変わらぬ目で見てくれる人
居間に戻った僕らは話を再開させる。
丈はずいっと僕に顔を近づかせて言った。
「……それで、そのフィギュア……サナリーヌ嬢、いやサナリーヌ様? と蓮は一体どんな関係なのでござるか?」
そう言う丈の鼻には丸めたティッシュが詰められている。先ほど興奮しすぎて鼻血を出したのである。まったくバカめ……。
丈の質問に、ティッシュ箱の上で体育座りをしているサナが答える。
「丈さん、サナで結構ですよ♪」
その瞬間、丈の鼻が再び爆発した。鮮血がテーブルの上を舞う。
「ぶはっ……これは、なるほど、凄まじいっ!」
「いや、お前がどうかしてるだけだから。サナ、お前は黙ってろ」
「何でですかマスター。丈さん、面白い人だって分かりましたし、私、もっとお話したいです」
「見て分かんねえのか? こいつはお前と喋ってると、興奮しすぎて鼻血吹き出すんだよ。あ~もう、僕には理解できないけどね! とにかく散乱した血を拭き取るのもいい加減ヤだから! お前はそこでじっとしてろ!」
僕がそう言うと、サナは寂しそうな顔をして、借りてきた猫のように静かになった。
咳払いをしてから、僕は改めて丈に向き直ってつぶやく。
「……その、黙ってたのは悪かったよ。けど、フィギュアが喋ったり動いたりするって言っても、普通信じないし、変なふうに思われてもアレかなと思って」
「そんなこと! 拙者にとっては夢のようでござった。蓮が羨ましくて仕方ないでござるよ! 可能なら拙者が変わってほしいくらいでござる」
「それで一つお願いなんだが、このことは他言しないでもらえるか? 妙な噂がたっても、面倒なことになりそうだし」
丈はあっさりと僕の申し出を聞き入れてくれた。
「分かったでござる。蓮が喋って動く世にも素晴らしいサナ嬢にぞっこんラヴであることは、拙者の胸のうちにとどめておくでござるよ」
「誰がぞっこんラブだ! このぉ!」
殴りかかろうとする僕の手を、あっさりと封じて丈は話を続けた。
「それで? 蓮はサナ嬢とどういう経緯で出会ったのでござるか? 友達に借りたってのは嘘であろう?」
「……話すとちょっと長くなるんだけどな――」
僕は丈に、道で偶然であったOTLという謎の組織の人間、麻生さんから鞄を託されたこと、鞄の中にはサナが入っていて、彼女には僕と出会う以前の記憶が無いこと、サナが普通の人間と同じように自由に動いたり話したり出来る理由については未だよく分からないことなどを話して聞かせた。
「なるほど、やっぱりサナ嬢はとんでもない素性の持ち主だったというわけでござるな」
「い、いえ……そんなことは。でも、マスターが箱を開けてくれなかったら、私は今も眠ったままだと思います。ですから、私、マスターには感謝してるんですよ」
「だってよ、このこの~」
「か、からかうなよっ! サナについては結局、意味不明な点ばかりでな。
なにやら超科学とかいう最先端技術の粋を集めて作ったらしいんだ。
OTLってのが先端技術を研究している施設らしいんだけど、結局そっちの方も分からず終いだ。麻生さんから渡された鞄に入っていたってのに、サナは麻生さんのことは知らないっていうしさ」
「ふむ……それで蓮は拙者にOTLという組織について心当たりがあるのか聞いてきたでござるか。あれから拙者も気になって色々調べてみたのでござるが……」
「何か分かったのか?」
僕は期待に胸を膨らませて丈の話を聞く。しかし、丈は残念そうに首を振った。
「いや、分からなかったでござるよ。ネットで検索をかけてみても、ヒットするのは有名なアスキーアートばかりだったでござる。……しかし、蓮。鞄を受け取った相手の名前をもう一度教えてもらえるでござるか?」
「麻生源司って言ってた。ほら、その時もらった名刺だ」
僕は麻生さんからもらった名刺を丈に手渡した。丈は名刺をまじまじと見つめた後、悩ましげな口ぶりでつぶやく。
「……麻生、源司。聞いたことがあるような、ないような……そうだ! 思い出したでござる! この人有名な物理学者でござるよ!」
「物理学者?」
「現代のアイザック・ニュートンとも呼ばれるほどの物理学の権威でござる。
数年ほど前までは学会で第一線級で活躍していたのだが、突然姿をぱったりと消してしまい、以降の消息は不明でござった」
「そんな人が、怪しい実験施設で何やってんだ……?」
「さあ、拙者も分からんでござるよ」
丈は靴を履きながら、後ろを振り返ってつぶやく。
「おっと、肝心なことを聞いていなかったでござる」
「お、なんだ?」
「蓮は確か、空と一緒の高校でござったな」
「ああ。それがどした?」
「今日、ここに来る途中で空を見かけたんでござるが……あいつってば駅のホームで一人で泣いていたんでござるよ。
せっかくだし、一緒に蓮の家に行こうよって誘ったのでござるが、絶対行かないとか言い出すし……。もしや、学校で何かあったのかなぁと思った次第でござる」
空が駅のホームで泣いていた?
