第18話

「それで……」


「えっ」は眉をひそめた。「まだ話すの?」


 は?「なぜだ?」


「いや、もうそこまでで良くない?」


「だから、なぜだ?」


「多分お前はその元刑事が死ぬまでを話そうとしているけど、カイト君との会話で綺麗にまとまったじゃん。完璧だったじゃん」死神は片目を閉じ、首を掻いた。「だからさ、もうよくね?」


「確かに映画や小説ならば良いのかもしれないが、まだ彼の物語は残ってる」


「とは言えどもね、君」生やしたことすらない口ひげを撫でるように死神は続く。「物事には区切りというものがあるんだよ」


「それに、これから僅かに残った謎の部分を死確者が推理したり、ある奇跡的なことが起こっていくんだぞ。聴かなくてもいいのか?」


「そこまで言われちゃうと、気になっちゃうってのが死神の性だよね」


 いや君だけだろ、というと、また面倒な問答が繰り広げてしまいそうだと察し、「なら、話していいか」と声を出した。


「どうぞどうぞ」


「私はその後、犯人逮捕を祝って、居酒屋に行ったんだ。誰にも誘わず一人で行ったのに、仕切りの高い個室を選んだ。わざわざ待ってまでそこにした理由が、私とあることを話せるようにだと知ったのは、2時間弱経過してからだった」




「ずっと疑問に思ってたことがあったんだ」


 死確者は身をほぐしたほっけの開きを口に放り込むと、唐突に語り出した。


「何がです?」


「佐田について尋ねた時の返しだ」


 そもそも佐田のことを思い出せない。誰だっただろうか……


「キャバクラだ。ほら、ナイト・バタフライ」


 ああ。「確か……店長さん」


「そうだ」


 今、ちゃんと思い出した。


「シロかクロか聞いて、なんて答えたか覚えてるか」


「確か……シロ、でしたよね」


「ああ」


 死確者は大ジョッキを傾ける。すでに半分になっていたビールを更に減らした。


「しかし、それの何が疑問なんでしょうか」


「あの時、鶴川がクロと答えていりゃあ、俺の意識は間違いなく佐田に向いてい

たろう? 下手したら最重要容疑者として、狙いを変えていたかもしれん。なのにあいつは、正直にシロだと答えた」


 よくよく考えてみれば、注意をそらせる貴重な容疑者候補が一人減ってしまうわけだから、損であるはずだ。


 死確者は「まだあるぞ」と鳥の軟骨揚げを口に放った。「俺はこれまであいつと協力して調べを進めていた。取り調べや聞き込みだけじゃない。互いに手に入れた情報も共有していた」


 歯で砕かれる柔らかい骨の音が、会話に紛れ込んで聞こえてくる。


「そのどれもがあくまで核心がないだけで、今こうしてみてみれば、あいつが犯人だったということに繋がらなくもない。嘘のない、本当の情報だったんだ」


 箸の先を空中で泳がせている死確者。


「けど、そんなのは必要ないはずだ。むしろ、自分の身を晒すだけの危険な材料であって、渡すなんて以ての外だ。それに、調べて欲しい情報だって、分からなかったなんて言ったり偽の情報を伝えたりすれば、疑惑の目なんてのは容易に遠ざけられたはず


「なのに、しなかった」


「ああ」死確者は軽くため息をついた。「あいつが犯人だとすると、全て妙な行動ばかりなんだよ」


「ですが、犯人であることには違いないですよね?」


「当然だ。その事実には変わりない。だから考えたんだ。犯人だが犯人として不合理な行動をしたのかって。んで、今さっき閃いた」


 死確者はまっすぐ私の目を捉えた。


「あいつはんじゃないか、ってな」


 えっ? 予想だにしなかった答えに私の眉は自然と上がっていた。


「鶴川さんは自分から捕まりにいったということですか」


「あくまで俺の勝手な予想だ。妄想だって言われても仕方ない。だが、蛇香会のことをあいつらと嫌悪感を持って話していたことも、相手の素性も何も知らないのにたった一人で倉庫に来たことも、その他諸々の奇妙なことに一応の説明がつくんだ」


