第14話

「一種の賭けだよ」


 あぶり出せるのか、という私の問いへの答えは思ったよりも端的で、なんともあっけなかった。


「捨ててるか本当に物盗りでなければ、きっと犯人は姿を現わす。不安に駆られて辛抱堪らないはずだからな」


 死確者は頭を掻く。髪が擦れる音は、ここに着いた途端に降り始めた雨の音にかき消される。重く濁っていた鉛色の空模様は嫌悪と不安を沸き立たせた。


「時刻は?」


 死確者は袖をまくり、腕にしていた時計を見る。


「21時ジャスト」


 指定した時刻になった。だが、辺りを見ても誰かがいる気配はない。遅れているのか、それとも来る気がないのか。そもそもを見ていないのか……いずれにしろ、私たちは人工の明かりと外からの微かな月明かりだけのかろうじて辺りが見える倉庫の中にある積まれた木材に隠れて待つしかなかった。随分と長い間放置されていたのだろうか、ところどころ腐食しており、ふとした拍子にジェンガみたく崩れ落ちてくるのではないかと少しばかり不安になる。


「ダメか……」


「まだ諦めちゃいけません。ここまで来たんですから、運を天に任せてみましょう」


「天使が運頼みとはな」


「さっき、賭けだと言っていたのはどこの誰ですか」


「いいんだよ、人間は賭けても。第一、それとこれとは多少違う。俺が話してるのは、あの動画のことだ」


 一時間ほど前、私は綿貫さんに変身した。そして、蛇香会から盗んだガラケーを利用してある短い動画を作成し、綿貫さんのスマートフォンへ送信した。


“突然届いて驚いただろう。お前が盗むと見越して、俺の自動的にスマートフォンに送信されるよう、死ぬ前に設定しておいたんだ。俺はお前の秘密を知っている。何もかも全て分かっている。明かされたくないだろう? なら、方法は一つだけだ。”


 私は紙を見せた。事前に作っておいた住所が書かれている。東京湾にある倉庫だ。死確者曰く、もう長らく使われていないらしい。


“21時にここに来て、アイスクリームと叫べ。俺は死んでいるのにどうするつもりだ。どうせそう思っているんだろう。疑うなら来なければいい。お前に任せよう。だが、もう対策は施してある。後悔しても責任は取らないからな”


 嘘だらけである。実際のところ送信ボタンを押しているし、真実などまだ分かっていないし、そもそも綿貫さんでもないが、そんなこと犯人には知る由もない。殆ど全てと言っていいほど、嘘なのだ。だが、捕まりたくない犯人は証拠ごと全てを消すためにやってくるはず。不安を植え付けるには最適だ。


 ちなみに、綿貫さんの携帯番号は死神に懇願し、追加で貰った資料から得たものを使っている。間違いはないだろう。


「正直に答えてくれ」


 そう口にしたのは死確者だ。答える、ということは何かしらの問いだろうか。


「綿貫さんは俺のせいなんだよな」


 考えてもいなかった方向からの、懺悔に近い問いに、私は戸惑い迷い、「ふぇ?」とおかしく滑稽な反応をしてしまった。


「綿貫さんは隠れて暮らしてた。なのに俺が接触したから、その、死んじまったんだろ」


 その表情には、重みと確信があった。まるで誰かから伝え聞いたよう……あっ。心当たりがあるとすれば、公園で死神と話した時だ。


「聞いていたんですか?」


「人を盗聴犯みたいな言い方するなよ。聞こえてきたんだよ、外からお前の声が」


 言い逃れはできないみたいだ。私は一息つく。ため息ではない、決意の言葉を発する前の神妙な息継ぎだ。


「あくまで可能性があるというだけです。確定ではありません」


 死確者の表情はみるみる険しくなる。


「人間はいつか必ず死ぬものです。遅かれ早かれの問題です。そこまで悲観的に捉えなくても……」


「バカ言え。人の残りの人生奪ったかもしれないんだぞ? だとしたら俺が……俺が綿貫さんを殺したようなもんだ」


「違いますよ。殺人犯とは全然違います」


「法律だからとかか?」


「ふざけずに聞いてください」


 私は一喝する。叫んではいない。諭すようにこれからの言葉を聞いてもらうよう促すように静かに。


「純粋に、杉上さんは見つけようとしています。本当に悪い人間を、自分の人生の最後の時間をかけてまで。そんな人間、そうはいません。そこまでできる人が他人の一生を奪うようなことするはずないです」


