第五幕 小さな名探偵

不幸の手紙

 リリカフェのドアを開けた瞬間、紅茶の香りが漂ってきた。

 店内は閑散としており、客は僕と空の他に二人だけ。一人は新聞片手に居眠りをこき、もう一人は仕事なのか、しきりにノートパソコンのキーボードをカタカタと打っていた。


 空は店内隅の窓際の席に座っていた。あの席は知る人ぞ知る席で、他のテーブルからは少し離れた位置にあるので、人に聞かれたくない相談事や、デートなどにはうってつけの席なのである。空があの席に座っているとは、つまり、人にあまり聞かれたくない話なのだろう。

 僕は咳払いをしながら空の向かいの席に座る。ちなみにサナは、僕の制服のポケットに入って大人しくしている。何か用があるときは合図できるように、僕は片手をポケットに突っ込んだまま座っていた。


 やがて店長が注文を取りにやってきて、僕は温かいココアを、空はコーヒーを注文した。すぐに店員がココアとコーヒーを小皿に乗せて戻ってくる。

 僕がココアを一口すすると、向かいに座る空がくすりと笑った。


「なんだよ?」


「ふふ。蓮ちゃんは昔から苦いものダメだもんね。コーヒー、まだ飲めないんでしょ?」


「の、飲めないこともない! つうかその蓮ちゃんってのやめてくれ。なんか恥ずい」


「学校の人がいるわけでもないんだし、別にいいじゃない。それより、ほら。飲んでみる?」


 そう言って、空がコーヒーの入ったカップをずいっと僕の方に寄せた。

 くっ……。悔しいが空の言う通り、僕はコーヒーが飲めない。砂糖を五個入れればなんとか飲めるが……。コーヒーなんてまずいもん誰が考えたんだ。あんなの人の飲みもんじゃない。はっきり言って泥水みたいだ。

 僕は寄せられたコーヒーカップをそっと空の方に戻す。すると、彼女はしてやったりという笑顔を浮かべて言う。


「やっぱり飲めないんじゃない。強がっちゃってさ」


「ち、違う! 飲めないわけじゃない。ただ、今日は……」


「今日は……なんなのよ?」


 くっ……うまい言い訳が思い浮かばない。

 その時、ポケットから小さい声が聞こえた。


「マスター……もう、その辺でやめた方がよろしいのでは? 言い訳は見苦しいだけです」


 不意に聞こえた声に驚いて、空は辺りをきょろきょろ見回す。


「ねえ、今何か声聞こえなかった?」


「え!? い、いや? 何も聞こえなかったけど。気のせいだろ」


「うーん……確かに何か聞こえた気がしたんだけどな……」


 サナのやつめ……何かあるときは合図しろって言ったのに。彼女の自由すぎる行動にはいつも悩まされる。


「そんなことより、話って?」


「あ、うん」


 空が放った言葉は予想外に重いものだった。


「私、別れたの」


 突然のトンデモ発言に驚いて、思わず飲んでいたココアを吹き出してしまった。


「うわっ! もう、汚いわね!」


 僕はテーブルに四散したココアを拭きながら言う。

「げほっ! ぶは……あーびっくりした! お前、急に変なこと言うなよな!」


「あっはは! 蓮ちゃんのそんな顔久しぶりに見たよ!」


「う、うるせえな! 放っておけバカ!」


 やがて、テーブルが綺麗になってから、僕は話を続けた。

「……歩道橋の下で喧嘩してたのって、あれ……別れ喧嘩だったのか?」


「もしかして……蓮ちゃん見てたの?」


 空が驚くのも無理はない。恋人との最後の別れを誰かに、しかも知り合いに目撃されていたなんて、誰が思うだろうか。


「……ごめん。悪いとは思ってたんだけど、あの時偶然、歩道橋の反対側を歩いててさ。本当にごめん」


「いいよ、別に。もう済んだことだし」


「……いや、本当に悪かった。慰めようにも、僕には恋愛経験ないからさ。分かんないんだ、なんて言葉をかけたらいいのか」


 空は僕の目をじっと見つめていた。それからすっと髪を掻き上げ、つぶやいた。


「……こういう時、蓮ちゃんは絶対嘘ついたり、誤魔化したりしないよね」


「そうか?」


「そ。昔からずっと。だからかな……蓮ちゃんに話そうと思ったのは……」


 空は頬杖をつきながら小首をかしげると、そっと微笑する。その笑顔を見ていると不思議と気持ちが楽になる。


「…………それで、僕は別れた彼氏の愚痴を聞かされるために連れてこられたってわけか」


「違う、違う。蓮ちゃんに愚痴をこぼしてもしょうがないでしょ」


 なんだ、僕はてっきり別れた彼氏の愚痴でも聞かされるのだと思っていたが、どうやら違ったらしい。


「ま、別れたのは別にいいんだけど。蓮ちゃんに相談したいのは違うことだし。でも蓮ちゃんが私と敦也の喧嘩見てたのはちょうど良かったかも」


 話の流れから察するに、敦也というのは、今日空と歩いていた金髪の男のことだろう。


「蓮ちゃんは私が喧嘩別れしたと思ってるみたいだけど、違うの。私達はちょうど一週間前に別れてたの」


「え……じゃあ、僕が見たのは?」


「喧嘩っていうより、口論になったのよ。その……結局私が振る形で別れることになったんだけど、向こうは納得してないようだったわ。そんな時、下駄箱にこれが入っているのを見つけたの」