「ですが、あの時鶴川さんは頭突きやみぞおちを殴ってまでして、逃げようとしていました。何故、素直に投降や自首をしなかったんですか」


 死確者は箸を置き、両腕をテーブルにつけた。


「身内に他にスパイが紛れ込んでいると考えたからじゃないかと俺は踏んでる」


「身内というのは警察?」


 首を縦に振る。


「蛇香会の連中がどこまで糸を張り巡らせているか、鶴川自身想定できなかった。スパイを見張るスパイ役として雇われていたぐらいだ。更にスパイがいてもって考えても想像に難くない」


 ほうほう。


「鶴川が仮に投降や自首をして、その事実が内部に潜んだ者から本部に伝えられていたとする。とすれば、蛇香会の連中はこう考える。罪を軽くする代わりに内部情報を漏らしたのではないか、ってな。不安要素は無くすためなら、容赦なく人を消すような連中だ。当然裏切り者は問答無用で殺しにかかってくるだろう。鶴川はその展開を避けるために、あくまで逃げきれずに逮捕されたというシナリオにするために、俺からわざと逃げたんだ」


「まあこれも予想なんだけどな」


 死確者は最後にそう付け加えたものの、私は一つ合点のいくことがあった。それは、死確者にみぞおちに一撃を食らわせ怯ませた時にボソリと呟いた鶴川さんの一言だ。


「使ってすまない」


 鶴川さんはそれから、死確者から逃げた。あの時はまったく意味の分からない言葉だったが、今話を聞いて、体を心地よい風が抜けていくような清々しい感覚を覚えた。


 そうか。全ての行為は、鶴川さん自身の身を、命を守るために行った壮大な、蛇香会へのアリバイ作りだったのか……


「あいつはもう疲れていたんだ」死確者はジョッキの取っ手を掴んだ。「正義の警察官と悪のスパイとの二重生活に」


 ジョッキを口につけ、勢いよく傾ける。残りを飲み干し、ため息にも混じった声を静かに出し、おしぼりで口を拭った。




「それから私と死確者は居酒屋を出た」


「ちょ、ちょっといいか」


 死神は手をあげる。


「どうぞ」


「結局のとこ、死確者の死因ってなんだったんだ?」


「今そこか?」物事には順番というものがある。


「だって、一向に見えてこないんだもん」


「殺人だ」


「殺人か……殺人!?」


 死神の黒目は丸くなり、瞼がつるほどに見開いていた。


「そんなに驚くことか?」


「そりゃ驚くだろ。こんな感じで前触れなくいきなり殺されたら誰だって。間違いない。通り魔か何かか?」


「に……近いかな」


「近いってなんだよ。その死確者、恨まれるようなことはしてなかったんだろ?」


「まあそうなんだがな」私は事の顛末を思い出しながら、言葉を出す。「だが考えてみれば、そのような恨みという解釈でも説明は可能だ」


「そのもったいぶった、異常なまでに回りくどい言い方やめろ。なんだよ、最近は少し変わったと思えば、また逆戻りか。幼児退行か?」


「違う。これが“ある奇跡的なこと”に繋がるので、あまり詳しく言えないのだ」


 口を滑らせてしまえば、これまで慎重に話してきた会話が全て台無しとなる。


「殺人が?」


「ヒントはもう話してある」


「えっ??」


「とにかく、続きを聞けば分かる」


「ちょ、ちょっと待てって。思い出して推理するから」


 どうせ分からず、また思考放棄で終わるのだろう。オチは見えている。


「それでだな」


「無視かよ!」という死神の言葉も無視する。


「少しして、居酒屋を出た。夜風に当たりたい希望の死確者のため、近くの公園に行ったんだ」

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