小さな探偵の推理

 サナはシュガースティックを器用に使って、メニューを挟んでいる板の上に座る。彼女の座っている位置は、ちょうど僕や空の視線の高さと同じだった。

 サナは僕と空を交互に一瞥し、やがて、ふぅ……と息をついてから話し始めた。


「まずは端的に、私が現場検証で得た状況証拠について説明しましょう。

 あの時、マスターは何も無いなどと言ってましたが、とんでもない! 実に様々なヒントが落ちていましたよ。

 私が最初に目をつけたのは、道路についた泥です。昨日の大雨の後で天気がカラッと晴れたおかげで、事件現場周辺には乾いた泥がこびりついてました。そうですね、マスター?」


「ああ。あちらこちらで乾いた泥がついてた。昨日の雨はひどかったもんな。けど、泥がどうかしたのか?」


「そこです。マスターはたかが泥と侮って、そこに隠されている情報を汲み取ろうとしなかった。注意深く観察したところ、道路にはいくつかの足跡が残されていました。しっかり観察すれば、道路についた泥の形から足跡が分かるのですよ」


 道路についた泥から足跡を読み取っただと……? それって、警察顔負けの捜査技術だろ……なんでサナがそんな高等技術を持ち合わせているんだ?


 サナは話を続ける。


「残された足跡から、犯人は樫ノ木高校の男子生徒であり、身長は約176センチであることまで推理できました」


「犯人が僕らと同じ学校の生徒……ば、バカな! なんで足跡だけでそこまで分かる?」


 サナは僕の質問に淡々とした口調で答えた。


「簡単な話です。犯人が樫ノ木高校の生徒であると断定した理由についてですが、樫ノ木高校は指定の革靴を採用していますよね。普段履いていても気にしないと思いますが、指定するからには、靴にもこっそり校章が入っていたりするのです。

 マスターも確認してみてください。靴の裏、爪先の方に、生徒手帳に載っている同じ、樫ノ木模様の校章が刻印されていませんか?」


 サナに言われるまま、靴を脱いで、靴の裏を確認する。靴の裏は思ったよりも汚れていたが、たしかにサナの言うとおり、爪先部分に樫ノ木高校の校章が入っていた。

 靴の裏に校章があったなんて、今初めて知った。靴の裏なんて普段気にしないしな……。


「事件現場で見つけた足跡にも校章が刻印されてましたから、犯人が樫ノ木高校の生徒だと思ったわけです」


「ちょっと待て。事件現場の足跡ってだけで、必ずしも犯人の足跡とは言えないんじゃないか? だって、事件現場には襲われた相澤くんの足跡だってあったはずだろ?」


「さすが鋭いですねマスター。確かに校章のある足跡だけで犯人とは断定できません。しかし、相澤くんの証言と照らし合わせることで、どれが犯人の足跡なのか容易に分かりました。

 彼は犯人に殴られた、とそう言ってましたね。誰かに殴りかかろうとする時につく足跡は独特な形をしていて、一目見ればすぐに分かります」


 ふむ……確かに、人を殴ろうとすれば前の方に力が行くわけだから、自然と体も前のめりになる。すると、通常歩いている状態とは地面に接地する足の形が明らかに異なるというわけか。なるほど、筋は通っている。


「身長は? なんでそんな的確な数字が出てくるんだよ?」


 僕が言うと、サナは取り出したメモ用紙に何やら数式を書いて僕らの前に置く。

 メモ用紙にはやたら細かい数字で出来た方程式がいくつか書いてあった。


「サナちゃん、これは?」


「足の長さや、足の幅、歩幅などから人の身長を推定する数式です。頭だけでっかい人や、足だけでっかい人はそういませんよね。

 体の部分部分の大きさの割合には若干の差はあれど、だいたい一定です。この数式は統計学に基づいたもので、この式にあてはめて計算することで、足跡からその人の身長を概算することが出来るのです。

 私が正確に足幅、足の長さ、地面に接地した面積……その他もろもろの要素を組み合わせて計算した結果、足跡の主の身長が176センチであることが分かりました。ちなみに男子生徒であるということは、足幅や足跡の大きさだけでなく、歩幅から計算してもほぼ間違いないと思います」


 凄い……。サナが犯人の特徴を上げた時には、突拍子もない推理だと思ったが……結論に立った理由を聞いてみると、実に論理的で、筋が通った推理であることが分かった。

 サナは足跡一つから、これだけの情報を得たのである。僕はサナの鮮やかな推理に感嘆していた。残された足跡一つ調べただけで、サナは、さんざ正体不明とされていた犯人を特定できる一歩手前まで辿り着いてしまったのである。


「お前……よくこれだけのことを思いついたな……」


「私はマスターとは見ている世界が違いますから」


「な! それ、どういう意味だよ!」


「マスターとは目の高さがまるで違いますから、見ている景色も自然と違ってくる、という意味ですよ」


「……ごめん」


「いえ、気にしないでください。それより話を続けましょう。

 相澤くん襲撃と、報道された連続強盗が無関係であることについてですが、これは実に単純です。私が先ほど言った話を一旦忘れて、二つの事件を比べてみてください。何か違和感はありませんか?」


 サナに言われて考えこむ。二つの事件の違い……?


