超高性能フィギュア サナリーヌ・ブライトン

 三十分ほど経ってひとしきり問題を解き終え、ぐっと背伸びをする。

 なるほど……あらためて解いてみると、基本に忠実な問題だったことが分かる。試験中の焦りは思わぬミスを誘ってしまうものだと実感した。


「ふぅ……」


 ほっと息をつこうとしたところ、


「――何が『ふぅ……』ですか! 返事位してくださいよ、マスタ~! そうしないと、私……私……ぐすん」


 っ!? これは決して気のせいなんかじゃない。この部屋に何かいる。僕以外の何かが。


 ま、まままままま、まさか! ゆゆゆ幽霊!?

 ははははは……そんなわけないだろ。幽霊なんかいるわけないんだ。全く……僕はどうかしている。幽霊なんて非科学的なもの、信じるだけバカってもんだ。


 きっとこれは……夢だ。疲れて途中で寝てしまったに違いない。なあに、ほっぺをつねってみれば分かること。

 そう思ってつねってみたが、つねった頬は赤くなって、当たり前のように痛かった。


「――? 何をしているんですかマスター? 私には意味不明です」


 僕はパニックのあまり机から転げ落ちて叫んだ。


「う……うわああああああああああああああ!!!」


「――わ、わわわっ!? どうしたんですかマスター、急に大声なんか出して!?」


「僕は、僕はぁぁっ!」


「――マスター、やめてください! 急に壁に頭をぶつけだして、おかしいですよ!?」


「僕がおかしい……? そりゃ今日の僕は少しおかしいかもしれない。だって、僕しかいないはずの部屋から、知らない人の声が聞こえるんだ。幻聴だよ……。ヤバイ。僕はやばいんだあああああ!」


「――ま、マスターちょっと落ち着いてください!」


「うわああああああ! 幻聴だああああっ!」


 その時、脳天に強烈な痛みが走った。母さんのげんこつである。


「痛ってぇ~!」


「あんた、こんな時間に何騒いでるの! いい加減にしなさい! 近所迷惑でしょ!」


「だって……声が! 声が聞こえるんだよぅ!」


「何言ってんの。明日も学校なんだからさっさと寝たら?」


「本当だよ! 本当なんだってばぁ~っ!」


 しかし、無情にも母は僕の言葉には耳も貸さずに下へと戻っていった。

 ベッドの上に体育座りでいると、再び声が聞こえてきた。


「――少し落ち着きましたか?」


「いや。もうわけが分からないよ。幻聴ってどうやったら止まるんだ?」


「――幻聴ではありません。マスターは至って健康体ですよ」


「じゃあ、この声は一体何だっていうんだよ!」


「――私はここにいますよ。マスター落ち着いてちゃんと見てください」


「ここってどこだよ! もう……お化けとか勘弁してよ~!」


「――む。お化けとは心外な。私はこう見えて超高性能フィギュアなのです!」


 フィギュア……? そんなの僕の部屋にあるわけ……。

 ……なんだアレ? さっきまでは気が動転していて気が付かなかったが、鉛筆削りの上に見慣れないものが置いてある。


 それは美少女フィギュアだった。全長10センチに満たないくらいのちんまい人形。だが、その作りは驚くほど精巧だ。スレンダーで華奢な体躯。艶のある黒髪は腰に届くほど長く、雅っぽい。大きな瞳は吸い込まれそうなほどに蒼い。


 僕はフィギュアに関する知識は皆無だが、それでもこれを作った人物が、並大抵の技術の持ち主ではないことが分かる。まるで、作り物では無く、そこに生きている命を感じ取れる。髪も肌も……物であることを感じさせない程に生き生きしているのだ。


 生憎だが、僕はフィギュアを買い集めたり、部屋に飾って眺めたりする趣味を持っていない。当然、フィギュアを買った記憶もないし、誰かにもらった記憶も無い。


 だとすればなぜ、見知らぬ美少女フィギュアが僕の机の上に存在しているのか。


 しかし……このフィギュアが実に素晴らしい一品であることは分かる。玩具の域を超え、芸術の域に達していると言っても過言ではないのだ。世界一の美術館として名高い、フランス、パリにあるルーブル美術館に飾ってあったとしても何ら不思議ではない。はっきり言って、モナリザよりも断然凄いと思う。……まあ、僕に芸術の何たるかはいまいちよく分からないけれども。


