第一節 Mysterious box
E判定。合格の可能性5%以下。志望校の変更をおすすめする。
あーあ。まただ。またやっちまったよ。
ん? 何をやっちまったかって?
計算ミスさ。三角関数の加法定理の公式を使う問題だったんだけど、一か所だけ符号を間違えてしまって、そこから先は全ておじゃん。
またもE判定をくらってしまった。
僕の名前は
公立 樫ノ木高校に通っている高校二年生だ。
今は学校の帰り道。帰りのホームルームで、一か月前に受けた模擬試験の答案が返却され、その結果を見て、今こうして落ち込んでいるわけだ。
もう一度試験結果に目を通す。
スンカワ予備校 高二全国統一マーク模試結果
篠宮蓮 樫ノ木高校二年一組 出席番号16番
英語(筆記):133点 英語リス:22点
国語:121点 数学Ⅰ・A:58点 数学Ⅱ・B:31点
化学:94点 地理:61点 政治経済:16点
総合得点:536点(950点満点)
第一志望大学 東京大学文科一類 E判定
第二志望大学 東京……
もう、よそう。これ以上見たって、惨めな気分になるだけだ。
僕が志望する大学は日本ぶっちぎりトップクラスの大学、トーダイである。何故トーダイに行きたいかって言うと……記憶が曖昧なくらい幼い頃に、女の子と一緒にトーダイへ行くって約束したから……なーんてロマンチックなことはあるはずもなく、ただ単に学歴の為である。
学歴とは今尚、世間で重要視されている項目であり、学歴のあるなしでは、その後の就職活動まで響く。少なくとも僕はこう考えている。だから、少しでもより良い人生を送るため、楽しい老後を暮すためにも、トーダイ目指して頑張ってるというわけだ。
……頑張りが結果に出てないけど。
終わった模試の事を考えていると、Eという文字が頭をよぎる。
E――それは全国の受験生を絶望の渦に巻き込む恐るべきアルファベットである。
E判定。合格可能性5%以下。志望校の変更をおすすめする。
要するに「お前じゃ無理」って言われてるようなもんである。僕は過去何度もE判定をくらった。その度に落ち込み続け、今や若干慣れっこにさえなっている。
……それじゃダメなんだけどね、はぁ……。
もう何度目かと思うくらいのため息をついた時、ふと足が止まった。
一人のおっさんが決死の表情で走っている。ランニングだろうか? 白衣を着たまま運動するなんて、殊勝なことだ。僕にはきっと真似できない。
……そんなわけないか。
おっさんの何かに怯えたような顔をして、見てるこっちがびっくりするような顔つきだ。足もドタバタと落ち着きがなく、相当切羽詰っているものを感じさせる。こんな死にそうな顔で、しかも白衣を着てランニングしている人間を僕は見たことが無い。とすれば……きっと、大便でも我慢しているのだろう。お気の毒なことだがコンビニはずっと先だ。おっさんの肛門が持つことを願うばかりだ。
人が二人通るのも少しきついくらいの狭い路地だったので、道を開けてやろうと僕が道脇に寄りかかろうとした時、おっさんが僕を呼び止めた。
「き、きみぃ!」
あまりに突然の事だったので、ちょっと……いや、かなりびっくりした。知らない人に声を掛けられるなんてあんまりないもんね。
「は、はい!?」
おっさんは禿げ上がった頭で夕日を反射させながら、慎重に辺りを窺う。
ま、まさか痴漢! そ、そんな……言っておくが僕にそういう類の趣味は無い。変態なんぞと関わり合いにはなりたくない。
「……突然呼び止めてすまない。実は……」
「うわぁぁぁぁ変態ぃぃぃぃ~!」
と、叫んだのも束の間、おっさんは驚くべき速さで僕の口を塞ぐ。
「ままままま待て待て待てぃ! 誰が変態だ!」
「むがもご! ば、ばばべぇ!(離せぇ!)」
「ちょっと落ち着きたまえ! 私はこういう者だ」
おっさんが名刺を取り出し、僕に渡す。僕はいつでも逃げられるように後ろを確認しつつ、名刺に目を通す。
〈OTL 第六神秘学研究室 特別顧問研究員
「おー……てぃ……える? ネットとかでよく見かける、吐いてる人?」
「ち、違う! 吐いてる人などではない!
