第16話
「そんで、その鶴……なんとかって奴は?」
早くも名前を忘れた死神は催促してきた。いつもの、庭付きの一軒家ほどの土地に積まれた3つの土管が置かれた、もの寂しい空き地で、いつものように飄々と土管に座り、いつものように両足を揺らしている。
「口から海水を吹き出した。噴水のようにな」
「海水吹き出したら、息吹き返したってか」
「……は?」
「ま、事故じゃなければ天使がそばにいるから、死んではいないか」
「ああ」私は頷き交じりに返した。
「そういや、聞かれなかったのか」
死神は口角に笑みのシワを寄せながら、話題を変えた。
「何をだ?」
「濡れてないことだよ。ほら、こういう時必ず聞かれるとか言ってただろ。で、今回はどうだった?」
座っている土管に踵を何度もぶつけていることに目を奪われながら、「多分に漏れず」と返した。あんなに何度もぶつけて、痛くはないのだろうか。
「説明は?」
「隠す必要もないことだしな、したさ」
天使は雨だろうが海水だろうが、水に関わるものは浴びないようになっているんです。弾くのではなく、完全にかからないように--そのようなことを死確者には話した。
「なんか言ってたか」
「いや、特には何も」便利だなとは口にしていたが、トーンからは憧れのようなものは感じなかった。
「ふーん」彼自身さほど興味がなかったのか、それだけで止まった。代わりに、「んでんで、続きは?」と促してくる。
「警察を呼んで、引き渡した」
「けど、指名手配犯なんだろ?」
「それを逆手に取ったのさ。杉上左京だと名乗られれば、警察も無視するわけにはいかない」
実際は、元上司に「真犯人が捕まった」と話したのだが、まあそこは支障が出るところではないので、話すのはやめた。
「それに、警官への公務執行妨害と速度超過の道路交通法違反の取消しを条件にした」
「そういや、そんなことも言ってたな」
ついさっき話したことなのに、異様に昔のことのように話すことは見逃すとしよう。
「けど、引き渡しか……本当はその死確者自ら取り調べたほうが、ぽさは出んだけどな」
「辞めているからな、仕方ない。経緯だけ後で電話で教えただけでもかなりマシなほうさ」
「肝心の経緯の方は分かったのか」
「ああ」そうか死神に話してなかったな。
「まず、鶴川さんは……」と語り出すと、「犯人なんだから、さん付けはいいだろうよ」と指摘されたので、言い直すことにした。
「鶴川は警察の捜査情報を流したりする以外に、日本にいる蛇香会のスパイを見張ると同時に、行った違法行為や証拠を消していたんだ。例えば、五十嵐さんの件だ」
「五十嵐さん?」
誰だっけ。死神の表情からよく伝わってきた。
「三人目に尋ねた男性。最後に桂木さんと会った人で、ほら車で家まで向かったあの」
「あーあーあの人ね」死神は虚空を見ながら小さく数回頷いた。「ん?確認ってなんのだ? あの人、事件には関係なかっただろ」
「直接的にはな」
「何だ、その意味ありげな言い方は」
死神は片眉を不自然に持ち上げた。
「亡くなる前日に『家族のために腹をくくらなけりゃいけない。今のままじゃダメなんだ』と話していたのを覚えてないか。警察に話したのに共有されてなかったってやつ」
「それか……えっ? あっ、もしかして」
何か閃いたような顔。見覚えがある。死確者もこの話を聞いた時、同じ顔をしていた。
「五十嵐さん本人に鶴川さんの顔写真を見せてメールで確認した。返信はすぐだったよ。話したのはこの人です、との文言付きでね」
「なるほどねぇ~」死神は腕を体の後方に立てて、体重をかけた。
「少し話はそれたが、まあともかく鶴川は蛇香会のために様々なことをしていたということを先に把握しておいてくれ」
長い前置き、前提を話してから、私は聞かれた問いに答える。ここからは鶴川本人の証言だ。見たこと聞いたことが真実なのかは分からないが、少なくとも整合性は取れている内容であると、死確者は話していたから、おそらくこれが真相だ。
「桂木さんは海外勤務の際にスパイとなったそうだ。だが、自ら志願したわけではないんだ」
「というと?」
「当時担当していたのは、契約締結できればかなり大きい取引先となるのだが、なかなか上手くはいかず、長らく前に進めていなかったそうだ。露店で晩御飯を食べている時、ある中国人に話しかけられた。仲良くなり、色々と話していると、その中国人が、自分は知り合いだから話をしてみるよ、と密かに仲介をしてくれた。結果、契約は無事締結できた。数日後、見返りを求められた。それが会社の顧客情報だったんだ。とは言っても、何が趣味なのか何を買ったのか程度のもので、個人情報を話すというよりかは雑談の延長のような些細なものだったらしく、まあそれならと話してしまったらしい。その後も、仲介や紹介、新規取引先となる人間の情報を貰って、代わりに会社の持つ情報を渡すことを繰り返した。そんなある日……」