 連続強盗事件は確かニュースで、謎の覆面集団による犯行だって言ってたな。相澤くんが襲われた事件も覆面男による犯行だし……。そこまで考えて、ようやく僕は気づいた。


「分かった! 報道されていた事件は集団によるグループ犯罪。だが、相澤くんの方は、単独犯による犯行だ!」


 サナはにこりと笑ってつぶやく。


「正解です、マスター。集団犯罪ばかり起こしてきたことを考えると、相澤くん襲撃だって集団で襲ってもいいはず。しかし、犯人は一人だった。……妙ですよね。

 さらに言えば、犯行時間も妙です。丈さんが調べてくれたことを思い出してください。

 一連の強盗事件はすべて奇数の時間帯に起こっていた。しかし、相澤くんが襲われたのは午後六時……偶数の時間帯です。

 これまで規則的な犯行に及んだ犯人が、急に方針を変えたというのは妙だと思いませんか? だから、私は二つの事件は別物だと考えたのです」


「そうか……そういうことだったのか。なるほどな、お前が断言する理由も分かった。だがまだいくつか不明な点がある。

 どうして空が重要人物なんだ? 僕には、全然関係ないように思えるけど……。

 それに、肉屋のおばさんが言ってた怪しい男ってのが気になる。彼は事件に関与していないのか?

 そして、お前の底知れぬ自信。犯人が僕らの学校の男子生徒で、身長まで分かったのは凄いけど、それだけじゃあ、今日中に犯人確保はいくらなんでも無理だろ」


 僕に続いて、空もサナに疑問をぶつける。


「私も。このメールの差し出し主は、サナちゃん達が調べてた事件と関係あるの? それに、どうしてこの人は私の居場所を知っているの?

 サナちゃん、分かるなら教えて」


 二人に質問を浴びせられたサナは、頭をかきあげながら早口で言った。


「もう~二人とも質問が多すぎです! 私は聖徳太子じゃないんですからね!

 ……ま、他ならぬお二人の質問ですからね。分かる範囲でお応えしましょう」


 サナは咳払いをしてから語り始めた。


「まずは、肉屋のおばさんの話に出てきた男についてですが、今回の事件とは関係ないと見ていいでしょう。確かに怪しい人物には違いありませんが、今回の相澤くんが襲われた事件との接点は無いと思います」


「そうか。僕はおばさんの話を聞いた時、犯人の手がかりを見つけたと思ったんだけど、違ったようで残念だ」


「いえ。残念がることはありません。おばさんは犯人に関する情報を確かに教えてくれましたから」


「え? でも、怪しい男が犯人じゃないんだろ?」


 あの時間、他に肉屋の前を通って路地裏に入っていったのは三人。三人共が樫ノ木高校の生徒らしい。そのうちの一人、常連客というのが相澤くんのことだろう。残る二人のうち、男子生徒は一人だけ。つまり、サナの推理から導き出される結論っていうのは……!


「そうか……肉屋のおばさんの証言から、あの時間、路地に入った人間の中で樫ノ木高校の男子生徒は二人。そのうち一人が相澤くんだから、残ったもう一人が、相澤くんを襲った犯人ってことか!」


「マスター冴えてるじゃないですか。仰る通り、私もそう考えました」


「ってことは、その生徒をしらみつぶしに探せばいいわけだな。学校の皆に呼びかけて手伝ってもらえば、確かに今日中に犯人確保も不可能じゃない!」


 しかし、僕の言葉を聞いたサナは苦笑混じりにつぶやいた。


「はは……マスター、いくらなんでも、それは効率が悪すぎますよ」


「そっか……。皆も僕なんかにそう簡単に手を貸してくれるとは思えないし……。でも、それじゃあどうやって犯人を特定するんだ?」


 サナは空を横目で見ると、にやりと不敵に微笑んだ。


「もうすでに犯人は分かっています。今、どこにいるのかも」


「ほ、本当なのサナちゃん!?」


「はい。メールの送り主はなぜ空さんが喫茶店にいることが分かったのでしょうか? さらに、空さんがマスターと一緒にいることまでも。

 犯人がそれらを知り得た理由は……空さんの下駄箱に入っていた手紙。その黒い手紙が発信機になっていたのです。発信機であると同時に、盗聴機能も付いているのでしょう。何にしても悪質な変態ストーカーであることは間違いありません」


 空の顔が青ざめる。当然だろう。自分が今までどこで何をしていたかが、手紙を通じて見知らぬ人の元へと発信されていたのだから。不気味な事この上ない。

 ……ちょっと待てよ。手紙に発信機がついてたってことは今までの僕達の会話は犯人に筒抜けだったってこと!?


