第二節 さざめく雨
ツンデレとフィギュアの電車通学
翌朝。僕はけたたましい目覚ましの音で目を覚ます。
机の上に目をやると、昨日僕をさんざ混乱させたあのフィギュアの姿はない。やはり、どうかしていたのだ。昨日の出来事は、きっと疲れたせいでみた夢だったのだ。
ほっと一息つくと、僕はいつものように学校の準備を整え、下に降りた。簡単に朝食を済ませてから、家を出ようとすると、母が声をかける。
「ほら、傘持ってきなさい」
「ん、ありがと」
「それから、今日、母さん遅くなるから。夕飯は出前でも頼みなさい。お金はテーブルの上に置いておくから」
「さすがマスターのお母様。私の予報でも、今日の降水確率は83%ですからね~」
ん? なんか変な声が聞こえたような……。
「母さん、今何か言った?」
「いや別に何も」
気のせいか。ま、いいや。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
家を出て空を見上げると、どんよりとした曇り空が広がっている。こりゃあ、確かに一雨来そうだ。
駅に着くころには少し晴れ間がさしていた。改札を通ってホームに出る。今日も駅のホームはがらんがらんだ。樫ノ木町は田舎町の部類。都会とは違って、満員電車なんてほとんどない。朝のラッシュアワーもない。
僕は電車が来るまでの間、ベンチに腰を下ろした。今日はちょっと早めに家を出たから、電車が来るまでまだ一五分ほど余裕がある。
英単語帳でもやるか。受験勉強の極意は隙間時間を有効活用することにあるのである。
単語帳を取り出すために、鞄を開ける。
ファスナーが開いた瞬間、僕は思わず発狂しそうになった。昨日のフィギュアがひょっこり顔を出したのである!
「おはようございますマスター! 単語帳でしたら、こちらにございます。それにしても、電車を待つちょっとした時間にも勉強するなんて……マスターはすばらしい! 私、感動しております!」
鞄を持っている手がわなわなと震える。一瞬あたりを見回して、近くに誰もいないことを確認。僕は鞄を手に自動販売機の陰に滑り込む。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
「いやあ、マスターそんな怒らなくってもいいじゃありませんか」
やっぱり昨日の出来事は夢などではなかったのだ。こいつは僕が眠っている隙に、こっそりと鞄に身を忍ばせていたというわけか。……にしても、よりによって、学校に連れていく羽目になるなんて。いや、まだそうと決まったわけではない。こいつを学校に連れていくことだけは、何としても防がなければならない。
僕は浴びせようとしていた叱責の言葉をすんでのところで飲み込み、必死の作り笑顔で尋ねる。
「お前、名前なんてったっけ?」
「サナリーヌ・ブライトンでございます。サナで結構ですよ」
「そうか、それじゃあサナ」
「はい。なんでございましょうかマスター」
「ちょっとここに乗ってくれないか」
言って僕は右手を差し出す。
「マスターの御手にですか? そんな……思ってもみない幸福にございます! それでは失礼して……」
サナは鞄からよいしょと抜け出し、僕の手のひらにちんまり座った。
僕の手の上で、サナは頬を赤らめながら恥ずかしそうにつぶやいた。
「マスターの手……あったかいです……♡」
言ってさらにぽうっと赤面するサナ。そんな彼女を見つめ、僕はゆっくりとつぶやいた。
「そうか。それは良かった。……突然だが、サナ。お前とはここでお別れだ。悪く思うなよっ!」
僕はサナをむんずと握ると、投球フォームに入る。そしてそのまま駅のフェンスの向こう側めがけて、彼女を渾身の力で思い切り投げた。
本当はこんなことしたくはなかったが、仕方ない。これも運命。どうか幸せになってくれ、サナよ。僕はお前のこと、少なくとも今日一日は忘れないよ。
パンパンと手を払って、改めて単語帳を読もうとベンチに戻る。
しかし、あろうことかベンチの上には、にんまり笑顔の美少女フィギュアが立っていた。
「お、お前なんで……?」
確かに僕はこいつをぶん投げたはずだ。だのに……どうしてこいつは、また僕の前に現れる!?
すると、サナが青い顔をしている僕を見て言った。
「もう、マスターも気を付けてくれないと。急な運動をすると、肩が脱臼することもあるんですよ?」
「お、お前、なんで戻ってこれるんだよ……?」
「ほえ? あ、私のことでしたらご心配なく。マスターのおかげちょうどいい運動にもなりましたし。私の健康を考えて運動に付き合ってくれるなんて、マスターはほんとに私のことが大好きなんですね。もちろん私もマスターのこと、お慕いしてますよ。……ぽっ」
「『ぽっ』、じゃねえ! だいたい僕はお前のこと好きでも何でもない! どっちかと言えば嫌いだっ!」
僕の言葉に思わずグサリとなったサナは、俯いて泣き出す……なんてことはなく、彼女は実にあっけらかんとした口調で言った。
「またまたぁ~。私は分かってますよ、マスターがツンデレだってコト。まぁ読者の需要があるかは不明ですけど」
小悪魔のように微笑む彼女だったが、微塵もいい気はしない。むしろ、溜まりにたまったムカつきが爆発しそうだった。……読者って誰だ?