 ともかくそれ程すごい美少女フィギュアなのだ。売ればきっといい値段になるだろう。参考書代くらいは浮くかもしれないな、グッヒッヒヒ……。


「マスター。何か変なこと考えてますね。口元がにやけてますよ。いやらしい」


 その瞬間、僕は自分の目を疑った。目の前のフィギュアが口を開いて喋ったように見えたからだ。


「し……喋った……?」


「そりゃ喋りますよ。なんたって私は超高性能フィギュアですから――」


「ぎゃああああああああ~!」


 これまでにないくらいの悲鳴をあげる。


「わ、わわぁっ! いきなり叫ばないでくださいよマスター! ビックリするじゃないですか!」


 わなわなと拳を震わせ、僕は言った。

「驚いたのはこっちだ~っ!」


 ぜえはあ……と肩を上下させながら言う。


「人形が独りでに動いて、しかも喋り始めるなんて……どう考えても怪奇現象だろ!?」


「ひ、人を勝手に怪奇現象扱いしないでください!」


 机の上で立っている人形は、ご丁寧に頬をぷっくり膨らませて、腰に手を当ててぷりぷり怒っている。その様子が奇妙でおかしくもあり、少し可愛くもあった。


「……もう……疲れた」


「大丈夫ですか、マスター?」


 人形に心配される筋合いは無い。が、人形は僕の顔の傍まで寄ってきて心配そうな眼差しで僕を見つめているのだ。その姿が何とも可愛らしい。通常であれば発狂するような事態であるが、奇妙なことにこの時僕は気恥ずかしさと共に一抹の嬉しさをも感じていた。


「……キミは……なんなんだ?」


「おお、よくぞ聞いてくれましたマスター!」


 人形はオホンと咳払いをしてから、くるりと一回転。かっこよくポーズを決めてから、満面の笑顔で話し始めた。


「私の名はサナリーヌ・ブライトン。ここではない、遠い異国の地にて誕生いたしました。年はぴっちぴちの十八歳です! 身長は84ミリ。体重は……いくらマスターでも秘密ですぅ!」


「待て待て待て……! 僕が聞きたいのはそんな事じゃない! 大体キミの体重なんて微塵も興味ない!」


「しくしく……。興味ないなんてひどいです、マスター……。それじゃあマスターは何が知りたいんですか? も、もしかして私のスリーサイズとか? い、いくらマスターでも教えるわけには……いや、マスターがどうしてもって仰るんでしたら私……」


 こいつにはまともな会話を続けようという気はないのだろうか。黙って聞いていれば、こいつの頭の中では僕は完全な変態紳士に置き換わっているみたいで、腹立たしい事この上ない。


「だ~もう! 言っとくけどな、僕はそんなスケベじゃない! いい? 僕が聞きたいのはまず第一に、キミは何者なのかということ。喋る人形なんて物語の中でしか見たことないし。実際見ると、はっきり言ってものすごく気味悪い」


 言って少し後悔する。気味悪いってのは少し言い過ぎたかな……。こいつも一応、その……女の子なわけで。配慮が少し足りなかったかもと反省する。


 しかし、僕の心配など無に帰すように彼女は話し始めた。


「ふぅ……分かりました。そこまでマスターが仰るなら、私も話さなければなりませんね。私の身に隠された秘密について」


 ごくりと唾を飲む。フィギュアはビシッと自分を指さし言った。


「私は超科学によって作られし、超高性能美少女フィギュアなのです!」


 がくっ。どんな秘密かと思えば……。


「そ、そんなの見りゃ分かるだろ! それじゃフィギュアが一人でに喋って動く理由が説明でき――」


「――ないですよね。マスターの仰る通り、私の存在は現代の科学では説明できません。科学を超えた科学。超科学とは、説明できない現象を現実にする技術なのですから」


 ――超科学。そんな単語を昨日、聞いた気がする。あれは確か……そうだ、麻生さんが言ってたんだっけ。結局、僕にはなんのことやらさっぱりだったけど。


「もしかして、キミを作ったのって麻生さん?」


「麻生さん、とは? 私は存じておりません。そもそも私にはマスターが箱を開けてくれた以前の記憶が無いのです。かろうじて分かるのは、自分の名前だけです」


「記憶が、ない!?」


「はい。私が覚醒して初めて認識した人が、マスター、あなた様なのです。それ以前はどこで何をしていたのか、生きていたのか死んでいたのかさえ分かりません。私が超科学という技術によって作られた高性能美少女フィギュアであるということは、説明書に書いてありました」


「説明書?」


「あ、私が入っていた箱に入ってましたよ」


 そう言われて、段ボール箱の中を探ってみると、小さく丸められた紙が一枚入っていた。

 これが説明書……? 疑問に思いながらくしゃくしゃの紙を広げる。


「これは……英語?」


 紙には複雑そうな英文が羅列されていた。専門用語なのか、見たこともない単語ばかりでさっぱり意味が分からない。中高合わせて五年間英語を勉強しているが、所詮こんなものである。


「えっと、簡単に言うとですね……」


 見かねたフィギュアが、僕の手に乗って、説明書を見ながら言った。


「ふむふむ。まあ簡単に言うと、私はすげーフィギュアだってことです」


「簡単にしすぎだよ!」


 結局、すげー以外のことは分からず終いじゃないか。

 こいつはどうして僕の前に現れたんだろう? 麻生さんが渡した箱に入っていたってことは……まさか、こいつが人類の未来の鍵を握っているっていうのか!? 

 麻生さんはどうして、こいつを僕に託したんだろうか。


「わけ……わかんねえ……」


 事態がうまく呑み込めずに混乱してしまった僕は、布団にどさりと倒れこみ、そのまま気絶するように意識が薄らいでいった。

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