「そいつが蛇香会とかいうマフィアの人間だったわけか」
神妙に頷く死神。
「会話を遮った割には分かるのが遅かったな」
「るせぇ」死神は不機嫌そうに眉をひそめる。
「続きいいか」
「どうぞどうぞ」
私は咳払いし、「そんなある日」と改めて始めた。話は正体を明かしたすぐ後からでいいだろう。
「自分が蛇香会の一員だと話してきたんだ。そして、脅してきた。『今まで俺に話してきたことを全部会社に言ってやる。嫌だったら要求を飲め』とな」
「要求?」
「今後も継続して会社にある情報を渡すこと。だが、対象は国や大企業の情報。ただの安い花瓶から中核を担うソフトウエア関連のものまで扱っている商社だからな、確かに様々な情報が会社にはあったんだ。勿論、そんな簡単な話ではないと断ったら殺されるかもしれないという恐怖もあっただろうに脅しには屈せず、桂木さんは断ったんだ。一度はな」
「何かあったのか?」
「金だよ。相手は多額の金まで出してきたんだ」
「金ねぇ」死神は眉をひそめた。くだらない、そう顔は語っている。「人間は大好きだよな。あんなのただの紙っぺらと安い金属の塊なのによ。金のせいで人まで殺しちまう。馬鹿げてるよ」
「確かに、紙と金属だが、そこに価値が入れば、人を惹きつける魔力があるんだよ」
「悪りぃ。続きをどうぞ」
「結果、桂木さんは要求を飲んだ。実は桂木さんは借金があったんだ」
海外にあるカジノ施設で作ったと後々の調べで判明した。会社の人間にも伏せていたため、当時の調べではそこまで手が伸びていなかった。
借金について相手が分かっていたのかは不明だが、死確者曰く、「相手の弱みに漬け込んだ交渉をすれば、成功確率はぐっと上がる。おそらく事前に調べていたんだろうな」と話す。間違いなく言えることは、桂木さんはそれから一切ギャンブルをやらなくなった、ということだ。
「そうして、桂木さんはその国々ごとに蛇香会の関係者が接触して、仕事のための情報と金を与える代わりに、様々な情報を渡すスパイとなった。その後、正確には日本勤務になった時、情報を得るために接触してきたのが同じく蛇香会の人間に雇われた鶴川であり、桂木さんが亡くなるのはその数年後のことだ」
死神は首を左右に曲げるも、目はじっと私を見ている。
「ある時、桂木さんは鶴川に、家族ができたことを理由に組織から抜けたいと話した。潤うだけ潤って抜けたいなんて都合が良すぎるだろ、と脅すもまったく言うことを聞かなかった。だから、鶴川はある行動に出た。それが桂木さんの告発資料だ」
「綿貫さんの元に届けたのが犯人だったってわけか……ん? なら、週刊誌にたれこんだのは?」
「第三者、と言えばいいのか」言葉に悩む。「今回の事件とは関係はないんだ」
「えっ、無いの?」拍子抜けな表情を浮かべる死神。
「記者が調べて得た情報だったのだろう。そもそも、横取りをしていたが、特に犯罪として立件されるようなことはなかった。だが鶴川は、従わなければ告発資料はトドメの一発にはなると画策していたことは違いないけどな」
「てっきり、関係してんのかと思ってたわ」
「ドラマじゃあるまいし、なんでもかんでも繋がるわけじゃない」
私は軌道を修正する。
「取引先を奪われた綿貫さんなら、恨みを晴らすではないが、マスコミなどに告発してくれると考えたらしい。それを揉み消す代わりに、留まらせようとしたのだが、実際は告発どころか本人に確認を取ってしまった」
「タイミングを考えりゃ、告発資料を用意したのは鶴川だって容易に推測できるわな」
「ああ。しかも、鶴川が蛇香会の人間に頼んで作成してもらった偽の資料。要するに、嘘だ。だから、桂木さんも行動に出た。実は、最初からこれまでの全ての会話をボイスレコーダーで隠し撮りしていたんだ」
「ほぉー、不正の証拠を残しておいたってわけか」
「桂木さんは、明日までに抜けられなければ全てを公表すると脅してきた。鶴川は連絡係に報告するが、返ってきた答えは、桂木を消せ、その一言。殺人を犯せという恐ろしい命令だ。だが、背けば自分も一緒に消されるだけ。考え出した結果は……」
「桂木さんを殺すこと」
死神の発言に私は一回縦に顔を振る。
「そして翌日、桂木さんを呼び出し、刺殺。その後、告発資料を取りに行って、繋がりを消したというわけだ」
