現場検証

 事件が起こった場所は人気のない通りだった。民家の庭に生えた大きな木が陽光を遮り、通りを薄暗くさせていた。左右が家の壁になっていて道幅も狭い。人が一人なんとか通れるくらいの広さしかない。ゴミの集積所には、猫やカラスが散らかしたのだろう、生ごみが散乱していてひどい悪臭を放っている。

 人気が無く、薄暗い場所。犯罪にはうってつけの場所じゃないか。


「相澤さんが襲われたのはこの辺りですか」


 そう言うと、サナはポケットから飛び降りてあたりを歩き始めた。やがて、道路の真ん中で立ち止まり、ひどく泥がついた箇所を一心に見つめる。そのすぐ後に、今度は民家の壁をじーっと見つめると、やがて嘆息しながらつぶやいた。



「――なるほど……つまりは、そういうことですか」



 彼女はそうつぶやくと、再び目を皿のようにして辺りを歩きまわる。

 サナには何か分かったのだろうか? 彼女の真似をして、道路についた乾いた泥を見つめる。しかし、特になんの感想も抱かない。本当にただの乾いた泥である。これが何か特別な意味を持っているようにはとても思えない。すぐ隣りにある壁にしても、別段変わったところは見受けられない。


 相澤くんが襲われたのは、路地裏にあるゴミ集積所の近く。この辺りを通りかかった時、突然、後ろから声をかけられて振り返ると、覆面をかぶり、網タイツを身につけた奇抜なファッションの人物が躍り出てきて、出会いざまに殴りかかってきたという。相澤くんはびっくりして腰が抜けてしまったが、犯人はその隙に相澤くんの鞄から財布を抜き取って逃走してしまった。


 僕は何か手がかりになるものが落ちていないかと、地面に手をついてあたりを探す。だが、いくら探してもそれらしいものは見つからない。当然といえば当然だろう。僕みたいな素人にあっさり手がかりを見つけられてしまうようでは、世間を騒がす大事件を起こしておいて、未だに警察の捜査の手から逃げ延びるという芸当ができるはずもない。


 僕はあきらめずに必死にあたりを探っているサナの背中につぶやいた。

「なぁ……これだけ探しても見つからないんだ。もう、帰ろうよ」


 すると、サナは目をパチクリさせ、不思議そうな顔で僕の方を向いた。


「何言ってるんですかマスター。手がかりならそこかしこにたくさんあるじゃないですか」


 彼女はさも当然のように言ってのけ、作業を再開する。


 手がかりがそこかしこにある? どこにあるっていうんだ?


 サナに言われて悔しくなった僕は、目を皿のようにしてあたりを見回した。だが、やはり普通の路地裏にしか見えない。彼女が言うような手がかりらしきものが、どこにあるのかさっぱり分からない。


 壁は一般家庭で普通に使われている何の変哲もない石壁だ。道路にはストラップや小物の類は落ちておらず、汚い生ごみが散らばっているだけである。犯人が落とした物品などはどこにも見当たらない。

 路面は先日の雨の影響か、泥がこびりついていて、とても綺麗といえる状態ではない。しかし、今日の晴れ空のおかげで湿っぽさはなくなっていた。地面に手をついて調査したせいで、手のひらには乾いた泥がこびりついてしまっている。後で洗わないと。


 するとサナが何やら神妙なむっつり顔で歩いてきた。彼女は僕の後ろの石壁をじぃーっと見つめた後、溜息をひとつついた。そして、路地の僕達が入ってきた方とは逆方向を指さしていった。


「マスター、ちょっとあっちまで連れて行ってもらえませんか?」


「……? いいけど」


 僕はサナをひょいっと摘むと、右のポケットに入れてやった。彼女はポケットから手慣れたように頭だけをひょっこり出して、真剣な目で前を見つめている。サナは凄まじい集中状態らしく、物々しい気配を放っていた。うっかり声でもかけたら、むちゃくちゃ文句言われそうだ。