「お、おいサナ! もしかして僕らの会話は全部犯人に筒抜けだったのか?」


 サナは黒い手紙を開いて、封筒の口をさして言った。


「おそらく、ここに張ってあるシールが発信器ですね。ご安心を、私が妨害プログラムを組み上げて傍受されないようにしてましたから。犯人はおそらく、相当焦っているでしょうね。突然、音が聞こえなくなったんですから。きっと慌ててここに向かってきてると思いますよ」


「それじゃあ尚更まずいだろ! 犯人がここにやってきたらどうすんだよ!」


「大丈夫です。犯人はおそらく、もう一度偶然を装って空さんに接触してくるでしょう。その時が確保のチャンスです。そこで空さんには囮役を引き受けていただきたいのですが……よろしいですか?」


 サナの言葉に空は黙って頷いた。彼女も犯人と向き合う覚悟ができたらしい。


「そう言ってもらえると助かります。きっとつらい役割になると思いますが……すみません。よろしくお願いします」


 空が震えているのが分かる。威勢よく言ったものの、やはり怖いのだ。得体のしれない手紙を送りつける犯人が。だが、恐怖を押し殺して、今、空は犯人に立ち向かおうとしている。空がこんなに頑張っているのに、僕は……。

 サナは犯人確保の手はずを整えてくれている。彼女の力がなければ、空は悪質なメールにこれからも悩まされることになっていたかもしれない。

 僕はたいして何もできない自分に腹が立ったのと同時に、友達を弄ぶ犯人に深い憤りを感じていた。


「サナ……もったいぶらずに教えろよ。犯人は……こんな卑劣なことを平気でやってのける奴は誰なんだよっ!?」


 感情が溢れだし、思わず大きな声になってしまう。サナは僕をじっと見つめてから、やがて空の方に向き直る。


「サナちゃん。私からもお願い。犯人の名前を教えて」


 サナは最後にもう一度、僕と空を交互に仰ぎ見る。そして深呼吸をしてから、胸に手をおいて、ついに犯人の名前を口にした。



「……野瀬敦也です。たぶん、おそらく、きっと」



 その名前を聞いた時、僕は背中にぞくっと寒気が走るのを感じた。空に至ってはショックのあまり両手で口を覆い、声にならない声を上げていた。

 空の元カレ、敦也。金髪のヤンキーっぽい出で立ちの彼が事件の黒幕だとは信じがたいことだ。僕には彼が人前で網タイツを履く変態には思えなかった。大体、つい最近まで空と付き合っていたはずのヤツがなんで……!?


「どうして敦也が……だってあいつ、自分はやってないって言ってたのよ!」


「それについては後ほど話します。今は時間がないんです! 彼は発信機が壊れていると思い込み、大急ぎでこちらに向かっているハズ。彼の目的を達成するためには、空さんの行動を把握することが最も重要な事ですから」


 空は呆然とした顔で虚空を見つめていた。そんな空の姿を見ていると、何もできない自分が情けなくて胸が痛む。


「サナ、僕に……僕に何か手伝えることはないのか? もう……指を咥えて見ているだけなのは嫌なんだ!」


 僕は空を助けたい一心で、サナを見つめた。サナは僕の目をじっと見てから、柔らかにつぶやいた。


「ふふ……マスターにはとっておきの役があるのです!」


「とっておき……?」



「マスターにはズバリ! 空さんを救うヒーローになってもらうのですよ!」



「は、はぁっ!? ヒーロー!? お前、この非常事態にふざけてる場合じゃないんだけど」


「ふざけてはいません。私はいつでも真剣です。

 そう――名づけて、『ヒーロー登場! 正義はかっこよく勝つのだ! 大作戦』ですっ!」


 サナのある意味凄まじいネーミングセンスに僕は閉口する。そう感じていたのは僕だけじゃないようで、空も苦笑いでサナを見ていた。だが、サナのぶっとんだ作戦名のおかげで少しは元気を取り戻したみたいだ。

 当のサナは一人だけ勘違いしたまま、満面の笑みで僕にメモを手渡した。


「これは……?」


「マスターはその上に書いてあることを間違えずに読むだけです。これで、準備万端。あとは犯人が餌に食いつくのを待つだけですね」


そう言って小さな探偵は不敵に笑った。

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