 私は内に溜めていた想いを吐き出し続ける。収まりはまだ見えない。


「それに、人を殺したのは別の誰かです。桂木さんの事件と繋がっていようがいまいが、同一犯であろうがなかろうが、間違いなく別の人間です。そもそも接触したからといって皆が必ずしも殺人をするわけではありません。結局はその人間に殺意があったからこそ、殺人を犯すのです。だから、やっぱり杉上さんは人を殺していない。殺意なんてさらさらないんですから」


 ピシャ


 妙な音が聞こえた。


「今のって……」


 その時だった。再びピシャという音が響いた。間違いない。水たまりを踏みつけた時に出る音だ。雨が降りしきる中でも、それだけは確かに耳に届いた。


 私たちはここから動いていない。ということは……


「誰かいます」


 死確者は「分かってる」と小声で返した。忘れていた、今回の死確者はかなり耳がいいんだ。


 私は立ち上がり、辺りの様子をうかがう。死確者にしか私の姿の見えない。こういう時は好都合だ。足音が聞こえるのは右のほうから。コンクリートを踏みしめる誰かはこちらにゆっくりと着実に近づいてきていた。


 月明かりがやってくる誰かを照らしていく。まずは足。次に胴。そして、顔。


 あれは……


 暗い空間に歩みを進め、その真ん中で止まると、「アイスクリームっ!」と大きな声で叫んだ。これで犯人は確定だ。死確者は静かに盗み見ようとしていた。私は止めようと手を伸ばした。だが、ほんの少しだけ間に合わなかった。


 体を横にずらし、死確者は見つめる。途端、目が開いた。これでもかというほどに、筋肉がつり上がっている。驚いているのだ。同時に、狼狽している。そして、お前だったのか、そう思っている。口にしなくても顔の表情だけで十分伝わる。


 薄暗い周囲を見回しながら、「アイスクリームっ」と再び叫んだ。それは確実だと裏付ける確固な証拠であった。


 死確者は目に怒りを、口には悲しみを、眉と頬には戸惑いを浮かべる。確かに存在する事実と明らかにすべき真実のために、死確者は全ての感情を沈め込んで、強く強く手を握った。


 死確者はその場で立ち上がる。勢いはあったが、音は起こらぬように工夫していた。木材から体を出し、歩み始めた。


「お前だったんだな」


 淡々と告げる死確者。声にはもう先ほどまでの入り混じった複雑な感情は消えていた。だが、相手の振り返る所作や顔の表情が変化する動きは無視していた。それが動揺によるものなのか、故意に起こしているものなのか分からない。


「随分と演技が達者だったが、学生時代は演劇でも噛んでたのか」


 死確者の言葉を耳にすると、目が次第に細くなっていく。


「騙したのか……」


 アイスクリームという単語以外、初めて発した言葉であった。すでに声は落ち着きを取り戻し、今置かれている状況を把握しようと努めているように見えた。


「そっちが先だろうが」


 死確者は目尻を細くした。眼に宿る光は真っ直ぐ正面を向いていた。


「俺はずっと騙されてた。善人ヅラしたお前にな」


 一歩ずつ距離を縮めていく。コンクリートの地面に死確者の水気を含んだ革靴の足音が反響していく。


「何年も何十年も欺かれていた気持ち、お前に分かるか」


 複雑な感情は再び変化していた。今度は、静かな怒り一つのみだ。


「なんで、綿貫さんを殺した? 桂木さんとの事件と繋がりはあるのか? あるんなら、なんなんだ? あの日と昨日、一体何が起きていたんだ?」


 何も答えない。唐突に訪れる静寂。ただ、外の騒がしい雨の音だけが二人を包んでいた。


「答えろ、っ」


 死確者の憂いを帯びた悲しい叫びは、激しい雨さえかき消した。

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