もう一度ぶん投げてやろうと、サナを掴むと、ちょうどアナウンスが流れて電車がやって来た。
「くっ……!」
遅刻するわけにもいかない。僕は慌てて鞄を肩にかけて、電車に乗った。
ぜえはあ……と息をしていると、
「もしや、蓮でござるか?」
顔を上げると、見知った顔がそこにあった。
「あ? なんだ丈じゃねえか。久しぶり」
妙な話言葉を使うこの男は、僕の幼馴染である。名前は
中学までは一緒の学校に通っていたが、エンジニアを志し、現在は少し離れたところにある高専に通っている。空と丈と僕は、小さいころからの馴染みで、今も時々会ったりする。最近はお互い忙しくて、なかなか会えなかったのだが。
「お前、電車通学だったっけ?」
「いや、違うでござる。今日は創立記念日とかなんとかで、学校が休みなのでござる。それで、久しぶりにオフ会に馳せ参じる次第」
「オフ会?」
「拙者、とあるネットゲームにはまってましてな。それのオフ会でござる」
「ふーん。いいよな休み。僕はふつーに学校だよ」
「そう言えば、空は一緒じゃないのでござるか?」
「お前の話し方疲れるよ、もう……」
「拙者、自分の生き方を変えるつもりはないでござる」
「いや……そこまで言ったつもりはないんだけど……。ま、いいや。だいたいさ、考えてもみろよ。僕たちもう高二だよ? いつまでも空と一緒に学校いけるもんかよ」
すると丈は少し寂しそうな顔をしてつぶやいた。
「そういうものでござるか……」
「ああ。そういうもんなの。そもそも、空のやつ、彼氏できたらしいぜ」
「それは真でござるか?」
「マジマジ。おおマジだよ。僕があいつと一緒に登校してみろよ。絶対あいつの彼氏に目をつけられるだろ」
丈は目を細めて僕に尋ねる。
「……空の彼氏ってどんな奴でござるか?」
「僕が知るかよ、そんなの。あいつはあいつで楽しくやってるよ」
「ふうん。意外でござるなあ。拙者は、間違いなく蓮と空がくっつくと思ってたのに……」
「はは……んなわけあるかよ」
昨日、空から妙な電話が来たことは、あえて丈には言わなかった。丈はこう見えても、結構気にしいで心配性なところがあるから、余計な心配事は増やしたくなかった。
丈が僕のことをじっと見つめていることに、ふと気づく。
「……なんだよ丈?」
丈が妙にやにやと嬉しげな笑顔なのが気になる。それだけでなく、興奮してさえいるようだ。はっきし言って、不気味な笑顔。女子高生が見たら、痴漢~! とか言って騒ぎ出しかねないような笑みである。
「お前、その笑い顔……公共の福祉に反するからやめとけ」
「いや……拙者、嬉しかったのでござる。蓮が拙者の同志になってくれて。やはり美少女フィギュアはいいものでござるな」
「あ、お前何言って……!」
言って僕は事態に気付いた。慌てて電車にかけ乗った拍子、僕の右手にはサナがしっかりと握られていたのだ。そのことに今まで気づかなかったなんて、僕はどうかしている。
慌ててサナを鞄の中に投げ入れ、ぎこちない笑顔でつぶやいた。
「あっはは……いや、実はこのフィギュア、友達に借りた奴なんだ。一日だけ預かってくれってさ」
「そうだったのでござるか。それにしてもあれ程素晴らしいフィギュアは、拙者、見たことがないでござる。是非、もう一度だけそのご尊顔を賜りたいでござる」
僕は丈の申し出を全力で断った。サナが何か口走ろうものなら、たまったものではない。
「いやいやダメだって! けっこう高いやつらしくてさ、傷とかつけたら怒られるんだよ。だから勘弁してくれ」
必死の僕を見て、ようやく丈も諦めたらしい。がっくり肩を落とし、残念そうに言った。
「……仕方ないでござるな。しかし、一目見れただけでも、満足というもの。本当に素晴らしいフィギュアでござった……。まさしく神の一品……」
丈はこれでもかというほどサナのことを褒めちぎる。一目見ただけなのに、よっぽどサナのことが気に入ったらしい。
いっそ丈にサナをあげちゃおう、という考えが一瞬、頭をよぎる。だが、どうしてだろう、結局口には出さなかった。サナの何かが僕を惹きつけているというのだろうか。
「そーいえばさ」
「お、なんでござるか?」
「丈、しょっちゅうネットサーフィンしてるだろ? OTLって聞いたことないか?」
「嘔吐してる人を現した記号でござる。あとがっかりした時にも使うでござるな」
「そうじゃなくて! OTLっていう組織。会社とかでもいいからさ」
しばし悩んでから丈はつぶやいた。
「……聞いたことないでござるな。その、OTLという組織がどうかしたのでござるか?」
麻生さんのことを丈に話そうかと迷ったが、あの時、麻生さんを追いかけていた謎の組織が、今度は丈を標的にするかもしれない。友達を巻き込みたくはなかった。
「そっか……いや、なんでもないんだ。ありがとう」
それから二言三言丈と話しているうち、駅についた。
「何かあったら、連絡くれでござる」
「おう。それじゃな丈」
懐かしい友と挨拶を交わして、僕は電車を降りた。
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