OTLというのはOver Technology Laboratry の略。
現代の科学技術では解明できない現象――超科学について研究している施設だ。 私はそこのエラい研究員というわけだな」
「へぇ。要するにオカルト研究家ってことだろ? 怪しい人に変わりないじゃん」
「ぐむむ……少年、大人をからかうのもいい加減にした方がいいぞ」
じりじりと迫ってくる禿頭のおっさん。気づけば後ろは壁。逃げ道はない。絶体絶命とはまさにこのことか!
だがその時、ばたばたという騒々しい足音が聞こえてくる。
「しまった! くだらない言い争いをしている場合ではない!」
おっさんは真っ青な顔をしてそう言うと、持っていた鞄を僕の手に無理やり握らせた。
「な、これは!?」
「説明している時間は無い。私はとある組織に追われていてな。さっきまでその事忘れてた」
「あんたアホか!」
「ともかくこうしている時間はない。さあ来るんだ! こうなってしまった以上、君も逃げなければ、奴らに殺されるぞ!」
なにやらわけの分からない内に、シリアスな雰囲気。おっさんの目は本気そのもので事態が尋常ではないことを物語っていた。
「いきなり逃げろって言われても……。大体奴らって? 組織って何ですか?」
「説明は後だ! 早く行け! 殿は私が務めよう。若い世代のために死ぬのなら、本望。君に手渡した鞄。その鞄には『未来』がつまっている。決して奴らに渡してはならない頼んだぞ少年よ!」
先程までとはうって変わり、震える程かっこいいことを言いだすおっさんに、僕はある種の感動さえ覚える。
「お、おっさん……!」
「少年、私の名はおっさんではない。麻生だ」
「麻生さん……死なないでくれよ!」
「フッ……少年もな。さあ急げ! 奴らが来ないうちに早く行くんだ!」
麻生さんはいぶし銀に、親指を突き立て不敵に笑った。
それは、かっこいい男の背中だった。
僕は短く敬礼して、駆け出した。
それから数分後、大勢の足音がしたかと思うと、劈く悲鳴が聞こえてきた。僕は振り返らず走り続けた。 得体の知れない謎の組織の力に怯え、懸命に走り続けた。
転がり込むように家に飛び込んだ。母の怒声を気にせず、ドタバタと階段を駆け上がり自分の部屋へ。窓から慎重に辺りを窺う。怪しい集団がいないことを確認して、ほっと息を着き畳の上に寝転んだ。
麻生さんはどうなったのだろうか……? 悲鳴が聞こえてきたということは恐らく……。いや、まだ彼が死んだと決めつけるのは早い。いずれにしろしばらくは会えないだろう。今度彼に会ったら、変態と呼んだことを謝っておこう。もし会えるのならば、の話だが。
畳の上で横になっていると気分が落ち着いてくる。頭の中がだんだんクリアになって、冷静さを取り戻していく。
そう言えば……麻生さんが渡した鞄。あれには何が入ってるのだろう?
