ラッキースケベ
教室ではクラスメイト達が昨日見たテレビなどの話をしていた。
すれ違いざま、小声でおはようと声を掛けてみたが、返事は無かった。まあいい。いつものことだ。いつもの変わりない日常……ただ一点を除いて。
僕は自分の席に座ると、持ってきた教科書類を机の中に入れようと鞄を開けた。
おかしい。サナの姿が無い。あいつ……どこいった? 鞄を必死に探っても見つからない。そうしているうち、鐘の音が鳴り響いて、先生が入って来た。
それからいつものように朝のホームルームが始まって、その後一時間目の授業が始まる。シャープペンを取り出そうと筆箱を開け、指を伸ばす。すると、指先に妙に柔らかい感触がした。
「ひゃっ!」
ん、気のせいか声がしたような? なんか柔らかいぞ。僕の消しゴムってこんなに柔らかかったっけ。
むにむにむに。その時である筆箱の中で何かがもぞもぞと動き出す。
「ふ、ふえぇ~! ま、マスターそんなところ……私……おかしくなっちゃいますぅ!」
一瞬、教室が沈黙で包まれた。
その後、ざわざわとどよめきが起こる。
「な、なに今の声!?」
「すげーえっちな感じだったよな」
「マスターって誰だ?」
「おい、相沢! マスターってお前だろ!」
「ち、違えよ!」
……大変なことになってしまった。しかし、声の主が僕の筆箱の中にいることは、どうやらまだばれてないらしい。
僕は怪しまれないよう、ノートの端っこを小さく破り、「どうした?」と書いて筆箱にいれる。すると、すぐに紙が筆箱から出てくる。
出てきた紙の裏には、小さいけれど綺麗な文字が綴られていた。
「急に胸を揉みしだくなんて、びっくりしました。マスターったら、ダ・イ・タ・ン。でも、私はそんなマスターが大好きです。一生ついていきます。旦那様♡」
な……つまり、僕は知らない間にサナの胸を……!
脳裏に胸を揉まれて恥じらうサナの様子がよぎって、思わず赤面してしまう。
ぶんぶん首を振るって、妙な妄想を振り払う。
くっ……! フィギュアの胸を揉んで何嬉しがってるんだ。一瞬でも妙な想像をした自分が恥ずかしい。確かに勝手に胸を触ったのはその……悪かったと思う。だけど、そもそも勝手に筆箱の中に入っていたあいつが悪いんじゃないか! だいたい最後の旦那様は何だ!? 相変わらず、サナの考えはちっとも理解できない。
僕はまたノートの切れ端に文句を書き連ねて、筆箱の中に入れる。ちらと筆箱の中の様子を窺う。サナは筆箱の奥の方にちんまりと体育座りで座っていた。僕を見ると、頬を染めて視線を外した。そして横を向いたまま、おずおずと僕にノートの切れ端を差し出す。
ノートの切れ端にはこう書いてあった。
「筆箱の中でなら、マスターとお話しできると思って。でも、まさかマスターの方からアクションを取ってくれるなんて夢にも思いませんでした……。私、今、世界で一番幸せですぅ」
読んでいて頭が痛くなってきた。こいつはちっとも反省していないらしい。
僕は筆箱の中に潜むサナを無視し、授業に集中することにした。
◆ ◆ ◆
やがて昼休みになって、僕は筆箱と単語帳と弁当箱を持って校舎の裏に向かう。
校舎の裏手にある小さなベンチで、僕はいつも弁当を食べる。ここは人気が無いし、静かで勉強にちょうどいい。たまに告白現場に出くわして、気まずい気分になることはあるけど。食堂や教室は騒々しくって、あまり気が進まないから、いつも一人でここにやって来てはひっそりと食事している。もっとも、今日は一人ではないのだが。
筆箱を開けるとサナがひょっこり顔を覗かせた。
「おや、マスター昼食でございますか。私もご一緒しても?」
「ああ。お前を一人にしとくと、色々騒ぎを起こしかねないからな」