 通りの出口には肉屋があった。これが、相澤くんが言っていた、コロッケのうまい肉屋なのだろう。肉屋の向かい側には寂れた駄菓子屋があった。他には特に目立つ施設は見当たらない。日頃、車も殆ど通らないとおりだから、ここで商売をやろうという人も少ないのだろう。

 せっかく来たんだし、評判のコロッケを食べて帰ろう。そう思った僕は肉屋へと歩いて行く。割烹着を羽織った人当たりの良さそうなおばさんが笑顔で迎えてくれた。


「あ、コロッケ一つください」


「コロッケね。……あいよ。はい、五十円もらったからね。熱いから気をつけて食べるんだよ」


 僕は店の横に設置された小さなベンチに腰掛け、出来たてのコロッケを頬張る。衣の中から肉汁が溢れ、それと相まってじゃがいものホクホクした食感が気持ち良い。濃すぎず薄すぎずの調度良い味付けで、実に食べやすい。相澤くんが絶賛するのにも納得できる、大変美味なコロッケだった。よく、肉屋のコロッケは美味いというけど、これほど美味しいとは思わなかった。自宅で作るコロッケとは、何かが決定的に違うように思えた。


 と、ポケットの中でサナがもぞもぞと動く。やがてピタリとやんで、彼女はそっと僕に紙切れを手渡した。



 なになに……『マスター、肉屋のおばさんに聞いてもらいたいことがあります。昨日の夕刻、この付近を通った人について。可能であれば通った人の人数や、特徴などもお願いします。それから、話が終わり次第、またさっきの路地裏まで戻ってください。期待してますよマスター♡』。



 見るとサナは赤面しながら僕を見上げていた。……だから、このハートマークは余計だっての。まあ、おばさんに話を聞くくらいはいいだろう。コロッケが美味しかったことを伝えたかったし、ちょうどいい。


 僕はすっと立ち上がり、コロッケの準備をしているおばさんに話しかける。

「コロッケ、すごく美味しかったです!」


「おやおや、ありがとうねえ」


「あ、それで……ちょっと聞きたいことがあるんですが……」


「聞きたいこと? 私に答えられることなら答えようじゃないか」


「ありがとうございます。昨日の夕方ころ、この辺を通って路地に入っていく人を覚えてませんか?」


 我ながらざっくりした質問だと思う。しかし、肉屋のおばさんは上を向いて少し考えた後、にこやかに答えてくれた。


「昨日は……雨がひどかったからねぇ。お客さんもあまり来なかったけど……。


 授業終わった学生さんが一人コロッケを買いに来たわ。この子は良く来てくれる常連さんでね、昨日も雨が降ってるってのにわざわざ来てくれたのよ。


 他には……そうねえ、今どきの格好をした高校生。金髪だったから目立ってたわ。


 あ、それから女の子が傘もささずに走ってたのは覚えてるわ。あれはきっと泣いていたに違いないわ。


 傘をささないといえば……一人妙な男の人がいたわね。雨だってのに一人だけ傘もささないで歩いているのよ。てっきり忘れてきたのかと思って見たら、その人、傘をちゃんと片手に持ってるんですもの。傘を持っているのにあえてささないで歩くなんて妙でしょう? 何か事情でもあったのかしら?」


「そ、その人の特徴とか分かりますか?」


「きれいな禿頭をしててね、黒いスーツを着てたわ」


 黒いスーツ……これはもしかして、事件の手がかり? おばさんが見た怪しい男性が、相澤くんを襲った犯人であることは十分に考えられる、と思う。

 僕は快く話をしてくれた肉屋のおばさんに礼を言って、路地裏へと引き返した。


 路地裏につくと、人がいないのを確認して、サナがポケットから飛び降りる。華麗な着地を決めて、サナは言った。


「マスター、おばさんに話を聞いてくれてありがとうございます。私は少し気になることがありまして、もう少し調査を続けたいのですがよろしいでしょうか?」


 僕が首肯すると、サナは再び地面を注視しながら歩き始めた。


 こんな単調でつまらぬ作業にずっと集中できるサナは凄いと思う。僕には無理だ。いくら探しても、手がかりらしきものは僕の目では見当たらない。ようやく掴んだ唯一の手がかりといえるのは、おばさんに教えてもらった怪しい男の情報くらいだ。