すると、僕が帰り道に見かけたアレは、まさに喧嘩別れの現場だったのだろう。
それにしても空が泣くなんて。僕は空と幼稚園の頃からの付き合いになるが、あいつがめそめそ泣いているのなんて数えるほどしか見かけたことがない。そのどれもが、感動する映画を見て泣いたとか、卒業式で感極まって泣いてしまったとかである。あいつが誰かに泣かされているのを見たことは、ただの一度もない。
空は芯がしっかりしてて、おまけに勝ち気で負けず嫌い。
そんな性格だから、口喧嘩で僕があいつに勝ったことは一度もない。だから、空の泣き顔なんて想像できない。
あの空が泣くなんて……あの金髪のチャラ男に何かよっぽどのことをされたのだろうか?
「蓮?」
丈の声でハッとする。思いもよらない事実を告げられて、しばしの間硬直していた。
僕は今日の帰り道で見たことを素直に話すことにした。
「ご、ごめん。あのさ、丈、僕見たんだ。今日の帰り道、空が金髪男と喧嘩しているところを。そ、その……空が泣いてたってのは本当なのか? 僕にはあいつが泣くってことが信じられないんだけど……」
「拙者も同感でござるよ。まさか空が泣くなんて誰が思うでござるか。拙者も自分の目を疑った。誰かさんをタコ殴りにするシーンだったら容易に想像できるでござるが」
「……僕のことかよ」
「にっへへ。それはさておき、空が泣いていたのは本当でござる」
「じゃあ、やっぱりあの時の喧嘩が原因だったのか……だとしたらなんとなく、悪い気がするな……。今から空に謝った方がいいのかな……」
すると、丈がにっと笑ってつぶやいた。
「……蓮は変わってないでござるな」
「は?」
「いや。空が言ってたんでござるよ。蓮は昔に比べて勉強ばっかりするようになって、なんだか冷たくなっちゃった。変わっちゃったって。
話を聞いている分には拙者も空の話に納得してしまったのでござるが、実際話してみると……。やっぱり、昔のままでござるな。今も変わらず、空は蓮にとって大事な人でござる」
「は、はぁ? い、意味分かんねえしっ! 僕はただ……」
「ふっ、からかってみただけでござるよ何も言わずとも拙者には分かるでござる。それが友達、というものでござる。それじゃ、今日はこれにて失礼するでござる」
それだけ言うと、丈は玄関の戸を開けて出て行った。
なんだよ丈のやつ……。わっけ分かんないこと言って帰りやがって。けど友達って言ってもらえて悪い気はしなかったな。自分を正直に出せる相手っていったら、丈くらいだ。
ふと、ズボンに違和感が。見るとサナが裾を引っ張りながらこちらを見上げていた。
「マスターにもいるじゃないですか」
「急にどうした?」
「マスター、よく言ってたじゃないですか。自分を見る他人の目が変わった、って。けど、変わらぬ目でマスターを見てくれる人もいるじゃないですか。
だから……きっと大丈夫です。『マスターをクラスの皆にアピール大作戦』は成功しますよ、きっと」
「……あいつはそんなんじゃねえよ」
僕はぶっきらぼうにそう言って、居間へと引き返す。サナがズボンの裾をちょこんと握ったまま、にこやかについてきていた。
◆ ◆ ◆
今日はもう遅いし、事件が実際に起きた現場へ行ってみるのは明日にすることにして、僕はさっとシャワーを浴びた後、そのまま布団に入った。
枕元にはいつの間にかサナが潜り込んでいた。疲れていた僕は、気にせずその横に頭を置いた。すると、サナが突然喋りだした。
「マスタ~ぁ……サナは、マスターのこと愛してますぅ……すうすう……」
っ! 寝言かよ……。人騒がせなやつ……。
サナの横で寝ていると、彼女の艶かしい息づかいが耳にかかって、くすぐったいような、気持ちいいような感じがして、妙な興奮を覚える。加えて、寝ぼけたサナが僕の指をむんずと掴んで離さないため、指を通じて彼女のぬくもりが伝わってくるのである。
その夜は悶々とした妄想が頭のなかで渦巻いてなかなか寝付けなかった。
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