サナは両手をあげて喜ぶ。僕の弁当箱を開けて、おかずをまじまじと楽しそうに見つめている。
僕は卵焼きを口に運びながら、小さくつぶやいた。
「さっきはその……ごめんな」
故意ではないにせよ、僕はこいつの胸を触ってしまったのだ。サナはあくまでフィギュアであって、人間の女の子ではないけれど、それでも謝らないことにはなんだかもやもやする。
しかし、サナはきょとんとした顔で言った。
「? マスターは何を謝っているのですか?」
「だからその……お前の胸……」
言われてようやく気付いたサナ。
「ああ、そのことですか! マスターが気にする必要ありませんよ」
「でも、悪かったよ。さっきはつい感情的になっちゃったし。謝らなきゃいけないのは、僕の方なのに」
しゅんと俯く僕を見て、サナは柔らかに微笑む。
「ふふ。マスターは真面目ですね。普通はそこまで謝ったりしませんよ。さっきのことは世に言う、ラッキースケベと言う奴です。ですから、どうかお気になさらず」
「……言っておくが、僕はスケベじゃないからな」
「分かってますよ。マスターはそこらのエロ野郎とは違いますから。それに……」
「? なんだよ?」
「ふふっ。なんでもありませんよ」
穏やかな風が吹き抜け、サナの長い黒髪を揺らす。彼女はフィギュアであるが、その出で立ち、髪の毛や肌の感触は人間みたいだ。だから、たまにこいつが普通の女の子だと錯覚してしまう時がある。
「そーいえば、サナ。お前、メシとか食べなくてもいいのか?」
思えば、僕はサナの動力源を知らない。人間だったら、ご飯を食べなければいずれ動けなくなったり、健康に大きな影響を及ぼす。フィギュアである彼女の場合は何を動力の糧としているのだろうか。
「ご飯は大丈夫ですよ。食べることはできますが、特に食事をしなくても問題ありません」
「じゃあ、どうやって動いてるんだ? 充電しなきゃいけないとか?」
「ふふ、マスターったら。私はロボットじゃないので、充電なんてできませんよ。そうですね……できるだけ簡潔に言うと、私の体はエネルギーを必要としない構造となっているのです」
「エネルギーが不要? じゃあ、永久に動き続けられるってことか?」
「絶対ではないのですが極端に言ってしまえば、そういうことになりますね。だから、私のことは気にせず、どうぞお召し上がりください」
ほぼ永久的に尽きることのない動力。それが本当なら世界的な大発見だ。もし、サナの動力源を世界中で使うことが出来たら、エネルギー問題は一気に解決するし、世界平和へとぐっと近づくだろう。ただ、永遠の動力が素晴らしいと思う一方で、生物として本質的な何かを失っているような怖さもまた感じていた。こう考えてしまう時点で、僕はすでにサナのことを生物と認識しているということになる。
僕は傍らに座るサナを見つめた。彼女は僕の膝の上にちょこんと座って、僕が食べる様子を幸せそうに眺めている。
僕は弁当に箸を伸ばし最後に残った卵焼きをつまむ。そしておもむろにサナの目の前に卵焼きを持っていく。
「……やるよ。食べれるんだろ、卵焼き」
「え……でも、いいのですか?」
「いいんだよ。そんなにじっと見つめられてちゃ、食べにくいし」
「マスター! ありがとうございます!」
サナは卵焼きにがっついた。僕にとっては普通の大きさの卵焼きだが、彼女に問っては身長の半分ほどもある巨大な卵焼きなのである。サナは顔面を醤油で汚しながら、夢中で卵焼きを食べていた。その様子を見ていると、自然と笑みがこぼれた。
学校で誰かと一緒にご飯食べたのっていつ以来だろうな……。案外、悪くないもんだ。
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