 と、不意に鞄の携帯電話が鳴り出した。慌てて画面を開くと、電話じゃなくてメールだった。外出中はマナーモードにしてるから、電話なのかメールなのか画面を開かないと分からないのだ。


 メールは空からだった。



 蓮ちゃんへ。

 今日、時間ありますか? 会って話したいことがあります。返事待ってます。


 空が会って話したいこと……? 昨日の喧嘩別れの愚痴でも聞かされるのだろうか。まぁ、これ以上現場調査をしたところで何か見つかるとも思えないし、気分転換がてら空と会うのもいいかもしれない。


 僕が返信すると、その数十秒後、すぐに返事が帰ってきた。



 Re:連ちゃんへ

 返事ありがとう。十六時にリリカフェ集合ね。私はちょっと早めに行って待ってるから。



 リリカフェというのは、家のすぐ近くにある小さな喫茶店『Lily’s bar』のこと。店主が気さくな人で地元の人に愛されている。僕も家で勉強したくない時など、たまに利用する。

 時計を見ると、十五時。十六時集合だから、電車の時間もあるし、そろそろ出発しないといけない。


「おい、サナ。そろそろ行かないか? ちょっと空に呼ばれて、十六時までに行かないといけないんだ」


 サナは泥のついた地面を一心に注視ししていたが、僕の声を聞いてふっと顔を上げた。


「おや……もう、そんな時間ですか。私としたことが、調査に集中しすぎて時計を見てませんでした」


 時間がたつのも忘れるほどの集中力で事件の調査をしていた彼女は、ぐっと背伸びしてから満足気な顔をしてつぶやいた。


「空さんに呼ばれてるんですよね。分かりました。行きましょうか、マスター」


 てっきり「まだ調査を続けるんだ!」とか言ってゴネるもんだと思っていたので、あっさりしたサナの態度に拍子抜けしてしまう。


「お前、調査はもう良かったのか?」


「まあ大体のことは。今はまだ頭のなかで、見つかった証拠を組み上げている段階です」


「証拠? そんなのどこに?」


「たくさんあったじゃないですか。もう~マスターは一体、何を見てたっていうんですか!」


 これでも僕なりに真面目に調査したつもりだ。それでも結局、証拠と言えるほど決定的なものは一つも見つけられなかったのだ。サナは一体何を見つけたというのだろう。


「いやちょっと待てよ。僕はしっかり地面に手をついて事件のヒントになりそうなものを探しまわった。けど見つけたのは、地面に散乱した生ごみくらいだよ。他の収穫といえば、肉屋のおばさんから、犯人の有力な情報を得たこと」


 するとサナは溜息を付きながらつぶやいた。


「はぁ……マスターには何も見えてなかったみたいですね。犯人は愚かにもこんなに多くのヒントを残していったというのに……」


「だから! お前、何を見つけたんだよ? 黙ってないで、教えてくれたっていいだろ?」


「……分かりました。しかし、今は空さんとの約束の場所へ向かうことの方が先決です。私が調査して分かったことについては、後でマスターの部屋で話しましょう。大丈夫、おそらく今日、事件は起こりません。もし起こったとしても、今回、私達が調べている事件とは無関係です」


 サナがあまりに自信満々に言うので、僕は大人しく彼女の言葉に従うことにして、路地裏を後にした。サナの一言で浮かんだ謎はたちまちに僕の頭を支配する。スッキリとしない感じで、まるで先の見えない濃霧のただ中にいるようだった。

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