苦い唾
それからはサナがトラブルを起こすこともなく、無事に今日最後の授業が終わった。
あとは、帰りのホームルームが残っているだけ。今日のところは、どうにかやり過ごせた。明日はサナがついてこないよう注意せねば。サナが学校にいる間はハラハラしっぱなしで、正直、授業どころの話ではない。
やがて先生が入って来てホームルームが始まった。
「えー、ニュースで見た人もいるかもしれないが、数日前、樫ノ木町で覆面をつけた謎の集団による、大規模なたかり、ゆすり、強盗、万引きなどの事件があった。
警察は総力を挙げて捜査にあたっているらしいが、残念なことに犯人はまだ捕まっていない。皆も十分気を付けるように。
それじゃあ、今日のホームルームは以上。人気のない場所は避けるように。あと、寄り道しないでさっさと家帰れよ!」
最後にクラス委員の石川くんの号令で挨拶を終えると、皆、さっさと教室を出て行く。
さて、やっと帰れる。帰り支度を整え鞄を持ち上げた時、
「あ、待って篠宮くん!」
僕を呼びとめたのは同じクラスの高橋さんだ。
「何?」
ぶっきらぼうに言ったのがいけなかったのか、高橋さんは声を震わせながら言う。
「あの……その……今度、クラスの皆でカラオケ行こうって決まって、皆に出欠確認してるの。その……よかったら篠宮くんも――」
彼女が言葉を切り捨てるように僕は言う。
「僕はいいよ」
「でも……せっかくの機会だよ?」
僕はふぅとため息をついてつぶやいた。
「いいんだ。僕はそういうのには馴染めないし。参加したところで、皆、嫌な思いをするだけだよ」
「そ、そんなことないよ! 私、篠宮くんにもっとクラスに馴染んで欲しいの。いつも一人で勉強していてもつまらないでしょ? どうせ勉強するんでも、皆で一緒にやった方が楽しいよ、きっと」
高橋さんがそんなことを考えていたなんて知らなかった。でも……はっきり言って有難迷惑だ。僕には皆のように遊んでる暇はないし、一緒になって遊ぶ気にもならない。
「気持ちだけ受け取っておく。けど、はっきり言って余計なお世話だよ。じゃあね」
それだけ言って僕は教室を去ろうとすると、背中に高橋さんの声が突き刺さる。
「私、待ってるから! 篠宮くんの返事まってるからね!」
僕は彼女の言葉を無視してそのまま教室を出た。心なしか唾が苦く感じた。
◆ ◆ ◆
外はすっかりザーザー雨。止むどころかむしろ勢いを増している。コンビニのビール傘なんかすぐに壊れてしまいそうな勢いだった。
僕は降りしきる雨の中を小さな折り畳み傘で何とかしのぎながら歩いていた。そうして駅に向かっている途中、サナが勝手に鞄を開け、顔を覗かせてつぶやいた。
「マスター……怒ってます?」
「…………」
「やっぱり怒ってます」
「怒ってない!」
「どうして二人の誘いに乗らなかったのですか? クラスの皆で集まってカラオケだなんて楽しそうじゃありませんか」
「僕にはそんな時間はない」
今度の模試でいい結果を出すためにも、家に帰ってからもまた勉強しないと。遊びにかまけている時間は無いのだ。暗い青春と言う人もいるかもしれないが、今の僕には勉強をおざなりにすることはできなかった。何が何でも大学へ進学しなきゃいけないから。
サナは顔を少し引っ込めて、目から上だけを覗かせる。彼女は僕の歩き姿をぼんやり見つめながら、ふとつぶやいた。
「マスターは東京大学への進学を希望していると言ってましたね」
「ん、ああ。……それがなんだ?」
「どうして東京大学に拘っているのですか? 探せばいい大学はもっとあると思います」
「……そうかもな」
「では、どうして?」
「別にいいだろ。僕の勝手だ。……この歩道橋を渡ると駅に着く。だから、お前は鞄に引っ込んでろっ!」
「い、いやですっ! マスターの御尊顔が見れなくなってしまいますぅ!」
「いいから引っ込めっ!」
そう言って僕がサナを鞄の中にぎゅっと押し込もうとすると、彼女は道路の反対側を指さして言った。
「ま、マスター! あの人、空さんではありませんか?」
言われて、サナが指したほうを見る。
「そうだな。横にいんのが彼氏かもな」
空は見知らぬ男と並んで歩いていた。同じ制服を着ているから、樫ノ木高校の生徒だろう。派手な金髪に、ヤンキーっぽいベルト。ワイシャツのネクタイも適当だし、ズボンは腰まで下がってだらけた印象を与える。総じてお世辞にも好青年とは言えない格好である。
正直、空があんな男と付き合っているとは思わなかった。どんな人を好きかは人それぞれだし、僕が見ているのは彼の外見に過ぎないことは承知している。だが、空と連れ添って歩く男を見ていると、不思議と心中がざわついた。この気持ちは一体なんだろう……?
「マスター……マスター、聞いてます?」
「お……ああ。なんだよ」
「見てください。あの二人、なんだか喧嘩してるみたいですよ」
見れば何やら二人して、大声で怒鳴り合っている様子。さすがに内容は聞き取れなかったが、あんなところで喧嘩なんかして恥ずかしくないのだろうかと思ってしまう。
……と、そうこうしているうちに決着がついたらしい。空は顔を隠すようにして駅の方へ走って行った。男は荒い足取りで来た道を戻って何処かへ行ってしまった。
「マスター、いいのですか追いかけなくても? 普通こういうシーンでヒロインとの絆が深まるイベントがあったりするのですが……」
「知るか! あいにく、恋人同士の痴話喧嘩に首を突っ込むほど僕は暇じゃないんだ。第一、なんで空がヒロインで、僕が主人公なんだよ!」
「むむぅ~そうですか……まあ、今の言葉はマスターの私に対する愛の告白と受け取っておきますよ」
「だからなんでそうなるんだっ!」
こんな大雨の中、外に出ようとする人は誰もいない。バカみたいな言い合いが空しく響いていた。
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