「桂木さんを殺したワケには理解した。が、綿貫さんの方はまだ疑問が残る。話を聞くに、蛇香会のスパイじゃなさそうだし、となると理由が見当たらない」
「単純な理由だよ」私は顔を横に向ける。「余計な情報を得ていたからだ」
「余計な情報?」死神は眉間にしわを寄せた。
「ほら、告発資料について」
「あっ」思い出したらしく、眉がつりあがった。「あれか」
「嘘であっても、桂木さんに裏の顔があったことは確かだ。少しでも知ってる人間を残しておくのは危険であると組織は判断したらしい」
「口封じというやつか……なんとも理不尽だこと」
「事故に見せかけて綿貫さんを殺害しろと言われていたが、鶴川は出来なかった。元はなんも関係ない人間だ。自分が巻き込んだ結果、死ぬのは忍びなかったんだろう。田舎に帰ったと知っていたが、行方知らずになったことにして伏せていた。そのまま静かにしていれば殺さなくて済む。そう思っていた」
「なのに戻ってきちまった……」死神は視線を正面に戻すと、少し落とした。
「その上、蛇香組にも知られてしまった」
「まさに、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目、だな」
「鶴川は殺す以外に選択肢がなくなってしまったわけだからな、確かに不幸に不幸が重なった最悪な状況だ」
「けど、警察官にさせるより、東京にいる蛇香会の連中に殺しを頼めばよかっただろうに。なんでわざわざ?」
「いつもの如く、偽装したり捜査を誤誘導してもらおうとでも思ったのではないか。それに、蛇香会は鶴川のことを疑っていたらしいから、それもあると思う」
「疑う? なにを?」
「行方知れずになったと話していたが、本当はどこにいるか分かっていたのに殺さなかっただけではないか」
「おいおい……忠誠心の確認ついでってことかよ」死神は腕を組んだ。「そんなんもうやるしかねぇじゃねぇじゃん。おっかねぇこと考えるんだな、マフィアって」
そうだ。鶴川はもう後に引けなくなった。希望も光もないと分かっていながらただ先に進むだけ、底の見えない深くまとわりつくヘドロの沼に足を沈めるしかないのだ。
「鶴川は電話で綿貫さんを呼び出し、隙を見て絞殺した。自殺に見せかけようと工作していた最中、綿貫さんの爪に皮膚片があるのを偶然発見した。鶴川は自殺に見せかけるのをやめ、そのまま絞殺遺体としておくことにしたんだ」
「なんで?」前のめりな死神。
「それは」答えを言おうとした口をつぐむ。
「なんでだと思う?」
「おお、唐突なクイズ」
「刑事ドラマ好きなら、分かるはずだ。さほど難しくない」
死神はより目を開く。口を真一文字にして顔をそらすと、「うーん……」と声を漏らした。
「どうだ?」
「分かりましぇーん」
諦めたように頭を落とす死神。それを見た私は、土管から落ちそうになる。見ているのではないのか。口から出そうになるが、すぐに閉じる。見ているから推理できるというわけではない。
「殺人の罪をなすりつけようとしたんだ」
「あーあ、自分から疑いの目を逸らすためか」
「そういうこと。けど反対に、まさかそれが死確者のものだとは思わなかったんだろうな」
「なら、死確者をはめようとして利用したのではなく、利用したらそれがたまたまってわけか」
「そういうことだ」
電話越しに鶴川が驚いていたことに嘘はなかったのである。
「これが、事件の全容だ」
「えっ、まだ気になってること残ってるんだけど」
はい?
「鶴川はなんでスマホを捨てなかったんだ。電話して呼び出してるなら持ち去るのは分かるけど、早く壊すなり捨てるなりしてさえいれば、捕まることはなかったはずだろ」
「ああ、それはな」私は先生が生徒からの問いに答える感覚で口を開く。「蛇香会の人間から持ってくるように言われたみたいで、予定では逮捕された翌日に渡す手はずだったらしい」
「ああ、そんなシンプルな理由だったのね……」
「そう残念がるな。他には?」
「もうないよ」死神は頭の後ろに両手を置く。
「まあ、それで解決できたんなら、せめて寿命まで謳歌できたのか。確か、寿命まで一日ぐらいあったろ?」
ああ……
「いや、まだ心残りがあって、その処理をしていた。それから少しだけな」
「忙しい死確者だね……んで、何をしてたんだ?」
「桂木さんの被害者遺族に会いに行った」
「捕まりましたって報告をしにか」
死神は顔の横を指で掻く。
「まあそうなんだが、実はそれだけじゃないんだ」
私は笑顔を浮かべた。意味ありげな表情で気になる言い方にしたのは、もちろん、わざと、だ。
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