 そう言って、空は鞄を開き、手紙を一枚取り出した。

 黒い封筒で、中には便箋が一枚だけ入っている。送り主の名は書いていない。

 手紙には次のように書かれていた。



 ――九條空。光栄に思うがいい。とあるツテでお前は次の俺たちのターゲットに決まった。

 明日の午後二十三時に市民公園の噴水にてお前を待つ。


 俺達の名はお前に教えてやる義理も無いが……そうだな、仮面の一団とでも名乗っておこうか。俺達が何者か知りたいか?

 教えてやろう。俺達は現在ニュースでひっぱりだこの犯罪グループだ。ニュースで連日報道されている謎の覆面集団とはまさに、俺達のことさ。

 どうだ? フフ、怖くなってきただろう?


 二つほど警告しておく。


 一つ、指定した場所に来る際は一人でくること。


 二つ、このことを警察や友人には知らせないこと。


 この二つを破った場合、俺達の警告を無視したものとして迅速に刑を執行する。被害はお前の周りの人達にも及ぶかもしれんな……クックックッ。


 いいか。これは遊びではない。

 お前は常に俺たちに見張られているということをゆめゆめ忘れないことだな。





「お、おい……コレって……」


 震える声でつぶやく僕とは違い、空は普段通りの声で話す。


「よくある不幸の手紙ってやつでしょ?

 私は、敦也が腹いせにこんな悪戯をしたんだと思って、彼を問い詰めたの。いくらなんでもこんなのひどいって!

 そしたら、あいつ、『俺はそんな手紙書いた覚えがない。人も疑うのも大概にしろ!』とか言うからさ。私もカチンと来て、それで口論になっちゃったってわけ。

 蓮ちゃんが見たのは、ちょうどその時のことだと思う」


 イタズラにしてもいくらなんでもコレはやり過ぎだ。だが、もしこの手紙がイタズラではなく本物だったとしたら……相当やばい。

 謎の覆面軍団といえば、今まさに僕とサナが調査している連続強盗事件の犯人だ。現場検証をして、サナは何やら掴んだようだが、連中の正体は不明のままだ。昨日だって、相澤くんが襲われたばかりだってのに。とにかく、関わらない方が良いということだけは確かだ。なにせ、連中は警察も手を焼いている輩なのだ。サナは強気な態度だけど、とてもじゃないが僕達にどうこうできる山ではない。


「おい、空! お前、これ他の誰かに話したか?」


「え、どうしたの急に?」


「どうしたのって……、もしこの手紙がイタズラじゃなかったとしたらマズイだろ! 僕はちょっとその……知り合いの頼みで、謎の覆面集団について調べていたんだけど、調べれば調べるほど素性が知れない。現場には、ヒントになり得るものを何一つ残さない完全犯罪集団。得体の知れない奴らに関わるべきじゃない!」


 しかし、空はきょとんとした顔で僕を見ていた。彼女はいつもの平然とした顔で言う。


「それが?」


「それが……ってお前……」


「どうせただのイタズラよ。そんなに気にすること無いでしょ。謎の覆面軍団による連続強盗事件だったら私も知ってる。最近ニュースで毎日やってるもんね。けど、もし本物ならどうしてあたしをターゲットにするの? 別に私、誰かに恨まれるようなことなんてしてないもの」


 確かにそうかもしれないけど……でも、だからと言って、こんなに軽く考えていいものではないと思う。僕は語気を強めて空に言った。


「……それでもいい! とにかく、この手紙のことは誰にも話すなよ」


「う、うん。分かった」


 素直にうなずく空。ふと、考えてみて妙なことに気づく。この手紙のことを軽いイタズラだと思ってるなら、空はどうして僕に相談したのか。


「空。イタズラだと思ってるなら、なんで僕を呼んだんだ? お前の口ぶりからは、手紙について真剣に悩んでいるようには思えない」


「……その、怒らないで聞いてくれる?」


 僕は空の言葉に首肯する。


「敦也が言ってたの。蓮ちゃんがこの手紙を私の下駄箱に入れるのを見た、って」


 な……! 言いがかりも甚だしい!

 なんだって僕がこんな物騒な手紙を空の下駄箱に入れなきゃいけないんだ!?