床に置いた鞄を手に取る。走っている時には気づかなかったが、予想外に軽い。まさか、小型の兵器? はたまた……兵器の設計図? ……ただのエロ本だったりして。
様々な考えが浮かんでは消えてを繰り返す。考えていても埒が明かない。開けてみないことには、中に何が入っているのかなんて分かりっこないのだ。
ごくりと唾を飲む。手を伸ばし、鞄を閉じているをジッパーを開けると、小さなダンボール箱が一つ入っていた。ダンボールはちょうど手のひらに乗っかるくらい。このダンボールに人類の未来が……。
段ボールの口を封じているテープをはがした時だった。
「蓮~! 空ちゃんから電話!」
「今行くからちょっと待ってて!」
こんな時に電話とはタイミングの悪い……。
テープをはがした段ボール箱を机の上に置いて、階段を駆け下りて受話器を取る。
「はい、もしもし?」
「あ、篠宮くん。私、空」
「うん。で、なんかあったのか?」
「テストも終わったし、今度、どこかへ遊びに行かない?」
「…………」
この時、頭に浮かんだのは今日渡された試験結果。そしてEというアルファベット。
ぶっちゃけ遊んでる暇なんかない。しっかり復習しないとまずい。僕はそういう状態にあるのだ。
「篠宮くん? どうしたの?」
「……悪い、空。今日、模試返されたんだけどさ。結果……すげえ悪くって。勉強しないとまずい状態だから、遊びには行けない。誘ってもらって悪いんだけど、ごめんな」
「そう……残念」
そうだ一つ重大なことを言い忘れてた。
「大体お前なあ……誘うんなら、僕じゃなくて、彼氏誘えよ! 順序おかしいだろ!?」
すると電話の向こうの空が笑って言う。
「ぷふふ。私だってそれくらい――」
「ん? なんて?」
「ふふ、もういい。それじゃ、またね」
ツー、ツー、ツー……。がちゃりと受話器を戻す。
いいなあ空は暇そうで。
電話の相手は僕の幼馴染、
ともあれ、今は空に付き合っている暇はない。鉄は熱いうちに叩けとも言うし、ご飯を食べたら復習開始だ。
居間に行くと、すでに夕食の準備が済んでいるようだった。
電話を終えた僕を見て母が話しかける。
「蓮。空ちゃん、なんだって?」
僕は席について、おかずのコロッケをつまみながら話す。
「遊びの誘い」
「ふーん。んであんた行くのかい?」
「行くわけないだろ! あいつ彼氏いるんだよ? なんだって僕に電話するかなぁ……」
「空ちゃんかわいいものねぇ~。そーいえば……あんた模試はどうだったの?」
うぐっ! ストライクな母の質問で、コロッケが喉に詰まりそうになる。
どうにか水で流し込んで、
「う……まあ普通だよ。普通」
「普通ってあんたね……。トーダイなんて無理することないんだから」
「む、無理って言うなよ! 確かにまだE判定だけど……あ!」
うっかり口を滑らしてしまった自分が嫌になる。
「またEだったの? もういい加減諦めなさいな。うちの家系で大学行った人すらいないんだから。トーダイなんて夢のまた夢よ」
く~! なんとか言い返したいが、返す言葉が見つからない。母さんの言ってることは最もだし、的を得ている。確かに今の僕では、現役合格なんて夢のまた夢だろう。だが、同時に、何も言い返せない自分にむかっ腹が立つのも事実だ。
ここで母さんと話を続けてもイライラするだけ。そう思った僕は、まるで飲むようにしてご飯をかっ込み、あっという間に食べ終えた。
「ごちそうさま!」
あーもう、ムシャクシャする! 今日はなんて厄日だ。
床に転がっている鞄が目に入ったが、僕はイライラを鎮めようと枕に顔を埋めた。
苛立ちは消えるどころか募って来るばかり。頼むから放っておいてほしい。僕は僕なりに……色々頑張ってるんだ。外野にとやかく言われる筋合いはない。
布団の上でそんなことを考えていると、ふと、どこからともなく声が聞こえてきた。
「――スター……マスター……」
ん? 何か聞こえた?
しかし、辺りを見回しても何かがいるわけでもなし。きっと気のせいだろう。
僕は腕まくりをして、問題用紙とルーズリーフを机の上に広げる。
しかし、再びどこからか声がする。
「――マスター! マスターってばぁ!」
なんだ? 今、確かになんか聞こえた。気のせいではない。
窓を開けてみる。家の前の道路には人っ子一人いない。あの声は一体……。
いや、気にしても仕方ない。変な声に惑わされている暇は、今の僕にはないのだ。
シャープペンを握り、問題用紙に向き合う。すると、他の雑音が耳に入ってこなくなった。この集中力だけは、僕の特技と言えるかもしれない。僕は目の前の問題に集中し、ペンを走らせた。
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