


「あはは……だって、二人の会話、夫婦漫才みたいなんだもん。笑っちゃうよ」


「笑っちゃうってお前、変に思わないのか? フィギュアが喋ってるんだぞ?」


「最初は驚いたけどね……二人の会話が面白くって、いつの間にか不審な気持ちはどこかへ行っちゃった。あなた名前は何て言うの?」


 サナはテーブルの上で無駄にブレイクダンスを踊ってポーズを決める。アイドルスターのような華麗なポーズを決めてから、サナはオホンと咳払いをしてつぶやく。


「お初にお目にかかります。私の名はサナリーヌ・ブライトン。どうか、サナとお呼びくださいませ。超運命的な出会いから、マスターの召使をしております。マスターについてのことなら何でもござれです!」


「ふふっ。私は空。九條空よ。私達、良い友だちになれそうね。よろしくね、サナちゃん」


「こちらこそよろしくです、空さん」


 僕は二人の会話をずっと聞いていたが、頭の上には疑問符が浮きっぱなしだった。サナがぶっとんでいるのは、まあしょうがないとして、そんなサナをあっさりと受け入れてしまう空も僕には理解できない。女の子ってのはこんな簡単に友達になれるもんなのか? 世間では女心は理解し難いとよく言うが、今、僕にも少し分かった気がする。女心は謎に包まれている。


笑顔の空を見て、サナもにっこり微笑み返す。


「やはり空さんは話の分かるお方です。私、一目見た時からそう思ってました!」


 どの口が言うか。ったく……サナのせいでとんだ一騒動だ。


「それで……サナ、お前何で出てきたんだよ」


 サナは僕の腕に寄りかかると、小さく息をつきながらつぶやいた。


「ふぅ……そりゃあ、お二人があんまりにクサイことを言ってたので、つい……」


 ジロリと僕が睨みを効かせると、サナは慌てて言い直す。


「い、いや実は、お二人が壮大な勘違いをなさっていたので我慢できずに出てきてしまいました」


「壮大な勘違い? どういうことなの?」


 空の問いかけに、サナは鼻高々に答える。こいつの態度はいちいちムカつくところがあるが、僕は黙ってサナの話を聞いていた。


「先程、空さんの話を聞いていて、ようやく全てが繋がりました。私の推理通りだとすれば……犯人確保は今日にでも出来るでしょう」


 な……! サナはいつの間にか、事件の全貌を紐解いていたというのか!?


「本当かよ! 教えてくれ! 犯人の目的は何なんだ? 奴らはどうやって警察の捜査の手から逃げ延びている? 僕にはまったく分からない」


 サナはしばし沈黙した後、ぼそりとつぶやいた。


「……そんなの分かるはず無いじゃないですか」


 は? サナのやつ、さっきまでと言ってることが違うぞ。ついに頭がトチ狂ったか、変態フィギュアめ。

 しかし続く彼女の言葉が、僕の考えを改める。そう……サナの言うとおり、犯人の張った巧妙な罠によって、まんまと僕達は騙されていたのだ。


「ニュースで報道された謎の覆面集団による窃盗事件。そして、今回私とマスターが調査していた覆面犯による窃盗事件。この二つの事件は非常に似ており、同一犯による犯行だと見られがちですが、細かく見てみるとぜんぜん違う様相を呈する。

 つまり二つの事件は同一犯によるものではなく、全くの無関係な独立した事件なのです」


 つまり、ニュースで報道された覆面犯による事件と、相澤くんの財布が覆面犯に取られた事件。この二つの事件はそれぞれ独立した一つの犯罪であり、別個に考えなければならないということか。


 僕はすっかり冷めたココアを一口飲んでから言った。


「でも……証拠はあるのか? 僕には二つの事件が違う犯人によるものだとは思えない。どちらの事件でも、犯人は黒スーツに網タイツを着用していた。そんな奇抜なファッションの人間はそういるものじゃないし、どちらの事件も犯人は覆面をかぶっていた。事件以降、犯人が行方知れずなのも一致している」


「そうですね。マスターの言ってることも分かりますよ」


「そうだろ? だから、やっぱりお前の考えは暴論じゃないか?」


 すると、サナは怪しくクスっと笑いながらつぶやいた。


「暴論――私からすれば、マスターの言ってることが暴論です」


「なに?」


「そう怒らないでください、マスター。マスターはこの事件を一面的にしか捉えていない。だから、犯人のトリックにかかってしまうのです。もっと、多面的に、柔軟に考えれば自ずと真実は見えてくるはずですよ」


 そうは言っても、僕は僕なりに考えぬいて出した結論だったのだ。事件を一面的にしか捉えていない……僕はサナの言葉の真意が分からずにいた。


 そんな時、ふと空が、サナに問いかける。

「サナちゃん。私にはよく分からないんだけど……二人は探偵ごっこでもしてたの?」


「違いますよ空さん。ごっこではありません。私はマスターをクラスの皆にプロデュースするため……おっと、ここでの発言は控えたほうがいいですね。一つ言っておきましょう。この事件で最も重要な人物は他ならぬ空さん、あなたです」


「わ、私?」


 空が驚くのも無理は無い。僕もサナの突拍子もない発言に戸惑っているのだ。なぜこのタイミングで急に空が最重要人物になるのか、全くわけが分からない。

 サナは空の言葉に小さく首肯してから、僕の方を向いてつぶやく。


「マスター、少し違った結論は導けましたか?」


 ……色々考えてみたが、やはり僕にはさっぱり分からない。事件の犯人が誰なのかもサナは分かっているようだが、僕には見当もつかない。そもそも犯人は覆面をかぶっていたのだから、正体不明で当たり前なのでないかという結論に達してしまった。


「ダメだ。やっぱり僕には分からないよ」


「分かりました。それではマスター、私が事件の詳細について話す許可をいただけますか?」


「ああ。頼む。いくら考えても、この事件……僕にはさっぱりだ」


 僕の言葉に空も続く。


「私もお願いサナちゃん。どうして私が事件の重要人物なのか、わけを話してちょうだい」

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