 昨日は高橋さん達と喧嘩した後で、誰かの下駄箱に手紙入れるような気持ちの余裕はなかった。いや、たとえ気持ちに余裕があっても、そんなことしないけどさ。


「僕がそんなことするかっ!」


「私も、蓮ちゃんがやったとは思ってない。けど、一応確認のために。それと、蓮ちゃんは敦也と話したことあるか聞いておきたかったの」


「……無いよ。あんな派手な金髪だったら見たことあると思うんだけどな……僕はあんな男の事なんて知らない」


「やっぱりそうよね。敦也ってば、なんでそんなこと言ったのかしら……」


 敦也は僕を嵌めようとした? だが、何のために? 僕を陥れて彼に何かしらのメリットがあるのだろうか?


「あ、メール来た。えっと……」


 空は携帯を起動して、届いたメールを確認する。

 だが、直後、急に彼女の手が震えだした。


「おい空、大丈夫か?」


 僕の呼びかけにも反応しない。僕は空から強引に携帯を奪い、画面を見た。


 吐き気を催すような光景が映し出されていて、僕は思わず口を覆い絶句した。

 それは惨殺された人間の死体画像だった。いや、それはもはや人と呼んでいいのかさえ分からない。首は胴体から完全に切り離されている。目玉は刳り貫かれており、頭の半分ほどが割れていて、脳がのぞいている。額からは脳漿が滴っており、それが首全体を不気味な色へと変色させていた。切り離された肢体はばらばらに分解されて、画面の四隅に無造作に転がっていた。

 僕はこれまで、この写真ほどグロテスクな光景を見たことは無かった。


 写真の下に文章が書いてあった。



 ――お前は約束を破った。人に話すなと言ったはずだ。


 これはその報復。お前のせいでこの男は死んだ。もちろん、俺たちが殺った。俺たちの警告を破ったらどうなるか、その見せしめのためになァ。


 分かるか? 九條、お前の身勝手な行いが何の罪もない人間を死に追いやった。


 だが、俺達も鬼じゃあない。これが最後の警告だ。次は無い。言ったはずだ。お前は常に俺たちの監視下にあると。


 証拠を見せよう。お前は今、幼馴染の男と一緒に居る。

 場所はそう……『Lily’s bar』という喫茶店。そこでお前は、俺たちが送った手紙についてその男にしゃべった。俺たちはそれを見ていた。だから、今、こうしてお前に警告文を送ったのさ。


 もう一度だけ言う。九條空。


 明日の午後二三時に市民公園の噴水にてお前を待つ。

 そーだな……次のターゲットは野瀬敦也。お前の元恋人に決めた。

 お前の苦しむ顔をこの目で拝めると思うとゾクゾクするぜ。


                              ――仮面の一団



 メールはここで終わっていた。


「お、おいこのメール……」


 空は虚ろな顔をして何も答えない。それほど衝撃的なメールだった。


「空! しっかりしろよ!」


「私、私……どうしよう……人を……殺し……」


「殺してない! お前が人を殺すわけないだろ? 馬鹿言ってんじゃねえよ!

 それに、この写真は作り物だ。辛いだろうけど、よく見てみろ。

 首から出てる血や脳漿は滴っているのに、画面隅の腕や足に付着した血は固まっている。同じ写真なのに血が固まっているところ、固まっていないところがある。おそらく合成写真だ」


「合成ってそれほんと?」


「ああ。だが悪趣味なヤローであることには違いない。この文面も気になるが……」


 メールの文面を読む限り、メールの送り主は僕と空がこの喫茶店にいることを知っている。一体なぜ……? まさかつけられていたのか?

 店内を見回しても、それらしい人物の姿は見当たらない。あれから客は一人増えて、現在店内の客は僕と空を覗いて三人。

 居眠りをこいていた男は未だ眠ったままだし、ノートパソコンで仕事中の男も、なんら変わった様子はない。十分ほど前にやって来た老人は、リリカフェの常連客らしく、入ってくるなりカウンターでずっと店主と話をしていた。つまり、店内の客は、誰も僕らの方に視線を送ったりはしてないし、そもそも僕達に関心が無いように見えた。


 とすれば、店長……彼が空にメールを送ったのか? そう考えて、やはり違うと思った。

 常連客らしい老人との会話を聞く限り、彼は先日店を引き継いだばかりの新任店長らしいのだ。もし彼が組織の人間だったとしても、僕と空が幼馴染であることは初見では分からないはずである。


 結局、このメールの送り主が何者なのか、現時点では僕には分からない。ただ一つ確かなことは、メールの送り主は空の居場所、そしてその交友関係についても把握しているということ。


 僕は向かいの空に視線を移す。すると、空は握った拳を震わせながらつぶやいた。


「私、行くよ」


「行くって、メールで指定された場所にか? やめておいた方がいいと思う。こいつが何者か知らないけど、空の居場所を何らかの方法で知っている。指定場所に行って、何をされるか分からない。危険だよ」


「けど、行かないと敦也がひどい目に遭うって……。あんな奴でも、私のせいで誰かが木傷つくと知って何もしないわけにはいかないよ」



 その時である。突然テーブルの脇に置いてある、コーヒー用のシュガースティックが一袋ぱさりと落下する。見ると、いつの間にやらポケットから抜けだしたサナが、器用にシュガースティックを使って窓枠によじ登っていた。

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